禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆女人出定(無門関 NO42)・・ドッチもどっちだネ!

禅のパスポート 無門関NO42    

      女人出定(にょにん しゅつじょう)第四十二則

      【本則】世尊、昔、ちなみに文殊もんじゅ)、諸仏の集まる處にいたって、

         諸仏おのおの本處(ほんじょ)に還(か)えるにあう。

         ただ一(ひと)りの女人あって

         かの佛座に近づいて三昧(ざんまい)に入る。

         文殊すなわち佛に白(もう)して云く、

         何ぞ女人は佛座に近づくことを得て、我は得ざる。

         佛、文殊に告げたまわく、汝 ただ この女を覚(かく)して

         三昧より起(た)しめて、汝みずから これに問え。

         文殊 女人をめぐること三匝(そう)、指を鳴らすこと一下(げ)して

         すなわち托(たく)して梵天(ぼんてん)に至って

         その神力を盡(つく)せども出だすこと能(あた)わず。

         世尊云(のたまわ)く、

         たとえ百千の文殊もまた 

         この女人の定(じょう)を出(い)だすことを得じ。

         下方(げほう)一十二憶河沙(がしゃ)の国土を過(す)ぎて

         罔明菩薩(もうみょうぼさつ)あり、よくこの女人の定を出ださん。

         須臾(しゅゆ)に罔明大士、地より湧出して世尊を礼拝(らいはい)す,

         世尊、罔明に勅(ちょく)す、

         かえって女人の前に至って 指を鳴らすこと一下(いちげ)す。

         女人 ここにおいて定より出ず。

【本則】世尊、昔 ちなみに文殊、諸仏の集まる處に至って、諸仏各本所にかえるにあう。ただ一女人あって、彼の佛座に近づき三昧に入る。文殊すなわち佛に白(もう)して云く。なんぞ女人の佛座に近づくを得て、我は得ざると。佛、文殊に告げて、汝 ただ この女を覚して三昧より起(たた)しめて汝自(みずか)ら之に問え。文殊 女人をめぐること三匝(さんそう 3回り)、指を鳴らすこと一下(回)して、すなわち托(たく)して梵天(ぼんてん)に至って、その神力(じんりき)を盡(つく)せども出だすことあたわず。世尊云く、たとえ百千の文殊もまた、この女人の定(じょう)を出だすことを得じ、下方一十二億河沙(がしゃ)の国土をすぎて、罔明(もうみょう)菩薩あり、よくこの女人の定を出ださん。須臾(しゅゆ)に罔明大士、地より湧出(ゆしゅつ)して、世尊を礼拝(らいはい)す。世尊 罔明に勅(ちょく)す。

かえって女人の前に至って指を鳴らすこと一下(いちげ)す。

女人ここにおいて定より出ず。

素玄居士提唱 これは人情劇じゃ。人情と云うと金や女に限らず 総じて執着が元じゃ。執着を女人に仮想して、人情劇が持ち上がったのに対する禅者(世尊は禅者だ)の処置で、禅者は事物に拘泥せず執着がない。けれども人情劇の中に飛び込んで、それをどうするという力もない。

禅者には金もなければ就職口のストックもない。

人情劇にはカラ意気地のない傍観者以上でありえない。けれども彼は虚明(きょめい)にして、執着がないから よく高所大局をすることができる。だから自然に落處を知る。落ち着く先がわかる。適当な意見、可能な処置をつける。

それがうまく行くかどうかはわからない。

それがわかれば禅者はこの世の神様みたいなもんじゃ。

うまくゆかなければ又その時のこと。深く拘泥することなしじゃ。これが禅者の処世人情策じゃ。世尊もここで この策をとって、まず文殊の無能を示した、智慧第一の文殊の理知や道理一片では處世にも人情にも、何の役にも立たぬことを教えたのじゃ。執着妄想に凝り固まっている人情劇には、人情の奥底を喘ぎ暮らした分別男の話でなくては始末がつかぬのじゃテ。下方十二憶の河原の石コロの中に、ゴロゴロしているような平凡俗愚の人間でなくては解結がつけれれぬ。世尊はそんな人間を見つけて連れてきて、人情劇の始末をさせたのじゃ。罔明が女を連れだして口説いたか、慰めたかはわからぬが、要するに處世人情に対しては 禅者は自分では何の力もない、ただ大局を達観し落處を知り、意見を述べて他をして処置させる位のもので それがよければよし 悪ければわるいでもよしじゃ。これ以上の力はない。力があるなどと自惚れたら地獄に真っ逆さまじゃ。ここらが處世観じゃ。そこの處に禅機がある。ここの禅機をスパリと掴かむのがこの公案じゃ。それが掴めたら禅者の處世もナルホドナアと、あきれるじゃろうサ。さあ素玄曰くを見よ。

素玄云く 強に遭(お)うては 弱、

       弱に遭うては 強。

        【無門曰く】釈迦老師 この一場の雑劇(ぞうげき)をなす。

              小小(しょうしょう)に通ぜず。

              しばらく道え、文殊はこれ 七佛の師、

              何によってか 女人の定を出だすことを得ざる。

              罔明は初地(しょち)の菩薩、

              なんとしてか かえって出だし得る

              もし者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)し 

              親切ならば 業識(ごっしき)忙忙(ぼうぼう)たるも

              那伽(なぎゃ)大定(だいじょう)ならん。 

【素玄 註】ここでチョツト前に書き落としたことを附けておく。諸佛おのおの本處に還えるとは、善知識はみんな自分の本據(きょ)がある。厳(いか)めしい城郭のようなもんじゃろか、近づきにくい處があるのじゃ。軍人風とか学者風とか、金持ち面、道徳面など等じゃ。女人が世尊の傍(かたわ)らにヘバリついたのは、禅者にはコンナ城郭がない。廓然無聖じゃ。誰でも近寄ることが出来るのじゃ。入るを拒まず去るを追わずじゃ。しかし諸佛の方では人情が入り込むと逃げ出すものと見える。

金でも貸せと云われはせぬかと心配するのじゃろう。

諸佛もずいぶん肝っ玉の小さい奴どもじゃ。 

小小を通ぜず(少々の工夫じゃわからない)那伽の大定(那伽は大、また龍ともいう。大定は禅の即するなきの意。

世態人情の忙々(ぼうぼう)たる中にあって大定を行ずの意。

【無門曰く】釈迦に纏わりつく女人・・少しの坐禅や工夫している禅者では、座を立たせることすらできない。文殊菩薩は七佛の師(ビバシ佛、シキ佛、ビシャフ佛、クルソン佛、クナゴン牟尼佛、迦葉佛、釈迦牟尼佛)と言われるが、どうして女人の定に疎(うと)いのか。居並ぶ諸仏、それぞれの思惑、算段ありすぎて(愛だの慈悲だの・・無関心の仏頂面に愛想がつきた)女人である。釈尊(禅者)には、何の計らいもないから、警戒心がなく誰でも何でも近寄ってくる。しかも去るを追わないから未練もない。

罔明菩薩は、役立たずの禅にヒタスラ片思いする純な輩だから、女人も疑わない。

真の禅者とは・・痘痕(アバタ)も笑窪(エクボ)の、世渡り人情の喧騒の中にあって、「エクボもアバタ」の・・どっちもどっちの「禅による生活」を行ずる(風流の)人・・をいう。

          【頌に曰く】出得不出得(しゅっとく しゅつふとく)

                かれ儂(わ)し、自由を得たり。

                神頭(じんず)ならびに鬼面(きめん)

                敗闕(はいけつ)は 當(まさ)に風流。

【素玄 註】出るも出ぬも渠(かれ)は渠。儂(わし)は儂で共に自由を得た。この渠、儂を女人と罔明とするは誤まりならん。出得不出得を指すとす。

お神楽の鬼の面でも神の面でも勝手に出す、敗闕は失敗で 文殊、無能なことも笑止々々。

ただし禅では敗闕も嫌うていの法ならずじゃ。

【頌に曰く】定(禅の即するなき境地)を出るも出ないもない。彼は彼、私は私で共に自由だ。この彼を女人とし私を罔明とするは大きな誤りだ。禅者は出すときは、鬼の面でも神様の面でも自由に出す。文殊の失敗は「痘痕も笑窪」を「エクボもアバタ」と云ったことだ。だが、これも風流・・笑わば 笑え。

【附記】文殊の失敗・・笑窪(えくぼ)も痘痕(あばた)・・

     罔明菩薩・・アバタもエクボ!・・

      ドッチもどっちの菩薩サマだネ!

世尊・・仏陀・・釈迦牟尼仏の事。文殊菩薩智慧を代表し、観世音菩薩は慈悲を表現した姿。

罔明は無明(無知)の意。とにかく、沢山の悟りの段階に応じた名前付けをしていますが、例えですから知らなくて結構の・・仏教用語です。

三昧(ざんまい、地/サマージ)禅定の世界の意。

女性の坐禅・・釈尊の最初の女性の弟子は、ヤソーダラー(妻)・・尼さんのはじまりです。

(追記・・息子ヤーフラも後年、弟子となります)

 

悟りとか見性とか・・名前なんぞどうでもよい。 素玄の一語、領得できたかな?

