禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート 12/12・14加筆【終りのはじめ】⇒無門関 趙州無字 第1則(・・はラストに・2017-5-7)

趙州無字は、小学生が博士号を取るほどの難透の公案だから、無門関意訳の最後に、終りの始めとして紹介しますと書きました。

狗(犬)に禅(見性)があるか・・他の禅語録で趙州(778~897)は「あり」と明言しています。

それから千年以上も経過しているのに、現代日本の禅寺僧侶の、いったい誰が大覚(悟り)を會得したのか・・曹源の一滴水を誰が飲んだのか・・心印は見当たりません。

日本オオカミが、何時 絶滅したか定かでないように、たぶん・・広く欧米に禅を紹介された仏教学者、禅者の鈴木大拙先生(1870~1966 松が岡文庫)が亡くなられた頃、終戦を機に、各地の寺僧参禅(法灯)は形骸化して滅した・・と云えるのでないかと思います。

臨済禅、中興の祖と言われる白隠慧鶴の法系や古月禅材門下、月船禅慧、円覚寺復興の師、誠拙周樗(しゅうちょ)、仙厓義梵(ぎぼん)、大愚良寛ほか、さらに明治から昭和にいたる激動期に、禅を挙揚した老師・師家は枚挙にいとまがありません。しかし、電磁的AI(スマホ)社会は良きにつけ悪きにつけ、百年1期の文明を十年で席捲してしまいました。

あえて戦後の禅僧を挙げるとスレバ、南禅寺 寒松軒 柴山全慶老師(1894~1974)次いで、その師家、南虎室 勝平宗徹老師(1922~1983)のお二人を書いておきます。  

元来、禅は引導、伝授される仏陀の教え(仏教)ではありません・・それぞれ独り一人が自覚して、矛盾だらけの社会にあって「禅による生活」を行なう・・非組織・非利権・非論理・非欣求の「我。独り=ima/koko」です。

大拙門下では、大津、坂本の芸術家(書/禅境画/陶芸)加納白鷗居士(1914~2007)・・高岡、国泰寺(派本山)江南軒 勝平大喜に師事参禅、大魯の居士号を得た禅者をもって途絶えたとしておきます。

禅は宗教ではない・・もともと禅は独り一人の内省、自覚にあり・・とする、明確な宗教、寺僧禅からの親離れを宣言された人に・・先の終戦直前、神戸市の爆撃の直撃弾をくらって亡くなられた、井上秀天先生・・この方の碧巌録新講話(京文社書店発行)を参考に「禅者の一語」(はてなブログ)で意訳中です。

そして素玄居士(高北四朗・狗子堂 昭和12年発行)の提唱無門関・・絶版なので、提唱ソノママに復元、附記して「禅のパスポート」(はてなブログ)に第二稿を紹介しています。

 

活字社会から、電磁的(AI)社会へ移行期にある今こそ、新しい社会的土壌に「純禅」のタネが蒔かれた・・のです。

          ◆その第1則の求道者の問いが【趙州 AI】です。

           「AIにいたり、佛性(ZEN)ありや、また無しや」

        無門関 第一則 趙州 狗子(じょうしゅう くす)

            【本則】趙州和尚 因(ちな)みに僧 問う

                狗子に還って 佛性有りや 也(また)無しや。

                     州云く、 

【本則】素玄居士 提唱 ソノママです

無門関の劈頭(へきとう)第一が有名な趙州狗子だ。この則のために無門が六年かかったと云うことであるが、本則は実に六つかしい。参禅の学人に最初に授けるのは、この則というが、それは無理じゃ。大学の卒業試験の問題を小学校の生徒に出すようなもんじゃ。ものにはそれぞれ順序がある。いくら悪辣(あくらつ)がよいからとて、こんなことをするのは、いたずらに学人の根機を疲らし 迷悟を索(さ)くにすぎん。初めは禅悟の則、例えば世尊拈花、趙州洗鉢、達磨安心、俱胝竪指、趯倒浄瓶あたりからやって、次第に禅機の則にかかるのがよい。大悟の極所は祖佛と同じじゃから、何処から入っても同じじゃ。禅の悪辣はこんなところにない。無用に学人を脅(おど)すは禅の大衆化に反する。

