禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆人の為に説かない「ZEN」とは・・?

禅のパスポート 無門関NO27

南泉 ひどいデタラメを云うが、これこそ南泉の腕のみせどころだ(素玄居士)

     不是 心佛(ふぜ しんぶつ)第二十七則

【本則】素玄提唱

人のために説かざる・・の法は・・何のための法か。

人だとか犬だとか馬や木や、そんな相手を目当てにせぬ法もあるのじゃと、南泉も出鱈目(でたらめ)なことを吐(ぬ)かすが、これも南泉の手腕じゃ。

禪をしっかり掴んでおれば、何を言っても、それが通るのじゃ。

さすがに趙州の先生ほどあって すらすらとよくも口から出るわい。この心を不とし、この佛(禪)、この物を不とするのじゃと、萬象を抹殺し去って・・この何をか説く。

     【本則】南泉和尚 ちなみに僧 問うて云く

        「還(かえ)って人のために説かざる底(てい)の法ありや」

         泉云く「有り」

         僧云く「如何なるか是れ 人のために説かざる底の法」

         泉云く「不是心(ふぜしん)不是佛(ふぜぶつ)不是物(ふぜもつ)」

 素玄曰く 欧亜連絡、仏国ドレ機、

  高知海岸に不時着。飛行機大破。

  二鳥人は軽症、まずまず安心。

ちょうど、こうした大陸横断のフランス機が高知県に不時着する事件があったようです。飛行士2名は軽症で無事との報道に、素玄居士、一安心した様子がうかがえます。

1937=昭和12年5月26日夕方、フランスから香港経由、東京に向かう百時間懸賞飛行の中、コードローンシムーン単葉ツーリング機、搭乗マルセル・ドレー/フランソワ・ミケレッチは、四国の戸原海岸に不時着。2名は地元の人々に軽症で救助された。のちフランスに帰国。同時期、星の王子様で有名なサン・テグジュベリもサハラで不時着し、九死に一生を得ている・・)

素玄居士の提唱で「佛」と云うのは「禅」の意だと心得ておいてください。お釈迦様でもなければ、仏陀(覚者、悟道者)でもない・・ZENソノモノの意です。

僧とあるのは求道者と意訳しています。

    【無門曰く】南泉この一問を被(こうむり)りて、直に得たり 

     家私(かし)を揣盡(しじん)して 

     郎當(ろうとう)小(すく)なからざることを。

素玄 註家私云々(私財ありたけを傾け盡した)郎党(出しすぎて大切な處まで漏らした)

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)あんまり説きすぎるのも良くないゾ。

隠すこと一切なし・・とはいえ、隠さなすぎるのも問題。私財のありたけを放り出してしまって、どうするつもりかな。

   【頌に曰く】叮嚀(ていねい)は君徳(くんとく)を損(そん)す。

   無言 眞(まこと)に功(こう)有り、さもあらばあれ、

   滄海(そうかい)は変ずるとも、終(つい)に君が為に通(つう)ぜず。

素玄 註損君得(ていねい過ぎると君を莫迦にす)不通(蒼海の変はあるとも解かる期なし)

【頌に曰く】説きすぎは自分の徳をそこなうばかりか、お釈迦様まで傷つけることになる。

いっそのこと黙っておればよかったろうに・・。

たとえ、地球の海水が1滴も無くなろうと、こんなことはイワナイ・・で、すませておけば、すべてが安泰だったろうに・・。

【附記】佛⇒禪の事。素玄居士は「佛」の字は、ことごとく「禅」の意であると断言しておられます。また「禅」は宗教ではない。欣求(祈り・造作)するものではない・・と、この無門関 提唱で一貫して記述されておられます。

私は、「禅」の宗教的行事を行う寺僧(宗団)は、真の禅者ではない・・との観点で、拝観料を取ったり、坐禅教導・宿泊・写経・精進料理などを営業するところは、一括して「観光禅」として純禅としません。

決して・・本や教導に頼らず、仲間を作らず、独りポッチの(イス)坐禅に撤して、仕事や勉強の合間、寝る前など、3分程度・・半眼・姿勢を正して行う・・無功徳(役立たず)の達磨禅を習慣化されるよう推奨しています。

意訳する「無門関/碧巌録」・・禅語録は、千年前の自由闊達な先達の禅者たちの・・禅機・禅境(地)を垣間見て、独り坐禅の励みにしたいと思っているのです。 2020-1-18 追記

      

◆花は五分咲きが看ごろです!

はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)・・

この奉魯愚(ぶろぐ)は、2020年1月5日までの間、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺できり出します。

花看半開(花は五分咲きを看るべし)菜根譚 洪王明(自誠)

花看半開   花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・

此中大佳趣。 此の中にこそ バランスのとれた風流がある

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら

便成悪境矣。 花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者 宜思之。 えいまんの(みちたりた)者は、

          今が看脚下だぞ。

     *モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

昨年は・・はてなブログ計23160回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2020年1月1日AM0;00現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 孤独な独りイス坐禅で、思い返し、考え返してください。

(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的哲学的科学的な正解はありません。これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ、間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障(さわ)り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダはなぜ子をすてたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪をつたえた菩提達磨(ぼだいだるま)・・にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは、現実的な今を尊重する中国の風土に育まれて・・

釈尊「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りで、チョットの時間でも無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

                                                                                                                      

                                     禅のパスポート 無門関NO26

大空(タイクウ)なお いまだ禅ならず・・ここを掴(つか)み取れ!(素玄居士)

        二僧 巻簾(にそう けんれん)第二十六則

【本則】素玄提唱 

この一得一失が禅の妙じゃ。二僧同じく去って簾を巻く、歩き具合も手つきの様子も、眼つきも腰つきも何一つ書いてないのじゃ。そんなことは無用じゃ。

それなら・・どこに一得一失があるか、臨済は賓主歴然(ひんしゅれきぜん)という語を用いているが語意いよいよ同じじゃ、がまた別なりだ。

無礙縦構(むげじゅうこう)の禅機は、書いて書かれぬことはないが、そんなことは読んだだけではナルホドというだけで他人の刀を借りて振り回すようなもんじゃ、剣道の技倆(ぎりょう)にはならん、かえって他を傷つけ自からを害(そこ)なうのみじゃ、教えられるとその人に禅が湧いてこぬ、学人を毒することになる、また学人の為にもならぬこともあるのじゃ、また教えたところで悟りにはならぬ。

要は悟るにある、悟れば一得一失がわかる。

サア法眼のこの禅機を勘破(かんぱ)せよ。

  【本則】清涼(せいりょう)の大法眼(だいほうげん)、

   因(ちな)みに僧、斎前(さいぜん)に上参(じょうさん)す、

   眼、手をもって簾(れん)を指す。

   時に二僧あり、同じく去って簾を巻く。

   眼曰く、一得一失(いっとくいっしつ)。

 ◆素玄曰く ラジオの天気予報、

   東の風又は西の風・・晴れ又は雨。 

  【無門曰く】しばらく道え、これ誰か得 誰か失。

   もし 者裏(しゃり)に向かって一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)せば、

   即ち清涼国師 敗闕(はいけつ)の處を知る。

   しかも かくの如くなりといえども、

   切に忌(い)む、

   得失裏(とくしつり)に向かって商量(しょうりょう)することを。

【素玄 註】敗闕(清涼国師の大切なる處を 素玄曰くでサラケ出してやった。得失もなにもあるもんか)

【無門曰く】二僧の誰がよし・・であり、誰が至らぬ・・のか。

もし、ちゃんとした見どころを押さえた者であるなら、清涼国師の大事な、基準点がわかろうというものだ(素玄云く・・サラケ出してやったぞ。得も失もアルモンか!)

 【頌に曰く】巻起(けんき)明明として太空(たいくう)に徹す、

  太空なお いまだ吾宗に合(かな)わず。

  いかでか似(し)かん 空よりすべて放下(ほうげ)して

  綿綿密密(めんめん みつみつ)風を通(つう)ぜざらんには。

【素玄 註】大空云々(大空なお未だ禅とすべからずじゃ。ここのところをしっかり摑(つか)め。不通風(締め切っておくのも禅ならずじゃ。けれども空より放下したら締め切ることになるかナ。この頌は一得一失にすこしそぐわぬ様じゃテ) 

【頌に曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

簾を巻けば、清々しい青空が見えてくる・・

これが禅だと思うと大誤解となる。・・大空は禅ならず。ここのところをしっかりツカメ。けれども、閉め切って風通しが悪いのも禅ならずじゃ。どうも、この頌は少しソグワヌところがある。

 

 

 

◆無い門(の戸)を叩いてみよ。さらば開かれん!

禅のパスポート 無門関NO25

    三座説法(さんざ せっぽう)第二十五則

本則】素玄提唱 摩訶(まか)は大。衍(えん)は乗で大乗の法のこと。ここでは禅じゃ。四句は一異有無で一切万象を抽象し それが百となる。例示すると、一・非一・一亦非一・非一非非一・非非一亦非一・これが一異有無の四通りに過去・現在・未来、巳超・未超とつけて百にするのじゃが、こんなことは無意味の骨頂じゃ。

つまり大乗、すなわち禅は言語を絶すと云うことで、夢物語の変哲もない公案である。

【本則】仰山(ぎょうさん)和尚 夢に彌勒(みろく)の所に往(ゆ)いて

    第三座に安(あん)ぜらる。

    一尊者あり、白槌(びゃくつい)して云く。

    今日(こんにち)第三座の説法に當たる。

    山すなわち起って白槌して云く、

    摩訶衍(まかえん)の法は、四句を離れ百非(ひゃくひ)を絶す。

    諦聴(たいちょう)諦聴と云うを見る。

素玄云く・寝言歯ぎしり喰い過ぎのとが(科)

【本則】潙山霊祐の弟子、仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく814~890)潙仰宗(いぎょうしゅう)の開祖の夢談義。

彌勒菩薩(みろくぼさつ)の所に招待されて、第三座(講演)を依頼された。

司会者が。カチンと拍子木を打って、居並ぶ菩薩や羅漢、居士達に仰山を紹介した。

仰山「それ摩訶衍(まかえん)・・大乗(禅)の法は・・四句(一異有無を離れ)×過去+現在+未来+未起+巳起=百非・・を絶す。と云い終わるやいなや、よくぞ、この長噺しにお付き合い頂いた」という所で目が覚めた。

禅語、問答に出てくる定番「四句百非」要は言語を絶する・・禅の意。坐禅して何か納得できたら、早く身に着けて、そうした悟りは忘れることだ。

上味噌はミソ臭くはない。

【無門云く】しばらく道(い)え、これ説法するか、説法せざるか。

      口を開ければ即ち失(しっ)し、口を閉じればまた喪(そう)す。

      開かず閉じざるも、十萬八千。

素玄 註不開不閉(無門も仕方がないから同じような文句を並べたにすぎず)

 【無門云く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

無門も仕方なく、似たような文句を並べただけ。

水槽の金魚、酸欠でクチヲパクパク足掻いている・・禅から遠きこと十万八千KM。

  【頌に云く】白日青天(はくじつせいてん)夢中に夢を説く。

       捏怪捏怪(ねっかいねっかい)、一衆を誑謼(こうが)す。 

  素玄 註誑謼(だまし愚にする)

【頌に云く】すべては、カラリとした青空の境地なのに、夢の中で夢を説く・・騙してはイカン!

夢で殴られてタンコブが出来るものか!

煩悩即菩提だぞ(ボンノウソクボダイ)だぞ!

