禅のパスポートNO20 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳
◆ 「禅による生活」は・・!
第二十則 大力量人(だいりきりょうにん)
【本則】松源和尚云く、
大力量の人なにによってか脚(あし)をもたげ起こさざる。
口を開くこと舌頭上(ぜっとうじょう)にあらず。
また云く、明眼(みょうがん)の人
何によってか脚下の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる
【本則】素玄提唱 大力量の人とは禅者だ。心 即することなき故に足を擡(もた)げる因縁がない。そこを一つ動かせて見せよと云うわけだ。これが第一公案。
また口を開いて喋(しゃべ)るのは当たり前じゃが、禅者は口先ばかりで喋らない。
そんな窮屈な禅者はいない。眼は口ほどに物を云うこともある。眉でも手でも、足の先でもできる。これが第二公案。
松源和尚は当時 すでに年老い 後継を定めて自分の師、白雲守端から伝えられた袈裟を譲る考えで三公案を提出し、学人を試みたのじゃ。それがこの公案で 第三が「明眼(みょうげん)の人、何によってか脚下(きゃっか)の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる」と云うのである。
已悟(いご)未悟(みご)とは、この一線を跨(また)ぐ、跨がぬにある。
紅紫線とは心意のことじゃ。色さまざまの心じゃ。
しかるに松源の意にかなう者がなくて、伝法衣は筐(はこ)に納(い)れて塔所(とうしょ)に蔵(しま)ったとのことである。
伝法の中断あることを知るべし。
◆素玄曰く
(第1公案)フルベースにホームラン・ヒット・・走れ走れ。
(第2公案)ピッシャリとやぶ蚊叩いて将棋かな
(第3公案)樹の上で竹筒を目に当てて
「京都が見える、大阪が見える」
【本則】松源老師の禅境(地)丸出しの公案(三転語)とは・・
(1)大力量の人=禅者は、手足を動かす因縁をもたない。そこをひとつ、動かして見せよ・・
(2)窮屈に、口先だけで喋らず「禅」を気楽につまんで(語って)みせよ・・
(3)達道の禅者は、どうして様々な心意を断絶しないのか?
師、白雲守端(はくうん しゅたん)から伝えられた袈裟を、後継者に譲るつもりで、この三公案を座下の求道者に提出した松源(しょうげん)和尚だが、意にかなう者がなく、塔所に閉って、あと腐れのないように処置したという。この第二十則は、禅が継承者なく中断した逸話。
【無門曰く】松源 謂(いい)つべし 腸(はらわた)を傾け腹を倒すと、
ただ是れ人の承當(じょうとう)するを欠く。
たとい直下(じきげ)に承當するするも、
正(まさ)によし 無門のところに来らば痛棒(つうぼう)を喫せん。
何が故(ゆえ)ぞ、ニイ。
真金(しんきん)を識らんと要せば火裏(かり)に看よ。
【素玄註】腸を傾け云々(この三公案は松源の禅境丸出しじゃ。ただ人の領得するなし)眞金云々(即座にわかったと云う奴はドヤシツケてやる。そうすると眞物と贋とがはっきりする)
【無門曰く】禅を丸出し、ありありと丸投げにした松源老師。ただボンクラ求道者ばかりの寄せ集めでは、解かる奴はいない。
まして、即座に解かった・・という奴が、ワシ(無門)のもとに来たなら、思いっきり、どやしつけてやる。
どうして・・だと?
本物、贋物がハッキリ見分けられるからだ。
【頌に曰く】脚(あし)をもたげて踏飜(とうほん)す香水海(こうすいかい)、
頭(こうべ)を低(た)れて俯(ふ)して視る四禅天(しぜんてん)。
一箇の渾身(こんしん)著(つ)くるに處(とこる)なし。
請(こ)う 一句を續(つ)げ。
【素玄註】香水海(仏典にあり、太平洋というに同じ)四禅天(同じく仏典にあり、青空とするもよし)無處着(太平洋を蹴とばし 青空を上から見下ろす大入道。体の置き所がない。この次の結句を付けよと、無門がわざと結句を除(のぞ)いたのじゃ。
【頌に曰く】足をあげて太平洋をひとまたぎ・・高い入道雲の上から眼下に坐る場所をさがすも、ハテサテ 身の置き所なし。
サア・・これに見識(結句)をつけてみよ。
◆素玄 結句を続けて曰く 「雲ハ北シ風ハ南シ蒼鶻ハ迷ウ」
雲は北に・・風は南へ・・ハヤブサは(そうこつ・飛ぶに)迷う。