●碧巌録(85則)でも、この無門関でも、どうやら9/6 掲載した則が、禅者のヒマをもてあそぶ「禅による生活」を描く・・一般常識からはずれる芝居で、読者から、早速に質問されたので追記します。
禅語録には、一見、芝居じみてみえる禅者の行録がたくさん出てきます。
いずれも本当にあった命がけの修行、その「禅機」のやりとり・・です。
私も、生前、父との会話や、その振る舞い、表情に、ほとばしる禅機を感じて、思わずうなってしまったことが何度かあります。年を経るにしたがって「閑古椎カンコツイ=先の丸いキリ」とか「木鶏モッケイ」とか言われる禅境地を窺うことになりました。
現代の僧堂で行われる修行は、寺の跡継ぎを養成する「促成・温室栽培」で、しかも、師家もまた、言われた通り一偏の指導ですから、悟後のスリアゲなど、ありようも出来ようもありません。
禅は、宗教や哲学や論理・心理、論理学で解析、検証できません。著名な禅寺で、それらしい振る舞いの坊さんや、白皙の学者を登場させ、NHKの教養などで話させても・・これ全部・・生座鳥の受け売り話。本命の禅者がいるとスレバ、まず・・大のテレビ嫌い・・電話嫌い・・団体組織嫌い・・必ず清貧です。(あえて事例をあげれば、一休宗純や大愚良寛です。白隠、盤珪、仙厓なども、コメみその代わりに禅画や書を書いて生計にあてていました)
電磁波で平安な世界へ導いてくれる・・と、スマホ狂信者があふれる現代・・
いずれは・・北朝鮮の水爆、高高度爆発でデジタル社会が壊滅して、アナログ社会にまいもどったら、この禅者の一語と、そのわけの分からない振る舞いが、何だったのか・・気づくことになるでしょう。・・どうぞ「独りポッチ禅」で、依るべなし・・無依(ムエ)の人になってください。
禅のパスポート
無門関 徳山(とくさん) 托鉢(たくはつ) 第13則
禅は「今、ここに」に生活する・・中にしか発現しない。だから・・何時、どこで、誰が・・は深く問わない。何ごとを、どのようになしたか・・これを自分の境地として、どれほど深く味わうことができるか・・
いわゆる「禅境(地)を楽しむ」のである。
主義主張、自我意識の強い・・人には「禅=禅による生活」は、関心もなく、身に染むことはないといえよう。
ただ、心落ち着かず、不安や悩みに苦しむ・・安心を求めたい人が、ふと、坐禅でもしたい・・と、思った瞬間・・その時だけ・・ZEN=禅が姿を現わす・・と言ってもよい。
(たいてい、禅の効用、利用価値を考えてしまうので、純禅=自分の無所得、無価値・無功徳な姿は、すぐに消え失せてしまう・・)
たったの3分間・・独りポッチ禅をする時、私は、碧巌録か、無門関に、気ままにページを開いた一則を看ることにしている。
千年前の、それこそ現代の文明文化から比較すれば・・何もない、貧しく不便な禅者たちの生活ではあるが、明らかに悟りの世界がイキイキと出現する。宗教でも主義主張でも、無関心でも、スマホの依存症でもない「禅による生活」がある。
しかも、彼ら・・達道の禅者は、人生を達観して、ヒマでしようがない・・暇をもてあました人たちだから、何事につけて、生きることを楽しんでいる様子が見て取れる。役立たずな生き方・・役立たずの坐禅・・その舞台が、いま、ここに開幕する。
【本則】ある日、徳さん(山)・・食事時でもないのに、自分の茶碗と箸を持って、ひょっこり食堂に姿を現した。そこに居合わせた料理長、雪峯に「まだ、食事の案内、合図をする時間じゃないのに、何をウロウロされますか」と注意された。
徳さん、うなだれて自分の部屋(方丈)にもどった。
*徳さん、雪峯にやり込められ、自室に帰ったのは禅機。
徳さんの得意の三十棒が出なくても、すごすごと戻る姿に、
雪峯は・・その性根、禅者の一悟を見届けていない。
この雪峯と徳さんの商量に相乗りした巌頭は、ナカナカの達者だ。
この件を、万事仕切り役の巌頭に報告したところ・・巌頭いわく「いつも腹ペコの徳さんだ。まだまだ、往生の覚悟などできていないな」と決めつけた。
*末期の句を、禅の極所と誤解してはならない。
三昧(正受)が禅の極所であるとか、極所など本当はない
・・という・・のを打発しての発言だ。鋭いトゲがある。
徳さん、これをまた聞きしたので、巌頭を呼んで「ワシのやった行動を否定するのか」と問うた。すると巌頭、お耳を拝借・・と、耳元で何かささやいた・・徳さん「ナルホド、それなら致し方ない」と納得して寝てしまった。
*それでは「末期の一句」とは、何を言うか・・
禅者は、時に、こんなイタズラをして楽しむ。
あくる日。求道者を集めて、徳さんの禅話が始まろうとした時、巌頭、手を打って大笑いしながら言った。
「イヤア・・喜ぶべき出来事だ。徳さん老師、覚悟の一句がワカラレタようだ。これからはもう誰も手出し、ご意見できないよ」
【本則】徳山(とくさん) 一日(いちじつ)托鉢(たくはつ)して堂に下(くだ)る。
雪峯に、この老漢(ろうかん)、鐘いまだ鳴らず、
鼓(く)いまだ響(ひび)かざるに托鉢して、
いずれのところに向かって去ると問われて、
山すなわち方丈(ほうじょう)に帰る。
峯(ほう)、巌頭(がんとう)に挙(こ)似(じ)す。
頭云く、大小(だいしょう)の徳山、いまだ末後(まつご)の句を會(え)せずと。
山 聞いて侍者をして巌頭を喚(よ)び来たらしめて問うて云く。
汝 老僧を肯(う)けがわざるか。巌頭、密(ひそ)かにその意を啓(もう)す。
山すなわち休(きゅう)しさる。
明日(みょうにち)陞座(しんぞ)。はたして尋常(よのつね)と同じからず。
巌頭、僧堂の前に至って掌(たなごころ)を打って大笑(たいしょう)して云く。
且喜(しゃき)すらくば老漢、末期の句を會することを得たり。
他後(たにの)ち 天下の人 彼を奈何(いかん)ともせじ。
【素玄居士云く】泥棒にはカギをあたえよ・・
【無門曰く】これが・・徳さん、一期一会の話なら、巌頭、徳さん、ともに末期の一句、わかってはいないと・・叱りつけた無門。
さあ、しっかり坐禅して納得すればいいが・・こりゃ一幕物の田舎芝居だね。
【無門曰く】もし是れ末期の句ならば、
巌頭、徳山ともに未だ夢にも見ざることあり。
険点(けんてん)し將(も)ち来ればよし
一(いっ)棚(ぽう)の傀儡(かいらい)に似(に)たり。
【頌に曰く】無門の見性の一句はさておき、末期の一句はどうもアヤフヤ・・はっきりしない・・末期の句を会(え)する人は、昔も今も、本当に少ない(と、素玄居士は提唱で指摘している)
*無門慧開 天龍和尚に参じ、後、月林禅師のもと、狗子佛性の公案を6年間粘弄、ある日、太鼓の音で省悟。重ねて雲門話堕の則を聞かれて拳をあげた。林は、これを見届けて印可したという。無門は、平常、頭髪茫々、人々から開道者と呼ばれていたソウナ。
【頌に曰く】最初の句を識得すれば、すなわち末後の句を會す。
末期と最初と、これこの一句にあらず。