禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 無門関NO24 「ひと風呂浴びて・・ビールと餃子!」

禅者の一語を「おもしろくない」とか、「真面目過ぎて困り者だ」「むろん不真面目はいけない」など、評論する輩は放っておくこと。

この無門関、碧巌録に登場する、どこのだれを指して、まじめすぎは困り者だと言うのか。

 

無門関 離却語言(りきゃく ごごん)第二十四則

【本則】禅を語れば語るだけ「禅」から離れてしまう。・・では黙ってしまえば、今度は内にこもった臭いオナラのようになる。要は語黙によらず「禅」を示せ・・と、求道者は迫ってきたわけだが、風穴は、春ののどかさを詩に託して示した。

はたして、それで百点満点かどうか・・

ここで素玄居士の一言。

公案は禅か禅機かをしめすもの。何と言うても同じことの一つ事だから、一則しっかり手に入ると、千則万則みな透るのじゃ。

それがギクシャクして透らなければ本物じゃない。無門の評も頌も、素玄曰くもその通りで段々と種切れになる訳だ。

落語と同じで、噺の起承転結・・役柄の演技、セリフは、男は男らしく女は女らしく、落としどころが必ずあって、オチは同じ。

噺の筋は違うように思えても、落つれば同じ谷川の水・・つまるところは同じなのが種明かしだ。

   汝州の風穴延沼に求道者が問う。

   お喋りは災いの素。だからと言って、沈黙は金じゃない。

   息ひとつしてみせるのも悪臭無限だ。

   サア・・ZENとは何だと詰め寄った。

   風穴・・鼻先に、怒り顔で詰め寄る求道者に・・

   「この地(江南)、春先は格別だな。鳥が啼いているし、

    花は香っているし・・ひと働きしたし・・ね」

     【本則】風穴(ふうけつ)和尚、ちなみに僧問う

      「語黙は離微(りび)にわたる、如何(いかん)が不犯(ふぼん)を通ぜん」

      穴云く「長(とこしな)えに憶(おも)う  江南三月(さんげつ)の裏(うち)、

                      鷓鴣(しゃこ)啼(な)く處(ところ) 百花香(かんば)し。

 

素玄曰く いにしえの奈良の都の八重桜 今日九重に匂い塗るかな(古歌)

 

【無門云く】風穴は、春の感想詩をうまく、スパリと表現して見せた。それは、禅に背いていないが、すでに「詩であり語であり」問答の口先に乗っている。・・だけれども、今回は・・必ずしも語に堕している訳でもない・・禅者らしい境地が偲ばれる・・語黙をすり抜けた処を見抜いてほしいものだ。

   【無門云く】風穴の機 掣電(せいでん)の如く、路(みち)をえてすなわち行く。

    いかんせん前人の舌頭に坐して断ぜざることを。

    もし者(しゃ)裏(り)に向って見得して親切ならば、

    自(おの)ずから出身(しゅっしん)の路(みち)あらん。

    しばらく語言三昧(ごごんざんまい)を離却(りきゃく)して一句を道(い)いもち来れ。

 

【頌に曰く】この春を歌う詩は、風骨を表さず・・変わったところは何もない、求道者が問うたから作詞したものではない・・自然そのものが謳われている。

この詩の意味は、ああだ・・こうだ・・と理屈道理をこねるほど間違うものとなる。素直に、百花とまではいかなくても、春の花咲き乱れる温泉にでも入って、ウグイスの啼く声に聞きほれてごらん・・と言いたいね。

   【頌(じゅ)に曰く】風骨(ふうこつ)の句を露(あらわ)さず、 

           いまだ語(かた)らざるに先(ま)ず分布(ぶんぷ)す。

           歩を進めて口喃々(くちなんなん)たれば、

           君が大いに措(お)くことなきを知りんぬ。

 

 【附記】  いにしへの 奈良の都の 八重桜

      けふ九重に にほひぬるかな      伊勢大輔(61番) 

現代語訳・・昔の、奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、 ひときわ咲き誇っております。

 *江南・・中国、揚子江から南を江南という。北は江北。

*風穴延沼(ふけつ えんしょう896~973)臨済樹下の禅者。