12月1日~8日までの1週間は・・

禅のパスポート NO24 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳   

12月1日から8日までの1週間は、釈尊が悟りを開かれた日として、これを1日間とみなし、臨済僧堂では「雲水の命取り」といわれる、ぶっ続け坐禅と師家独参の修行「蠟八大接心」がある。

釈尊が6年苦行の後、菩提樹下で端坐、夜明けの明星を看て、正覚を成じた由来を機しての接心会だが、食事と用便を除いて、坐禅三昧。眠るのは午前3時までの、僅か3時間の坐睡のみ。雲水が、これほど激しく公案と向き合い自分と戦う姿は、まず、修行中、無いといえよう。されば、本日の鶏鳴を迎え、熱い梅干し茶をいただく心持ちは、年老いても忘れ難いと云う。

禅は宗教の元という意味で禅宗といいます。宗派のことではありません。例え僧堂で何十人の雲水が、悪戦苦闘して正覚を求めても、坐禅、独参しての結果、得られるものではありません。坐禅釈尊、達磨、先達の禅者のとおり、たった独りで行うことが大事です。

無理なく自然体で(現代人は)イス坐禅でたったの3分間ぐらいの・・悟りなどの功徳や見返りを求めることなく・・役立たずの坐禅を、おりおりに繰り返すだけです。

時に、この・・はてなブログ 禅者の一語(碧巌録・意訳)や、禅のパスポート(無門関・素玄居士提唱、復刻意訳)、あるいは 羅漢と真珠(禅の心、禅の話)、ご自分の禅境(地)を確かめられる道標になさって、あせらず、たゆまず、独り坐禅を・・のんびり・・お続けになってください。

ただ、注意は、決して仲間づくりはなさらないこと。

独りポッチ、寂寥の坐禅であることです。

座禅と書かず、坐禅と書いてください。

     離却語言(りきゃく ごごん)第二十四則

【本則】素玄提唱 語は外に向かう離のこと。黙は内に向かう微のこと。禅を語れば禅を離れ、禅を黙すれば内に微にする。禅を語黙することなく、犯すことなくして如何か禅を挙示せん。この離微は肇法師の宝蔵論に書いてあるとのことだが、こんなことは詮索する必要がない。語黙によらず禅を示せと云うことである。風穴は春の長閑(のどか)なことを喋っている。禅はそんなもんかしらん。

ツマランもんじゃ。

一体 公案とは禅か禅機かを示すもので、禅を何と云うても 同じことの一つことじゃ。言語挙措 千種萬様であっても、落つれば同じ溪川(たにがわ)の水で、どの公案でも つまる處は同じことの 一つことだから、一則しっかり手に入ると 千則萬則 みな透るのじゃ。それが透らなければ本物でない。

無門の評も頌も 結局は同じことを繰り返すにすぎないし、素玄曰くも その通りで 段々種切れになるわけだ。構造も脚本も、言い回しも落ちは同じ穴サ。落ちは同じじゃが 禅は対象もなければ心意も超越で何とでも喋られる。禅者が云えば江南三月も禅だ。大庾嶺上 風冷ややかなりも禅だ。

  【本則】風穴(ふけつ)和尚、ちなみに僧問う「語黙は離微(りび)にわたる、

      如何が不犯(ふぼん)を通ぜん」

      穴云く「長(とこしな)えに憶(おも)う江南三月の裏(うち)、

      鷓鴣(しゃこ)啼く處 百花(ひゃっか)香(かんば)し。

素玄曰く いにしえの奈良の都の八重桜 

       今日九重に匂い塗るかな(古歌)

【本則】禅を語れば語るだけ「禅」から離れてしまう。

では黙ってしまえば、今度は内にこもった、臭いオナラのようになる。

要は語黙によらず「禅」を示せ・・と、求道者は迫ってきたわけだが、風穴は、春ののどかさを詩に託して示した。はたして、それで百点満点かどうか・・

ここで素玄居士の一言。

公案は禅か禅機かをしめすもの。何と言っても同じことの一つ事だから、一則しっかり手に入ると、千則万則みな透る。

それがギクシャクして透らなければ本物じゃない。だから無門の評も頌も、素玄曰くもその通りで段々と種切れになる。

落語と同じで、噺の起承転結・・役柄の演技、セリフは、男は男らしく女は女らしく、落としどころが必ずあってオチは同じ。笑いが取れなきゃ落語と云えぬ。

噺の筋は違うように思えても、落つれば同じ谷川の水・・つまるところは同じなのが種明かしだ。(ところが・・その禅境(地)深きことは予測不能。甘く見るでないぞ。 意訳者附記)

   【無門云く】風穴の機 掣電(せいでん)の如く、路をえて すなわち行く。

    いかんせん前人の舌頭に坐して断ぜざることを。

    もし者裏(しゃり)に向って見得して親切ならば、自ずから出身の路あらん。

    しばらく語言三昧(ごごんざんまい)を離却して一句を道(い)いもち来れ。

素玄 註】道を得て云々(風穴はとこしえに憶うとスパリとやった。それは禅の道に背かぬのじゃが、すでに語じゃ。問話底に背く。口の先に乗ったのじゃ。)見得(しかし必ずしもそうだとも限らない。見解(けんげ)徹底すれば語黙も離れた處があるのじゃ。黙も及ばざるあり)

【無門云く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)風穴は、春の感想詩をうまく、スパリと表現して見せた。それは、禅に背いていないが、すでに「詩であり語であり」問答の口先に乗っている。・・だけれども、今回は・・必ずしも語に堕している訳でもない・・禅者らしい境地が偲ばれる・・語黙をすり抜けた・・風流な処を見届けてほしいものだ。

   【頌に曰く】風骨(ふうこつ)の句を露(あらわ)さず、

         いまだ語らざるに先(ま)ず分布す。

         歩を進めて口喃々(くちなんなん)たれば、

         君が大いに措(お)くことなきを知りんぬ。

素玄 註】風骨(風の骨とは甘いことを云う)罔措(おくことなき・・未悟底で持ちも下げもならぬ行き詰まり)無門も語黙を離れるのは不得手と見える。

【頌に曰く】この春を歌う詩は、風骨を表さず・・変わったところは何もない、求道者が問うたから作詞したものではない・・初めから自然そのものが謳たう、コノコトがあらわれている。臨済の棒喝を利用せず、風穴禅者の禅境丸出しである。この詩の意味は、ああだ・・こうだ・・と理屈道理をこねるほど間違うものとなる。素直に、百花とまではいかなくても、春の花咲き乱れる温泉にでも入って、ウグイスの啼く声に聞きほれてごらん・・と言いたい。

【附記】いにしへの 奈良の都の 八重桜

    けふ九重に にほひぬるかな(伊勢大輔(61番) 

現代語訳・・昔の、奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、 ひときわ咲き誇っております。

*江南・・中国、揚子江から南を江南という。北は江北。

*風穴延沼(ふけつ えんしょう896~973)臨済樹下の禅者。

 

 

 

◆とっくの昔・・ひそかにZENは山猿に持ち去られたぞ!

禅のパスポート NO23 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

      不思善悪(ふしぜんあく)第二十三則 

【本則】素玄提唱 六祖は達磨より六代目にあたり名は恵能(えのう)。道に人の金剛経を誦(しょう)するあり。「まさにとどまる處なくしてその心を生ず」とあるを聞き、禅に志し黄梅山の弘忍(ぐにん)に参じ米つき男となる。8カ月にして大事を了す。六祖 附法の時節 至を知り、大衆に偈(げ)を求め意に契(かな)う者に、衣鉢を伝えんとす。明上座あり「身は是れ菩提樹、心は明鏡臺(だい)の如し、時々勤(つと)めて払拭せよ、塵埃(じんあい)を惹(ひ)かしむる勿(なか)れ」と、秘(ひそ)かに伝衣を自分がと決めていた。六祖も一偈を作り「菩提もと樹なし、明鏡また臺にあらず、本来無一物、何の處にか塵埃を惹かん」と・・この偈は少々 食い足りないが 偈ばかりで判断はできぬ。弘忍その夜 恵能に衣鉢を伝え、さらに注意して、ここにあって大衆の嫉妬のために害されるやもしらんから逃げよと(教導した)。直に逃げて大庾嶺(だいゆれい)にいたり本則となったのである。

一領の故衣が山の如くに重いというのも おかしい話じゃが、明上座も力をもって争うのに 良心が咎めたのじゃろう、善を思わず悪を思わずと云うだけでは足りない愛憎苦楽もあるのだが、これは機縁じゃ。不思善悪で雑念妄想が一掃されたのじゃ。一掃してみると何もない空(から)ッポで、そこで更に意旨ありやと訊いたわけでもあろうか、密はかえって汝の邊(ほとり)に在(あ)りじゃ。

本来の面目は即ち この密で、明上座も不思善悪だけでは省ありの程度で、密を握らんことにゃ本物ではない。   

【本則】六祖、ちなみに明上座(みょうじょうざ)、追うて大庾嶺に至る。 

     祖、明の至るを見て即ち衣鉢を石上になげうって云く「この衣は信をあらわす。

     力をもって争うべけんや。君が持ち去るにまかす」

     明、ついにこれをあぐるに山の如くにして動ぜず。

     踟蹰悚慄(ちちゅうようりつ)す。

     明云く「我きたって法を求む、衣のためにするにあらず。

     願わくば行者(あんじゃ)、開示(かいじ)したまえ」

     祖云く「不思善(ふしぜん)不思悪(ふしあく)、正與麼(しょうよも)の時、

     那箇(なこ)か是れ明上座が本来(ほんらい)の面目(めんもく)」

     明、当下に大悟し、邊体(へんたい)汗ながる。

     泣涙作禮(きゅうるいさらい)して問うて曰く

    「上来(じょうらい)の密語密意(みつごみつい)のほか、かえって更に意旨ありや否や」

     祖曰く「我いま汝がために説くものは、すなわち密にあらず。

     汝もし自己の面目を返照せば密はかえって汝が邊(へん)にあらん」

     明云く「それがし、黄梅にあって衆にしたがうといえども、実に未だ自己の面目を省(せい)せず。

     いま入處(にゅっしょ)を指授(しじゅ)することを蒙(こうむ)って、

     人の水を飲んで冷暖自知(れいだんじち)するがごとし。

     いま行者はすなわち某甲(それがし)が師なり」

     祖云く「汝もし是の如くならば、すなわち吾と汝と同じく黄梅を師とし、よく自ら護持せよ」

素玄曰く 大庾嶺上、衣鉢を擲(なげう)ち、おもむろに腰の煙草入(たばこい)れを探(さぐ)れば、明上座すでに来たって悪鬼に似たり。

大庾嶺上、風冷なり。

傳衣を焚(た)いて暖(だん)をとる。

(密/みつは汝の邊ほとりにあり)

【本則】明上座・・ようやく山頂で蘆行者(恵能)を捕まえた。

彼は石の上に衣鉢を置いて、明上座に語りかけた。

「この衣鉢はZEN=悟りを表すもの・・力ずくで奪うものではない。ほしければ君が持ち去るがよかろう」

じゃ、遠慮なく頂きます・・と、取り上げても、やましい気持ちが邪魔をして、山のように重く感じて持ち上げられなかった。

往くも帰るもならず、ギラギラした燃える目で蘆行者を見上げた明上座「私は衣鉢の為に追いかけて来たのじゃない。菩提樹もなく明鏡台もない・・偈の真意が知りたいのです。どうぞ開示してください」蘆行者は、脂汗を滴らせて懇願する明上座を、傍らの石に座らせて云う。

「ここに至って、イイも悪いも価値損得は捨てなさい。さあ、この今がいま、何ものに依らない・・あなた自身は・・」とするどく問われて明上座は省悟した。緊張の糸が途切れて安心したのか、涙が溢れ出てきた。

「ありがたいことです。いいも悪いも消失しました。このカラッポのZEN(密意)の他、その意旨はありましょうか」

蘆行者「説いたのも、君が得たのも、密なるものではない。いま君が自分の面目を返照すれば、密はかえって自分の周りにある。コレが大事だ」

「黄梅山では修行が大事とばかり、密なる本来の面目を失っておりました。いま、水を飲んで冷暖自得の心地です。行者こそ、私の師です」

(そうした禅境のなら)「ワシと君と、一緒に黄梅の弘忍老師を師としよう。善く自ら、是を護持しなさい」

この、六祖恵能が大庾嶺(だいゆれい)で神秀(じんしゅう・明)上座と衣鉢の取り合いを演じた 二十三則の前には、蘄州(きしゅう)黄梅県、東馮墓山(ひがしひょうもざん)の五祖弘忍(ぐにん)を訪ねる、嶺南(れいなん)(南蛮なんばん、獹獠(かつろう)/野蛮な猿猴えんこうの住人)の薪売りで母を養う蘆行者(ろあんじゃ)=曹渓恵能(そうけいえのう638~713)の、求道見性の話がある。

