禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

無門関 NO38【禅問答、試験99点の結果なのに、どうして及第点にならないの?】 

大学以来の友人や知人から、独りよがりの禅語の意訳だ・・との指摘があり、反省して・・酷暑見舞いのハガキの禅語・・解訳いたします(7/31 追記

元服の書⑪(はてなブログ 禅 羅漢と真珠 掲載中) 

*昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

碧巌録 第二十六則 百丈 独坐大雄峰(ヒャクジョウ ドクザ ダイユウホウ)

問う・・如何なるか 是れ奇特のこと。 丈云く「独り 大雄峰に坐す」

モウレツ熱暑のその時は、独りポッチのイス坐禅、3分間だけお勧めします。不二(富士)山も、昔 訊ねたキリマンジャロも、ナンダ 洪州、丘如きの百丈山で 襤褸(ぼろ)着た禅者、(百丈)懐海の一語は 清風渓谷に満ちて  値(あたい)千金・・

解説・・日本の代表たる富士山や、昔、一杯のコーヒーを求めて訊ねたアフリカ、タンザニアキリマンジャロも、大雄山の名にふさわしい。・・が・・ナンダイ、この中国、洪州の海抜千メートルにも満たない、岡如きの山の名が「大雄山」とは。

だが、しばし待てよ・・今から1300年昔、玄宗皇帝と楊貴妃の退廃した時代に、この孟宗竹におおわれた深山(高原台地)で、ボロをまとった一人の禅者が、高らかに「独りポッチ坐禅」を宣言したぞ。宇宙の中で、最も「奇跡的無意味な出来事は、これ、このとおりだ」・・と。

この禅者の一語。清風 渓谷に吹きわたって、値(あたい)千金。

  • 百丈懐海(えかい 720~814 中国江西南昌市(洪州こうしゅう)大雄山=別名 百丈山に禅庵を構えた禅者。弟子に・・臨済宗始祖 臨済義玄(りんざいぎげん)、潙仰宗始祖 潙山霊祐(いさんれいゆう)仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく)がいる。

彼の生まれたのは唐の玄宗皇帝35才の時、楊貴妃は1歳。白楽天「春寒く華清地に浴を賜う、温泉 水滑らかにして凝脂を洗う」長恨歌の時は、玄宗皇帝70才、楊貴妃36才。国は乱れ、民衆は頽廃。ちょうどその頃、百丈懐海は、師の馬祖道一の元を辞して、独り 洪州の山奥、大雄山に禅居して長養していた。その折の禅問答。

 

                       禅のパスポート 無門関NO38 

        禅は、百点満点か・・または・・零点のみ合格となる試験です。

          無門関 牛過窓欞(ぎゅうか そうれい)第三十八則

    【本則】五祖曰く 

     たとえば水牯牛(すいこぎゅう)の窓欐(そうれい)をすぐるが如し

     頭角四蹄(ずかくしてい)すべて過(す)ぎ了(おわ)る

     何によってか尾巴(びは)過(す)ぐることを得ざる。

 

【本則】素玄居士提唱 窓の外を水牛が通る、頭も脚(あし)も通ったが尻ッポだけ通らぬとは変な話じゃ。

禅者は実に奇想天外なことを吐(ぬ)かす。

尻尾だけが牛の体から離れたわけでもあるまいし、それが通らぬとは、白昼 人を誑(たぶら)かすというもんじゃ。

けれどもナカナカ味がある秀逸の方じゃ。

尻尾の通らぬ奴は狐に化かされているのじゃ。尻ッポの通る奴は狐を化(ば)かしているのじゃ。

五祖も嘘をついたわけではないが、狐のようなことをする。尻尾をシッカリつかんでいると、牛にひかれて善光寺詣(まい)りじゃ、トンダ處(ところ)に連れていかれる。

那箇勿言不道(なこか いわずと言うなかれ)

 

素玄云く「子供の喧嘩(けんか)に親が飛び出し、拳(こぶし)を握って コノ餓鬼(がき)と口まで出たが 他人の子供、殴られもせず、スゴスゴ帰って元の陪屋(あばらや)」