禅のパスポート 無門関NO41  

達磨の面壁禅・・しかも、タッタの「三分間独りイス禅」を提唱する私にとって、昔・・神田の古本屋で「提唱 無門関」著者 素玄居士(高北四郎/東京市池袋2丁目/昭和12年8月発行・発行 狗子堂、絶版132頁)の小冊子を発見、手にできた喜びは、第36則「路逢達道」の公案、頌のとおりでした。

この達磨の則に、素玄居士 緒言の一節を前後を略して書いておきます。詳細は第三稿 冒頭に紹介します。

◆禅は学問ではないので講釈(解釈)すべきなしだ。ただし、ひねくりまわして見せるだけじゃけれども、極所に到る道筋は、いくらでも話すことが出来る。

今時の贋老師など話して差し支えのないことを神秘めかす。

本書は筆舌しうるドンヅマリまで書いておいた。そして 各公案ごとに「素玄曰く」を附けた。提唱(禅者が我が意のままに)する以上、その公案が透っていなければ出来ないことじゃ。

提唱者は評とか頌とかで見せなければ値打ちがワカラン。

この頃の提唱にそれは無いようじゃが、それは卑怯で つまり未悟底なのじゃ。この素玄曰くは正札をブラ下げて店先に並べたのじや。たいして値打ちがないので恥ずかしい限りじゃが、本にした以上、これが責任じゃ。

高いか安いか曝し物じゃ。

頌としなかったのは、文体の自由を欲したからである(後略)

      達磨安心(だるま あんじん)第四十一則 

     【本則】達磨 面壁(めんぺき)す。二祖雪に立つ。

         臂(ひじ)を断って云く、

         弟子 心いまだ安からず、乞う師 安心せしめよ。

         磨云く、心をもち来れ、汝がために安(あん)ぜん。

         祖曰く、心をもとむるに、ついに不可得。

         磨云く、汝が為に安心しおわんぬ。

【本則】素玄居士提唱 達磨は南インド香至国の第三王子・・

当時、釈迦より二十七代の禅者、般若多羅(はんにゃたら)尊者あり。ある時、宮中に召され無価の宝珠を授けらる。尊者、王子を試さんとして、世にこの珠に優るものありやと問う。

達磨この時七才、答えて曰く「この珠は世宝なり。最も尊きは心宝なり」と。尊者、驚嘆して請うて弟子となす。その後、修行する事四十年、法を嗣いで二十八祖となり、次いで支那に渡り、梁の武帝との問答あり。碧巌集の第一則なり。のち嵩山の少林寺に入りて面壁し、この間に本則のことがあったのじゃ。

二祖が臂(ひじ)を断ったとは、すこし酷(ひど)すぎる。ある書によると、当時、腕を斬られた盗賊が横行していたとのことで、それらと混雑したのかも知れない。

心を求むるに不可得か可得かどうか、読者自ら試みよじゃ。 

精神を精神することは出来ないのじゃから、不可得となるが、それを直に悟入としたら、二祖の安心もおかしなもんじゃ。

不可得のことが理解せられるのではいけない。

この不可得の心を領得するのが、ここに二祖のいう不可得なのじゃ。達磨は、そこのところを安心としたのじゃ。不可得なることを直接に領得するのじゃ。

公理や定理を援用する幾何学の証明では役に立たぬ。

二祖はそれを直接にした。

直接にしてみたが、それはそれまでのことじゃ。

達磨に、それが悟りだと云われたので、ハハア、これが悟りなのかと云うことになったのじゃ。悟りの名はどうでもよい。

名前をどうつけたところで、悟入のことに変わりはないし、名前によって悟入のことを彷彿(ほうふつ)することもないのじゃ。

素玄云く「空室 人を見ず、坐具凹(へこ)むこと 寸・々・々 (凹―心・凹―無・凹―心)

     【無門曰く】無門云く、缺歯(けつし)の老胡(ろうこ)

          十万里 海に航(ふなわた)りして、特々として来たる。

          謂(いつ)つべし、是れ風なきに浪を起こすと。

          末後に一箇の門人を接得(せっとく)するに、またかえって六根不具。

          咦(いい・わらうの意)、謝三郎(しゃさぶろう)四字を識(し)らず。 

 【素玄 註】訣歯云々(歯の抜けた老人、達磨を指す)風なきに云々(禅などという煩(うるさ)いことのなかったのに、禅を持ち込み)六根不具(片腕のない不具)咦(語意を強む、笑う態)謝三郎云々(謝三郎は漁師のことなりと、四字について定説なきに似たり。4個の文字となすは いたずらに疑義をうみ 文章をなさず四の字の義とすべし。漁夫 自分の名の三郎の三を知るも四を識らずの意とせば、禅機に洽當(こうとう)し通ずるに似たり。三を得て四に及ばずか)

【無門曰く】遠くインドの地から、海路、中国に、呼ばれもしないのに「禅」を持ち込んできた、歯抜けの老人・・ダルマさん。

まるで、幽霊が実在するかのような騒ぎになってしまったぞ。

たった弟子一人の引導を渡したが、そいつは両足がないのじゃなく、片腕がない奴だった。ハ・ハ・ハのHA!だな。

昔、三郎と言う名の漁師がいたが、四つまで数えられなかった。

いっそのこと「三四郎」と名付ければ良かったろうに・・

      【頌に曰く】西来(せいらい)の直指(じきし)、

           事は嘱(しょく)によって起る。

           叢林(そうりん)を撓聒(にょうかつ)するは、

           元来(がんらい)是れ儞(なんじ)

 【素玄 註】達磨 西来して支那にきたり、直指人心 見性成仏を説き、釈迦の迦葉に対するが如く、大法を二祖に附嘱(ふしょく・タノムの意)す。禅を統括するは元来 達磨。

【頌に曰く】釈尊直伝の安心の禅・・直指人心・見性成仏(禅)を引っ提げて、ハロバロ中国にやってきた達磨さん。禅の寺僧を統括するのは、達磨さんのはずなのに・・

【附記】悟りの名前なんぞ、どうでもよいのです。

大事なのは・・素玄居士の一語=坐具が凹むこと・・領得できましたか?

凸凹を「心」として、それにコダワル。理解したと錯覚するのは、鼻先にクソブラサゲテ屁元を探す阿呆のすること(澤木興道)・・思考の文字・言葉に、何度も何度も騙され、裏切られる・・執着・コダワリです。人とは「業」深き、悪臭無限のいきものですナァ・・

*たしか国宝(京都国立博物館)に雪舟「慧可断臂の図」があります。嵩山少林寺に面壁九年の坐禅三昧の当時、達磨の弟子は十人もおりません。その大事な慧可(42才)の入門に、抗生物質も、痛み止めもない、昔々、ひじを切るまでしなければ、入門を許さなかった達磨さんなら、私は「はるばる海路でインドから来た、達道の禅者」と認めません。この臂ヒジ切断の行為を「佳きかな、法の為に形を忘する」・・激しい求道心として讃辞する僧堂師家がいますが、私は否定します。

*素玄居士の云うように、当時は、世情は乱れ、強盗横行の時代です。安心を求道し、悩み苦しみ、目をギラギラ血ばらせて、雪中に平身低頭して入門を願う(ナリフリかまわぬ・・形を忘れた)求道姿は、片腕を斬られた盗賊のように見えたことでしょう。

暑いインドと違い、寒い少林寺の達磨さんは、アタマから毛布をかぶって、ひげも剃らずの画像があります。師が毛布をかぶって坐する前に、弟子が雪中に臂を切って教えを乞うなど、達磨を精神異常者に仕立て上げてはなりません。

達磨の面壁禅は、邪教として再三、仏教僧侶に毒殺されかかった伝があります。

禅者は、求道者の歩く姿や、立ち居、振る舞い(言葉入らず)で 素質・禅境を見抜きます。

ハッキリ、達磨を誤解している教導である・・としておきます。

*併せて・・無門関 第十四則 南泉斬却猫児(碧巌録 第六十三則/第六十四則 趙州頭戴草鞋)東西の僧堂の求道者が、米倉を守る大事な猫を取り合う騒動で、南泉普願(748~834)と弟子、趙州従諗(778897)の、猫斬り問答に異議ありです。

玄宗皇帝と楊貴妃の時代・・禅が、圧政を逃れて深山幽谷に潜んだ、最も「純禅」に徹した頃の・・最も優れた禅者、南泉と趙州の逸話です(他に百丈懐海や潙山霊裕、黄檗希運などの時代)

ワザワザ包丁を隠し持って大衆の前に立ち、禅機発露のチャンスとばかり、一匹の猫を掲げて、道い得れば、是を斬らず・・とは。

さすが南泉、道のために猫斬りの殺生も辞さない禅者である・・と、お偉い?提唱のご老師が云うのに、あきれ果てます。ドサマワリの三文芝居よろしく、後の僧侶の手で脚色・演出されたことは明らかです。

ただ一人、柳田聖山著「禅の山河」発行・禅文化研究所で、猫斬り事件を、南泉、冷や汗もので反省していると庇っていますが、馬祖道一に叩き上げられた南泉です。台所からワザワザ包丁を隠し持ち、殺生の立役者になるほど舞い上がった禅者ではありません。

百丈の弟子、潙山霊裕が登場する公案(碧巌録、第四十則)で、潙山が浄瓶(水差し)を蹴倒して退出する事件があります。もし、潙山がその場に居合わせたら、南泉の包丁を奪い取って、南泉、逆に命乞いをせざるを得ないことになったでしょう。少し禅を齧った者なら、煩悩即菩提。猫斬り南泉の殺生に嫌気をさして、サッサと南泉山から退散したことでしょう。こうゆう粉飾禅を誠しやかに伝えるから禪が滅ぶのです。

素玄居士の(第14則 南泉斬猫)提唱と、説が違いますが同意と覚心しています。

歴史の中には、どうも胡散臭い逸話がよく登場します。また、現代の動物愛護、虐待の観点での話でもありません。ご用心!

はてなブログ「禅者の一語」碧巌録意訳に詳細、記述しております。

妄想(分別知識)不安は迷いの素/安心・ZENは悟りの元・・ひとり独りの表裏に完備されているぞ!

禅のパスポート 無門関NO40  

迷いとは、初めからチャンとある道を見失しなうこと・・(3分間イス坐禅して)見失しなわなければ、迷い途惑(とまど)うことはない

        趯倒浄瓶(てきとう じんびん)第四十則 

【本則】素玄居士提唱 (浄瓶を)呼んで「木の株」となすべからずとは、常人の言うことじゃ。

これでは駄目じゃ。

じゃが、潙山(いさん霊裕れいゆう)が蹴とばしたのは、野狐禅でもやりかねないから、モット手許を見なくちゃいけないが、會下の者じゃから試験するまでもないのじゃ。

しかし蹴とばしは、禅機の内でも一番容易なことで、野狐禅者流がいつも誤魔化す手だから、潙山としてはもう少し気の利いた作略があって欲しいとは思うが、それもまあ、よしとして、潙山も開山当時はこんなもんでもあろうかい。

この話は司馬頭陀(しばずだ)という坊さんで、地理も探り人相も見る人がいて、百丈の處で話するのには、大潙山(だいいさん)という山は、結構な山で千五百人の善智識が住まれるという。