この趙州和尚というのは、六十一歳で禅に志し諸方を遍歴し、常に曰く、七歳の童子といえども我に勝るものは師とせん。百歳の老翁といえども、我に如(し)かざる者は我即ち他を教えんと云って道を求め、南泉、黄檗その他に参ずること二十年、八十歳で住院し四十年間 諸人を説得し百二十歳で示寂した禅門第一流の偉人じゃ。舌頭 骨なしと云われた人で、口の先がペラペラと実によく動く。そして一度も棒で学人を打ったことがないとのことである。つまり禅が練れている上に 禅機も鋭く それだけの腕前があったのじゃ。

この趙州に ある時 僧が問うたのに「狗(いぬ)コロにも佛性があるか、どうか」と。趙州云く「無」。この佛性と云うのは、草木国土 悉皆(しっかい)成佛の佛で、普遍共通の大覚成道とでも云おうか、ツマリ人とか狗(いぬ)とかの区別を絶した境地を指すのじゃが、この僧は佛の字に捉われて こんな問いが出たのである。

佛と云うも禅と云うも同じじゃ。趙州は悉皆成佛の禅の端的(たんてき)で答えた。それは無と云うてもよし、有としてもよし、その他なんでもよいのじゃ。禅は挙示(こじ)すべきなしじゃ。だから又、何をもって挙示してもよいことになる。禅は悟りのことで悟りを離れて禅はない。悟りは人々の自得で、それには読書が機縁となることもあろうし、坐禅工夫も問答も棒喝その他、何が機縁になるかわからぬが、理智や情解では決して得られるもんではない。そういうものが心の中に蟠踞(ばんきょ)すると悟は入れぬ。逃げ出す。この僧には佛の字や狗子が肚(はら)一杯に詰まっている。それで趙州がそれを追い出す方便に「無」と云って悟りの機縁をあたえたのじゃ。棒でも喝でもそれが機縁になればよいのじゃ。無の字に捉われてはいけない。

さて、この機縁をつかませる師匠の方で、禅が手に入っていなくては出来ないことである。禅が手に入っておれば何をしてもそれが禅で、また、それが機縁ともなる。公案と云うのは、それを機縁として禅を得る。または禅機を勘破(かんぱ)する機縁なのじゃ。禅も禅機も祖佛と別ならずで 私見私情を混(こん)ずるなし。政府の文書と同じと云うので、公案と称するのだが、文字ばかりが公案でもない。挙示すべきなしだから、趙州はさらに なんら答うることなしだが、全くその通りじゃ。この場合、棒で打っても喝と怒鳴ってもよい。どちらにしても答うる所なしじゃが、しかし、また、これ答えたるなりじゃ。無も棒も喝も立派な答えじゃ。なんと答えたのか知らん、ここが理智や情解をいれぬから、理智や情解で判断しようとしたら解からん、そこが悟りである。この趙州の答えを機縁に悟るのである。

ある書物に この後にこんなことを附け加えてある。「上(うえ)諸仏より、下(した)螻蟻(ろうぎ)に至るまで、皆、佛性あり。狗子なんとしてか かえって無なりや」州曰く「彼に業識性(ごうしきしょう)あるが為なり」と。

