禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 無門関NO12(8/23 追記修正) 

無門関 第12則   巌喚主人 (かんがん しゅじん) 

【本則】瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)、

    毎日 自ら(みずか)主人公と喚(よ)び、また自ら応諾(おうだく)す。

    すなわち云く「惺惺著(せいせいじゃく)」=「諾(だく)」

    「他時(たじ)異日(いじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ」 

    「諾々(だくだく)」

【本則】自分が自分を呼んで、目を覚ませ!とか・・騙されるなよ!とか・・ハイと返事もしている。こんな心理的な自己問答は・・禅ではない。

だが、瑞巌老の自戒めいた話は、自分で禅機(エンジン)を発動させ、禅境(車のドライブ)を楽しむ心地であろう。

 

公案とみるよりは、看脚下=照顧脚下の実際とみて、貴方の禅境の一語を言ってみよ・・と迫る話だ。

 

【素玄居士云く】胡馬(こば) 北風に嘶(いなな)く・・

【附記】アエテ意訳スレバ・・1日千里を走るサラブレッドは、遠い故郷から吹いてくる寒風に誘われ、嘶いて走り出す・・の意。

臨済録 臨済・麻谷マヨクの商量中、「千手観音のどの手、どの眼が本当のものか?」と問答した、その公案の大燈国師の着語に「凛凛リンリンたる清風 匝地ソウチ寒し」とある。

自己・・素っ裸の・・「本来の面目」とは何かを問う、最も難透な公案だといわれる。

明白徹底、掌を見る如くに看えなければ臨済白隠の児孫(寺僧たち)禅を知ったというな・・と、釋 宗活老師が「臨済録 講話」光融館 昭和16年発行で喝しておられる。

碧巌録に次いで、無門関を意訳していますが、講釈抜きで、ズバリ切り込んでくるのが「無門関」です。禅に関心を持つ、欧米、外国の方には、言い訳不要の、無門関の方が、坐禅するには最適でしょう。論理的に解釈できない・・してはならない「禅」は、分析、検証の科学的な因果関係に包まれた西欧文化に、全く適合できません。チョウド、インドの哲学者風の達磨が、中國にZENを紹介した時、現実的実務主義の中国人に理解されず、九年の面壁坐禅をしたように・・まだまだ・・真の求道者・・読者数は少ない状況です。日本人が1千年かかって純禅を挙揚し、今や、絶滅種となりましたが、欧米で一粒の麦・・もし死なずば・・次の千年期に、禅の大樹となるよう、由来、因縁、哲学・論理・科学的考察は放棄して、この・・役立たず三分間「独りポッチ禅」を提唱する次第です。         

臨済義玄リンザイ ギゲン(黄檗希運オウバク キウンの弟子、禅ー臨済宗の祖)麻谷寶徹(馬祖道一バソ ドウイツの弟子)無門関・・公案は、人物、履歴、因縁に固執しないこと

 

【無門曰く】瑞巌老は、夜店のお神楽(かぐら)の面売りだね。

 

しかも独りで売って、独りで買う・・落語の花見酒、杯と五文のやり取りか・・儲けのないフーテンの虎さんだ。

(ニィ!は語気を強める「サァ!ドウダ!」の口調)

 

威勢のいいタンカ売に、買おうか・・どうしようと、キョロキョロまごまごしたら、この買い物、高くつくぞ。まして瑞巌老の真似や受け売りをしたら、禅気に毒された病人・・と心理療法の的にされるぞ。

【無門曰く】瑞巌老子(ずいがんろうし)、自(みずか)ら買い自ら売って、  

      許多(そこばく)の神頭(じんず)鬼面(きめん)を弄出(ろうしゅつ)す。

      何が故ぞ(おいオイ・・どうだね・・漸耳(にい)!

      一箇は喚(よ)ぶ底(てい)、一箇は応ずる底、

      一箇は惺(ピチピチした生活=)惺底(せいてい)、

      一箇は人の瞞(まん=偽り)を受けざる底、

      認著(にんじゃく)すれば、依然(いぜん)として還(かえ)って不是(ふぜ)。

      もし、また他に倣(なら)わば、すべてこれ野狐(やこ)の見解(けんげ)ならん。

 

【頌に曰く】禅を知識や論理で解かろうとする者は、南極で北極星をさがす天文学者だ。雑念・妄想がいっぱい詰まった望遠鏡で、星がどうして見えるものか。

日常生活そのままが、人間本来の生き方だと思ったら大間違い・・(だから現実、実利重視の女性や学理の言うだけの蕎麦屋の釜、スマホにのめり込む信者は、ナカナカ禅を手に入れた生活ができない)

スターダスト⇒★と望遠鏡のゴミ・・看間違えたら大変だぞ。

 【頌に曰く】学道の人、真を識(し)らず、

       ただ従前 識神(しきしん)を認めむるが為なり。

       無量劫来(測りがたき轟雷)清氏(商ない事)の本(元)、

       痴人喚(ちじん よ)んで本来、人(にん)となす。