禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート NO17 ・・「煩悩無尽誓願断」

雑念妄想  腹いっぱいの放蕩息子に・・「禅を食え」と勧めても・・

禅寺の跡継ぎをつなぎとめる資格養成所・・僧堂で読誦する「四弘誓願」がある。出家僧の誓願である。この句のたった一行の造作が、禅を日本から絶滅させてしまったのではないかと思います。

「煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)」・・煩悩は尽きることなく(雲の如く湧いてくるけれども)これを断ずることを誓願いたします。

いかにも、モットモラシイ誓いであるけれど、禅は「煩悩即菩提」=色即是空(般若大智)を道う・・背骨にしているので、煩悩を断ずれば、菩提(悟り)も生まれない無明(死に体)となる・・そんな、ピチピチと躍動するイノチがない「死禅」となる誓願です。

では、初心の求道者が「誓願」するならどういうか・・「煩悩悟性誓願忘」・・悩みも悟りも両方とも忘れはてることを誓願する・・とか。

「煩悩即菩提誓願覚」・・煩悩ソノママが悟りとなる覚智に至りたい・・とか。

まあ、しかし、禅は欣求宗教ではありませんから、仏教・寺僧に衒ったような造作、計らいはしないに限ります。

蘆葉(ろよう)の達磨以来、禅は、集団で伝燈継承される宗教、学問(論理)倫理道徳などに一切関わらず、ただ「一箇・半箇」の師弟の間にしか預托できない、扱いづらい盆栽なのである。

しかも、師がいかに心砕いて禅を教導しても、その弟子が独り、自分で自覚できないと、禅は、そこで腐った「煩悩」のタネのまま絶滅する・・そんな可憐な花を咲かせる一輪(拈花微笑)なのだ

 

禅の・・断絶する出来事は、インド・中國・日本で数えきれないほどあった。2500年前、釈尊から迦葉、中國へ達磨禅、そして日本へ・・ホソボソと生き延びてきた寺僧禅は、この第2次世界大戦の後、絶滅危惧種から絶滅種のステージに昇りつめた。

この由来、因縁は、羅漢と真珠に順次、書きます。

無門関十七則は、中國河南省、白崖山で40年間、隠れ住んで「禅による生活」を満喫していた南陽(なんよう)慧忠(えちゅう)国師(?~775)・・唐、粛宗(しゅくそう)皇帝?⇒(代宗だいそう皇帝)に請ぜられて759年、禅を講じた・・が、その弟子、耽源(たんげん)という侍者との、「オイ」と「ハイ」の応答=1箇半箇の禅・伝燈の話だ。

南陽慧忠と耽源の禅語・公案は、碧巌録 忠国師無縫塔(ちゅうこくしむほうとう) 第18則にあり、禅者の一語(碧巌の歩記)で詳細を紹介する。ここでは素玄居士の提唱を意訳する。

「一箇半箇」とは禅を伝えるにあたり、師は、ほぼ印可するに足る弟子ひとりと、その弟子が万一に先立たれると、その後を伝える半人前を・・かけがえのない者として鞭撻することをいう。そのZENの「一真実」・・禅による生活と禅境は師弟それぞれであるが、これを「一箇半箇」という場合もあります。

 

        無門関 国師三喚(こくし さんかん) 第十七則

【本則】サア、どこに勝敗がある?

禅者は何をぬかすか・・解かったもんじゃない・・と素玄居士 

(いささか言葉遣いが荒いので、意訳して紹介します)

禅者はもともと心に一物なし。サッと出放題なことをやる。

「オイ」と呼べば「ハイ」と答える。

三回も呼ばれて、三回返事した。

そしたら「お前さんの敗けだな」とは、いったい何のことか?

まるで手がかりがない。チョットでも手がかりがあると、ソレについて回って、這い上ってくるから始末にわるい。

手がかり足掛かり少しもないのが公案だ。ツルツルの鉄壁を手掛かりなしでとりついて、千尋の谷へマッサカサマ・・見事に墜落死するのが禅というもの。

名前を呼ばれて返事した・・そうしたら・・お前の敗け・・それともあんたの勝ちカナ?など、ワラにもすがるような考えをおこしたらアカン!              

(そこに禅の味もチョッピリあるが・・)

ナントか禅の跡取りをつくりたくて、禅機(TPO)を弄する師に、お前さん、呼ばれたつもりで一本、応酬して見せなさい。

  【本則】国師、三たび侍者を喚ぶ、侍者三度応ず。

   国師云く、まさに謂(おも)えり、吾れ汝を辜負(こぶ)すと、

   元来、かえって是れ汝、吾れに辜負す。

 

素玄曰く・・銅像の馬が駆け出した。アレよアレよ・・と云っている間に、また元の台座に帰ってきた。どこに風が吹くか・・という面付(ツラツ)き。

 

【無門曰く】老師さん・・三回も呼ぶのは的外れ。金石麗生なる禅を、全部、さらけ出して賭博するとは・・無鉄砲です。

年取って身寄りがないからといって、放蕩息子に飯食え!飯食え! 車をもたせ海外に遊びに行かせ、なに不自由なくしてやったら、後の面倒をみてくれる等と思ったら大間違いだ。

(腹に雑念妄想、いっぱいに詰まっているから「禅」を食うに食えない有り様だ)

さても、この勝負、丁半揃って、目はナント出たかな?

禅の跡取り息子は、苦労させるに限ります。

  【無門曰く】国師三喚(さんかん)、舌頭地(ぜっとうち)に堕(お)つ。

   侍者、三たび應ず。光に和して吐出す。

   国師 年老い、こころ孤(こ)にして牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫せしむ。

   侍者いまだ肯(あ)えて承當(じょうとう)せず、

   美食飽人(びしょくぽうにん)の飡(さん)に中(あた)らず。

   且(しばら)く道(い)え、那裏(なり)か是れ他の辜負(こぶ)の處、

   国清(くにきよ)うして才子(さいし)貴(たっと)く 

   家(いえ)富(と)んで小児嬌(しょうにおご)る。

 

【頌に曰く】この抜けようのない手錠足かせ・・丁半賭博の失敗を放蕩息子に責任を取らせるとは、ひどい話。家・財産そっくり無くして、負債ばかりの家を継がせたいなら、さらに素っ裸にして、地獄の剣の山か、針の山に追い上げるのが一番だ。

  【頌に曰く】鐡(てつ)枷(か)無孔(むく)、人の儋(にな)わんことを要す、

   累児孫(わざわいじそん)に及んで等閑(なおざり)ならず。

   門をささえ、並びに戸をささうることを得んと欲せば、

   さらに須(すべか)らく赤脚(せつきゃく)にして刀山(とうざん)に上(のぼ)るべし。