それでは俺(百丈)が行こうと云うと、貴僧は骨の人で肉の人でない。あれは肉山であなたなら千人も集まらぬと云う。

それなら俺の會下にいないかしらと云うので試験することになった。

百丈は侍者に首座(華林けりん和尚)を呼ばせると、頭陀は少し歩けと云う。首座が数歩行くと、之はアカンと落第した。

次に典座(てんぞ・台所役)をしていた(潙山)霊裕を見せると、一見して大潙(山)の主人なりと云う。

このことを首座が聞いて、拙者を差し置いて、典座が住持するのは怪しからんと抗議が出た。

それで百丈は、公平に一山の大衆を試験するとなって、この則が出来たのである。

浄瓶は水さしのこと。禅者は浄瓶でも死蛇でも、なんでもござれで、それをどうあしらうかは規矩(きく、法則・約束事)あることなしじゃ。

  【本則】潙山和尚、始め百丈の會中にあって典座(てんぞ)に充(み)つ。

      百丈まさに大潙(だいい)の主人を選ばんとす。

      すなわち請(しょう)じて首座(しゅそ)と同じく

      衆に対して下語(あぎょ)して出格の者、往(ゆ)くべし。

      百丈ついに浄瓶(じんびん)を拈(ねん)じて

      地上に置いて問を設(もう)けて云く、

      喚(よ)んで浄瓶となすことを得ざれ、

      汝よんで甚麼(なん)とか作(な)さん。

      首座すなわち云く、喚んで木揬(ぼくとつ)となすべからず。

      百丈、かえって山に問う、

      山すなわち浄瓶を趯倒(てきとう)して去る。

      百丈、笑って云く、第一座、山子(さんす)に輸却(しゅきゃく)せり。

      よって之(これ)に命じて開山(かいさん)となす。

素玄云く「瓶口を地にし瓶底を天にし去る」

      【無門曰く】潙山 一期(いちご)の勇、

       いかんせん百丈の圏圚(けんき)を跳(おど)り出でざることを。

       撿點(けんてん)し もちきたれば、重きにたよりして軽きにたよりせず

       何が故ぞ、ニイ(さあドウダの意)

       盤頭(ばんず)を脱得して鐵枷(てつか)を擔起(たんき)す。

【素玄 註】圏圚(分回し・・分度器の意、百丈以上の器量を示さぬ)。重きに便にす(優れた者には余計、便宜にする。それと潙山が台所の道具の盤から解放されたが、住職と言う重い仕事を押し付けられた意図を兼ぬ)

【無門曰く】百丈山で、典座役の潙山霊祐が、これぞ転身の大チャンスとばかりに、水差しをひっくり返したが、百丈の手のひら・・結界を出られないブザマなことになってしまった。優れモノには、一層の便宜だての出世コースに乗せてもらったので、包丁一本、板場の修行は卒業できた。その代わり、千五百人の求道者を仕切る管理、運営の責任者に就かされてしまったぞ。

【頌に曰く】笊籬(そうり)ならびに木彴(もくしゃく)を颺下(ようげ)して

      當陽(とうよう)の一突(いっとつ)周遮(しゅうじゃ)を絶す。

      百丈の重關(じゅうかん)さえぎれども住(とどまら)ず、

      脚尖趯出(きゃくせんてきしゅつ)して 佛麻(ほとけ ま)のごとし。

【素玄 註】當陽云々(明々たる一機略 遮えぎる事なし)。

如麻(禅者 麻の如く群出の意)

【頌に曰く】台所のザルやら、ナンやらかやら、道具一切放り出して、ただ、禅による生活一路をまい進する潙山。百丈も止めようがないようだ。さすが典座の長い経験を生かして潙山(中国、湖南、潭州)で、食イッパグレのない禅者をゾロゾロと輩出しよったぞ。

【附記】浄瓶(水差し)のこと。これを首座は「木の株」とは呼べないと答えた。首座は、何年も、どんな坐禅をしてきたのか・・禅機に疎(うと)い人である。

禅語録には、百丈(山)懐海(720~814)のもとで(潙山)霊裕(771~853)が、火鉢の灰を掘り返して小さな火種を見つけ出す・・問答で省悟する公案がある。

人間である限り、誰でも内面に大機(機縁)の火だねを持っているが、大用(生活、行い)の灯火となるには・・自ら働きだす「今・ここ」の覚知が大事である。彼は、百丈の俗弟子、司馬頭陀(しばずだ)に推挙されて、虎の住む山奥、潙山の破れ小屋に、独り8年間、坐禅に明け暮れている。のちに1500人の求道者が、入れ替わり立ち代わりして 潙山を慕って集ったという。

坐禅の「坐」は、人と人を、土の上に分けて書いてある。これを自分と他人に区分してあると解釈してはならない。あえて言えば「自我エゴ/自己セルフ」自分の感性と理性・自己の分別(ぶんべつ)比較作用・臨済の道う「造作するなかれ」の心を天地同根に融け込ませていく坐相なのだ。

すべては、顔や姿や言葉や形や型式にこだわらず中身(行動)が大事だ。

これこそ・・役立たずの坐禅をすることから芽生える禅機なのである。

潙山は、のちに弟子、仰山に対し「子の正しきを尊ぶ。子の行履(あんり・倫理)を説かず」という。禅で大事なのは見識であり、師、百丈の「一日作さざれば、一日食らわず」の見識の実行を、自らが「火種問答」から発見、大悟した人である。

(のち潙山仰山の師弟で、気品の高い潙仰宗の始祖となる)

 

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はてなブログ 禅のパスポート・・無門関 素玄居士提唱 復刻解訳中

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅の仕方、禅の心禅の話

無門関NO39 「純禅」は問答の釣り針に引っかかった魚でなけりゃ解らない!

禅のパスポート               

    無門関 雲門 話堕(うんもん わだ) 第三十九則

     【本則】雲門 因(ちなみ)に僧問う、

        光明寂照遍河沙(こうみょう じゃくしょう へんがしゃ)と。

        一句いまだ絶せざるに、門、にわかに曰く

       「あに是れ張拙秀才(ちょうせつ しゅうさい)の語にあらずや」

        僧云く「是(ぜ)」

        門云く「話堕せり(語るにおちた)」

        後来死心(こうらいししん 後に黄竜死心禅師)拈(ねん)じて云く

        しばらく道(い)え、

        那裏(なり)か是れ 者僧(このそう)話堕の處。 

【本則】素玄居士提唱 他人の作ったのを云うたからとて それが話堕でない。同じ事をオーム返しにするのは、白隠老漢の常套手段じゃ。話堕は別のところにある。死心がこれを拈じたのは なかなか眼が鋭い。雲門が話堕の處を勘破(かんぱ)したのは禅機俊発(ぜんきしゅんぱつ)じゃ。他人の語を用いて、それに自分の禅機を入れ換えるのは いくらも例がある。

オーム返しじゃが、その実 自分の禅を表現するのに他人の語を徴発するのだ。

「如何なるか是れ 曹源一滴水(そうげんのイッテキ水)」眼云う「曹源の一滴水」。

あるいは、「清浄本然云う 何としてか忽(たちま)ち山河大地を生(しょう)ず」覚云う「清浄本然 云う何としてか忽ち山河大地を生ず」こんなのは話堕でない。

光明云々(うんぬん)の句は張拙が石霜(せきそう)和尚に参じた時、霜云く「功をもとむるに 尚 不可得なり。拙いずれの處よりか来たる」と問うたので、拙 忽然(こつぜん)として大悟し偈を呈した。

「光明寂照河沙に遍し、凡聖含霊(ぼんせいがんれい)共に我が家、一念生ぜざれば全体現(げん)ず、六根わずかに動けば雲に遮(さえぎ)らる。煩悩を断除すれば重ねて病を増す、眞如に趣向(しゅこう)するも また是れ邪、世縁(せえん)に堕順(だじゅん)して罣碍(けいげ)なく、涅槃生死(ねはんしょうし)空華(くうげ)に等(ひと)し」

この第一句を借りたのじゃ。

だが借り物では駄目じゃ。要は自分の肚(はら)から出なくてはならない。本則の工夫は また別の所にある。雲門話堕の用所は また格別に味がある。僧にからまったら了期(りょうき)なしじゃ。

無門が話堕の則で拳をあげて通関したと云うことだが、コイツ素敵じゃ。

この則は難透(ナカナカ悟れない)で南天棒なぞ傍(かたわ)らにも寄れぬ。

素玄云く

「ラジオをきいて念仏することなかれ、

犬の戯(たわぶ)るを見て涙を流すことなかれ」

    【無門曰く】もし この裏に向かって雲門の用處孤危(ようしょこき)、

         この僧 何によって話堕するということを見得せば、

         人天の為に師となるに堪えん。

         もし いまだ明らめずんば自救不了(じぐふりょう)

 【素玄 註】この僧云々(この僧と話堕とは一ならず二三ならずじゃ。それをこんな具合に塗り付ける處が悪辣という奴じゃ。

この僧が話堕したというたら、雲門の用處孤危なるなし。

本則はよく誤魔化される(無門は拳を竪てた)

自救不了(自分が悟ることは終に成らぬ)

【無門曰く】この雲門のオーム返しは危険がイッパイあるぞ。

この求道者の問と話堕には・・よくよく注意して、胡麻化され、騙されるなよ。体得できなければ、悟りは永久に来ないと知れ。

山本玄峰著 無門関には・・この則の雲門の宗旨が手に入らないと、高座で提唱してはならないと言われている・・ソウナ)

       【頌に曰く】急流に釣りを垂(た)る、

            餌を貧(むさぼ)るものは著(つ)く。

            口縫(くぼう)わずかに開けば 

            性命喪却(せいめいそうきゃく)せん。

 【素玄 註】食餌(即、ついてまわったら命がなくなる)處で本則の餌はどこにあるかナ。南に向かって北斗を見る。この頌もよろしいが言事を展ぶるに似たり。

【頌に曰く】雲門は急流で釣りをする奴だ。ナカナカ難しい釣りだけれども、腹のへった魚(求道者)は(釣り針を想わず)すぐにひっかかる。せっかく雲門の釣り針に引っかかり、釣り上げられたのだから、これを機に藻掻き死ぬがよい。南半球で道に迷って、北斗七星を探すようなことをするなよ・・助かる命も助からないぞ。

                           

無門関 第38則 日頃の行いが総て・・ホントに大事だぞ!

