禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

無門関 NO20  

無門関 NO20  

 この第二十則は、過去に、禅が継承者を失って断絶したことがあるのを実証する公案です。

師、白雲守端(はくうんしゅたん)から伝えられた袈裟を、後継者に譲るつもりで、この三公案を座下の求道者に提出した松源(しょうげん)和尚だが、意にかなう者がなく、塔所に閉って、あと腐れのないように処置したという

 

無門関 大力量人 (だいりきりょうにん)第二十則

【本則】松源老師の禅境(地)丸出しの公案(三転語)とは・・

(1)大力量の人=禅者は、手足を動かす因縁をもたない。

そこをひとつ、動かして見せよ・・

(2)窮屈に、口先だけで喋らず、禅を気楽につまんで(語って)みせよ・・

(3)達道の禅者は、どうして様々な心意を断絶しないのか?

    【本則】松源和尚云く、大力量の人、何によってか脚(あし)をもたげ起こさざる。

      口を開くこと舌頭上(ぜつとうじょう)にあらず。

  また云く、明眼(みょうがん)の人 何によってか脚下の紅紫線こうし(せん)を断(た)たざる

無門曰く 禅を丸出し、ありありと丸投げにした松源老師。

ただボンクラ求道者ばかりの寄せ集めでは、解かる奴はいないだろう。まして、即座に解かった・・という奴が、ワシ(無門)のもとに来たなら、思いっきり、どやしつけてやる。

どうして・・だと?(ぐっと睨みつけて)

本物、贋物がハッキリ見分けられるからだ。

  無門曰く、松源謂(しょうげんいい)つべし腸(はらわた)を傾(かたむ)け腹を倒すと、

  ただ是れ人の承當(じょうとう)するを欠く。

  たとい直下(じきげ)に承當するするも、

  正(まさ)によし無門のところに来らば痛棒(つうぼう)を喫(きっ)せん。

  何が故(ゆえ)ぞ、ニイ。

  真金(しんきん)を識(し)らんと要せば火(か)裏(り)に看よ。

 

素玄曰く 

(第1公案)フルベースにホームラン性のヒット・・走れ走れ

(第2公案)ピッシャリとやぶ蚊叩いて将棋かな

(第3公案)樹の上で竹筒を目に当てて・・

     「京都が見える、大阪が見える」

 

【頌に曰く】足をあげて太平洋をひとまたぎ・・高い入道雲の上から眼下に座る場所をさがすも、ハテサテ身の置き所なし。

サア・・これに見識(結句)をつけてみよ。

  【頌に曰く】脚(あし)をもたげて踏飜(とうほん)す香水海(こうすいかい)、

   頭(こうべ)を低(た)れて俯(ふ)して視(み)る四禅天(しぜんてん)。

   一箇の渾身著(こんしん つ)くるに處(ところ)なし。

   請(こ)う一句を續(つ)げ。

   *香水海・・太平洋の意。四禅天・・紺碧の空の意。

*山本玄峰老師の「無門関提唱」では、この「第三公案・三転悟」はありません。文中を察するに、公案の見解(けんげ)は、老婆心の限りを尽くしていると見受けます。ただし、私は、素玄居士の、率直な、人生裸で生きるべし・・の頌(意見)を尊重します。

素玄 結句を続けて曰く「雲北風南蒼鶻迷」           

               雲は北に・・風は南へ・・ハヤブサは(飛ぶに)迷う