禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 無門関 NO11  

無門関 州勘庵主 (しゅうかんあんしゅ) 第11則

【本則】百二十歳まで行脚修行した趙州。

ある日ある時、ある禅庵を訪ねて・・「有りや・・有りや」

(いったい何があるのか、何を尋ねたのか・・日時や庵主名など不明なのは、無用だから書いてない)

すると庵主、すっと拳(こぶし)をあげた。

趙州云く「浚渫(しゅんせつ)してない浅い港なので船泊(ふなどまり)できない」といってサッサと出て行った。

また別の禅庵を訪ねて云く「有りや・・有りや」

するとこの庵主もまた、すっとこぶしをを立てた。

趙州云く「これはナント・・自由、活殺自在な働きの方である」と丁寧に礼をした。

 【本則】趙州 一庵主の処にいたって問う「有りや 有りや」

  主 拳頭(けんとう)を竪(じゅ)起(き)す。

  州云く「水浅くして、これ船を泊する処にあらず」と、すなわち行く。

  また一庵主の処にいたって云く「有りや 有りや」

  主もまた拳頭を竪起す。

  州云く「能縦能奪(のうじゅうのうだっ)、能殺能活(のうせつのうかつ)」と、

  すなわち作礼(さらい)す。

 【無門 曰く】両方の庵主、同じように拳を立てたが、一方は船底が海底につくから泊まれない・・と退散し、もう片方は、同じ仕草なのに、自由自在な働きである・・と、ほめたたえて深く礼をした・・この趙州の「入り組み」態度の違い・・を見て取れる・・求道者・・いるかどうか。

もし、一人を誉め、もう一人をダメとする・・確かな意見ができれば、反対に趙州こそ、二庵主に、喝破され(見抜かれ)ていることもわかろうというものだ。

 

禅寺では「趙州無字」の公案一則を透過すれば、あとは口伝とか、密室の参事として伝授する・・アンチョコ方式をとる・・そうだが、禅による生活の本当は、こうした公案で鍛錬された「一語」徹底しているか、どうかで決まる。

もし、二庵主の優劣,是非があるというも、無いというも、やっぱり、それは口頭禅だ。

  【無門 曰く】一般に拳頭を竪起す。

  なんとしてか一箇を肯(うけが)い、一箇を肯(うけ)がわざる。

  しばらく道え、ごう訛(が)いずれの処にかある。

  もし、しゃりに向かって一転語を下しえば、

  すなわち趙州の舌頭に骨なく、

  扶起放倒(ふきほうとう)、大自在をうることを見ん。

  しかもかくの如くなりと謂(い)えども、

  いかんせん、趙州 かえって二庵主(あんじゅ)に勘破(かんは)せらるることを。

  もし二庵主に優劣ありといわば、未(いま)だ参学(さんがく)の眼(まなこ)を具せず、

  もし優劣なしというも、また未だ参学の眼を具せず。

 

素玄居士・・

【九谷の徳利、青磁の杯、独り小房に座り交互に忙がし。

趙州 訪ね来たるも拳を用いず。壁間のグラビヤ、代わって応接す】

禅機は「禅の生々なる流露」で、相手がなくても、独り禅機を弄(ろう)して楽しむ。ここでは相手があっても相手なきに同じ。この庵主したたか者じゃ。ここは趙州と手を打って、散歩するのも面白いが、今時、いないなぁ!

趙州の禅機は天性の妙だ・・これを酌めども尽きずに楽しむ、面白い一則だ・・と言われます。

 

禅【頌に曰く】生きていく、その中で、大切なものはいろいろあるが自分の一番、大事なものは何か・・

  【頌に曰く】眼(まなこ)は流星、機は掣電(せいでん)。

   殺人刀(さつじんとう)、活人剣(かつじんけん)。

   (禅者の容姿、行動・・ズバリ・・意訳の必要なし)