禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 無門関NO35 ♪・・月がぁ出た出た 月がでたぁ・・♪

 禅のパスポート 無門関NO35  

♪・・月がぁ出た出た 月が出たぁ・・三池炭鉱の上に出たぁ・・さぞやお月さん煙たかろう・・♪

 

                   無門関 倩女離魂(せいじょ りこん)第三十五則

 

             【本則】五祖 僧に問うて云く、

                  倩女離魂 那箇(なこ)かこれ眞底(しんてい)

【本則】(素玄提唱)この話は五祖当時の社会種(記事)であったらしい。禅にはこんな脚色の芝居も多いのじゃ。維摩経もドラマじゃが、こんな具合に禅には嫌う底の法なしだ。(どんなことも話になる・・の意)

昔、衝陽(しょうよう)に倩女という娘がいて絶世の美人。この倩女の従兄(いとこ)に王宙(おうちゅう)というのがいて、幼い頃、娘の父が戯(たわむ)れに、後来(ごらい)この娘を君の妻にすべしと云うた。ところが少女が成人するとすこぶる美人となり縁談の申し込み、山の如くじゃ。その中に顯官(けんかん 知事、高官の意)からも所望されたので 父はその気になる。娘はそれを聞いて快々として楽しまず、宙も約束の変更を恨んでいた。それで都に出ようと思って船に乗って数里行くと、夜半に岸からその船を逐(お)う者がいる。恋し恋しの倩女じゃ。宙は夢かとばかりに喜んで船に入れて遁(のが)れ去り、追手をおそれて蜀に入り、居ること五年。二人の子まで産んで睦まじく暮らしていたが、ある日、倩女は故郷のことを思い出し、父母に背いたのは申し訳がないという。宙ももっともじゃ、俺も悪かった。父母に謝し天下晴れて夫婦になろうというので、船を命じて衝陽にいたり、宙が先に叔父の家に行って 今日までのことを語り、深くその罪を謝した。叔父は愕然として驚き いったい その女はどこの者かと聞くと、それはあなたの娘さんのことだという。叔父は益々 不審(ふしん)に思い 倩女は病気で数年来、寝ているという。宙は そんなことはない、今 船の内にいるのじゃというて 使いをやって見させるとチャンと船にいる。そんならと病臥(びょうが)している倩女に話すと、喜んで起ち、笑って語らず病室を出るのと、船から上がってきた倩女と二人は、ピッタリ合して一体となった。叔父が嗟嘆(さたん)して云く。宙がここを去ってより物を言わず、しかも酔うたようにしていたが、神魂(しんこん)遠く去ったのであったか・・と。倩女もいう、宙がここを去ることを知って 睡中にあわてて船を追うたが、その後、去る者われか、留まるもの我かを知らなかった・・と。

このどっちが本物かというのじゃ。              この理解情解をいれぬところが公案の体裁をなしている。

禅には眞も偽も そんなところにウロウロしていてはアカン。

物事についてまわったらお終いじゃ。紛々擾々(ふんぷんじょうじょう)たることなかれじゃ。本則は禅機じゃ。禅機を練るには良い公案じゃ。

 

素玄居士曰く・・

妖怪も 芝居演戯の巧みさに吊られて     霊怪不妨演戯巧

出没したり離合したり これも一興だ     出没離合又一興

人間は 五尺の身なれども、五感の外に    人間五尺五感外

また、別に風流の境(地)あり        又有別風流境在

 

    【無門曰く】もし この者裏(しゃり)に向かって、眞底を悟りえば

           すなわち知らん殻(かく)を出でて 殻に入ることは

           旅舎(りょしゃ)に宿(しゅく)するがごとくなることを。

           それ あるいはいまだ しからずんば切に乱走することなかれ。

           まくねんとして地水火風 一散せば、

           湯におつる螃蠏(ほうかい)七手八脚なるがごとくなり。

           那時(なじ)いうことなかれ、道(い)わじと。

 

【無門曰く】この奇しくも愛しい倩女の心地は、求道行脚の旅宿に泊まるごときものか。ホンモノはどっちだろう・・と、駆け回って探す・・愚かなことはしなさるなよ。

死ぬときは、窯ゆでのカニのごとくに、五体は地水火風の四元に分解して、こんはずではなかった・・と反省しても、後の祭りだ。 さあ、腹をくくって旅に出よ。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」とうたった俳人もいたなぁ

松尾芭蕉(1644~1694)毎日の平生(日常生活)が辞世の句である・・と覚悟した。

  

   【頌に曰く】雲月是れ同じ 渓山おのおの異なり。

    萬福萬福(まんぷくまんぷく)是れ一か 是れ二か。

【頌に曰く】月は万象を照らし、渓山それぞれに清風に満つ。

「月白風清」・・是れ、けっこう毛だらけ、猫灰だらけ・・それ一か・・それとも二か。

【附記】中国での禅は、インド人が瞑想(哲学・観念)的にとらえる人生観と違い、実際的な、生活の中の「禅」として、独創されたものです。この「倩女」は、唐の頃の怪奇小説「離魂記 りこんき 陳玄祐ちんげんゆう撰」に登場する二女同一の伝説です。

現実的で、具体的な・・生活に即して、禅が中国に根付き、日本にわたって大樹になりました。

*当時・・魂と体、幽と明の世界を例に、五祖山の法演が公案化したという。この話が禅でとりいれられたことは、いかに広く知られていたかを物語る。禅はもちろん歴史の中から生じ、変化してきた。生活することと坐禅することは同じであった。歴史を離れた禅もないけれど、禅の心を離れた歴史観もまた完全なものでないことをしるであろう(禅の世界・公案 阿部肇一著(株)筑摩書房より抜粋)

しかし、2018年(現代)・・1日に新聞や本(活字)を読まない読書時間0の大学生が55%以上。スマホの閲覧が3時間以上を占めると・・6/24 サンケイ新聞の調査にある。

文字で思考する人間の退化現象であろう。

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