無門関 第六則 世尊 拈花(せそん ねんげ)
【本則】素玄提唱 釈迦が霊山(りょうぜん)に僧俗を集めて会合していた時に蓮華の花を拈(ひね)くりまわして見せている。皆の衆は黙って何の手品かしらんと見ている。その時 迦葉(かしょう)ばかりが顔を綻(ほころ)ばかしてニッコリ笑ったということじゃ。そこで釈迦の云くに、吾れに根本の道、受用不尽(じゅようふじん)にして、極楽の妙境、實即仮相の微妙の一法あり、筆舌をもってすべからず、仏教外に別に後世に伝うべきの一法、是れを大迦葉尊者に頼んでおくぞよ・・と。
この不立文字は、文字をもって立すべきに非ずで これを経文仏典以外の義と解し 教外別伝と聯結(れんけつ)して仏教経典以外に別に伝承すべき仏教教義となし、之がつまり禅宗の根本をなすもので 禅宗は仏教の中心の正宗であるとし、仏心を宗となすというのであるが、禅には宗教的臭味は絶対にない。むろん仏教的なことや到彼岸思想などもない。このことは臨済録や信心銘などを読むとよくわかる。
だから不立文字云々(ふりゅうもじ うんぬん)は、仏教的に訳読すべきでない。不立文字とは経典以外とすべきでなく、そのまま文字どおりに文字(むろん言語を含む)をもって立せざるの境地、即ち筆舌に依拠(いきょ)せざる箇事(このじ)。教外別伝とは釈迦教説の仏法以外の仏教と無関係に、別に流傳すべき一法とすべきであると思う。そしてこの付嘱(ふぞく)も 印可伝承とすべきではなくて 頼むの義すべきであつて、禅には印可も伝承も そんなことがない。冷暖自得であって それを印可するもしないもないし 伝承すべきこともない。このことも臨済録にある。印可をやかましくするのは 偽禅横行し学人を謬(あや)まり、禅の泯滅(みんめつ)すべきを虞(おそ)れたのであって 修禅の徒のために師家の真贋(しんがん)を区別する公的証明の手段にすぎない。
禅は禅者にあらざれば之を勘破(かんぱ)することができないから、未悟底の修禅者には この方法は是非とも必要であったのである。禅宗として仏教中に別に宗派をたてたのは百丈清規にはじまるとのことであるが、それはともかくとして、禅宗が仏教の根本中心ならば、支那 百丈の時代に至って初めて宗派を創(はじ)めるはずがない。禅は釈迦以前にも、また仏教外に存したことは、釈迦当時、すでに了悟の外道のあるを見てもわかる。かつ、禅そのものも執着を絶し、決して宗教的な欣求の容(い)るることを許さぬのである。これらは みな公案に明瞭なことであつて素玄の私見ではない。それゆえに禅宗なる仏教の宗派は 仏教を奉ずる僧業として禅者の現世的な生業(なりわい)にすぎない。禅者が仏教を奉ずる矛盾であるが 支那では文士、官吏の間にも居士はあるけれども、もっぱら修禅者を説得し 社会に流布したのは、その達磨以来の伝統に見て僧侶間に存したのであり、僧侶として佛に奉ずると共に禅者でもあったのである。
ここに佛を奉ずというのは、心に佛を念じ仏教的欣求思想を抱いていたのではなくて 仏教的環境の内に衣食し それを生業(なりわい)としていたのであって、この事は臨済録に見るも瞭々(りょうりょう)である。
だから禅宗および禅宗僧侶は 禅者の風格を加味した仏教儀式、仏教葬祭を宗とし、それに従事する者の一団に外ならない。
いくら詮索してみても 禅と仏教とを聯結(れんけつ)すべき因縁はないのである。だから仏教 埒外(らちがい)の俗人の禅者(居士)、異教徒(外道)の禅者、があり それらは禅宗僧侶の禅とさらに区別すべきものがない。もし禅宗の仏教教義中 禅的なものを主として宗とすと称するならば、その然るものを挙示せよ。苟(いやしく)も禅的なるものが仏教教義中に存すとするならば、それは禅的なものでないか、または仏教的なものであり得ない、偽製の禅である。禅と宗教とは相容れざるものである。キリスト教徒またはキリスト教布教使にして禅者もあるであろう。仏教徒または佛僧にして(必ずしも禅宗僧侶とは限らない)真宗でも日蓮宗でも、それ等にして禅者たると同じ関係にある。キリスト教教師にせよ、天理教にせよ、回教にせよ、その他にせよ、彼らが禅者であるならば、真摯な宗教家ではありえない。迷信的・妄信的信徒ではない彼らは、すでに自己に安心を持っている得道者なのである。信仰することの要らない、依存する事がない彼らは、すでに自らが釈迦であり、達磨である。自己即ち大悟了畢(たいごりょうひつ)の漢だ。何の信仰とか云わん。
釈迦も よく仏教と禅とを区別していたことを この則がハッキリさせている。仏教・宗教外の別伝である。仏教は欣求である。禅は正法眼蔵(しょうぼう げんぞう)である。根本の無疑自在(むぎじざい)即することなく 不可説の妙境である。私は仏教に関し、ほとんど知識を持っていない。けれども禅について多少の見解(けんげ)をなす。臨済 我を欺(あざむ)かず(このことについて本書 第九則 大通智勝(だいつうちしょう)にも明瞭にされてある)