禅のパスポート 

無門関 牛過窓欞(ぎゅうか そうれい)第三十八

     【本則】五祖曰く 

         たとえば水牯牛(すいこぎゅう)の窓欐(そうれい)をすぐるが如し

         頭角四蹄(ずかくしてい)すべて過(す)ぎ了(おわ)る

         何によってか尾巴(びは)過(す)ぐることを得ざる。

【本則】素玄居士提唱 窓の外を水牛が通る、頭も脚(あし)も通ったが尻ッポだけ通らぬとは変な話じゃ。禅者は実に奇想天外なことを吐(ぬ)かす。尻尾だけが牛の体から離れたわけでもあるまいし、それが通らぬとは、白昼 人を誑(たぶら)かすというもんじゃ。

けれどもナカナカ味がある秀逸の方じゃ。

尻尾の通らぬ奴は狐に化かされているのじゃ。

尻ッポの通る奴は狐を化(ば)かしているのじゃ。五祖も嘘をついたわけではないが、狐のようなことをする。尻尾をシッカリつかんでいると、牛にひかれて善光寺詣(まい)りじゃ、トンダ處(ところ)に連れていかれる。

那箇勿言不道(なこか いわずと言うなかれ)

素玄云く「子供の喧嘩(けんか)に親が飛び出し、拳(こぶし)を握って コノ餓鬼(がき)と口まで出たが 他人の子供、殴られもせず、スゴスゴ帰って元の陪屋(あばらや)」

ヤレヤレ、尻ッポは透(とお)らん。

   【無門曰く】もし、者裏(しゃり)に向かって顛倒(てんどう)して

         一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)し、

         一転語(いってんご)を下しえば、もって上四恩(かみしおん)を報じ

         下三有(しもさんぬ)を資(たす)くべし。

         それ あるいは未だ然(しか)らずんば、さらに 

         すべからく尾巴(びは)を照顧(しょうこ)して始めて得(う)べし。

素玄 註顛倒(この語が無門の一転語で ここはナカナカよい。顛倒してみたらどうなるかナ)三有(欲界・色界・無色界の三界済度)照顧(尾巴とは何か、よくよく見よ)

【無門曰く】ものごとは、一度、180度、ひっくり返して看るに限る。骨董屋でも、抹茶茶碗はひっくり返して、高台を見てから値決めするぞ。

達道の禅者なら、禅による生活、実践の一語のみ示してみよ。

欲界、色界、無色界、あらゆる世界を解放できるぞ。

      【頌に曰く】過ぎ去れば坑塹(きょうぜん)に堕(お)ち、

            かえり来(きた)れば かえって壊(やぶ)らる。

            者些(しゃしゃ)の尾巴子(びはし)、

            直(じき)にこれ はなはだ奇怪(きかい)なり。

素玄 註過去云々(尻尾が過ぎるとしても、過ぎ去らないとしても禪にはならぬ)奇怪奇怪。

【頌に曰く】もし窓から抜けると、深いタコツボに落ちるぞ。

後戻りは元の木阿弥。バレバレの禅修行が露呈する・・厳しい公案です。

尻尾が窓から通過するにしても、尻尾だけが通過できずに残るにしても、ソンナ牛の尻尾にこだわる禅はいらない。

禅になりようもない牛の尻尾だ。

そこの坐禅三昧(とやらの)お前さん。

牛の尻ッポは・・コリャ 日頃の行いの・・たとえ話だぞ。

はてなブログ 禅者の一語・・碧巌録 意訳中

はてなブログ 禅のパスポート・・無門関 素玄居士提唱 復刻解訳中

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅の仕方、禅の心、禅の話

 

◆この則(趙州)は・・大泥棒だ!

禅のパスポート 無門関NO37  

本則(趙州云く)はチョットおかしいぞ・・素玄居士

     庭前柏樹(ていぜん はくじゅ)第三十七則

                【本則】趙州 ちなみに僧問う

                    如何なるか是れ 祖師西来の意

                    州云く 庭前の柏樹子(はくじゅし)

【本則】素玄居士提唱 亭々たる庭前の柏樹子趙州は禅院の庭の柏の樹)・・これが「禅」じゃというのだが、「麻三斤」(洞山18則)にくらべてハナハダ見劣りがする。

趙州門下(法嗣)の覚鐵觜(かくてつし)が、先師にこの語なし。先師を謗(ぼう・・あざむく)するなくんばよし、と云っているが、それが本当であろう。

趙州ともあろう者が、こんな下手くそなことを云うはずがない。

乾屎橛(雲門21則、かんしけつ・・くそカキベラ)などの方がはるかによい。

本則に賊機あり(関山国師)と云うが、それは胡魔化しがあるというのでなくて、学人を錯(あやま)り、未徹底なとこがあるのじゃ。

(この事は書かれぬ)

これは各人修行して自得しなくては禅に力が出て来ぬ。

無門が本則を加えたのはチトおかしいテ。

素玄云く 柏樹 古家に榜(そばた)つ。

      【無門曰く】もし趙州の答所に向かって 見得して親切ならば

            前に釈迦なく 後ろに彌勒(みろく)なけん。

【無門曰く】省略【素玄 註】本則が透ったら違った見当へ行く。迷禅じゃ。

釈迦も彌勒も遁(に)げて行く。本則の賊機がわかれば釈迦、彌勒。

       【頌に曰く】言、事を展(の)ぶることなく、語、機に投(とう)ぜず、

             言(こと)を承(う)くる者は喪(そう)し、

             句に滞(とどこお)る者は迷う。

【頌に曰く】省略【素玄 註】展示云々(禅には説明はない)不投機(禅には調子を合わせることもない)喪云々(説明についてまわると、元も子もなくなる。言説にヒッカカルト迷う)

 【附記】どうして・・菩提達磨が何年もかけて海路、中国までやってきたのか・・「祖師西来意」は、自己への問いかけです。

求道者の問わざる以前・・趙州、答える以前・・チャント見處を露呈している・・との・・素玄云く【頌と評】です。

般若心経に云く・・心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒無想 究竟涅槃・・ 

◆道で達道の禅者にであったら、黙っていないで何かして見せよ!

禅のパスポート 無門関NO36  

    路逢達道(ろほう たつどう)第三十六則

           【本則】五祖云く 

              路(みち)に達道の人に逢(あ)わば、

              語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれ。

              しばらく云え、何をもってか對せん。

【本則】達道というのは禅者だ。

禅者には禅機をもってせよじゃ。

禅機というとどんなことになるのかしらん。頭をさげてお辞儀をしたり、口の先で挨拶をしたりしても、禅者ならばそれでよし。

禅者でなければ禅機にならん。

それだから指頭の禅でも通るし、未悟底なら喝しても役にも立たん。

公案は、どれもこれも落つれば同じで、書くことも することも似たりよったりとなる。

素玄居士曰く・・片足を曲げて立つ。

   【無門曰く】無門曰く 

         もし者裏(しゃり)に向かって對得(たいとく)して親切ならば、

         妨(さまた)げず 慶快(けいかい)なることを。

         それ或いは いまだ然(しか)らずんば、

         また、すべからく一切處(いっさいじょ)に眼(まなこ)を著(つ)くべし。

【素玄 註】一切處(専念工夫 間断あることなかれ)

【無門曰く】道で、根本智を明らめた人に遭遇したら、黙りこくって、語りも出来ず・・では、どうしようもない木偶(でく)の棒だ。

(10年20年・・修行坐禅に明け暮れたって、タクワン石の方が、よほどに形よく坐っているぞ)

独りポッチ(禅)に徹してご覧よ!

     【頌に曰く】路に達道の人に逢わば、語黙をもって對せざれ。

           攔腮(らんさい)劈面(へきめん)に拳(けん)す、

           直下(じきげ)に會(え)せば すなわち會す。

【素玄 註】攔腮云々(禅者にであったら物も云わず腮(えら)をつかみ面をヒッパタイてみよ・・というのじゃ。禅者づらしていても未悟もあるからなぁ。

無門も頌を書くのに、だんだん五月蠅(うるさ)くなったので ひとつピッシャリやったところじゃ)

【頌に曰く】素玄云く 禅者に出会ったら、ものも言わずに、襟首つかんで、その顔、ヒッパタイテみよ。・・というのじゃ。禅者面(ぜんじゃづら)していても未悟もあるからなあ。無門も頌を書くのに、だんだんうるさくなったので、ひとつピッシャリやったところじゃ。(重複)

【附記】路辺の筍(タケノコ)を盗るなかれ!・・と張り紙しておく・・

禅のパスポート NO35

          無門関 倩女離魂(せいじょ りこん)第三十五則

                            【本則】五祖 僧に問うて云く、

                                倩女離魂 那箇(なこ)かこれ眞底(しんてい)

【本則】素玄提唱 この話は五祖当時の社会種(噂噺)であったらしい。禅にはこんな脚色の芝居も多いのじゃ。維摩経もドラマじゃが、こんな具合に禅には嫌う底の法なしだ。

昔、衝陽(しょうよう)に倩女という娘がいて絶世の美人。この倩女の従兄(いとこ)に王宙(おうちゅう)というのがいて、幼い頃、娘の父が戯(たわむ)れに、後来(ごらい)この娘を君の妻にすべしと云うた。ところが少女が成人するとすこぶる美人となり縁談の申し込み、山の如くじゃ。その中に顯官(けんかん 知事、高官の意)からも所望されたので 父はその気になる。娘はそれを聞いて快々として楽しまず、宙も約束の変更を恨んでいた。それで都に出ようと思って船に乗って数里行くと、夜半に岸からその船を逐(お)う者がいる。恋し恋しの倩女じゃ。宙は夢かとばかりに喜んで船に入れて遁(のが)れ去り、追手をおそれて蜀に入り、居ること五年。二人の子まで産んで睦まじく暮らしていたが、ある日、倩女は故郷のことを思い出し、父母に背いたのは申し訳がないという。宙ももっともじゃ、俺も悪かった。父母に謝し天下晴れて夫婦になろうというので、船を命じて衝陽にいたり、宙が先に叔父の家に行って 今日までのことを語り、深くその罪を謝した。叔父は愕然として驚き いったい その女はどこの者かと聞くと、それはあなたの娘さんのことだという。叔父は益々 不審(ふしん)に思い 倩女は病気で数年来、寝ているという。宙は そんなことはない、今 船の内にいるのじゃというて 使いをやって見させるとチャンと船にいる。そんならと病臥(びょうが)している倩女に話すと、喜んで起ち、笑って語らず病室を出るのと、船から上がってきた倩女と二人は、ピッタリ合して一体となった。叔父が嗟嘆(さたん)して云く。宙がここを去ってより物を言わず、しかも酔うたようにしていたが、神魂(しんこん)遠く去ったのであったか・・と。倩女もいう、宙がここを去ることを知って 睡中にあわてて船を追うたが、その後、去る者われか、留まるもの我かを知らなかった・・と。