ヤレヤレ、尻ッポは透(とお)らん。

    【無門曰く】もし、者裏(しゃり)に向かって顛倒(てんどう)して

    一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)し、

    一転語(いってんご)を下しえば、もって上四恩(かみしおん)を報じ

    下三有(しもさんぬ)を資(たす)くべし。

    それ あるいは未だ然(しか)らずんば、さらに 

    すべからく尾巴(びは)を照顧(しょうこ)して始めて得(う)べし。

【無門曰く】ものごとは、一度、180度、天地上下、ひっくり返して看るに限る。骨董屋でも抹茶茶碗はひっくり返して、高台を見てから値決めするぞ。

(素玄居士・・この無門の一転語「顛倒」はナカナカ良い。顛倒したらどうなるかナ・・と評語している)

達道の禅者なら、禅による生活、実践の一語を示してみよ。

欲界、色界、無色界、あらゆる世界を解放できるぞ。

サテサテ・・この「尻ッポ」とは何か・・よくよく看よ看よ。

   【頌に曰く】過ぎ去れば坑塹(きょうぜん)に堕(お)ち、

    かえり来(きた)れば かえって壊(やぶ)らる。

    者些(しゃしゃ)の尾巴子(びはし)、

    直(じき)にこれ はなはだ奇怪(きかい)なり。

【頌に曰く】もし窓から抜けると、深いタコツボに落ちるぞ。

後戻りは元の木阿弥。バレバレの禅修行が露呈する公案です。

尻尾が窓から通過するにしても、尻尾だけが通過できずに残るにしても、ソンナ牛の尻尾にこだわる禅はいらない。

禅になりようもない牛の尻尾だ。

そこの坐禅三昧(とやらの)あんたさん・・牛の尻ッポは・・コリャ、たとえ話だよ。

   元服の書⑩(はてなブログ/禅・羅漢と真珠 掲載中)7/28追記 

  *昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

  坐禅は、どのようにすればいいのですか・・

貴方は、毎日、顔を洗いますね。歯を磨いたり、口を漱いだり、男ならヒゲを剃ったりします。それをしないと、1日中 なんとなく気分が落ち着きません。

坐禅も、そうした習慣化できれば、OKです。

朝、起床した時、椅子に坐って、3分間。姿勢を正し、目を半眼にして、肩の力を抜き、ゆっくり1回の呼吸(10秒~15秒)を、ヒトーツ、フターツと数息して、6回。またヒトーツ・・フターツ~ムーツ。もう1回ヒトーツ・・ムーツで計3回=18回でOKです。

夜も、寝る前に顔を洗ったり、歯を磨くように、イス禅18回の数息呼吸ができたら、いいですね。別に椅子に坐らなくても、寝ながら、寝禅で寝入ってしまうのもイイでしょう。

要は、「坐禅」は、集中、修行、鍛錬とばかりに、無理やり、骨折りの努力、目標にしてはなりません。正座や結跏趺坐は、慣れない人(特に外国人)には、無理強いしてはなりません。姿勢さえ正しければ、手は膝に乗せるか、両手を結んでおくか・・肩の力を抜いて楽で静かな呼吸(数息)に集中できれば、独りポッチ坐禅です。

これなら、外国人も、ワザワザ、日本まで来て「ZEN」を学習したり、寺僧の研修を受ける必要はないのです。

坐禅で一番、いけないのは、坐禅をすることで何か、良いことがあるのを期待することです。中国、臨済宗の始祖、臨済義玄(リンザイ ギゲン 不詳~867)は、心に「造作する」として、激しく否定しています。

欧米に「ZEN」を広めた、仏教学者(禅者)故、鈴木大拙博士は、キリスト教関係者が日本伝来の「禅」を学びたい、入門したいと乞われたら、手前にあるテーブルやドアを「コツン・コッン」とノック(叩い)して「ここよりお入りなさい」と教導したそうだ。

確かに「禅」は、独りポッチ坐禅をすることが始めであり終わりです。それは、まず数息呼吸の、無理しないイス禅からお始めになるのがよいでしょう。数息だけで、何の造作、思いもない坐禅に成ったら、次に数息を忘れて、千年前の達道の禅者たちが編纂した、無門関や碧巌録など、禅語録の心に引っかかる【一則】の垂示、本則、偈などを素直に読み返す気持ちで(これを粘弄・ネンロウといいます)繰り返し、味読してください。

あんまり簡単、単純すぎて、はたして、洗顔と同様に、忘れずに続けられますかナ?