また、ある僧問う「狗子かえって佛性ありや」州曰く「有り」。また問う「すでに是れ佛性あり。なんとしてか皮袋裏(ひたいり)に入る」州曰く「知って殊更(ことさら)に犯(おか)すが為なり」と。こんな問答は総て偽物じゃ。禅を去ること遠しとも遠しで、趙州にこんな問答のあるはずがない。俺(わし)は偽作と断ずるに躊躇(ちゅうちょ)せぬ。俺の禅も趙州の禅も、祖佛の禅も総て別ならずじゃ。だから俺はこんな馬鹿げたことをせぬから、趙州も決して こんな愚かな答えはせぬのじゃ。物理法則に反したことは誰でも否定するのと同じじゃ。禅に差別あるなし。否なるときには総てに否。可なるときには総てが可。禅は筆舌およばずじゃが、その及ぶところまで書いて 多少の機縁を供するとしよう。

一体 禅とは心意を超越して 別に境地ありだが、もっと詳しく云えば心意にはその対象がある。対立している その対象を払拭(ふっしょく)し、空亡(くうぼう)するのじゃ。それと共に自己の心意をも払拭 超越する。そういうように学人を鍛錬する。そこで無と云えば有のことが対立的に浮かんでくる。有があるから無、有のない無と云えば、またそこに いろいろと混がらかる、思念 綿々(めんめん)盡(つ)きるなしじゃ。無と云えば無に食いつく、対象の空亡などは何処へやら、あとからあとからとついてまわる。だから有と云うてもいかぬし、無と云うてもいかぬ、それでは不言不語して良久(りょうきゅう・やや久しくジット)する、そうすると そのまた良久についてまわる。なんともかんともしようがない。そこでスパリと答えたのが今の無じゃ。もとより それは禅じゃないが こうして何かの拍子で禅の機縁に取りつかせるのじゃ。それが老婆(ろうば)親切じゃ。つまり、狗子佛性の有無に即せず、直に禅の機縁をあたえたのじゃ。そこに禅境を覗(のぞ)かせたのじゃ。しかるに、趙州が無について回って 彼に業識性があるためだなどと云うたら、禅境を覗かせるどころか未悟底をさらけ出すことになる。また有についてまわって、殊更に犯すなどと喋(しゃべ)る道理がない。僧が上諸佛だとか皮袋裏だとか云うのは、禅境を覗くことが出来ない証拠で、そんな者には、さらに別な機縁を掴ませることになる。佛性を追いかけることをしない、また、多少なりと機縁を得た者には、心意を超越した境地を閃(ひらめ)かすが、この僧に対しては、そこまでに及ばないのじゃ。また、全く大悟 了畢(りょうひつ)の漢ならば知音同士(ちおんどうし)となる。打てば響いてくる。

この業識性あるが為と云うのは、妄想欲念あるが故と云う意味で、答えるにしても理屈っぽくて禅らしくない。公案に即する處あっては透過することなし。禅語に塊(かい)を遂(お)う狗子(くす)と云いうことがある。狗(いぬ)に土塊(どかい)を投げるとそれを遂うて走る。獅子は土塊を遂わず直にそれを投げた人に飛びかかる。趙州の業識性云々(うんぬん)は、土塊を遂い土塊に即するものじゃ。狗子とか佛性とかに噛(かじ)りついていたら、驢年(ろねん)にも得ることは出来ない。子丑寅(ねうしとら)とか十二支の年はあるが驢(ろば)の年はない。未来永劫くることなきの年で了悟の期なしじゃ。殊更に犯すと云うのも 佛性が何か形があって体内に入ると思ったわけでもあるまいが、尊い佛性じゃが狗と知って殊更に入ったと云うのも愚弄(ぐろう)したような答えじゃ。趙州はこんなことは云わぬ。徳山ならば直に棒、臨済ならば金剛王寳剱(ほうけん)の喝、趙州もし答えなば望月兎子懐胎(月見た兎が子を孕む)と云う處か、こんな未悟底をさらけ出しはせぬ。公案はこんな具合によくよく吟味しないとトンダ贋物(にせもの)にぶつかる。明眼(みょうがん)の師に遭(あ)わずんば了期なしじゃ。白隠が有と云うも三十棒、無と云うも三十棒だと盲目の剣術でやたらむやみに振り回す棒振り禅じゃ。