菩提(悟り=悟道の人)はあるのか・・その悟境(地)はどんなものか・・禅を伝燈するにあたり、頌偈(じゅげ)を求めた五祖弘忍に、暗夜、明上座は一篇の禅境詩を書き付けた。

   身是菩提樹   わが身こそ悟りの樹なり

    心如明鏡台   ココロは磨かれた鏡のごとき

     時々勤払拭   迷いの曇りを磨き上げして

      莫使染塵埃   ホコリやチリに汚染されぬようにすべし

あくる朝、壁に書かれた偈を読んでもらった、字の書けぬ蘆行者はついでに、ワシの詩を頼んで二つ書いてもらった・・と、正直に六祖壇経(敦煌本・恵能自叙伝)にある。

  菩提本無樹   もともと悟りに樹はよけい

   明鏡亦無台   ココロを支える台いらず

    仏性常青浄   ZENはつねに清らかソノモノ

     何処染塵埃   いったい何処にホコリつくかナ

その2 禅は学んでもつまらない。禅にめざめ体得してこそ大事だよ・・

  心是菩提樹   ココロこそ悟り・ZENソノモノで

   身為明鏡台   おのれは鏡の台ソノモノだ  

    明鏡本清浄   モトモトきよらかソノモノなのに

     何処染塵埃   どんなにしてもホコリはつかぬぞ

恵能の見性を見届けた弘忍は、法燈の要らざる争いを予測して、彼にひそかに衣鉢を与えて船でのがすが、それを知った明上座は逃がすものかと、あとを追いかけ、この大庾嶺での舞台の幕が開くのである。

ただし、学者が面白おかしく解説しても、薬の効能書きを読んでも病気は治らない・・ごとく、自分が自分の心(本来の面目)を攫まないと、誰かがつかんでくれるなど期待したら大間違いです。

サア、云く因縁はここまでにして、釈尊伝来の衣鉢を奪い取ろうとして、追いかけてきた明上座のソレカラ・・を見てみよう。

   【無門云く】六祖 謂(いい)つべし、

   この事は急家(きゅうけ)より出ずと、老婆親切(ろうばしんせつ)なり。

   たとえば新荔支(しんれいし)の殻(かく)を剥(は)ぎ終り、

   核を去りおわって爾(なんじ)が口裏(くり)に送在(そうざい)して、

   ただ爾が嚥一嚥(えんいちえん)せんことを要するが如し。

 素玄 註急家云々(事情切迫だから禅を噛んで吞み込ませたの意か)

 【無門云く】大庾嶺の山頂で、目を血走らせて求道、問法の明上座を相手に、事情切迫のため、ZENの殻をむきタネを取り去り、食べやすい大きさに切って、フォークにさして口元に運んでやる・・とは・・。だから蘆行者・・いつまでも頭を剃らず、素人ぶって放浪していたのか・・親切にもホドがある。

     【頌に曰く】描(びょう)すれども成らず  

           画(えが)けども就(な)らず、

            賛するも及ばず

            生受(しょうじゅ)することを休(や)めよ。

          本来の面目、隠すにところなし、

          世界 壊(え)する時、渠朽(かれく)ちず。

素玄 註休生受(絵も筆も及ばぬ。さらばとて生呑み込みはダメ)本来面目云々(禅は隠すにも隠されない。密というのを秘密としたらいかん。

極所奥底の意とし、また禅の意でもある。それは何もかも丸出しのものじゃ。

壊も朽もない。この頌は拙劣。

【頌に曰く】この思わざること・・絵にも筆にも描き切れないが、そうかといって、生半可に納得したふりをしてはダメだぞ。

本来の面目は、隠すに隠せないものだ・・「密」というのを「秘密」としたらアカン!・・と素玄居士の注意書きがある。

ただの「極所」=「奥底」=「禅」の意とすべし。それは何もかも丸出しのモノじゃ。破壊も朽ち果てることもない。

(この頌 拙劣であると、素玄居士 吠えています)

 

 

◆どこかの国の・・誰かが・・ZENを身に着けるチャンスが生まれ・・

禅のパスポート NO22  提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳   

  迦葉刹竿(かしょう せつかん)第二十二則

【本則】素玄提唱 禅には何か秘伝でもあるか、宝物の伝授でもあるのかしらん。この頃なら優勝杯でもあろうかと思って聞いたものと見える。それで迦葉(かしょう)は、門前の旗竿(はたざお)を逆さまにせえと答えたのじゃ。1人前の坊さんになると門前に旗を立てて遠近に知らせる風俗がある。迦葉は、そんなことも要らざることじゃ。旗竿も捨ててしまえ、何の伝授があるもんかという意味だ。印可も証明も邪魔なもんじゃ。

臨済は師の黄檗が凡案(つくえ)をやると云うので、燐寸(マッチ)を持って来い、焼いてしまうとやったが、なるほど道中(行脚、人生)に、そんなものは不便なもんじゃ。

金襴(きんらん)も余計なもんサ。

 【本則】迦葉、因(ちな)みに阿難(あなん) 問うて云く、

     世尊(せそん)、金襴(きんらん)の袈裟を伝うる外、別に何ものをか傳う。

     葉(しょう)喚(よ)んで云く「阿難」。難 応諾(おうだく)す。

     葉云く、門前の刹竿(せっかん)を倒却著(とうきゃくじゃく)せよ」

素玄曰く 足にタライをのせて、お尻に枕する者は何か?

      足芸の香具師(やし)・・何だ、つまらぬ。 

【本則】阿難が、釈尊から不立文字、教外別伝の「禅」を付嘱(頼まれた)迦葉尊者に問うた。「禅」には、何か秘伝でもありますか。悟りを得ると、スポーツの優勝トロフィのような表彰があるのでしょうか。

迦葉は、直ちに「阿難よ」と呼びかけた。阿難は「ハイ」と返事した。                  

迦葉曰く・・(講演会は終わった)「案内の門前の旗竿を仕舞いなさい」

   【無門曰く】もし、者裏(しゃり)にむかって

    一転語(いちてんご)をくだしえて親切ならば、

    すなわち霊山(りょうぜん)の一會(いちえ)、

    厳然(げんぜん)として未(いま)だ散(さん)ぜざることを見ん。

    それ未だ然(しか)らずんば、毘婆尸佛(びばしぶつ)早く心を留(と)めて、

    直(じき)に今に至るまで妙を得ず。

素玄 註霊山一會(霊山の拈花微笑も眼前 手にとるが如し)毘婆尸佛(過去 久遠劫より今に至るまで 修行していても心を離さずにいるから禅の妙が得られない)

【無門曰く】もし、旗竿をぶっ倒したなら、世尊拈花(せそんねんげ)のシーンが手に取るように見えるだろう。でないと、過去、未来永劫にわたって、心を追い求めて流離(さすら)う人となり、禅の妙は得難い。

 【頌に曰く】問處(もんじょ)は何(なん)ぞ答處(たっしょ)の親しきに如(し)かん。

  幾人(いくばくびと)かここにおいて眼(まなこ)に筋(きん)を生ず。

  兄呼(ひんよ)び弟応(ていおう)じて家醜(かしゅう)を揚(あ)ぐ。

  陰陽(いんよう)に属せず別にこれ春。

【素玄 註】生筋(なかなか わからぬので眼のとこが筋ばること)揚家醜(迦葉 阿難ともに禅を興す。醜(しゅう)とは自分たちのことを卑下するの意。阿難ものち、禅を得たり)付属云々(四季風物以外の別境地)

【頌に曰く】問が答え・・そのもの。「アーナンダよ」と呼ばれて、阿難「ハイ」と答える。

二人とも意気投合できずに、目パチクリ。肩の凝る話だ。

ヤレヤレ、迦葉も阿難も、恥ずかしいところをお見せした。

(だが、四季にこだわらない別の境涯もある。風流なものだ)

附記【素玄居士 解説】抜粋・・いくら詮索しても禅と仏教とを連結すべき因縁はないのである。だから、俗人の禅者(居士)、異教徒(外道)の禅者があり、彼らは禅宗僧侶の禅と区別すべきものがない。

もし、禅宗の仏教教義中、禅的なものを主として宗とすと称するならば、その然るものを挙示せよ。もし存するならば、ソレは禅的なものでないか、または仏教的なものでありえない偽の禅である。禅と宗教は相容れざるものである。

禅者は、すでに自己に安心をもっている「得道者」であり、信仰にたよらず関知しない。釈尊も、よく仏教と禅とを区別していたことを、この則がハッキリさせている。

(第九則 大通智勝にも明瞭にされている)

禅は宗教ではありません。禅宗として、仏教中に宗派を立てたのは百丈(清規)に始まること・・ですが、そうであるなら、中国、百丈の時代に至って、初めて「禅宗」宗派を名乗るのは、ひどく遅すぎる出来事です。

達磨が面壁禅を持ち込んできて以来、臨済録、信心銘など語録には、どの文言や禅者の振る舞いにも、一切、宗教的臭みは見当たりません。

禅は・・執着、分別、有無を両忘して、決して宗教的な欣求を許さない「悟境」を、独り・・自得「禅による生活」を実行するにあります。

当時、師弟(一箇半箇)の伝承・印可を尊重したのは、それだけ偽禅が横行し、師家の真贋が問われました。

未悟底の求道者には、卒業証書が必要と言うだけのことでした。

また、宗教をナリワイとした寺僧(僧業・生活手段)にとって、禅の一種の免許証明は、仏教的儀式や葬祭にまつわり、禅的な超越した風格を加味する必要な演出であったのでしょう。

素玄居士の無門関提唱は、ほとんど前の戦争の渦中にあって、省みられることはありませんでした。しかし、スマホ、PCなど、電磁的情報通信の時代です。どこかの国の誰かが、広くZENを垣間見るチャンスが生まれたのです。

公案・第六則「世尊拈花」迦葉に付嘱す・・の意味は、印可、伝承することは一切ないので「頼んだぞ」とすべきでしょう。

*ZENの端的は、テーブルをポンと叩いてもそこに禅を赤裸にする。碧巌録 第六十七則 傳大士講経(ふたいし こうきょうをこうず)は、このことです。

 

 

◆無門関を提唱する以上、さらし者になって「素玄曰く(見解)」を披露する!

禅のパスポートNO21 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳 

たいして値打ちがないので恥ずかしい限りじゃが 提唱する以上「素玄曰く」を附けることにする。それが責任じゃ。高いか安いか・・晒しものじゃ!

