禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 無門関NO7

☆昨来、口を過ごす余物なし。

   趙州一語の粥を饗(きょう)し来る。

   山堂寥廓(さんどうりょうかく) 嵐気冷(れい)なり。

   失銭の閑人 鉢を洗って帰る☆(素玄 居士)

   

禅を悟るに、難行苦行・・開けても暮れても坐禅三昧・・といわれる。しかし、達磨より三代あと、鑑智僧璨(かんちそうさん)は、信心銘において「至道無難(しどうぶなん)、唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)」・・悟りへの道は難しいものではない、ただ、好き嫌いや比較することがなければ・・と、わずか584文字の詩的論文で述べている。

彼は、当時・・日本で法隆寺が建立された頃(606年)、仏教道教の迫害にあい、深山に隠棲して難を逃れ、少ない求道者に、大樹の下で説法中、合掌・坐亡したと伝えられている。

 

禅の悟りはイロイロだが、素直に、独りで坐禅、自省すれば、ヒヨットした、何かの機縁があって、涙ながらの玉ねぎの皮むき作業が終わる。ただ、それだけのこと・・なのだ。

 

無門関  趙州洗鉢 (じょうしゅうせんぱつ) 第七則

趙州に、求道者が問う・・私は、まだ当地にて お目見かかって日も浅い者ですが、どうぞ、禅についてご教示ください。

趙州「朝の粥食は食べましたか」

求道者「ハイ、いただきました」

趙州「それじゃ茶碗を洗いなさい」

求道者 省悟(閃き)あり。

 あちこち行脚して、ご教示ばかりをいただく、そんな、乞食根性に自己不信、怒り、疑問がたぎっていたのだろう。

それに趙州の「禅による生活」=日常行動・・すごい切れ味の禅者の一語である。

   【本則】趙州 因(ちな)みに僧 問う、

    某甲(それがし)、乍入叢林(さにゅうそうりん)。

    乞う師、指示せよ。

    州云く、喫粥了也(きっしゅくりょうや) いまだしや。

    僧云く、喫粥了也。

    州云く。鉢盂(ほう)を洗い去れ。

    その僧 省(せい)あり。

 

無門が云う,明眼の禅者(趙州)の日常すべてが禅そのもの。

ご教示とやらの手がかりは、一挙手一投足、ゴホンと咳払いしようが、コッンと机を叩こうがズバリ禅を表現している。

臨済が師、黄檗のもとを去り、大愚に参じて「黄檗、恁麼(いんも)に老婆親切(ろうばしんせつ)なり=さすが黄檗だな。美味しいご飯を炊くのが上手だ」の一語で、禅を手に入れたのも、この求道者に似ている。

サア・・鐘を甕(かめ)と言い間違える人になるな。洗えと言われる前に、茶碗を洗ってしまう輩でないと、禅は手に入らないぞ。

現代、いったい何処に大愚や趙州がいるのかな?

  無門曰く、

  趙州 口をひらいて膽(たん)をあらわし、心肝を露出す。

  この者、事を聴いて真ならずんば、鐘を呼んで甕(かめ)となさん。

 

頌に・・「禅を難解だという人こそ、素直でないな。分析・比較・検証と、論理や心理を学問しても、効能書きに頼る病人は助からない。ご飯を上手に炊き上げるには、水加減は当然として、初めトロトロ、中パッパ、子供が泣いてもフタ取るな・・電磁的自動化社会に安住するスマホ教信者に禅は無縁でしょうね。

  頌に曰く、

  ただ分明(ふんみょう)を極(きわ)むるがために、翻(かえ)って所得を遅からしむ。

  燈(ともしび)のこれ火なるを早く知らば、飯(はん)の熟するにすでに多時(たじ)。

 

附言  A carpenter is known by his chips

        (大工の良し悪しは、カンナくずでわかる)

もう一つ・・「正直でないと桶は作れない」・・これホントです。

 

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