さて 釈迦は拈花に禅の端的を示し、迦葉はこの端的を領得した。禅の端的は テーブルをポンと叩いても そこに禅を赤裸にする。碧巌集の傳大士講経竟(ふたいし こうきょうおわんぬ)第六十七則はそれである。
【本則】世(せ)尊(そん)、昔 霊山會上(りょうせんえじょう)にあって、
花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に示す。
この時、衆みな黙然(もくねん)たり。
ただ迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)のみ破顔(はがん)微笑(みしょう)す。
世尊云く、吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、
涅槃(ねはん)妙(みょう)心(しん)、實相(じっそう)無相(むそう)、
微妙(みみょう)の法門あり。
不立(ふりゅう)文字(もんじ)、教外(きょうげ)別伝(べつでん)、
摩訶(まか)迦葉(かしょう)に付(ふ)嘱(ぞく)す。
◆素玄曰く・・春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山・・古歌
【無門云く】 黄面の瞿曇(くどん)傍らに人なきがごとし。
良を厭(いと)うて賤(せん)となし、
羊頭(ようとう)を懸(か)けて狗肉(くにく)を売る。
まさにおもえり、多少の奇特と。
ただそのかみ、大衆のすべて笑うがごとがごときんば、
正法眼蔵また作麼生(そもさん)か傳えん。
もし正法眼蔵に伝授ありといわば、
黄面の老子 閭閻(りょえん)を誑謼(こうこ)す。
もし伝授なしといわば、なんとしてか独り迦葉を許す。
【無門云く】この破れ黄衣の瞿曇よ(釈尊のこと)・・無人の野原で言いたいことを言うようだ。
良いも悪いもなしとばかりに、安心の正道、禅の妙法を仰々しく、宣伝文句を並べ立てて売りたてた。
まるで羊といって犬肉を売るのと変わらない、アクドイ商売だ。
(マア、ホンの少しだが、関わり合いもあるが・・)
村の賑やかな人の集う中で、笑ったとか、伝授するとか、求道者を説得する便法を、正直商売の値札にしてはならないぞ。
「禅」を独り迦葉に預け頼んだのだのだから・・
【素玄 註】黄面の瞿曇(面の黄色い釈迦)良を厭い云々(本則に良も賤もない、云わば禅の宣伝広告に正法眼蔵などと仰々しいが、その実、狗肉のようなつまらぬものじゃと禅をケナス意。だが いくらか変わった處もあるの意)誑謼云々(村のにぎやかな處で、皆の衆をだまくらかす)禅に伝授も印可も証明もない学人説得の便法じゃ。釈迦は附嘱と云うて伝授とも印可とも云っていない、無門も狽(あわ)てまいぞ。
【頌に曰く】 花を拈起(ねんき)し来れば、
尾巴(びは)すでに露(あら)わる。
迦葉の破顔 人天措(お)くこと罔(な)し。
【頌に曰く】 花をクルクルまわして見せた釈尊の手品・・化けそこなった狐のしっぽが見える。
迦葉は、手品の種(禅の大意)を見抜いて笑った。
誰もがポカンとしていたが、あんたには見抜けたかな?
【素玄 註】尾巴(尻ッポ、化けそこなった狐の尾が見える。釈迦がそれを掴んだのじゃ。禅の端的が現れた)人天措なし(人間も天人も、この禅の端的をどうしようもない。掴まえ所がないからポカンとしているの意。また別に、下にも置くことが出来ぬというて、持ち上げた意とするも可)
【附記】釈尊が、求道者との話の場で、仏教=覚者(悟りたる者)の教え・・の素(宗)になる「禅」を、一輪の花を拈じて披露したが、誰も、その手品の種が解明できなかった。
ただ、衆の独り・・迦葉だけが見抜いて笑ったそうだが、迦葉がいなかったら、釈尊は、そんな手品はしていない。
「禅」は「仏教」ではない。この公案でも、教外別伝(仏陀の教え以外の別の傳えること)とはいっているが、付嘱す・・と、迦葉一人に、預け頼んでいる。
文字表現、口伝できない「禅」を、この二千五百年間、達磨は中国に。中国から日本に、まるでオリンピックの象徴、太陽のトーチのように1箇半箇の大覚、見性の寺僧が伝灯してきた。
(けれども、寺僧の集団、印可教導の仕組み、デジタル(バーチャル)社会にいたる現代では、その適応性を失って、禅宗は絶滅しつつある・・このことは、随分の昔・・提唱無門関 素玄居士(昭和12年発行)の著作で、明らかにされている。
また、第九則 大通智勝や 碧巌録 第六十七則 傅大士講経などで随時、講話意訳していきます。
いずれにしても、この第六則で釈尊は拈花に「禅」の端的を示し、迦葉はこの端的を領得したのである。