 (頌としなかったのは取材や文体の自由を欲したからである)

【附言】この禅のパスポートでは、できる限りに、素玄居士の「提唱無門関」絶版本そのままに、公案の意訳を附記して紹介していきたい・・と思います。私は(若い頃)禅の本を見て「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)の一眞人(いちしんじん)」とか・・「父母未生以前(ふぼみしょういぜん)本来の面目(ほんらいのめんもく)」とか・・難しい禅問答の漢字・漢文の意味さえ理解できたら、坐禅や悟りの道も近かろう・・と思っていました。あれから60年・・。

今、素玄居士の無門関は提唱そのままに(手助けは附記するだけ)文面上、読者には何の手がかりもなく(手助けできることはなく)まるで断崖絶壁をよじ登るような、独り坐禅をしてもらうことになりました。

素玄居士は、この本の緒言、冒頭に「禅に秘伝あることなし」として、禅は学問ではない。禅は、単に「極所」があるだけで階梯(かいてい・方法論)はない。本物の語録・公案を拈弄(ねんろう・無為に味わい噛みしめ)、自悟自得する外はない。巷の禅本には贋物の語録講釈もあるし、いい加減な寺僧の提唱・講義や、中には論理的とか・・恐ろしく誤まっている迷老師・師家の指導も横行している。だから、真禅の絶えるに忍びず、禅の極所にいたる道筋を、唯ひねくりまわすだけであるが、筆舌しうるドン詰まりまで話してやろう。そして各公案(則)ごとに、語録の禅者が、頌や偈で禅意を表情したごとく、素玄曰く・・を附けることにした・・と述べておられます。

禪(語録)の提唱者は、その公案が透っていなければ出来ないことだが、それを自ら証明、表明した「評とか頌」とか、無門関や碧巌集などには、チャンとその一語が載っている。

これからの提唱者も同じく「見解」(けんげ)をつけて見せなければいかん。でないと値打ちがわからん。贋老師などは話しても差し支えないことを密室で話すべきと秘密めかしたり、提唱で言わないようだが、それは卑怯で、つまりは未悟底なのだ・・と厳しく禅を解説する人たちに警鐘を鳴らされています。*見解(けんげ)・・師家の悟り、禅機・禅境地を述べた文句。頌や偈の意。 

     雲門屎橛(うんもんしけつ)第二十一則

【本則】素玄提唱 佛は佛様で、また それが禅でもある。佛すなわち糞かき箆(べら)である。今でも信州の山奥では、箆を使っていると云うことじゃが、紙幣暴騰の今日では今後も佛様で尻ふきが永続するじゃろうテ。

経典は尻ふきの故紙と云うた禅者もある。

素玄居士 提唱無門関が発行された1935(昭和10)年頃の庶民のトイレ事情は多分、よくて新聞紙のゴワゴワしたのを 揉みモミして使ったのだろう。

同じ意味じゃ。佛も禅も糞かき箆とは甘く云うたもんじゃ。臨済はまだまだ酷いことを云っているが そこまでゆかんことには因襲(いんしゅう)のコビリ付いているのを拭い去ることが出来んのじゃ。甚深(じんじん)の慈悲と謂うべしだ。佛様とかお経とかが腹の中に一杯詰まっていては、禅を肚のなかに入れることが出来んのじゃ。すっかり洗い流して拭き去らなくては、コノコトは手にはいらん。洗い棄てると云うても 口の先だけなら それではコタえん。モット酷く「糞かき箆」とケナシつけてやったのじゃ。これならいくらか腹の中の糞を洗うのに効力(ききめ)もあろうかというもんじゃ。佛の妄想を洗い流すのじゃ。

          【本則】雲門因みに僧問う「いかなるか是れ佛」

              門云く「乾屎橛(かんしけつ)」

    【本則】雲門山の文偃老師(852?~949)に、求道者が問うた。

        「いかなるか是れ佛=ZEN」

          門云く「糞カキべら」

素玄曰く・・世の中は寝るほど楽はなかりけり。

       浮き世の莫迦(ばか)は 起きて働く

        (著述もなかなか骨が折れるテ)

【本則】佛とは仏様のことであり、ソノママ「禅」でもある。佛すなわちクソかき箆(お経はさしずめトイレ紙)だと、雲門ズバリ断言した。

よくまあ・・ここまで味噌クソに貶(けな)しつけたものだが、そこまで言わねば・・佛とか、お経とか、腹いっぱいの便秘症状を・・洗い流し、きれいサッパリ拭き取ることができないのが、糞袋子(ふんたいす・人間)である。

口先だけの求道者には、チットハ堪(こた)えた公案だろう。

佛といい禅という・・そんな妄想に、一気に下剤をかけた公案である。

      【無門云く】雲門謂(い)いつべし 

           家、貧にして素食(そじき)辨(べん)じがたし。

           事(じ)忙しゆうして 草書するに及ばず、

           ややもすればすなわち屎橛(しけつ)をもち来って、

           門をささえ戸を拄(ささ)う。

           仏法の輿衰(こうすい)見(み)つべし。

 素玄 註素食云々(白い飯も口に入らぬ。書類も下書きのヒマがない)

       乾屎橛のような酷いことをを云うから佛法も衰えたの意味らしいが、それでは無門

       の箇事(このこと)も怪しいもんじゃ。

【無門云く】雲門の處は、貧しくて、子供らに白い飯も食べさせられず。

教えるのに下書きのヒマもなく、突然の罵詈雑言(ばりぞうごん)。尊き仏様を「クソべら」に例えるようなことだから、唐代の政治的迫害の余波を受けることになり、仏教の衰退を増長させてしまった。

この責任・・どう取るつもりか。

真実は・・雲門に責なし)

     【頌に曰く】閃電光(せんでんこう)撃石火(げきせっか)。 

           眼(まなこ)を貶得(へんとく)すれば、すでに蹉過(しゃか)す。

素玄 註貶得云々(乾屎橛と口から出まかせにやったが、それはどんな訳じゃなどと思慮分別したら、モウ駄目。禅を去るに遠しとも遠し。無門もこれだけ解っているのに 素食だとか興衰だとかいうのは、佛のことがやはり いくらか気にかかると見えるテ。

【頌に曰く】雲門、間髪をおかず、まるで雷光のごとくに「クソカキベラ」と答えたが、それは如何なる訳か・・など・・心意解釈やら分析していたら・・モウ度(ど)し難(がた)し(助けられない)

 

◆「目は口ほどにモノを言い」・・だだし《気があれば》の話!

禅のパスポートNO20 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

◆ 禅による生活」は・・ 

         第二十則 大力量人(だいりきりょうにん)

   本則】松源和尚云く、

       大力量の人なにによってか脚(あし)をもたげ起こさざる。

       口を開くこと舌頭上(ぜっとうじょう)にあらず。

       また云く、明眼(みょうがん)の人 

       何によってか脚下の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる

【本則】素玄提唱 大力量の人とは禅者だ。心 即することなき故に足を擡(もた)げる因縁がない。そこを一つ動かせて見せよと云うわけだ。これが第一公案

また口を開いて喋(しゃべ)るのは当たり前じゃが、禅者は口先ばかりで喋らない。

そんな窮屈な禅者はいない。眼は口ほどに物を云うこともある。眉でも手でも、足の先でもできる。これが第二公案

松源和尚は当時 すでに年老い 後継を定めて自分の師、白雲守端から伝えられた袈裟を譲る考えで三公案を提出し、学人を試みたのじゃ。それがこの公案で 第三が「明眼(みょうげん)の人、何によってか脚下(きゃっか)の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる」と云うのである。

已悟(いご)未悟(みご)とは、この一線を跨(また)ぐ、跨がぬにある。

紅紫線とは心意のことじゃ。色さまざまの心じゃ。

しかるに松源の意にかなう者がなくて、伝法衣は筐(はこ)に納(い)れて塔所(とうしょ)に蔵(しま)ったとのことである。

伝法の中断あることを知るべし。

素玄曰く 

(第1公案)フルベースにホームラン・ヒット・・走れ走れ。

(第2公案)ピッシャリとやぶ蚊叩いて将棋かな

(第3公案)樹の上で竹筒を目に当てて

      「京都が見える、大阪が見える」

【本則】松源老師の禅境(地)丸出しの公案(三転語)とは・・

(1)大力量の人=禅者は、手足を動かす因縁をもたない。そこをひとつ、動かして見せよ・・

(2)窮屈に、口先だけで喋らず「禅」を気楽につまんで(語って)みせよ・・

(3)達道の禅者は、どうして様々な心意を断絶しないのか?

 師、白雲守端(はくうん しゅたん)から伝えられた袈裟を、後継者に譲るつもりで、この三公案を座下の求道者に提出した松源(しょうげん)和尚だが、意にかなう者がなく、塔所に閉って、あと腐れのないように処置したという。この第二十則は、禅が継承者なく中断した逸話。

【無門曰く】松源 謂(いい)つべし 腸(はらわた)を傾け腹を倒すと、

      ただ是れ人の承當(じょうとう)するを欠く。

      たとい直下(じきげ)に承當するするも、

      正(まさ)によし 無門のところに来らば痛棒(つうぼう)を喫せん。

      何が故(ゆえ)ぞ、ニイ。

      真金(しんきん)を識らんと要せば火裏(かり)に看よ。

 【素玄註】腸を傾け云々(この三公案は松源の禅境丸出しじゃ。ただ人の領得するなし)眞金云々(即座にわかったと云う奴はドヤシツケてやる。そうすると眞物と贋とがはっきりする)

 

【無門曰く】禅を丸出し、ありありと丸投げにした松源老師。ただボンクラ求道者ばかりの寄せ集めでは、解かる奴はいない。

まして、即座に解かった・・という奴が、ワシ(無門)のもとに来たなら、思いっきり、どやしつけてやる。

どうして・・だと?

本物、贋物がハッキリ見分けられるからだ

 

    【頌に曰く】脚(あし)をもたげて踏飜(とうほん)す香水海(こうすいかい)、

          頭(こうべ)を低(た)れて俯(ふ)して視る四禅天(しぜんてん)。

          一箇の渾身(こんしん)著(つ)くるに處(とこる)なし。

          請(こ)う 一句を續(つ)げ。

【素玄註】香水海(仏典にあり、太平洋というに同じ)四禅天(同じく仏典にあり、青空とするもよし)無處着(太平洋を蹴とばし 青空を上から見下ろす大入道。体の置き所がない。この次の結句を付けよと、無門がわざと結句を除(のぞ)いたのじゃ。

【頌に曰く】足をあげて太平洋をひとまたぎ・・高い入道雲の上から眼下に坐る場所をさがすも、ハテサテ 身の置き所なし。

サア・・これに見識(結句)をつけてみよ。

素玄 結句を続けて曰く 「雲蒼鶻」        

雲は北に・・風は南へ・・ハヤブサ(そうこつ・飛ぶに)迷う。 

禅のパスポートNO19 ◆平常心・・間違いだらけ、誤解された禅語の筆頭!

禅のパスポートNO19 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

       ◆非常・平常(心)の区別は何処でつけるか・・

        それなら「禅」・・平常(心)とは何か・・

【すなわち思慮分別なきところ、大空のガラッとしたもんサ。是非すべきなしだ・・】

  しかし、こんな講釈禅では頼りない気がする・・素玄居士 評。

      第十九則 平常 是道(びょうじょう ぜどう)         

       【本則】南泉 因(ちな)みに趙州問う、如何なるか是れ道。

           泉云く、平常心(びょうじょうしん)これ道。  

           州云く、還(かえ)って諏向(しゅこう)すべきや否や。 

           泉云く、向わんと擬(ぎ)すれば、すなわち乖(そむ)く。 

           州云く、擬せずんば、いかでか 是れ道なることを知らん。

           泉云く、道は知にも属(ぞく)せず、不知(ふち)にも属せず、

           知はこれ妄覚(もうかく)不知は是れ無記(むき)、

           もし真に不擬(ふぎ)の道に達せば、

           なお太虚(たいきょ)の廓然(かくぜん)として  

           洞豁(どうかつ)なるがごとし。

           豈(あに)、強(し)いて 是非すべけんや。  

           州 言下に於(おい)て頓悟(とんご)す。

【本則】素玄提唱 この道とは禅のことで 佛、コノコト、その他いろいろの文字を当てはめる。内容が漠然じゃから抽象的なものなら何でも借りてくることができる。だから誤解も出る。紀平博士が真剣に書きたてているのも道とか知を道徳や知識ということに見当違いに解しているからで、このことは『禅境』に槍玉にあげておいた。本則の趙州は なお未悟底(みごてい)時代で 後年の趙州ではない。

ここに平常心(びょうじょうしん)と云うのは禅者の平常心で未悟、常人の平常心(へいじょうしん)ではない。禅者の平常は普通の平常でない。禅者には非常も亦(また)平常である。非常も平常も差別はないのじゃ。対象なく心意を超越し即するなければ 非常平常の区別のあり様がない。非常に処すること なお平常のごとく、平常にあること なお非常のごとく、心を有せずして なお心の存するが如く、禅境にあるが如く あらざるが如く、これがつまり禅者の平常心じゃ。