このどっちが本物かというのじゃ。              

この理解情解をいれぬところが公案の体裁をなしている。

禅には眞も偽も そんなところにウロウロしていてはアカン。

物事についてまわったらお終いじゃ。紛々擾々(ふんぷんじょうじょう)たることなかれじゃ。

本則は禅機じゃ。禅機を練るには良い公案じゃ。

素玄居士曰く・・

        妖怪も 芝居演戯の巧みさにあやかって  霊怪不妨演戯巧

        出没したり離合したり これも一興だ   出没離合又一興

       人間は 五尺の身なれども、五感の外に  人間五尺五感外

        また、別に風流の境(地)ありしなり   又有別風流境在

【無門曰く】この奇しくも愛しい倩女の心地は、求道行脚の旅宿に泊まるごときものか。ホンモノはどっちだろう・・と、駆け回って探す・・愚かなことはしなさるなよ。

死ぬときは、窯ゆでのカニのごとくに、五体は地水火風の四元に分解して、こんはずではなかった・・と反省しても、後の祭りだ。 さあ、腹をくくって旅に出よ。

       「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」とうたった俳人もいたなぁ。

               *松尾芭蕉(1644~1694)毎日の平生(日常生活)が辞世の句であると覚悟した

           【無門曰く】もし この者裏(しゃり)に向かって、眞底を悟りえば 

         すなわち知らん殻(かく)を出でて 殻に入ることは    

         旅舎(りょしゃ)に宿(しゅく)するがごとくなることを。

         それ あるいは いまだ しからずんば切に乱走することなかれ。

         まくねんとして地水火風 一散せば、

         湯におつる螃蠏(ほうかい)七手八脚なるがごとくなり。

         那時(なじ)いうことなかれ、道(い)わじと

【素玄 註】殻(抜け殻のこと。倩女の身体は抜け殻じゃ。精神が散歩してあるく)乱走(倩女はどっちなどと駆け回る)幕然云々(死ぬ時は五体四元に帰して釜の中の蟹のようにバラバラになる。それをこんな筈ではなかったに・・なぞと云っても後の祭りじゃ。このことを明らめ得ば、死生の際も七手八脚の如きことなからん。

【頌に曰く】月は万象を照らし、渓山それぞれに清風に満つ。

     「名月清風」・・けっこう毛だらけ、猫灰だらけ

      これ一か・・それとも二か。

      【頌に曰く】雲月是れ同じ 渓山おのおの異なる。

            萬福萬福(まんぷくまんぷく)是れ一か 是れ二か。

【素玄 註】月万象を照らすか、是れ一か是れ二か。三八九を究めざれば、境において所思多しという語があるが、これがわかれば本則もわかる。

附記】中国での禅は、インド人が瞑想(哲学・観念)的にとらえる人生観と違い、実際的な、生活の中の「禅」として、独創されたものです。この「倩女」は、唐の頃の怪奇小説「離魂記 りこんき 陳玄祐ちんげんゆう撰」に登場する二女同一の伝説です。

*当時・・魂と体、幽と明の世界を例に、五祖山の法演が公案化したという。この話が禅でとりいれられたことは、いかに広く知られていたかを物語る。禅はもちろん歴史の中から生じ、変化してきた。「禅ニヨル生活」をすることと坐禅することは同じであった。

「歴史を離れた禅もないけれど、禅の心を離れた歴史観もまた完全なものでないことをしるであろう」・・禅の世界・公案 阿部肇一著(株)筑摩書房より抜粋。

禅は現実的で、具体的な・・生活に即して中国に根付き、やがて日本にわたって大樹になりました。そして、新しい・・宗教ではない「禅」独りイス坐禅が櫱(ひこばえ)となりつつあります。

 

♬お前もがんばれよ・・故郷の冬は寂しい(さみ)しい~🎶

禅のパスポート 無門関NO34  

母さんが夜なべをして手袋あんでくれた・・木枯らし吹いちゃ~(母さんの歌・歌手ダークダックス/作詞作曲 窪田 聡)

               智不是道(ち これ みちならず)第三十四則 

                 【本則】南泉云く 心これ佛(禅)ならず 智これ道(禅)ならず

【本則】素玄提唱 心も知も思慮分別で同じ意味じゃ。佛も道も同じく禅のことじゃ。同じことを別の文字で現したまでじゃ。前に人の為に説かざるの法も本則も同じじゃ。

禅語は同義語を いろいろにコンビネーションをするから、その文字に捉われると五里夢中になる。そこを未悟底がいろいろに講釈するから、なお解からなくなる。思慮分別したら禅がなくなると云うので、従前 いくたの則と違わない。

心不佛(禅)、智不道は即心即佛(禅)とも違うようで違わぬようなもんじゃ。

文字の駆使の巧妙は禅文学だね。

素玄曰く・・子供が西洋料理を一度食べたい、食べたいとぬかすので「エエイ、このガキめが」とコボシコボシ、横町の食堂にライスカレー1枚とコーヒー1杯。

   【無門曰く】南泉いいつべし、老いて羞(はじ)をしらずと。

         わずかに臭口(しゅうく)をひらいて、家醜(かしゅう)外に揚ぐ。

         しかも かくの如くなりといえども、恩を知る者は少なし。

【素玄 註】臭口云々(禅に抑下、托上ということがある。口ではケナシ、その意は賛(ほ)めること。これも自然に用法がある。禅に関することは一家のことじゃから、ケナシて賛める)恩を知る(これだけさらけ出すのに それがわかって・・悟って・・くれる者はすくない)

【無門曰く】いろいろと禅者は、言わでもがなに、禅について示すのだが、月を指す指さきを月だと見る輩とか、月見ダンゴをたべたいとか、造作ばかりで解かるものは皆無だな。

    【頌に曰く】天はれて日頭(にっとう)出で、雨くだって地上うるおう。

          情をつくして すべて説きおわる。   

          ただ、おそらくは信不及(しんおよばざる)ことを。

【素玄 註】天晴云々(尋常、ありのままのこと。つまり禅のことじゃ)信不及(信が不及なのでなくて知らせが届かぬこと・・禅はこんなものじゃとチャンとしらせてあるのに、自分に禅がないから その知らせが届かないの意。禅が門口まで訪ねてきているのに、お気がつかれぬの意。臨済録にも信不及の語があり信仰が不充分の意あることなし。禅には信仰などの即することなし)

【頌に曰く】太陽あれば・・今日も天晴れ!雨降れば・・麗わし、緑為す山並み・・禅とは、このようなものだと、アリノママ見せびらかしているのに、独り一人、禅による生活をしながら、気づかず宝のもちぐされ。他人との比較や愚痴の罵りあいばかり。中には信仰まで持ち出す者がいるけれど、禅は欣求などに即することなし。

◆「正直」でないと樽や木桶はつくれない・・と云う・・どうしてか?

禅のパスポート 無門関NO33 

正直」でないとマアルイ樽や木桶はつくれない

    非心非佛(ひしん ひぶつ)第三十三則       

             【本則】馬祖 因みに僧 問う

                 如何なるか 是れ佛。

                 祖云く 非心非佛(ひしんひぶつ)

 

【本則】素玄提唱 字づらの意味では、心を非とするは、即ち佛を非とする。

この佛も禅のことじゃ。

心とは何か、禅とは何か、その心以外が即ち禅以外じゃ。

いったい心に境界線があるかしら、敬とか愛には非敬も非愛もある、敬も非敬も愛も非愛も、みな心の内じゃ。心以外とは何のことやら、禅以外とは何かナ。

文理的に云うなら即心即佛(禅)以外のものを指すことになる。

即心即佛は、前の公案(第30則)に述べた。

心以外を把握したら本則になる。

心以外というものが、あるじゃろうか、掴んで見たら いつの間にやら心になっていた。

心だナと思ったら、いつの間にやら心以外に変わっていた。あゝ七面倒な事じゃのう。

即心即佛は禅の公案じゃ。

非心非佛は禅機の公案じゃ。

表と裏のようなもんじゃ。即心即佛から禅機が生々ハツラツ、湧起(ゆうき)する。流露(りゅうろ)する、それが非心非佛(禅)じゃ。

即心即佛は述べて盡(つく)さざるところあり、非心非佛は至りて極まるところなし。

あんまり広々として、手の舞、足の踏むところを知らずじゃ。

禅機も非心非佛にならんと面白みが出ないテ。

悟臭(ごしゅう)が抜けるのじゃ。

素玄居士曰く 春は嬉しや 

  二人揃うて花見の酒

    ステテコ ドンドン。

   【無門曰く】もし者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)せば

         参学の事 畢(おわ)んぬ。

素玄 註これが出来たら禅のこと了畢(りょうひつ)じゃ。

     【頌に曰く】路に剣客に逢わば、すべからく呈(てい)すべし。

          詩人に遇(あ)わずんば、献ずることなかれ。

          人に逢(お)うては、かつ。三分(さんぶ)を説(と)け、

          未(いま)だ まったく一片(いっぺん)を施(ほどこ)すべからず。

素玄 註剣客云々(剣客だろうと、詩人だろうと「やあ今日は・・お早う」と云うようなもんじゃ。

ヂャガ非心非佛を丸出しにはすまいぞ・・と云っているが、素玄は丸出しにしてしまった)

前二句の倄訛(こうか)が非心非佛(禅)をチャラチャラさせたつもりか知らんテ。

どうも心許ない裳裾(もすそ)の乱れか。

附則 「倄訛」・・倄⇒コウの字は、ゴンベンになっているが辞書にない。「嘘偽り・ごまかし」の表現の意。真の禅者と遭遇しないかぎり、本音をバラスことはしないがよい。30%ぐらい語れば十分だ。

餃子にビールで、気楽にありのまま、話せば良いものを、よせばよいのに懐石料理の振る舞いだね。

正直の木樽づくり・・種明かしすれば、正直という名のついた曲げ(角度)のついたカンナでないと、ピッタリの円形の樽は出来ない。曲がったものに「正直」と名付けた昔の職人気質が面白い。ただそれだけの事サ。

◆赤子泣く あやす手拍子・・「ア・ワ・ワのワ!」

禅のパスポート 無門関NO32   

泣く赤子 その口に あやす手拍子・・ア・ワ・ワのワ

     第三十二則 外道問佛 (げどう もんぶつ)

       【本則】世尊、たなみに外道 問う、

           有言(うごん)を問わず、無言を問わず。

           世尊 據座(きょざ)す。

           外道 讃嘆(さんたん)して云く、世尊 大慈大悲(だいじだいひ)

           我が迷雲をひらいて、我をして得入せしむ。

           すなわち禮を具して去る。

           阿難ついで佛に問う

          「外道 なんの所證(しょしょう)あってか讃嘆して去る。

           世尊云く「世の良馬(りょうめ)の鞭影を見て行くが如し」

【本則】素玄提唱 言葉をもって答えることを問わない。無言で答えることも問わない。

いったいこの外道は何を問うのかナ。

どうして答えることを求むるのかナ。

こうゆう質問を作り出したのは誰か知らないが、随分ヒマな男もあったもんじゃが、また、こんなことを考えるというのもコメの値段も知らぬ奴のことじゃテ。理知の世界の思想と大分かけ離れている、別の調子じゃ。

