禅のパスポート 無門関NO25
三座説法(さんざ せっぽう)第二十五則
【本則】素玄提唱 摩訶(まか)は大。衍(えん)は乗で大乗の法のこと。ここでは禅じゃ。四句は一異有無で一切万象を抽象し それが百となる。例示すると、一・非一・一亦非一・非一非非一・非非一亦非一・これが一異有無の四通りに過去・現在・未来、巳超・未超とつけて百にするのじゃが、こんなことは無意味の骨頂じゃ。
つまり大乗、すなわち禅は言語を絶すと云うことで、夢物語の変哲もない公案である。
【本則】仰山(ぎょうさん)和尚 夢に彌勒(みろく)の所に往(ゆ)いて
第三座に安(あん)ぜらる。
一尊者あり、白槌(びゃくつい)して云く。
今日(こんにち)第三座の説法に當たる。
山すなわち起って白槌して云く、
摩訶衍(まかえん)の法は、四句を離れ百非(ひゃくひ)を絶す。
諦聴(たいちょう)諦聴と云うを見る。
◆素玄云く・寝言歯ぎしり喰い過ぎのとが(科)
【本則】潙山霊祐の弟子、仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく814~890)潙仰宗(いぎょうしゅう)の開祖の夢談義。
彌勒菩薩(みろくぼさつ)の所に招待されて、第三座(講演)を依頼された。
司会者が。カチンと拍子木を打って、居並ぶ菩薩や羅漢、居士達に仰山を紹介した。
仰山「それ摩訶衍(まかえん)・・大乗(禅)の法は・・四句(一異有無を離れ)×過去+現在+未来+未起+巳起=百非・・を絶す。と云い終わるやいなや、よくぞ、この長噺しにお付き合い頂いた」という所で目が覚めた。
禅語、問答に出てくる定番「四句百非」要は言語を絶する・・禅の意。坐禅して何か納得できたら、早く身に着けて、そうした悟りは忘れることだ。
上味噌はミソ臭くはない。
【無門云く】しばらく道(い)え、これ説法するか、説法せざるか。
口を開ければ即ち失(しっ)し、口を閉じればまた喪(そう)す。
開かず閉じざるも、十萬八千。
【素玄 註】不開不閉(無門も仕方がないから同じような文句を並べたにすぎず)
【無門云く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)
無門も仕方なく、似たような文句を並べただけ。
水槽の金魚、酸欠でクチヲパクパク足掻いている・・禅から遠きこと十万八千KM。
【頌に云く】白日青天(はくじつせいてん)夢中に夢を説く。
捏怪捏怪(ねっかいねっかい)、一衆を誑謼(こうが)す。
【素玄 註】誑謼(だまし愚にする)
【頌に云く】すべては、カラリとした青空の境地なのに、夢の中で夢を説く・・騙してはイカン!
夢で殴られてタンコブが出来るものか!
煩悩即菩提だぞ(ボンノウソクボダイ)だぞ!