この心も心とすべきなしで 仮に用いた文字である。

南泉のようになると禅境の出頭没頭(しゅっとう ぼっとう)もない。平常 多く禅境にあるから平常是道じゃ。常人の平常心が道即禅なのでないのじゃ。道はまた 道徳のことでもない。一般に禅を道徳と見ているようじゃが それは見当違いだ。共に捕捉すること 困難だからとて同類でない。何でもかんでも道徳にクッツケなければ 気の済(す)まん連中でも、電光が道徳だとか、雨の降るのが不道徳ということもあるまい。漢詩の巧拙を評するのに 化学の方程式によるというのも どうかと思います。禅者も無論 国民であり社会人であり家庭人である。一刻も道徳を無視して生活できるわけのものでもない。それをこの頃のラジオのように朝の六時から 夜の睡眠時間まで 空気を振動させるのも いい加減なモンカト思イマスネ。

不道徳に非ず また道徳に属せざる境地もある。

世界いんもに広濶(こうかつ)なり。

禅はあてくらべることも出来ない 擬(ぎ)すれば背くじゃ。

智をもって得べからず 雑念妄想が混じったら悟りは消える。不智とは枯木冷灰じゃ。死物木石には記事することなし。禅は生々溌剌(せいせいはつらつ)だ。

それなら何か、不擬(ふぎ)すなわち思慮辨別(しりょべんべつ)なきの處、大空のガラッとしたもんサ。

是とし非ともなすべきなしだ。しかし、こんな講釈禅(こうしゃくぜん)では たよりない気がする。

        ◆素玄曰く「カラスがカアカア鳴いている。

                       雀がチュンチュン鳴いている。

                    それで私もチュンチュン、カアカア」

【附記】平常心(びょうじょうしんと呼びます)・・金メダル獲得とか、勝った負けたのガンバリヤの平常心は【へいじょうしん】です。

最近、この有名な・・趙州(見性)一語が、東京オリンピックを控えて、スポーツや政界に、流行語のように広まっている。「平常心で頑張ります」「平常心で勝てました」・・こんな理解力で紹介されたら、昔の禅者、南泉・趙州も浮かばれません。

まして、意味を誤解して、どんなに頑張ろうと「平常心での成功」はありえないし、優勝できたからZENの悟りの一語が体得できる訳でもない。もし勝てたのなら、それは、きっと何か別の、気力・・集中力とか、努力、スポーツ指導者や、医学などの研究チーム、あるいは神仏のせいか、まぐれ当りのことだから、独りポッチの坐禅をして・・禅語の真の意味を知ることが大事でしょう。

唐代の・・唇から光を放つ・・といわれた禅者・・趙州従諗(778~897)の命懸けの修行と、その生涯120年間の一悟(語)である点・・特別にその意味に留意してほしいのです。

「平常心」へいじょうしんと呼ぶ限り・・世に出回る禅語解説の一切を、私は完全否定します。

まず公案、表題に「心」をつけないのには、深い理由があります。   

次に「道」というのは、「禅」(悟り/一真実/真人/本来の面目/隻手の音声/無字/色即是空/般若)・・のことで、抽象的だから何でもあてはめられる言葉です。だから、生きるに大切な、文字・言葉を、無造作に「禅」を体験しない学者やマスコミが大間違いして伝えているのです。

例えば、心の安定、不安の解消とか、その禅風景の紹介に「座禅」と書く。

正解は「坐禅」です。座ではなく坐です。

こんな文字の読み方の基本も、区別も知らない解説がいっぱいあります。

この「平常心」は、禅者の平常心ですから、非常もまた平常心なのである。何らの対象がなく、非常と平常の区別のありようがない・・非常に処すること、平常の如く・・平常にあること、なお非常の如く(の境地です)・・あとの「心」の文字は、仮に用いただけの言葉です。

師の南泉のごときは、平常・非常の禅境(地)の出入り口すらない(窺がえない)平穏無事の人なのです。

また「道」とは「行い」そのもので、道徳でもないし、平常心が「道」そのものではない。禅は・・何かと何かを当て比べて比較分析できるものではありません。その心境に疑問が生ずれば、その人が誤解し間違っているのです。

平常・・非常・・ただし擬(問が湧けば)すれば背く(間違い)。

心は、智をもって得べからず。雑念妄想、論理、言い訳が少しでも混じったら「禅」悟り・・は消えてしまいます。

また「不知」は、死物木石のごとき様子で、好奇心がない。無関心である。スマホに夢中の依存症は、不知無記の状態です。澱んだ沼のように、心が腐ってブツブツ泡が吹いているのです。

禅は、イキイキ、ピチピチ・・生活と心がハツラツと躍動します。

それを「禅による生活」・・「平常是道」というのです。

【本則意訳】師の南泉に(何かの折に未悟・修行期の)趙州が問いかけた。

      趙州「道」とは何ですか?

      南泉「ありのまま・・それでよかろう」

      趙州「それを思慮分別するべきでしょうか?」

      南泉「文字、言葉に騙されるでない」

      趙州「思慮無くして、どうして道を納得できましょうか?」

      南泉「道は智でもなく、不知でもない。

         智は、思惑、妄想。不知は死物木石(慮するなし)。

         達道に至ればカラリとした青空になる。

         曇るの・・降るの・・天気予報は無用だ」

      趙州、言下において(スッと青空になって)頓悟した

【無門曰く】南泉 趙州に発問(はつもん)せられて、

直(じき)に得たり瓦解氷消(がかい ひょうしょう)

分疎不下(ぶんそふげ)なることを。

趙州 たとい悟り去るも、更に三十年を参じて始めて得ん。

【素玄 註】瓦解云々(禅の事を細かく砕いて説明したが、筆舌の説明では何が何やら解からない。持ちもならず下げもならず)

【無門曰く】南泉老師、禅のことを事きめやかに説明したが、筆舌の解釈では、何のことやらわからない。大空とやらの「青空」をもらって、あまりの無限(夢幻?)に四苦八苦。その荷を放擲(すてさる)のに、まあ・・ざっと三十年はかかるだろうな・・ご苦労さんです!

【頌に曰く】春に百花あり 

       秋に月あり、

        夏に涼風あり 

         冬に雪あり。

       もし閑事の心頭にかかる無くんば、   

       すなわち是れ人間の好時節。

【素玄 註】この頌は拙劣。

      無門もだんだんと種切れらしい(・・と附言あり)

 

 

禅のパスポートNO18 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

禅は「心」の奥から湧き出る(心と云うも既に誤まる)・・

      第十八則 洞山 三斤(どうざん さんきん)

            【本則】洞山和尚 因みに僧 問う、

                如何なるか是れ佛、

                山云く 麻三斤。

 【本則】素玄提唱 ここに「佛」と云うのは「禪」のことである。「禅」とは何ぞや。「麻三斤」実に端的に露呈している。

禅は元来 餘物なしじゃ。直截(ちょくさい)簡潔、禅については本書にも乾屎橛(かんしけつ)。竪脂(じゅし)。碧巌に餬餅(こびょう)。解打皷(かいだく)などあるが、麻三斤が一番シックリしている。

禅は心の対象を払拭し、心を超越し 別にこの箇ありじゃ。

麻三斤も之を対象として、これに憑(つ)き纏(まと)ったらいけない。

麻三斤を払拭(ふっしょく)するのじゃが、払拭して又 別に境地あり。言語の及ぶところではない。こう書くと読者は自己催眠的境地を拈出(ねんしゅつ)して解かったような気持ちになろうとする。それが口にも出る。それはつまり口頭禅じゃ。そんなものは禪でない。禅は心の奥から湧き出る。

心と云うも既に誤まる。無中に湧出じゃ。

ここのところも知らずに自己免許で済ましているのは、自己欺瞞じゃ。三文の値打ちもない。その癖、到得還来無別事(いたりえ かえりきたって べつじなし)などとヌカス。道(い)うなかれ、了悟は なお未悟のごとしと。

偽禅横行し、この増長慢(ぞうちょうまん)をなさしむ。明眼の師について念々、不退転(ふたいてん)に工夫すべしじゃ。                     俺がある夜、寝る時に、この麻三斤がガラリと透った。なるほど、肩の荷を下ろしたような気持であったが、別に也太奇(ヤタイキ・またハナハダ奇なり)もなければ、汗も流れず大歓喜もなかった。白隠の口頭禅とは大分違っていた。

しかし、目の前がズウと広くなって雑物の遮(さえぎ)ることなしの気持がした。これは公案が消えていったのじゃ。

素玄曰く 麻三斤、秤量(しょうりょう)し了(おわ)って他に渡し、無価の黄葉を受けて無底の財布に納さむ。

     (黄葉とは子供のママゴト遊びに用いるお金。木の葉のこと)

 【本則】語録の問答でいう「佛」とか、「一真実」とか・・これを「ZEN」と置き換えるのが、宗教でない「禅」・・現代版です。

それでは「禅」とは・・何ですか?

「麻三斤」・・無門関では、雲門の乾屎橛(カンシケツ・クソカキベら第26則)、俱胝竪指(ぐていじゅし 第3則)碧巌録に雲門餬餅(ウンモン コビョウ第77則)禾山解打皷(カザン カイダク第44則)など、意中の対象を払拭し、心を超越した一語・・無中に湧き出る、文字言語の及ぶところではない境地の公案、問答があるが・・これこそ、雑念を入れ込む余地がない・・いわゆる、憑(と)りつくスベがない禅者の一語だ・・一番シックリとしている・・と、素玄居士は褒められた。それに続けて・・こう書くと、読者は自己催眠的境地を演出(造作)して、解かったような気持ちになろうとする。それが口にも出る。それが口頭禅だ。三文の値打ちもない。そのくせ到りえ還り来れば別事なし・・とぬかす。云うなかれ。了悟はなお未悟のごとし・・と。偽禅横行し、この増長漫をなさしむ・・と言葉荒く切って捨てられた。

    【無門曰く】洞山老人 些(さ)の蚌蛤(ぼうごう)の禅に参得して、

     わずかに両片を開いて肝腸(かんちょう)を露出す。

     しかも、かくの如くなりといえども甚(いずれ)の處に向かってか洞山を見ん。

【素玄 註】蚌蛤禅(戔薄な口先の禪。無門が洞山をケナしているが、それは同一家のことだ。蚌蛤の両片を開けて腹の内をサラケだす)麻三斤(これは洞山の肚じゃ。禅じゃ。だが その肚をシッカリとみつけたかナ)  

【無門曰く】洞山老人、いささかハマグリの口を開けたような禅・・麻三斤・・腹の中をさらけ出したが、求道者よ・・その肚(ハラ)をシッカリと見届けたかな?

     【頌に曰く】突出す 麻三斤 言(こと)親(した)しく 意さらに親(した)し。

          来って是非を説(と)く者は、すなわち是(こ)れ是非の人。

 【素玄 註】説是非(是非分別したら もう禅はない)

【頌に曰く】禅者の一語・・中でも飛び抜けてこれが一番だ。

言葉は手短じかだし、その意の親切なこと・・きわまりない。

もし、ホンの少しでも、是非を分別したら、もう禅はないぞ。

 

禅のパスポート№17  仏の顔も三度・・の話

提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

アンタさん・・呼ばれたつもりで応酬してみよ!  