また別調の風に吹かるじゃ。

世界、恁麼(いんも)に廣闊(こうかつ)なりか、ここらが禅の面白みじゃ。この外道というのは、仏教信者外の者を指し、それが釈迦当時、すでにこの禅を入手していたのだ。禅は釈迦以前、釈迦以外にありしことを知るべく、禅を禅宗の独占のようにいうのは大きな誤りじゃ。

この則は史実でないとしても、禅に宗教的なことはないのじゃ。

世尊、ただ據座(きょざ)。世尊も律義なもんじゃから、外道の云うた通り、有言でも無言でもない處を見せたわけじゃろうが、ここは據座も良久(りょうきゅう)も黙(もく)も、そんなことに拘わりはないのじゃ。

ポンと1本 棒でどやしてもよいし、喝でも逆立ちでも喋っても、どんな芸当をして見せてもかまわぬのじゃ。禅者の一挙手一投足、一言でも多言でも、すべて禅ならざるなしじゃ。 

據座にシガミついたら了期なしじゃ。外道も據座で悟ったかどうか、こやつも禅者で世尊を検(ため)しに来たのかもしれず、あるいは本当にここで悟ったかも知れん。

優れた禅者だと、その前に行くと自然に打発することもあるのじゃ。趙州の洗鉢や喫茶去の一語で了悟した奴もあるのだから、世尊は、良馬が鞭の動く影を見て走り出すようなもんじゃと云うたが、修行が積むとどんなことが機縁となるか、解からんもんじゃ。

素玄曰く・・窓の外 苗売りの声、室内 一碗の茶。

     【無門曰く】阿難は すなわち仏弟子、あたかも外道の見解(けんげ)に如かず。

           しばらく道え、

           外道と仏弟子と相去(あいさ)ること多少(たしょう)ぞ。

素玄 註相去る多少(雲煙万里)問佛は問禅の意。

【無門曰く】アーナンダは、釈尊の従兄弟にあたる、多聞第一の人である。だが、そこらで禅による生活の、庶民の見識と随分の格差、違いが出てしまったな。

      【頌に曰く】剣刃上(けんにんじょう)に行き、

            氷稜上(ひょうりょうじょう)に走る。

            階梯(かいてい)に渉(わた)らず、

            懸崖(けんがい)に手を撒(さっ)す。

素玄 註階梯云々(梯子段をノソノソ行くのと違う)撒手(修禅は崖にかけた手を離す様な絶妙の處に打発する)

【頌に曰く】禅者は、するどい刃(ヤイバ)の上を行くように、ツルツルの氷の上を走るように・・のんびり階段を上り下りするのでなく、高い崖にかけた手をツイと放すような・・絶妙な瞬間に打発(見性)するのだ。

ベテラン女刑事から、これも老練なスリ師が抜き取ったお宝とは?

禅のパスポート 無門関NO31  

サァテ・・ベテランおばん刑事の懐から、これもベテラン掏摸が抜き取ったお宝とは

(スリの極意は、中身を抜いて空の財布を元に返しておくソウナ・・)

               趙州勘婆(じょうしゅう かんば)第三十一則

    【本則】趙州、因(ちな)みに僧、婆子(ばし)に問う。

     臺山(たいざん)の路(みち)いずれの處にむかってか去る

     婆云く、まくじきに去れ。僧わずかに行くこと三五歩。

     婆云く、好箇(こうこ)の師僧、また恁麽(いんも)にし去る。

     後に僧ありて州に挙示(こじ)す。

     州云く、待て、我去ってなんじがために、この婆子(ばし)を勘過(かんか)せん。

     明日すなわち去って、また かくのごとく問う。婆もまたかくのごとく答たう。

      州帰って、衆に謂(い)って曰く、

      臺山の婆子、我 なんじがために勘破(かんぱ)し了(おわ)れり。

【本則】素玄提唱 趙州の弟子のどいつもが婆子(麓の禅を齧ったバアさん)にしてやられる。

学人修禅のためにも邪魔ものとでも思ったのか、趙州も八十からの老人のくせにノコノコ婆子の所まで出かけたのじゃ。

だが、その時の問答の様子は一般の僧の場合と同じで、その他のことについてはチットも書いてない。どんな具合にやったのか、わからぬが、これを書き落としとか読者の想像にまかせるなどと思ったら大間違いじゃ。かくの如く問い、かくの如く答えた以外にないのじゃ。

それなら、どこを勘破(かんぱ)したのじゃろうか。あんまりアケスケに書いては修行を毒するようなもんじゃが、これも禅の大衆化でやむを得ないか。いったい何度もクドクドしく云うが、禅では物事についてまわってはいけないのじゃ。

禅には即することはないのじゃ。だから趙州はテンで初めから婆子を勘破する考えはない。

勘破しようとしたらかえって婆子に勘破せられるだけじゃ。

好箇(こうこ)の師僧、また恁麽(いんも)にして去るじゃ。

早く既に勘破するの念なきが故に、すでに早く勘破し了(おわ)ったのじゃ。それならどう勘破したのじゃろうか。

ここでチョット五臺山のことを書いておく。これは碧巌集 文殊前後三三(三十五則)にある。無着(むちゃく)和尚が飄然(ひょうぜん)として、荒涼たる五臺山を旅行中、一寺院を訪ねて宿泊した。そして文殊が居て問答する。文殊は釈迦の弟子中、智慧第一と言われた人である。文殊、問うて曰く、南方の仏法如何か住持すと。着云う、末法の比丘(びく)少しく戒律を奉ず。珠また云う、多少の衆ぞ。着云う、あるいは三百、或いは五百。無着、文殊に問う、この間、如何か住持す。珠云う、凡聖同居し龍蛇混雑なり。着云う、多少の衆ぞ。珠云う、前三三後三三。翌日、無着 辞して寺を去る。均提童子(きんていどうじ)これを送る。着問う、是れ何の寺ぞ。童子、金剛の後面(山の寺)を指す。着、頭(こうべ)を回(めぐ)らせば、寺も童子も見えず、ただ是れ空谷(くうこく)なり・・云々(うんぬん)。このことは碧巌に、まだ二三のことも附記して、頗(すこぶ)る面白く書いてある。

この前三三後三三の公案は、禅機溌剌(はつらつ)で、この戯曲の作者は誰かわからないが、確(しっか)りとした禅者だ。

禅境は別に是れ祖庭の春じゃ。

素玄曰く 双葉山 臺山に高きこと六八寸(18~24㎝)

    【無門曰く】婆子、ただ坐(い)ながら はかりごとを帷幄(いあく)に解(げ)して、

     要はかつ賊を著(つ)くることを知らず。

     趙州老人、よく営を盗み塞(さい)をおびやかすの機を用(もち)いて、

     また かつ大人(たいにん)の相なし。

     検点しもちきたれば、二(ふた)り ともに過(とが)あり。

     しばらく道(い)え、なりか是れ趙州、婆子を勘破する處。

素玄 註賊を着く(趙州にシテヤラレること)大人の相なし(子供のいたずらのようなことをする)過あり(普通に解すれば失策ありの意味だが禅では表面通りに解せぬことがある。この過ありも誤魔化しあっている位の意にとる)

【無門曰く】臺山への道を問う求道者の誰彼に、ただ真っ直ぐに行け・・の一点張りの茶店ばあさん。趙州に、正体を見破られ、完膚(かんぷ)なきまでにシテヤラレタことを知らない。趙州老師も、泥棒の本領を発揮してナントおとなげない、いたずら小僧のようだ。

趙州も婆さんもドッチモドッチだな。

さあ、この婆さんの大事な財布を掏り取った趙州。果たして どんなお宝を手にしたのか・・当ててみよ。

          【頌に曰く】問(もん)すでに一般。答(とう)もまた相似たり。

         飯裏(はんり)に砂あり、泥中(でいちゅう)に棘(いばら)あり。

 素玄 註有砂(問答同一じゃが 趙州の場合は飯にも砂が混じっている。泥と思っても刺が隠れている。一筋縄でないこと)

【頌に曰く】問うも、答えもありふれてはいるが、この飯は砂まじりで喰えたものではない。泥の中に鋭いトゲがある。

この掏摸師・・一筋縄では捕まらないぞ。

禅のパスポート・・素玄居士提唱 無門関NO30

    「佛」とは・・「禅」のこと

                            即心即佛(そくしん そくぶつ)第三十則

                      【本則】馬祖 因(ちなみ)に大梅(だいばい)問う

                          如何なるか是れ佛(禅)

                         祖云く 即心即佛(禅)   

【本則】素玄提唱 馬祖は即心即禅(佛とは禅)という。素玄は「禅」は対象を絶し心意を超越するという。ドッチが眞でドッチが偽か知らんテ。

何より簡単なのは心を掴(つか)みだして見ることじゃ。

そしてそれが禅かどうかを調べるのじゃ。

サア、皆の衆、自分の心を掴んで見ておくれ。

掴んで見たら他人の心であったら駄目じゃ。

自分で自分を精神することが出来れば、自分の心が自分の心になるのじゃが、精神してみたら、どうやら自分以外のものになってしまっていはせぬかナ。

心理学では手のつけられぬ問題になっている、自分自身の精神を他人の精神の如く観じ批判することは出来る、自省(じせい)という奴じゃ。然らば自省するものは何かというと、そ奴はいつの間にやら自分でなくなる。

自省もつまり他観批判じゃ。道徳も自律というが自律する奴は自分以外にあって、それが自分以外の自分を他観し批判し、且(か)つ自律の命ずるままになっているのじゃ。自律が自分を圧倒してくれる。自分はどこにあるか判らない。修養とは、この高遠な自律の命ずるままに聴従する習慣に外ならない。

この事は自心を自観する習性が人間に成立しなかったのではないかと思う。

パブロフ(露国の心理学者)の刺激と反射の理論からすると、自心を自観する習性は成立し得なくて、かかる場合においても類似の他観に被覆せられるのではなかろうか。自心を自観する刺激ができない。自心を自観する反射も成立しない。習性の不成立じゃ。(もとより、これは素玄の私説にすぎないが・・)

この自心というも心意に対象をもうけ、それに律せられると云うことに外ならず、即心と云うもつまるところ対象を立(りっ)し、それを心とし、それを把握する・・それを禅だとする。

もし馬祖の意がこうであるとすると「即心即佛」は「禅」にならぬ。心を超越せず心を立し対象を作っているから、そしてその心は一般の対立的な平凡な心にすぎない。馬祖ともあるものがこんな心のことを云うはずがない。

