禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート「提唱 無門関」第2稿 2019年1月よりスタートします。 

禅のパスポート

      提唱 無門関  素玄居士

        素玄居士 復刻版 2017(h29)6月~

        第2稿 2019-1月~【附記・解説】を詳細にいたします。

 

 

                 はじめのおわりに・・

       【門より入る・・これ家珍(かちん)にあらず】

漢文で書かれた本則(ほんそく)や頌(じゅ)・偈(げ・悟りの見解けんげ)は、できるだけ心の内から啓発(けいはつ)されるよう、粉飾(ふんしょく的な心情)を除去して簡略化(かんりゃくか)し、解釈は文意にそって、正直に意訳しました。

無門関は、約1200年前・・各則の禅者が、自己とは何か・・納得の答えを求めて行脚・修行した実話です。生死について、生き方について、愛憎について、執着について・・などなど・・ズバリ、迷悟を一刀両断に介錯するかのような「禅者たちの命がけの一悟」・・です。

現代人が、いかに自分を見失っているか「禅による生活」を発見、発明してください。

他の人や学問や宗教に寄らない、自分の中からだけの「自覚」です。

そして・・素玄居士「無門関 提唱」の見解(けんげ)=禅者としての心境を、頌のような形でアカマル青字・・で記述しました。

戦前(1937年)狗子堂発行、無門関提唱 素玄居士 著作、絶版した小冊子を手本に見解をソノママ紹介します。

千年も前の、禅語録が出た時以来・・明治、大正、昭和にいたる達道の禅者、指導の師家(しけ)たちは、ことごとく提唱時や、日常生活で、自己の禅機・禅境(地)を、露裸々(ろらら)・赤灑々(しゃくさいさい)に現わして、求道者に接しています。

「無門関」を、道(い)わぬが花・・師と求道者の二人だけの密室の参禅で・・と、まるで秘め事風になったのは、禅寺の跡継ぎ養成のための、修行組織の温室栽培や接ぎ木の禅継承がはやりはじめた事によります(これは日本の禅の衰退を助長しました)

また、二人以上の暮らしのあるところ、組織や団体の集うTPOでは「純禅」は育ちません。「禅」は自分・貴方・・唯ひとりの中でしか発芽せず接ぎ木できません。一説に千二百則あると言われる公案は、逆に独り一人ごとに解決しなければならない課題と人生があると言う事です。

ですから、独りポッチ=三分ポッチのイス禅をなされるおり、なんのことやらわからなくても、チョット心惹かれる一則を思い返し、考え返して行ってください。

「ポッチ禅」は、畳の上の水練ではなく、せめて「海水浴」・・冷たい海の中での実地実習になるよう・・意見しておきます。

第二則より入りますが、第一則「趙州 狗子(くす・無字)」は、素玄居士の言われるとおり、入学したての小学一年生が、物理学の学術論文を書く・・以上に難解な問題だと確信するからです。

いま、畳の上でしか泳ぎを知らない子供が、いきなりオリンピック水泳の金メダリストと競泳するような・・いや、イルカと競争するような、実力があろうはずがないからです(昔の禅者、求道者は勇敢でした。泳ぎを知らないと言ったトタン、イキナリ水の中に放り込まれるような、大変、直裁的な荒い修行でした)

門より入る・・これ家珍(かちん)にあらず・・

ナカナカ解けない公案で悟りに至る・・

この禅の関所は、そう簡単には透(とお=通)してくれません。

ズバリ言えば、これは、四十八の門のない関所(税関)を、それぞれ自分なりの四十八の方法で透化、通過した禅者たちの物語です。

まず、教えられた知識・経験・体験は、本当の(自分の宝)自覚ではない!

無門関の著者 無門慧開(むもんえかい)和尚が喝破(かっぱー見ぬいて言い切り)しました。

知識や学問、経験は、どれほど貴重であっても、つまりは他の人、社会の研究、体験、アドバイスにすぎません。

参考になるだけです・・と。

禅者のことばや教えを、月(真理)をさす指(知識)に例えます。人は、よく間違います。

その指を「月」そのもの・・と誤解するのです。

また、空に浮かぶ「月」を見ても、見た・・というだけです。目のご不自由な人には見えず、どんなに説明しても真の理解は出来ません。

親や先生や本や友人から、どのようにアドバイスされようと、言われようと、心底(しんそこ)自分自身が納得・安心できる「答え」は、自分自身で見つけるしかない・・

他人の体験、知識、経験、推理、祈りなどは、「禅=自分」を解放するには、どうやら役立たないのです。

文字や言葉は、人が生きるため、生活するための便利なツール(道具)です。スマホやPCや新聞だって楽しく心豊かに生きるための情報ツールです。でも、道具を「真実」と錯覚してはなりません。ホラホラ・・話がまた月を指す指に戻るでしょう。