     無門関 第十七則 国師三喚(こくし さんかん)

                      【本則】国師、三たび侍者を喚ぶ、侍者三度応ず。

                       国師云く、まさに謂(おも)えり、吾れ汝を辜負(こぶ)すと、

                       元来、かえって是れ汝、吾れに辜負す。

【本則】素玄提唱 サア、どこに勝敗がある。禅者は何を吐(ぬ)かすか解ったもんじゃない。元来、心に一物がないから出放題なことをやる。喚(よ)べば応える。それでお前が敗けとは何のことかナ。手がかりがない、手がかりがあるとそれについて回る。そんなのは公案じゃない。手がかりのないのが禅じゃ。喚んだり応えたり、また敗けとか勝ちとか、そんなことに獅噛(しが)みついていては見当違いじゃ。しかし、そこにまた味があるのじゃ。禅機を弄(ろう)し、学人を接得(せっとく)しているので諸君も侍者となってこの国師(これは忠国師のこと)に一本 応酬してみせよ。

【本則】意訳・・サア、どこに勝敗がある?禅者は何をぬかすか・・解かったもんじゃない・・と素玄居士。(いささか言葉遣いが荒いので、意訳して紹介します)禅者はもともと心に一物なし。サッと出放題なことをやる。

「オイ」と呼べば「ハイ」と答える。三回も呼ばれて、三回も返事した。そしたら「お前さんの敗けだな・・」とは、いったい何のことかな?

まるで手がかりがない。チョットでも手がかりがあると、ソレについて回って、這い上ってくるから始末にわるい。手がかり足掛かり少しもないのが公案だ。ツルツルと滑る鉄壁に、手掛かりなしでとりついて、千尋の谷へマッサカサマ。見事に墜落死するのが禅というもの。名前を呼ばれて返事した・・そうしたら・・お前の敗け、それともあんたの勝ちカナ?

・・など、ワラにもすがるような考え事をしたらアカン(ただ、そこに禅の味もチョッピリあるが・・)

ナントか禅の跡取りをつくりたくて、禅機(TPO)を弄する師に、お前さん、呼ばれたつもりで一本、応酬して見せなさい。

素玄曰く 銅像の馬が駆け出した。アレよ アレよ・・と云っている間に、また元の台座に帰ってきた。どこに風が吹くか・・という面付(ツラツ)き。

   【無門曰く】国師三喚、舌頭地(ぜっとうち)に堕(お)つ。

    侍者、三たび應ず。光に和して吐出す。

    国師 年老いこころ孤(こ)にして牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫せしむ。

    侍者いまだ肯(あ)えて承當(じょうとう)せず、

    美食飽人(ぶしょくぽうにん)の飡(さん)に中(あた)らず。   

    且(しばら)く道(い)え、那裏(なり)か是れ他の辜負の處、

    国清(くにきよ)うして才子貴(さいしたっと)く

    家富(いえと)んで小児嬌(しょうにおご)る。

【素玄 註】堕地(三喚までしたら落第じゃ)和光(和光同塵どうじん)牛頭を按ず(国師も年老い禅者の仕立てに心を急ぐので、牛の頭を押さえてサア喰え、サア喰えとやる)美食云々(美食も腹の中に雑念妄想が詰まっているから喰われない)辜負とは何かナ。国清うして才子貴からずだ。小児驕(おご)るは甘くやるワイ。

【無門曰く】老師さん・・三回も呼ぶのは的外れ。金石麗生なる禅を、全部、さらけ出して賭博するとは・・無鉄砲です。

年取って身寄りがないからといって、放蕩息子に飯食え!飯食え・・何不自由なくさせたら後の面倒をみてくれる・・などと思ったら大間違いだ。

(腹に雑念妄想、いっぱいに詰まっているから「禅」を食うに食えない有り様だ)

さても、この勝負、丁半揃って、目はナント出たかな?

跡取り息子は苦労させるに限ります。

【頌に曰く】鐡枷無孔(てっかむく)、人の儋(にな)わんことを要す、

 累児孫(わざわい じそん)に及んで等閑(なおざり)ならず。

 門をささえ、並びに戸をささうることを得んと欲せば、

 さらに須(すべか)らく赤脚(せっきゃく)にして

 刀山(とうざん)に上(のぼ)るべし。

【素玄 註】要人擔(穴のない鐵枷、つけられたらぬけそうもない。この公案を学人に担わしたのじゃ。子孫も迷惑)上刀山(禅門を扶起(ふき)せんとせば、刀山に上る苦心が必要)

【頌に曰く】この抜けようのない手錠足かせ・・丁半賭博の失敗を放蕩息子に責任を取らせるとは、ひどい話。家・財産そっくり無くして、負債ばかりの家を継がせたいなら、さらに素っ裸にして、地獄の剣の山か、針の山に追い上げるのが一番でしょう。

あると思うな親と金・・ないと思うな運と災難。

昔の人は、よくいったもんだ。

【附記】禅寺の跡継ぎをつなぎとめる資格養成所・・僧堂で読誦する「四弘誓願」がある。出家僧の誓願である。この句のたった一行の造作が、禅を日本から絶滅させてしまったのではないか・・と思います。

「煩悩無尽誓願断」ぼんのう むじん せいがんだん・・煩悩は尽きることなく(雲の如く湧いてくるけれども)これを断ずることを誓願いたします。いかにも、モットモラシイ誓いであるけれど、禅は「煩悩即菩提」=色即是空(般若大智)を道う・・背骨にしているので、煩悩を断ずれば、菩提(悟り)も生まれない無明(死に体)となる・・そんな、ピチピチと躍動するイノチがない「死禅」となる誓願です。

では、初心の求道者が「誓願」するならどういうか・・「煩悩悟性誓願忘」・・悩みも悟りも雙忘(そうぼう)=両方とも忘れはてることを誓願する・・とか。「煩悩即菩提誓願覚」・・煩悩ソノママが悟りとなる覚智に至りたい・・とか。

まあ、しかし、禅は欣求宗教ではありませんから、仏教・寺僧に衒(てら)ったような造作、計らいはしないに限ります。蘆葉(ろよう)の達磨以来、禅は、集団で伝燈継承される宗教、学問(論理)倫理道徳などに一切関わらず、ただ「一箇・半箇」の師弟の間にしか預托できない、扱いづらい盆栽なのである。しかも、師がいかに心砕いて禅を教導しても、その弟子が独り、自分で自覚できないと、禅は、そこで腐った「煩悩」のタネのまま絶滅する・・そんな可憐な花を咲かせる一輪(拈花微笑)なのだ

禅の・・断絶する出来事は、インド・中國・日本で数えきれないほどあった。2500年前、釈尊から迦葉、中國へ達磨禅、そして日本へ・・ホソボソと生き延びてきた寺僧禅は、この第2次世界大戦の後、絶滅危惧種から絶滅種のステージに昇りつめた。

この由来、因縁は、羅漢と真珠に順次、書きます。

無門関十七則は、中國河南省、白崖山で40年間、隠れ住んで「禅による生活」を満喫していた南陽慧忠(なんよう えちゅう)国師(?~775)・・唐、粛宗(しゅくそう)皇帝?(代宗皇帝)に請ぜられて759年、禅を講じた・・が、その弟子、耽源(たんげん)という侍者の、1箇半箇を伝える禅・伝燈の話だ。

南陽慧忠と耽源の禅語・公案は、碧巌録 忠国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう) 第18則にあり、禅者の一語(碧巌の歩記)で詳細を紹介する。ここでは素玄居士の提唱を意訳する。一箇半箇とは禅を伝えるにあたり、師は、ほぼ印可するに足る弟子ひとりと、その弟子が万一に先立たれると、その後を伝える半人前を・・かけがえのない者として鞭撻することをいう。

 

 

提唱/無門関(素玄居士)復刻意訳・・宇宙で唯一人の者が、何で授業のベルで勉強するのか?

禅のパスポートNO16   

さあ・・この広大な宇宙で、誰もコピペ出来ない・・ただ独りの遺伝子(唯我独尊)をもつ人間が、合図のベルで仕事や勉強に精出すのは、どうしてなのだろうか?

       無門関 第十六則 鐘聲七條(しょうせい しちじょう)

           【本則】雲門曰く、世界 恁麼(いんも)に廣闊(こうかつ)たり。

            何によってか鐘聲裏(しょうせいり)にむかって七條を披(き)る。

【本則】素玄提唱 鐘がなると七條の袈裟を着て勤行(ごんぎょう・経を挙げたりすること)に出てくる・・学校ならば教室に入る。この広い世界にサテモ サテモ窮屈な真似をしておる。

それを何故かと聞くのもおかしいが、また こんな広い世界に、そんなことに縛られるというのもおかしくないでもない。禅は心意を絶し無碍自在(むげじざい)。

縛られてはたまらぬ。それじゃから七條も着て見せる。出ても見せる。なんと広々としているではないか。

だが、こんな具合に理解しては禅とならぬ。ここが飛躍じゃ。

理解を超越し、この自在の境(地)にならなくては禅でない。

口頭で何んと云うても埒(らち)があかぬ。禅は自得だと云うのは、イチイチ脳裏に理解の筋道を組み立てて納得するのでなくて、理解の筋道を絶して自得するのじゃ。

直にそれが行動に飛ぶのじゃ。

鐘聲裏(きょうせいり)に七條を披(き)るじゃ。

禅は直に行動というのではない。行動に理解が入らぬのじゃ。

縛られるも縛られんもあるもんか。

素玄居士曰く「一本足の弥次郎兵衛、アッチにふらふら、コッチにふらふら、落ちそうで、落っこちない・・と思っている間に、そうら落っこちた」

   【無門曰く】おおよそ参禅学道は、切に、声にしたがい、色を逐うことを忌む。

    たとえ声を聞いて道を悟り、色を見て心明らむるも、またこれ世の常なり。

    ことに知らず、衲僧家(のうそうけ) 聲に騎(の)り 色を蓋(おお)い、

    頭頭上(ずずじょう)に明に 著々上(じゃくじゃくじょう)に妙なることを。

    しかも かくの如くなりと言えども、しばらく道え

    聲、耳畔(じはん)に来るか。耳 声邊(せいへん)に往(い)くか。

    たとい、響寂ならび忘ずるも、ここにいたって如何が話會(わえ)せん。

    もし耳をもって聴かば、まさに會し難たかるべし。

    眼處(げんしょ)に声を聞いて、まさに始めて親(した)し。

【素玄 註】参禅は即してはいけない。

碧巌集の雨滴声(第四十六則)にも衆生は顛倒(てんどう)して物を逐(お)うと書いてある。 爆竹の音や桃の花を見て、悟入することはあるが、すでに禅悟を得れば聲色(せいしょく)を駆使するの妙用がなくてはいかん。

聲が耳にくるか、耳が聲の處へ行くか、即不(そくふ)の妙、さらに眼で聴き、全身で見るのでなければ1人前じゃない。

それはお化けじゃ。それもよしじゃ。

世界恁麼(いんも)に広し。

さあどこからでも聞け・・聞け。

  【頌に曰く】會すれば、すなわち事(じ)、同一家。會せざれば萬別千差。

        會せざれば事、同一家、會すれば萬別千差。

【素玄 註】この頌は同じことを繰り返し、あまり知恵がない。

 禅が手に入れば 万象も我が家に同じ。

 未悟は森羅万象(しんらばんしょう)千差萬別。

 また未悟は未悟そのものも、万象の一員で一家の内・・

 悟れば即ち花紅柳緑(はなはくれない、やなぎはみどり)

 會も不會(ふえ)も同じじゃ。

 世界 恁麼に広濶(こうかつ)なりじゃ。

 

 

 

 

【禅のパスポート】NO15 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

この飯袋子(はんたいす)・・江西湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。

     無門関 第十五則 洞山 三頓(どうざん さんとん)

       【本則】雲門、ちなみに洞山、参する次(つ)いで、

        門、問うて曰く「近離(きんり) いずれの處ぞ」

        山云く「査渡(さと)」

        門云く「夏、いずれの處にかある」

        山云く「湖南の報慈(ほうじ)」

        門云く「幾ときか彼を離(な)なる」

        山云く「八月二十五」

        門云く「汝に三頓(さんとん)の棒を放(ゆる)す。

        明日に至って、却(かえ)って上って問訊(もんじん)  す。

        昨日、和尚に三頓の棒を放すことを蒙(こうむ)る。

        知らず、過(とが) いずれの處にか在る。

        門云く「飯袋子(はんたいす)江西湖南、すなわち恁麼に し去るか」

        山、ここにおいて大悟す。

【本則】素玄提唱 洞山はスラスラとやったが、これに三頓(とん)の棒(一頓二十、三頓六十棒)を放つのは老婆親切じゃ。

それを過(とが)いずれにあるとやったのは心臓の強い男じゃが、これだけ位の心臓がなくては、大事了畢(だいじ りょうひつ。見性徹底の意)は出来ぬのじゃ。

元気のないのは何をしてもアカン。そこで飯袋子(はんたいす)と出たのは至極(しごく)当然。飯袋子とは弁当箱のような奴の意味。アチラコチラうろつき廻るに似たり。ここらは臨済の、大愚の肋(骨)下・築拳三箇(コブシで三回脇腹をつくの意)のあたりじゃ。