馬祖の心は一事の立するなき心じゃ。

把握することなき、知識することなき心じゃ。

道徳とか自律とか信仰とか、そんな紛々擾々(ふんぷんじょうじょう・思いわずろうの意)なることなき心じゃ。心意を心意することのない、水灑(みずそそ)げども水着(みずつか)ずじゃ。

この心が佛(禅)じゃ。

心の心とすべきなきところが禅で、心意の超越であり素玄の禅と同じことになる。

處でそれは不可得の心で、即心というと その不可得の心を可得することになる。

慧可の不可得に向かって達磨が「汝の為に安心す」としたのは、その不可得を可得して安心するとしたのである。

不可得の把握が即心で達磨の安心じゃ(達磨安心 第41則)

即心即佛(禅)じゃ。

素玄云く 

       昨年三百餘 不招新年来(去年はアレよ・・アレよ!の内に)

       復々三百餘 又々新年来(今年の正月はアッ!という間に)

   【無門曰く】もし、よく直下に領略し得去らば、佛(禅)衣を着、禅飯を喫し、

    禅法をとき、禅行(禅による生活)を行ず。

    すなわち是れ禅ならん。

    しかも、かくのごときなりといえども、大梅、多少の人を引いて 

    あやまって定盤星を認めしむ。

    いかでか知らん、

    この佛(禅)の字を説くも三日、口を漱(すす)ぐということを。

    もし是れ、この漢ならば 即心即佛(禅)と説くを見ば、

    耳を蔽うて すなわち走らん。

【素玄 註】直下(早合点して僧業を佛とせん)定盤星(秤の目盛り、固定的見解、禅を錯ること)口を漱ぐ(佛などと云うと口が汚らわしく臭くなるの意)耳を蔽う云々(そりゃ大変、口頭禅には却走の外はない)即心即佛は誤解を生みやすい。心を一般の心意としたら大間違い。即心即佛などと云う奴に出逢ったら逃ゲ出スワイ。

【無門曰く】よく聞きなさい。佛(禅)の事を説明したら、三日間は口を漱いで(うがい)しなければならない。コレを聴いたら耳をふさいで逃げ出せ・・と言われた。

*素玄居士、この事、百も承知の老婆(ろうば)親切の提唱である。

   【頌に曰く】青天白日(禅は・・露堂々、隠れていない)

         切に忌む 尋覓(じんみゃく・・たずね求めるな)することを。

         更に如何(いかん)と問えば、臓をいだいて屈と叫ぶ。

【素玄 註】青天白日(禅は蔵カクすことなし)尋覓(尋ね求める)抱臓叫屈(ほうぞうとくつ・・禅とは何かと問うと、古徳の禅の説話をつかみ取って腹一杯に詰めていながら、私は泥棒でないと、口先で失敬呼ばわりをする)

【頌に曰く】「水」を雲と言い、霧と言い、氷と言い、H2Oと言い、春の小川、滝、湖、大海の・・と言ったところで、その水の中で、喉の渇きを訴える・・独り一人がゴクリと飲まねば、本当の癒しにはならない白隠坐禅和讃)

 

 

数息の坐禅が出来た方の最適な「公案」です!

禅とは?・・シリーズ  やさしい坐禅の仕方(3)/ 元服の書 NO㊴

禅のパスポート 素玄居士提唱 無門関NO29  

   非風非幡(ひふう ひはん)第二十九則

       【本則】六祖 ちなみに・・風、刹幡(せつぱん)を颺(あ)ぐ、                               

           二僧あり、対論す。一(ひと)りは云く「幡(はた) 動く」と。

           一りは云く「風 動く」と。往復して かって理に契(かな)わず。

           祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、

           仁者(じんしゃ)が心 動くと。二僧 悚然(し ょうぜん)たり

【本則】素玄居士 提唱    幡(はた)の動くのは、お前さんたちの心が動くのだ・・とは頗(すこぶ)る禅的だ。遉(さすが)に六祖じゃ。大庾嶺(だいゆれい)の大将が、世の難を避けていたが、禅、興隆の時に臨(のぞ)み、山から下りた際の話である。禪ではモノに即することなく、心は又その大敵じゃ。

風幡(ふうはん)に即せざるも、心が残っているから心で風も幡も動かしている、心に眼をつけて眼の敵(かたき)にするのじゃ。

肚(はら)がドッシリと坐っていると心奴(め)動き出ぬ。

心がヒッ込んでいると禅機、活発じゃ。撃石火(げきせきか)閃電光(せんでんこう)の活作略(かつさりゃく)をする。

ここが禅の生々たる流露(りゅうろ)じゃ。

素玄云く 帝銀事件で予審判事と検事とが互いに不事実を強調している。

言の長き事六尺、語軽きこと三斤。

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は意訳です)

風や幡や心に絡みつかれては、祖師(禅)は見えてこない。

では恵能の真意をどこでみるか。もしも、その真意を、はっきりと見るならば、二人の求道者は「鉄」を買って、それが「純金」だったことで、大儲けしたことになる。六祖恵能は大変ご苦労なさった方なので、ツイツイ本音を漏らして、禅の大事を安売りしてしまった。

    【無門曰く】是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くに非ず、是れ心の動くに非ず。

          何のところにか祖師を見ん。

          もし、この者裏(しゃり)に向かって見得して親切ならば、

          まさに知る、二僧、鉄を買うて金を得たり。

          祖師は忍俊不禁(にんしゅんふきん)、

          一場(いちじょう)の漏逗(ろうとう)なることを。

【素玄 註】祖師(禅のこと。見ようとて見えるもんか)忍俊云々(あとの祖師は六祖 恵能のこと。俊敏の天性、グズグズできなくて禅の大切なところを安売りして漏らして見せた)禅語に一文中、同一語を二義三義にもちうることがある。この祖師もその例だ。

【頌に曰く】風も幡も心も、全部、たった一つの判決文で、決済をすましてしまう。言葉や文字を追っかけていては、すべてが虚妄で災いのもとになる。

心が動く・・と言えば落語のオチとなるぞ。

      【頌に曰く】風幡心動(ふうぱんしんどう)一状に領過(りょうか)す。

            ただ口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。

【素玄 註】一状風・幡・心とも、一通の判決文で埒(らち)をあける)話堕(心が動くと云うたら落語のオチじゃ)

【附記】帝銀事件・・1948年1月、東京都豊島区の帝国銀行、椎名町支店に顕われた男が、伝染病予防のためと言って青酸カリ溶液を飲ませ12名を毒殺。現金を奪った事件。犯人とされた平沢貞道は犯行を否認、1955年死刑確定。再審請求がなされて刑の執行がなされないまま1987年、95才獄死した。

坐禅で数息が出来ると素玄居士の提唱が少し見えてきます。

提唱と云うのは、自分なりの見解(けんげ)がシッカリあって、生き方に迷いがない禅者の語りです。

 坐禅は息(呼吸)が大事で、数息することが一番、禅にふさわしいと思います。数息の坐禅が身につくと、次第にどんな生活行動でも、自然と数息(呼吸)をしている自分が、自覚できるようになってきます。姿勢正しく、静かに物事に対応できるのです。

ただ、これは坐禅ではないし、当然、禅(ニヨル生活)でもありません。

自分の、どこから湧いてくるのか・・解かりませんが「坐禅」や「禅」によって不安な気持ちを解消したい・・とか、禅語録に登場する禅者の言動が、どこか生死を超えた、超然としたものを感じて、ナントカ理解、納得したいとか・・こうした思いが募ってくるのが、人であると思います。その時の気持ちは、本や知識や、教導されることの煩わしさ・・誰にも相談したくない「孤独」や「寂寥」に包まれているのです。

さて・・ココから、禅語録の「公案」・・の、どの則の話題か・・数息坐禅をする人、それぞれを、ニッチもサッチもいかないようにしてしまう、搦め取られるような「禅者の一語」が誕生してきます。

寺僧の専門道場では、老師・師家に相見して、公案・・例えば「隻手音声」とか・・「趙州無字」とか・・禅語の一節を、厳かに与えられました。

私は、この僧堂の修行、密室の参事のあり方こそ、禅を衰退させた元凶であると確信しているので賛成できません。

ある程度、独りイス坐禅で、数息できるようになったら、次に、自分の関心がある禅語の一語を、独り坐禅で拈弄(ねんろう)なさるよう・・拈弄とは、理解不明な「禅者の一語」を、数息のように・・数息の代わりにして、溶(解・説)けない飴玉を、口の中でグルグル溶かし切るまで、嘗め回す状態をいいます。

公案は、どの則であれ解読不能です。哲学者であれ、宗教家であれ、神様、佛様、ノーベル受賞者・・誰であれ・・論理や分析、思考、意識、造作、判断、因果、結果・・経典・文字、説明・・一切キリ・・千年前の語録にはソレこそ、なんの役にも立たない価値なき・・禅「ZEN」が、禅者達の生活行動そのままに、簡潔に書かれています。

いわゆる「悟り・見性・透化・大覚」とかは、坐禅公案を拈弄する・・それぞれの人が、霊性というか、直観というか・・それぞれの禅機(ヒョッとしたTPO)で、決して心理学的なものではなく、突然、体験(頓悟)するものなのです。悟りを青い鳥のように追及したり、銀河帝国のフォース、ヨーダのように悟りがあると思いこんで、期待(奇態・祈諦)してはなりません。

 この則に登場する恵能は、山猿と蔑(さげす)まれる土地の出身であり、文字をかけない米つき行者でした。求道者として寺に入っても、長い間、米つき・・手作業の脱穀ばかり・・人に悟境の詩(頌)を書いてもらわないと、自分の気持ちを訴求することすらできない有り様でした。

それでも、独り一人に「禅」がある。

独り、ヒタスラの米つき作業が、悟りのあとの役立たずの修行「坐禅」だったと云えましょう。

昔は、中国や日本でも、求道者は達道の禅者を求めて行脚しました。師とするに足る禅者かどうか・・禅語録をひも解いて、問答して師の見識を査定したのです。そして、的確に求道者を見抜いて、垂示してくれる禅者に就いて、その「禅ニヨル生活」を学んだのです。

(先生が生徒に試験されていた)

師も弟子も、それぞれ自給自足。アバラ小屋(禅庵)の周辺に、てんでバラバラに野宿して、師の挙動から禅を体得しようと努力したのです。原の白隠など、腐った味噌を農家から貰ってきて、具のない味噌汁に仕立てたところ、碗の中から、ゾロゾロ、ウジ虫が湧いて来るので、それを箸で一匹づつとって逃がしてやってから汁を飲んだ・・という逸話があります。また、ある求道者は、托鉢(たくはつ)に出た時、悪ガキに鉢の中に馬糞を入れられ、これとて有難き施こしであるとして食して死んだといいます。