そうだから、千年も前に「門のない関所」が設けられました。

簡単には解けない話で、自分の心の内から、発明、発見する答えでない限り、その関所を透(とお・通)してくれない・・「無門関」です。

 無門関の由来、序・監修を解読しておきます。

     【無門關(むもんかん)】 無門慧開(むもんえかい) 

     選定監修 彌衍宗紹(やえんそうしょう)編纂(へんさん)

無門 序・・紹定二年正月(1229年) 印行拈堤(いんぎょうねんてい) 要略 

仏語の心を宗となし、無門を法門となす。すでに是れ無門、且つそもさんか透らん。あに道(い)うことを見ずや・・門より入るものは是れ家珍にあらず、縁にしたがって得るものは始終成壊すと。いんもの説話、大いに風なきに浪を越し、好肉に瘡(きず)を剜(えぐ)るに似たり。何ぞ況(いわん)や言句に滞(とどこ)って解會(げえ)をもとむるおや。棒を棹(ふ)って月を打ち、靴を隔(へだ)てて庠(かゆがり)をかく、何の交渉かあらん。慧海(えかい)、紹定戌子(じょうていぼし)の夏、衆に東嘉(とうか)の龍翔(りゅうしょう)に首衆(しゅしゅう)たり、ちなみに衲子請益(のっすしんえき)す。遂に古人の公案をもって、門を敲くの瓦子となし、機に随って学者を引導す。竟爾(きょうじ)として抄録するに覚えず集をなす。初めより前後をもって叙列せず、共に四十八則となる。通じて無門関という。もし是れ、箇の漢ならば危亡をかえりみず単刀直入せん。八臂(ぴ)の那咜(なだ)他をさえぎれども住(とどま)らず、たとえ西天四七、東土の二三も、ただ風を望んで命を乞うことを得ん。もし、あるいは躊躇(ちゅうちょ)せば、また窓をへだてて馬騎を看るに似、眼を眨得(さっとく)し来らば早くすでに嗟過(しゃか)せん。

禅の心を根本に、門のない関所を透(とう・通)して、求道(ぐどう)の人を引導(いんどう)いたします。

では、どのように透(とお)るのか・・

『門より入る、是れ、家珍(かちん)にあらず』

人の五感を通し、理解するすべては、

真に己(おのれ)の宝とするには当たりません。

悟りは、いかようにも説明・教育できません。

まして文字や言葉で表現する事象は、棒を振って月を打ち、靴の上から足を掻く仕草(しぐさ)です。

こうした禅について、誤解をしないように古人の公案 四十八則を厳選収録(げんせんしゅうろく)して『無門関』といたします。

               頌(じゅ)に曰く・・

       大道無門(たいどうむもん) 

          千差有路(せんしゃのみちあり) 

             透得此関(このかんをとうとくせば) 

                 乾坤独歩(けんこんにどっぽせん)

 独り一人に、それぞれが歩む道があります。

どうぞ躊躇(ちゅうちょ)することなく単刀直入(たんとうちょくにゅう)に、この通行手形(パスポート・見性透化)を手に入れて、大道を独歩(どっぽ・独り、ゆうゆうと歩んで)ください。

 

*無門和尚は、天龍和尚に参じ、さらに月林禅師の鞭撻のもと『趙州 狗子  佛性』第一則公案を六年がかりに拈弄(ねんろう)工夫し、ある日、太鼓の音で省悟。重ねて雲門話堕の則で拳をあげた。月林、この透過を見届けたという。無門、平常、頭髪を剃らず、開道者と呼ばれた禅者である。

*彌衍宗紹(やえんそうしょう)のエンの字は、太鼓の音。

*無門関 第一則は難問中の難問なので第2則から紹介します。

*最初の第一則は、この本の一番、最後に記述します。

公案(こうあん)・・中国、古代から役所の発行した調書(公府こうふの案牘(あんとく)転じて、求道者が禅で解決(透過)せねばならない問題の意。    

*文中、不是心佛・即心即佛・非心非佛とか多く・・「佛」の字が出てきます。これは釈尊・仏教、経典の意ではなく「禅」の意ですから「禅」としました。師家は老師=先生の意・・「僧」は「求道者」としました。

 

2019年1月・・第2稿 スタートします。

素玄居士 提唱(そのままの復刻版)に、各則に【附記】意訳、解説をして、皆さんからの問い合わせや疑問に答えます。2018-12/31 記

はてなブログ「禅・羅漢と真珠」一休さんを解説しています。ご覧ください!2019-1-2