さらに破夏(はか)の機縁を要す。夏と云うのは夏季三ヶ月間の接心(せっしん)修禅の期間のこと。

素玄云く 田の面なる水のせせらぎ聞きてあれば、世の憂さとしも思もほえぬかな。 

【本則】修行中の洞山が、雲門老師を訊ねた時、さっそく「素性を赤裸々(せきらら)にされる・・問い」がはじまった。

雲門「何処から来られたのかな?」洞山「査渡(さと)から・・」

雲門「この夏(安居 げあんご)は、いずこに?」

洞山「湖南(揚子江)の報慈山で修行していました」

雲門「それなら、お前さん、何時、その報慈を離れたのか・」

洞山「八月二十五日」

雲門老師は、ここで彼を見切って「それじゃ、六十回(三頓の棒を許す)ぶっ叩こうぞ」

叩かれた洞山、どうして叩かれなければならないのか、訳が分からず夜を明かした。

その思いが募って、憤懣(ふんまん)やるかたなく、頭に血が上ったようになった洞山、あくる日、雲門老師に食って掛かった。「昨日、三頓の棒を食らいましたが、どんな罪科(つみとが)があったのか、叩かれるイワレを言ってください」

雲門曰く「エエイ・・ただ飯食らいの糞造機(ふんぞうき)めが・・アッチコッチをさまよって、そのようにやって来たのか」

その「一語」を聞いて洞山、桶の底が抜けたように見性徹底した。

      【無門曰く】雲門 当時(そのかみ)すなわち本分の草料をあたえて、

       洞山をして別に生機(さんき)をあらしめば

       一路の家門 寂寥(じゃくりょう)をいたさず。

       一夜 是非 海裏(かいり)にあって著到(じゃくとう)して 

       直に天明を待って再来(さいらい)すれば、

       また他のために注破(ちゅうは)す。

       洞山 直下に悟り去るも未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。

       しばらく諸人に問う、

       洞山三頓(さんとん)の棒、喫(きっ)すべきか喫すべからざるか。

       もし、喫すべしといわば、草木叢林(そうもくそうりん)みな棒を喫すべし。

       もし、喫すべからずといわば、雲門また誑語(こうご)をなす。

       者裏(しゃり)に向かって明らめえば、

       まさに洞山のために、一口(いっく)気を出ださん。

素玄 註本分の草料(本来の食糧で禅的鍛練のこと)生機(打発大悟の機をなす)

家門寂寥(雲門宗の不振のこと)是非海裏(棒を放つとは何故かと思案にくれること)

性燥(乾いてカラカラの有り様、怜悧俊敏・れいりしゅんびん)草木云々(素直な答えが不可ならば 草木の自然なるも不可。率直を可とせば 雲門の放すと云うは欺語(ぎご)なり。この辺の事、明らかなれば雲門の悟處と同一となる)飯袋子では大悟と云うも怪しいもんじゃ。

【無門曰く】さすがに雲門宗の始祖・・雲門老師だ。

洞山に、ニッチもサッチもいかない、ギリギリの禅の食い餌(六十棒)を与えて、いっぱしの獅子の子を育て上げたものだ。

夜通し中、叩かれた屈辱に耐えて、雲門に吠え掛かればこそ、

悟ることが出来た。

無門、座下の求道者に問う。

はたして、三頓の棒で叩かれるべきか・・そうでないか。

もし叩かれるとなれば、

宇宙にある総てのモノが痛棒を喫すべし。

そうでないとしたら、雲門、叩けばホコリしか出ないのに、口から出まかせをいう奴となる。

サア・・ここで徹底、カラリとなれば、洞山・・天地同根の禅機、禅境(地)を手に入れたことになる。

   【頌に曰く】獅子、児を教(おし)う 迷子の訣(けつ)。

     前(すす)まんと擬(ぎ)して 跳躑(ちょうちゃく)して早く翻身す。

     端(はし)なく再び叙(の)ぶ 當頭着(とうとうじゃく)

     前箭(ぜんせん)はなお軽く後箭(こうせん)は深し。

素玄 註迷子訣(獅子は進むように見せて翻身(ほんしん)し、イロイロにして子に教える。

      當頭着(洞山も見当がつかず頭を壁にぶちつけた)

      前箭云々(三頓を放つはチョット可愛そうのヨウナもんじゃが、

      飯袋子がグサリと箭(や)がツキこんだようなもの)

      放すと云うて飯袋子と出たところが翻身の處だ。

【頌に曰く】獅子は仔を崖から落とし、這い上がってきて親の足を咬むような仔を育てる・・と、古事にある。蹴落とされ、振り落とされても、再び、谷底から這い上がるような、気迫のある・・洞山なればこそ、初めは見当もつかず壁にぶち当たった。けれども、雲門の「飯袋子」の一語が、禅機禅雷、喪心して・・ビリビリ感電死にいたった所だ。

【附記】この飯袋子(はんたいす)・・江西、湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。

*古くからの中國の、人を罵る俗語・・飯ぶくろ(弁当箱)のような、ろくでなし・・が、あっちをウロウロ、こっちをウロウロさまよい歩く・・の意

昔・・中国や日本の、禅に関心のある求道者は、自分のことをよく見極め、適切な指導、鞭撻をしてくれる師(先生・老師)を求め、訪ねて行脚(あんぎゃ)した。

現代の集団的一律教育方式と違い、規則に束縛されない専修、研究生活とでも言いますか・・学生である自分が納得できない師(先生)であれば、遠慮なくサッサと見切って、次の、自分が信頼するに足る師を探す旅(行脚・アンギャ)に出た。気に入れば、何年、何十年でも、師の傍らに自炊、縁の下にでも寄宿して、その薫(訓)風に染まったのである。

私は提案したい・・高校・大学は、それぞれの学生が何を学びたいか・・将来、なにをしたいのか・・求道ならぬ「求学者」として、自由に特色ある学校を選ぶことができ、先生や教授と、その勉学の仕組みは、それぞれ学生が選んで学ぶ形にして、真に厳しい中で切磋琢磨する・・SYSTEMが出来るように・・と願っています。

人生・・どんな仕事について苦労しようと・・どんな苦労も役には立ちますが、ただ勉強しなかった悔いは死ぬまで残ります。

とにかく、現代の教育の仕組みは、文科省の管理下におかれて、完全に利権化しているのはいけません。昔,求道者が師を選んだ・・「学びと教え」の基本に返ることが大事でしょう。寺小屋、松下村塾がモデルでしょうか。教育は・・

学生主体の「学・問」と「手・間」をかけるものであってほしい!

教育は求学者主体の・・独立独歩、よき師を求めて集合離散し、求学者自身が納得する師(先生)について、切磋琢磨する・・学問は文字通り「学びと問い」・・それと労力と時間「手・間」をかけることが大事でしょう。江戸時代に出来て、現代に出来ないことではないでしょう。

禅のパスポートNO14 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

      無門関 第十四則 南泉 斬猫(なんせん ざんみょう)

     【本則】南泉和尚 ちなみに、東西の両堂 猫児(みょうじ)を争う。

      泉、すなわち提起して云く

      「大衆(たいしゅ)道(い)いえば、即ち救わん。

       道いえずんば、即ち斬却(ざんきゃく)せん」

       衆 對(こた)うるなし。泉 遂に是を斬る。

  晩に趙州 外より帰る。泉 州に挙示(こじ)す。

  州 すなわち履(くつ)を脱して頭上に安(あん)じて出(い)ず。

  泉云く なんじ、もし在(あ)らば、すなわち猫児(みょうじ)を救(すく)いえん。

【本則】素玄提唱 猫の子が走っても転んでも問題でないのに ヒマな坊主共が騒ぐので、南泉もノコノコ出てきて猫の子をブラ下げたのじゃ。

サア一句道(い)えと云うことになった。コンナ映画の実演のような所へ出て行って、どんな句を道えと云うのだろうか。

的なきに喋(しゃべ)れと云うようなもんじゃ。的がないから小唄童謡、この頃じゃから軍歌でも何でもよい、拳をあげても、筋斗(キント もんどり)しても、何か芸当をすれば猫児は活かしておく。

南泉の禅、血滴々じゃ。

憾(うら)むべし両堂の僧、一語なし。

南泉スパリと切った。猫はギャーと云って死んだ。南泉 斬猫をもって この公案に答えた。

公案を円(まどや)かにしたのじゃ。

この公案には猫の霊が憑(つ)いているのじゃ。

趙州が草履を頭にしたのは頗(すこぶ)る意を得たり。

この芸当はやはり趙州じゃ。俳句のいわゆる動かぬ處じゃ。

この活作略(かっさりゃく)は絶倫(ぜつりん)。

ここが撃石火(げきせっか)じゃ。

草履を頭にしたのを冠履顛倒(かんりてんどう)などと情解(じょうげ)したらアカン。ここが禅機で発して中(ちゅう)すじゃ。中せざれば禅機ならず。

南泉は 猫騒動の時に お前がいたら猫の命も助かったろうにといっている。お互いに見当はついているのじゃ。それだから趙州が南泉の話を聞くと 自然に手が草履の處へいって自然に頭に載せて 自然に出て行ったのじゃ。思慮計較(けいかく)が微塵(みじん)もないのじゃ。猫もなければ南泉もない、この活作略は趙州独り舞台じゃ。狗子佛性(くすぶっしょう)の無と同じで さらに活発な働きじゃ。

この辺の味が禅じゃテ。

素玄曰く(両堂 猫児を争うのに対して)

 五歩あるいは三歩。 

 (趙州の活作略に対して)火事だ、火事だ、

  お寺が火事だぁ。エッサッサ。エッサッサ。 

【本則】中国池州 南泉山 普願老師の禅院で、東西に分かれている僧堂の何百人の求道者たちが、倉の大切な米穀をネズミから守る一匹に猫をめぐって、所有権の罵りあい、大喧嘩になった。

何の罪トガもない猫の奪い合いに、この求道者たちを仕切る南泉老師。やむをえず、包丁片手に登場して、猫の首を捕まえて吊るし上げて云った。「サア・・誰でもよい、一句、道え。そうすれば猫は助ける。云えないなら、ぶった切る」・・と。

この禅機ハツラツ・・的なきに矢を射れ・・とのご宣託に、並み居る大衆(求道者)平常は無所得即無尽蔵の悟り顔で、托鉢したり経を上げたりしているのに黙り込んでしまった。(何か、下手な芸当でもして猫の命乞いをすればいいのに、南泉の禅・・血滴々とホトバシル)・・やむなく南泉・・スパリと猫を斬った。

その夜、帰ってきた趙州が、この話を聞いて草履を頭にして出て行ったのは まことに自然の行為。猫もなければ、南泉もない。思慮、分別が微塵もない無造作の働き・・さすが趙州の独り舞台だ。           *この辺の味が禅だな・・(ここまで素玄居士の見解ソノママ)

【無門曰く】趙州の、草履を頭にのせて出て行った禅機を、喝破したら、南泉の令「道いえば斬らず」の禅機も納得できよう。

草履なんかに目をつけていたら・・もう駄目だ。

アブナイ、アブナイ。お前さんまで斬られるぞ。

  【無門曰く】しばらく道え、趙州 草鞋をいただく意、作麼生(そもさん)。

   もし、者裏(しゃり)に向かって一転語(いってんご)を下(くだ)しえば、

   すなわち南泉の令(れい)、みだりに行(ぎょう)ぜざることを見ん。

   それ、あるいは いまだ然(しか)らずんば、険(けん)。

【無門曰く】素玄 註 趙州の禪機を勘破(かんぱ)したらば、南泉の令、道いえば斬らずの禪機もわかるのじゃ。そうでなかったら猫ばかりか君も斬られるぞ。アブナイ、アブナイ。草履に目をつけていたらダメじゃ。けれども草履を頂いたのは天衣無縫(てんいむほう)じゃ。