徳山は以(も)って棒すべし。白隠は以って棒すべからず。棒は未悟底も振る。ここの手許(てもと)を掴まなければダメジャ。

サア、素玄の手許を見よ。

素玄曰く・・跛者(はしゃ・片足不自由な者)よく走る。

       一歩は高く、一歩は低くし。

【無門云く】参禅は、すべからく祖師の関を透るべし。妙悟(みょうご)は心路をきわめて絶せんことを要す。祖関透らず 心路絶せずんば、ことごとく是れ依草附木(えそうふぼく)の精霊(しょうりょう)ならん。しばらく道(い)え、如何なるか 是れ 祖師の関。ただ この一箇の無の字。すなわち宗門の一関なり。ついにこれを名付けて禅宗無門関という。透得(とうとく)過(か)する者は、ただ親しく趙州にまみゆるのみにあらず、すなわち歴代の祖師と手をとって共に行き、眉毛あい結んで 同一眼に見、同一耳(どういつに)に聞くべし。あに慶快(けいかい)ならざらんや。透関(とうかん)を要するてい 有ることなしや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅(ごうきょう)をもって 通身にこの疑団(ぎだん)起こして この無の字に参ぜよ。昼夜 提撕(ていぜい)して 虚無の會(え)をなすことなかれ、有無の會を作すことなかれ。この熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)するが如くに相似(あいに)て 吐けども また吐き出ださず、従前の悪知悪覚(あくちあっかく)を蕩盡(とうじん)し、久久(きゅうきゅう)に純熟(じゅんじゅく)して 自然(じねん)に内外打成(ないげだじょう)一片ならば、唖子(あし・口のきけない子)の夢を得るがごとく、ただ自知することを許す。驀然(まくねん)として打発せば、天を驚かし地を動ぜん。關将軍(かんしょうぐん)の大刀を奪い得て手に入るが如く、佛に逢うては佛を殺し 祖に逢うては祖を殺し、生死巌頭(しょうじがんとう)において大自在を得、六道四生(ろくどうししょう)のうちに向かって 游戯三昧(ゆげざんまい)ならん。かつ作麼生(そもさん)か提撕(ていぜい)せん。平生(へいぜい)の気力をつくして、この無の字を挙(こ)せよ。もし間断せずんば好し 法燭(ほっしょく)の一點(いってん)すれば すなわち着(つ)くに似(に)ん。

素玄【註】祖師の関(師は釈迦。祖は達磨。その悟境に透入すること。)心路云々(修禅工夫して心意を超越すること。)心路をきわめ云々(あれやこれやと工夫を重ねて遂に工夫すべきなき境地にいたること。)附草依木云々(草や木につく人魂、とりとめのなきこと。)眉毛云々(眉と眉をくっつける。)毫竅云々(ごうきょう・・毛穴。)提撕(ていぜい・・シッカリ持って離さず。)虚無の會云々(禅を虚無、空寂とすることなかれ。有とか無とかの対立とすることなかれ。)悪知悪覚(雑念妄想。)蕩盡(とうじん・・ふるいよける。)内外打成一片(身内身外が打して一片となる。)殺佛殺祖(佛も祖師も念頭から抹殺すること。)六道四生(りくどう・・は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間娑婆・極楽天上にてあらゆる境地。四生・・胎・卵・湿・化生にて一切生物。)法燭云々(機縁に触れて打発すること)

   【頌に曰く】狗子佛性(くしぶっしょう)全提正令(ぜんていしょうれい)

    わずかに有無に渉(わた)れば 喪心失命(そうしんしつみょう)せん。

素玄意訳・・狗子佛性の則は禅境を丸出しじゃ。有や無に拘(こだ)わっては生きていても死人同然。本則は禅と禅機とを兼ねた難則じゃ。往々、中途半端の處に腰かけて透ったと思う者がある。軽忽(けいこつ)の見をなすべからずじゃ。