この公案の拈弄にいたる方は、少なくとも、私の意訳しつつある「禅者の一語・碧巌録」や「禅のパスポート・無門関」など、おりに読みこなされていると思います。

禅者の効能書きは、あまり語りたくありません。

数息が出来るようになられたら、お気に入りの公案、気がかりな公案のどれかを、ご自由に「拈弄」してください。

坐禅は、一人独りが行うものです。

禅は(昔は寺僧の揺籃を得ましたが)宗教・哲学・心理学ではありません。

はてなブログ「羅漢と真珠」禅の心・禅の話・・あわせてご覧ください。

はてなブログ「禅者の一語」碧巌録意訳・・この素玄居士提唱「無門関」復刻・意訳「禅のパスポート」より、初心の方には取り付きやすいと思います。

数息坐禅から、公案拈弄に入って・・坐禅する時、自己の禅境(地)をかえりみる一助となさってください。

(注)この素玄居士提唱「無門関」は、不許転載です。

禅は宗教に非ず・・と喝破された方ですから、とりわけ寺僧の教導・教材になさらないでください。 

◆学問・教養は氷に過ぎない!ZENの働きは「水」である・・

禅のパスポート 無門関NO28   

なぜ・・暗闇の黒牛「牟(む)う」と云わぬ。

         久響 龍潭(きゅうきょう りゅうたん)第二十八則

    【本則】龍潭、ちなみに徳山 請益(しんえき)して夜にいたる。

        潭云く「夜ふけぬ。なんじ何ぞ下り去らざる」

        山 ついに珍重(ちんちょう)して廉(れん)をかかげて出(い)ず。

        外面の黒きを見て却囘(きょうい)して云く「外面くらし」

        潭すなわち紙燭(ししょく)を点じて度與(どうよ)す。

        山 接せんと擬(ぎ)す。潭すなわち吹滅(すいめつ)す。

        山 ここにおいて忽然(こつぜん)として省(しょう)あり、

        すなわち作禮(さらい)す。

        潭 云く「なんじ、この何の道理をか見る」

        山 云く「それがし今日(こんにち)より去って

             天下の老和尚の舌頭(ぜっとう)を疑わず」

        明日にいたって龍潭 陞堂(しんどう)して云く、

       「このうち この漢あり。牙釼樹(げけんじゅ)の如く、 

        口 血盆(けつぼん)に似たり。

        一棒に打てども頭(こうべ)を回(めぐ)らさず、

        他時異日(たじいじつ)孤峰頂上(こほうちょうじょう)に向かって、

        吾が道を立(り)っすることあらん」

        山ついに疏抄(しょしょう)を取って法堂前において、一炬火をもって

        提起して云く、諸(もろもろ)の玄辯(げんべん)を窮(きわ)むるも、

        一毫(いちごう)を太虚(たいきょ)におくが如く、

        世の枢機(すうき)をつくすも一滴を巨壑(きょがく)に投ずる似たりと。

        疏抄(しょしょう)をもってすなわち焼き、

        ここにおいて禮辞(らいじ)す。

【本則】素玄提唱

徳山は金剛経を講じ、南方に魔子(ます・ZENという仏法破壊の禅者)ありて、即心即佛というを聞き、これを打殺せんとして金剛経 疏抄(詳細な解釈、講義資料付)を肩に担い、龍潭を訪ねて、この商量(問答)となった。

紙燭(ししょく)を消して黒漫漫(こくまんまん)か、こんなところで悟ったら無我夢中じゃ。徳山の云うことを見てもわかる、和尚の即心即佛を疑わずと。力の抜けた矢のようなもんじゃ。

何で「牟(む)う」と云わぬ。

暗闇(くらやみ)の黒牛じゃ。

そしたら俺は讃(ほ)めてやるがな。

龍潭も出放題に讃めちぎっている。とかく禅を修じはじめは、チョット手がかりがついたような気がするが、そんなことで也太奇(やたいき・奇跡的)だとか何だとか、独りで偉がるのがある。しかし徳山は、後来、豪物(ごうぶつ)になるだけに、疏抄を焼いたが、こんな荷物をかついで歩くのも大変なわけじゃ。

お経と禪とは全然 別物で そこがわかっただけでも まずまず結構。

素玄曰く 映画の殺陣・・コロリと死んでる

   【無門曰く】徳山いまだ関を出でざる時、

         心墳墳(こころふんぷん)口悱悱(くちひひ)

         とくとくとして南方に来って、教外別伝の旨を滅却せんと要す。

         禮州(ほうしゅう)の路上にいたるにおよんで、

         婆子(ばす)に問うて點心(てんしん)を買わんとす。

         婆云く、大徳(だいとく)、車子(しゃし)の内(うち)是れ何の文字ぞ。

         山云く、金剛経の疏抄。

         婆云く、ただ経中に云うが如くなれば、

         過去心も不可得(ふかとく)、現在心も不可得、未来心も不可得と。

         焉大徳、那箇(なこ)の心をか點ぜんと要するや。

         徳山この一問を被って、

         直に得たり口遍擔(くちへんたん)に似たることを。

         しかも かくの如くなりといえども、

         あえて婆子の句下(くげ)に向かって死却せず。

         遂に婆子に問う、近所に何の宗師かある。

         婆云く、五里の外(ほか)に龍潭和尚あり。

         龍潭に到るにおよんで敗闕(はいけつ)をいれ盡(つく)す。

         いいつべし、是れ前言後語に応ぜずと。

         龍潭、おおいに児を憐れんで醜(みにく)きを覚えざるに似たり。

         他の些子(しゃし)の火種(かしゅ)あるを見て、

         郎忙(ろうぼう)して悪水(おすい)をもって

         驀頭(まくとう)に一澆(ぎょう)に澆冠せず殺(ぎょうさつ)す。

         冷地に看(み)きたらば、一場(いちじょう)の好笑(こうしょう)ならん。

【素玄 註】那箇の心をもって點心するか(點心は間食のこと。婆子もやり手じゃ)邊擔(へんたん 荷物を擔(かつ)ぐ棒。徳山は強気だから関せず鴛(えん)で済ました)前言後語(教外別伝を破らんとして却(かえ)って降参したること)火種(心に火種があって無一物でないこと)冷地(冷静に)

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

徳山は龍潭に至るまで、学問知識の自信、自慢でいっぱい。

禅の不立文字の意味すら、知識解釈で用足りると思い込んでいた。今でいう頭デッカチである。

行脚(あんぎゃ)の途中、茶店のヤリ手婆さんとの「點心(てんじん)問答」・・金剛経の一説「過去心、現在心、未来心、すべて不可得(ふかとく、あり得ない)のに、昼飯がわりの食事(點心、てんしん)、いったいどこに點ずるのか?答えられずに徳山の口は「への字」になってしまった。

この「ココロを点ずる」のはどこか・・道うて見せよ・・そうすれば昼飯代は無料にしてやる・・に答えられず、自慢の鼻をへし折られたが、コノコトを教えてくれた先生の居場所だけは突き止め、龍潭にたどりついた。

だが、まだ負けず口だけは達者だったとみえ「ナンダ・・ハロバロと辿り着いてみれば、龍が棲みつくような淵もなければ・・ただのチッポケな池があるだけじゃないか」と、形に囚われた生意気な求道者だった。

このように龍潭に参禅、問答した由来は、徳山にとっては大事かもしれないが、私(やアナタ)にはどうでもよいこと。

龍潭は、多少、見どころのある徳山に・・妄想の火だね・・があることを見抜いて、夜更けの禪話の帰り際、差し出した明かりを吹き消す・・思い切りのいい冷や水を頭から浴びせたのである。

徳山、省あり・・これは悟りではない。禅機に気づいた状態(知識を氷とすれば、心が自由に動きだす水の状態)で、これからコノコト(色即是空)を、生活の中に体験していく「禅ニヨル生活」・・修養の始まりなのである。

冷静に見れば、この公案・・坐禅すれば一場のコントになる。

  【頌に曰く】名を聞かんよりは面(おもて)を見んには如(し)かず。

        面を見んよりは 名を聞かんには如かず。

        しかも鼻腔(びくう)を救いうるといえども、

        いかんせん、眼晴(がんせい)を瞎却(かっきゃく)することを。 

【素玄 註】鼻孔云々(鼻の頭を掴まれることは防いだが眼の方は潰された。眼をつぶされたので、禪の方が少し解ってきたの意)

【頌に曰く】百聞一見に如かず・・というが、一目見ただけでは、教外別伝(仏教のそとにある・・別の教え)は、簡単に納得できない。ではどうするか・・徳山は、鼻を捻じられることは防いだが、イキナリ、真っ暗に眼をつぶされて、おかげで禪のことが少しわかったようだ。

【附記】氷じゃダメ!溶かして水の働きが大事・・ということ!

徳山宣鑑(とくさんせんかん 蜀、四川省の禅者780~865)・・若くして、ひとかどの仏教学者であつた彼(周金剛)は、南方に「禅」という不立文字教が流行っていると伝聞して、悪魔の教えを破壊すべく、講釈用の金剛経を引っ担ぎ、蜀をでて南下した。

現代流に言えば、知能指数抜群の大学の哲学、科学系の先生・・頭脳(の論理、思考)比較検証に、学会や評論家を論破して自信満々、禪 何するものぞ・・とばかりの勢いで龍潭を目指したのである。

途中、禮州路で茶店の婆さんに「お前さんのどこに点心するのか」と問われて、答えられず、手ひどくやり込められた。

そのあと、龍潭に尋ね、夜分に到る問答で、明かりを吹き消されて1本負け。自慢の金剛経を焼き捨てた・・禅は宗教でも哲学でもない逸話である。

(龍潭を辞して、その足で潙山霊祐(いさんれいゆう)のところにやってきた問答は、碧巌録第4則「徳山 潙山に到る」で紹介します)

尊き大道も書物の時は、世の中の用を潤沢(じゅんたく)することなし(水の氷たるが如し。さて氷となりたる経書を世上の用に立てんには、よく溶かして元の水として用いざれば潤沢にはならず無益の物なり。二宮尊徳/夜話) 

*焚き木を背負って、歩きながら本を読む少年・・二宮尊徳像は、戦前まで、小学校の正門の前に銅像であつたが消滅したようだ。その彼の格言・・例えれば、文字言語は水が硬く凍り付いた「氷」の状態であり、活用しようとすれば、溶かして(暮らしの中で)水にして働かないといけない。

実際に畑を潤おし、人の喉の渇きを癒すのは「水」の働きである。

水は方円にしたがい自由自在である・・の意。