【頌に曰く】趙州が、もし、その場にいたら、逆に、南泉の包丁を奪い取って、南泉が命乞いしたことだろう。(無門、南泉の命乞いの場・・一目、見たくてたまらないようだ)

 【頌に曰く】趙州 もし在らば、倒(さかしま)にこの令を行(ぎょう)ぜん。

  刀子(とうす)を脱却(だっきゃく)せば、南泉も命を乞わん。

【頌に曰く】素玄 註 奪却云々(趙州その場にあらば南泉の刀を奪わん)南泉乞命は無門の癖らしい。

【附記】碧巌録では、第六十三則「南泉斬却猫児」(なんせん ざんきゃく みょうじ)と第六十四則「趙州頭戴草履」(じょうしゅう ずたい そうあい)の話は、無門関、従容碌で明らかに連続した説話として記述してある。

碧巌録(雪賓重顯)は、南泉普願の禅機と趙州従諗の禅機を、別々に意見するために、二話の公案としたようだ。

この南泉斬猫の則・・殺生を厳禁する仏教寺院で、戒律に厳格な南泉老師の一刀両断の行為は、大乗律に合わない話・・であるのに、後世の禅者達は、ことごとく南泉の行為を肯定している。

しかし・・私(の意見)は少し違う。いかに血みどろに東西の僧たちが喧々諤々(けんけんがくがく)猫の取り合いをしているから・・といって、南泉は趙州を含めて数百人の弟子を持つ達道の禅者である。まして猫は、今の愛玩動物とは異なり、米穀をネズミなどから守る大事な役目をもっている。それを、ワザワザ、台所の包丁を隠し持ち、争いの真ん中に分け入って、何か、至道、禅機の芸の一つも見せてみよ・・とは、どうも、ドサマワリの芝居ががっていて胡散(うさん)臭い。この猫の血祭り公案は、どうも後世のデッチアゲに思えてならない。

古来、この問答は難透と言われる。南東か北東か知らないが、坊さんの長たる南泉が猫を切ると大声で宣言しているのだから、誰かその袖にムシャブリツイテでも包丁をもぎ取ってほしかった。

他、無門関 第四十一則 達磨安心(慧可断臂)ともに、後世、参禅を密室の参事とした僧堂・師家に意見できなかった、寺僧たちのテイタラクこそ禅が廃れる元凶となったと思います。

*この詳しくは、碧巌録の六十三則=六十四則で述べた。

ここでは、素玄居士の見解を尊重しておきます。

 

禅のパスポートNO13 提唱無門関(素玄居士)復刻意訳

              無門関 第十三則 徳山托鉢(とくさん たくはつ)

    【本則】徳山 一日托鉢して堂に下る。

       雪峯に、この老漢、鐘いまだ鳴らず、

       鼓(く)いまだ響かざるに托鉢して、

       いずれのところに向かって去ると問われて、

       山すなわち方丈に帰る。

       峯、巌頭に挙似(こじ)す。

       頭云く、大小の徳山いまだ末後の句を會せずと。

       山 聞いて侍者をして巌頭を喚び来たらしめて問うて云く。

       汝 老僧を肯(う)けがわざるか。

       巌頭、密(ひそ)かにその意を啓(もう)す。

       山すなわち休(きゅう)しさる。

       明日陞座(みょうにち しんぞ)。

       はたして尋常(よのつね)と同じからず。

       巌頭、僧堂の前に至って掌(たなごころ)を打って大笑して云く。

       且喜(しゃき)すらくば老漢、末期の句を會(え)することを得たり。

       他後(たご)天下の人 伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。

本則素玄提唱 徳山が雪峯にやりこめられて 直接 自室にかえったのも禅機じゃ。禅機は喝したり棒したりばかりではない。日常 無為の間にもある。黙して帰っても、フンフンと云うて帰っても、ここに徳山の機略がある。

雪峯もそこまでは見届かぬのじゃ。

この勝負は勝ちと思ったかどうか、仲間の巌頭(がんとう)にこのことを話したのじゃ。巌頭は一枚も二枚も上手(うわて)で この徳山、雪峯の商量(しょうりょう)に乗り込んで一句を添えたのが、大小の徳山未だ末後(まつご)の句を會せずじゃ。

大小とはありふれた、普通のという意味で、そこらの徳山も、まだドン詰まりの處を一句することが手に入っていないワイというような意味じゃ。(末後の句を禅の極所として解してはいかん。極所とすべきなしじゃ。禅機を打発して凝滯(ぎょうたい)なしでドン詰まりの時に用うる一拶じゃ)

それで徳山も巌頭を呼び寄せて、お前は俺の禅に納得していないのだナ、とやった。巌頭はチョットお耳拝借と云って何かコソコソした。徳山もエエ仕方がないワイと云って済ましたのが休し去るじゃ。サア、この末後の句とは何かナ。禅者は時折りにこんなイタズラをして興ずることがあるのじゃテ。禅者は生々溌剌(せいせいはつらつ)であって、しかも無為の閑道人(ヒマどうにん)じゃから、ワルサでもしなければ退屈で仕方がない。

公案にも、こんな芝居は大分ある。

サテ、翌日、徳山が高座に上がって喋つたが、はたして平常とは違っている。

ト、ここでは書いてあるがこの辺のことは チト怪しいテ。これも芝居の内じゃ。巌頭は僧堂の前へ出て行って大笑して、マズマズ爺さん(徳山)も末後の句が解ったらしい。あの人も今後、天下の何者もどうすることも出来んじゃろうテ・・ト、云った。

 

碧巌集の雪峯是什麼(せっぽう これいんも 第五十一則)に 巌頭の「雪峯は我と同條に生きるも、我と同條に死せず。末後の句を識らんと要すれば・・ただ この是れ」とある。

ここらで末後の句を玩味(がんみ)しなくちゃいかん。

雪賓(せつちょう)のこの則の頌は「末後の句 君が為に説く、明暗双々底の時節、同條に生きるも また共に相知る、同條に死せず 還って殊絶(しゅぜつ)なり、かえって殊絶す。黄頭碧眼すべからく甄別(けんべつ)すべし。南北東西 かえりなん いざ、夜深うして同じく看る千巌の雪」とある。

同條生不同條死、同じく看る千巌の雪か。

末後の句は禅機じゃ。禅を得れば祖佛と同じじゃが、禅の生々たる流露は、禅機で自ら風景を異(こと)にす、である。俱胝(ぐてい)のような指一本もあれば、趙州のような舌頭骨(ぜっとうほね)なきもある。巌頭のは末後の句で、これがあるのとないのとで、同條に生きるも同條に死せず、とやっている。

「ただ この是れ」のことじゃ。

こんな具合にこねくり回すのも禅機の妙で、徳山も これには平常の棒が出なかった。末後の句と徳山の棒といずれぞ。

夜深うして同じく看る千巌の雪じゃ。

巌頭はシタタカもんじゃから、甘いことを云うかな。

雪賓の文を用いる また頗(すこぶ)る巧妙じゃ。

素玄 曰く泥棒にはカギをあたえよ・・ 

【本則】ある日、徳山宣鑑・・食事時でもないのに、自分の茶碗と箸を持って、ひょっこり食堂に姿を現した。そこに居合わせた料理長、雪峯義存に「まだ、食事の案内、合図をする時間じゃないのに、何をウロウロされますか」と注意された。

徳山、うなだれて自分の部屋(方丈)にもどった。

*徳さん、雪峯にやり込められ、自室に帰ったのは禅機。

得意の三十棒が出なくても、雪峯は徳山老師の性根、極所を見届けていない。

この件を、万事仕切り役の巌頭全豁に報告したところ・・巌頭いわく「いつも腹ペコの徳山老師だ。まだまだ、禅の極所をとらえていないな」と決めつけた。

(この雪峯、徳山の商量に相乗りした巌頭、ナカナカの禅者です)

三昧(正受)が禅の極所であるとか、極所などない・・のを打発しての一句だと、ズタズタに切り刻んでも、無花の香りは発見できない。

徳山、これをまた聞きしたので、巌頭を呼んで「ワシのやった行動を否定するのか」と問うた。すると巌頭、お耳を拝借・・と、耳元で何かささやいた・・徳山 お得意の三十棒をすっかり忘れて「ナルホド、それなら致し方ない」と納得して寝てしまった。

あくる日である。求道者を集めて、徳山の禅話が始まろうとした時、巌頭、手を打って大笑いしながら言った。

「イヤア・・喜ぶべき出来事だ。あの徳山老師、末後の一句ワカラレタようだ。これからは徳山老師に、もう誰も手出し、ご意見できないよ」

【無門曰く】こりゃ、ご臨終の「末期の一句」ではなく「見性・禅機の末後の一句」と題した・・一幕物の田舎芝居だね。二人とも操り人形だ。巌頭、徳山、ともに末後の一句、わかってはいないと叱りつけた無門。さあ、しっかり坐禅して納得すればいいが・・

    【無門曰く】もし是れ末後の句ならば、

     巌頭、徳山ともに未だ夢にも見ざることあり。

     検点(けんてん)し將(も)ち来ればよし

     一棚(いっぽう)の傀儡(かいらい)に似(に)たり。

 無門曰く素玄 註夢にも云々(巌頭、徳山共に末後の句を知らず・・とドヤシつけたのは無門の見識じゃ。末後も犬のクソもあるもんかとやったのじゃ。しかし、ここは文句の通りにばかり見てもいかん。裏もあり表もありかネ)

一棚の傀儡(かいらい)同じ人形芝居の役者たち、ツマリ同じ穴の狸のこと。どうも無門の末後の句はハッキリせぬ。無門も手が届かぬらしい。圓悟はこれに言及していない。

末後の句、天下に知る人 鮮(すくな)し。

【頌に曰く】無門の見性の一句はさておき、末期の一句はどうもアヤフヤ・・はっきりしない・・末期の句を会(え)する人は、本当に少ない・・(と、素玄居士は提唱で指摘している)

無門慧開 天龍和尚に参じ、後、月林禅師のもと、狗子佛性の公案を6年間粘弄、ある日、太鼓の音で省悟。重ねて雲門話堕の則を聞かれて拳をあげた。林は、これを見届けて印可したという。無門は、平常、頭髪茫々、人々から開道者と呼ばれていたソウナ。

   【頌に曰く】最初の句を識得すれば、すなわち末後の句を會す。

         末期と最初と、これこの一句にあらず。

頌に曰く素玄 註。無門は末後の句を會せずじゃ。

【附記】禅は「今、ここに」に生活する・・中にしか発現しない。

だから・・何時、どこで、誰が・・は深く問わない。何ごとを、どのようになしたか・・これを自分の境地として、どれほど深く味わうことができるか・・

いわゆる「禅境(地)を楽しむ」のである。

ただ、心落ち着かず、不安や悩みに苦しむ・・安心を求めたい人が、ふと、坐禅でもしたい・・と、思った瞬間・・その時だけ・・ZEN=禅が姿を現したと言ってもよい。

(たいてい、禅の効用、利用価値を考えてしまうので、純禅=自分の無価値・無功徳な姿は、すぐに消え失せてしまう・・)

たったの3分間・・独りポッチ禅をする時、私は、碧巌録か、無門関に、気ままにページを開いた一則を看ることにしている。

千年前の、それこそ現代の文明文化から比較すれば・・何もない、貧しく不便な禅者たちの生活ではあるが、明らかに禅者の世界がイキイキと出現する。

達道の禅者たちは、生々溌剌に「禅ニヨル生活」を楽しんでいるのだ。