禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

平常心・・金メダル獲得、優勝は『平常心』で出来ません!

禅のパスポート 無門関NO19 

平常心・・金メダル獲得、優勝は平常心で出来ません!

この趙州の一語・・禅語解釈・解釈の一切を完全に否定します!

最近、この禅語がスポーツや政界に、流行語のように広まっている。「平常心で頑張ります」「平常心で勝てました」・・こんな禅語の理解力で紹介されたら、昔、発言した禅者、南泉・趙州も浮かばれまい。まして、意味を誤解して、どんなに頑張ろうと平常心での成功はありえないし優勝がある訳でもない。

もし勝てたのなら、それは、きっと何か別の、気力・・集中力とか、努力、スポーツ指導者や、医学などの研究チーム、あるいは神仏のせいだから、マスコミは、禅語の真の意味を知ることが大事でしょう。

唐代の・・唇から光を放つ・・といわれた禅者・・趙州従諗(778~897)の命懸けの修行と、その生涯120年間の一悟(語)である点・・特別に意味に留意してほしいのです。

「文字・言葉」への誤解が人をダメにします。「平常心」・・世に出回る禅語解釈の一切を私は完全否定します。

まず表題に「心」をつけないのには深い理由があります。

次に「道」というのは、「禅」(悟り/一真実/真人/本来の面目/隻手の音声/無字/色即是空/般若)・・のことで、抽象的だから何でもあてはめられる言葉です。だから、生きるに大切な、文字・言葉を、無造作に「禅」を体験しない学者やマスコミが伝えてしまうのは困ります。

例えば、心の安定、不安の解消とか、その禅風景の紹介に・・「座禅」と書く。正解は「坐禅」です。座ではなく坐です。

こんな文字の基本も知らない作者や記者がいっぱいいます。

 

この「平常心」は、禅者の平常心だから、非常もまた平常心なのです。何らの対象がなく、非常と平常の区別のありようがない・・非常に処すること、平常の如く・・平常にあること、なお非常の如く・・その「心」の文字は仮に用いた言葉です。

師の南泉のごときは、平常・非常の禅境(地)の出入り口すらない(窺がえない)平穏無事の人なのです。

また「道」とは「行い」そのもので、道徳でもないし、平常心が「道」そのものではない。禅は・・何かと何かを当て比べて比較分析できるものではありません。その心境について疑問が生ずれば、疑う人が、誤解し間違っているのです。

 

平常・・非常・・ただし擬(問が)湧けば背く(間違い)。

心は、智をもって得べからず・・雑念妄想、論理、言い訳が少しでも混じったら「禅」悟り・・は消えてしまいます。

また「不知」は、死物木石のごとき様子で、好奇心がない。無関心である。スマホに夢中の依存症は、不知無記の状態です。澱んだ沼のように、心が腐ってブツブツ泡が吹いているのです。

禅は、イキイキ、ピチピチ・・生活がハツラツと生きている。

それを「禅による生活」・・「平常是道」というのです。

 

それなら「禅」・・平常(心)とは何か・・

【すなわち思慮分別なきところ、大空のガラッとしたもんサ。是非すべきなしだ・・】しかし、こんな講釈禅では頼りない気がする・・と、素玄居士は評されている。

素玄曰く「カラスがカアカア鳴いている。雀がチュンチュン鳴いている。それで私もチュンチュン、カアカア」

 

無門関 平常是道 (びょうじょう ぜどう)第十九則

【本則】師の南泉に、未悟・修行期の趙州が問いかけた。

趙州「道」とは何ですか?

南泉「ありのまま・・それでよかろう」

趙州「それを思慮分別するべきでしょうか?」

南泉「文字、言葉に騙されるでない」

趙州「思慮無くして、どうして道を納得できましょうか?」

南泉「道は智でもなく、不知でもない。智は、思惑、妄想。

   不知は死物木石(慮するなし)。達道に至れば

   カラリとした青空のようになって、曇るの降るの

   ・・天気予報は無用だ」

趙州、言下において(スッと青空になって)頓悟した。

  【本則】南泉 因(ちな)みに趙州問う、如何なるか是れ道。

      泉云く、平常(へいじょう)心(しん) これ道。

      州云く、還(かえ)って諏(しゅ)向(こう)すべきや否や。

      泉云く、向わんと擬(ぎ)すれば、すなわち乖(そむ)く。

      州云く、擬せずんば、いかでか是れ道なることを知らん。

      泉云く、道は知にも属(ぞく)せず、不知(ふち)にも属せず、

          知はこれ妄(もう)覚(かく)、不知は是れ無記(むき)、        

      もし真に不擬(ふぎ)の道に達せば、なお太虚(たいきょ)の廓(かく)然(ぜん)として

      洞豁(どうかつ)なるがごとし。豈(あに)、強(し)いて是非すべけんや。 

      州 言下に於(おい)て頓悟(とんご)す。

【無門曰く】南泉老師、禅のことを事きめやかに説明したが、筆舌の解釈では、何のことやらわからない。大空とやらの「青空」をもらって、あまりの無限(夢幻?)に四苦八苦。

その荷を放擲(すてさる)のに、まあ・・ざっと三十年はかかるだろうな・・ご苦労さんです!

   【無門曰く】南泉 趙州に発問(はつもん)せられて、

    直(じき)に得たり瓦解氷消(がかいひょうしょう)。

    分(ぶん)疎(そ)不下(ふげ)なることを。

    趙州 たとい悟り去るも、更(さら)に三十年を参(さん)じて始めて得ん。

【頌に曰く】春夏秋冬、何時もこの世は美しい。嫌な仕事、家事さえなければ、どこへでも観光遊山できるのに・・

   【頌に曰く】春に百花(ひゃくか)あり 秋に月あり、夏に涼風あり 冬に雪あり。

    もし閑事(かんじ)の心頭(しんとう)にかかる無(な)くんば、

    すなわち是れ人間の好時節(こうじせつ)。

(この頌 拙劣。無門だんだんと頌・テーマに種切れらしい・・と素玄居士 附言あり)