禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆「正直」でないと樽や木桶はつくれない・・と云う・・どうしてか?

禅のパスポート 無門関NO33 

正直」でないとマアルイ樽や木桶はつくれない

    非心非佛(ひしん ひぶつ)第三十三則       

             【本則】馬祖 因みに僧 問う

                 如何なるか 是れ佛。

                 祖云く 非心非佛(ひしんひぶつ)

 

【本則】素玄提唱 字づらの意味では、心を非とするは、即ち佛を非とする。

この佛も禅のことじゃ。

心とは何か、禅とは何か、その心以外が即ち禅以外じゃ。

いったい心に境界線があるかしら、敬とか愛には非敬も非愛もある、敬も非敬も愛も非愛も、みな心の内じゃ。心以外とは何のことやら、禅以外とは何かナ。

文理的に云うなら即心即佛(禅)以外のものを指すことになる。

即心即佛は、前の公案(第30則)に述べた。

心以外を把握したら本則になる。

心以外というものが、あるじゃろうか、掴んで見たら いつの間にやら心になっていた。

心だナと思ったら、いつの間にやら心以外に変わっていた。あゝ七面倒な事じゃのう。

即心即佛は禅の公案じゃ。

非心非佛は禅機の公案じゃ。

表と裏のようなもんじゃ。即心即佛から禅機が生々ハツラツ、湧起(ゆうき)する。流露(りゅうろ)する、それが非心非佛(禅)じゃ。

即心即佛は述べて盡(つく)さざるところあり、非心非佛は至りて極まるところなし。

あんまり広々として、手の舞、足の踏むところを知らずじゃ。

禅機も非心非佛にならんと面白みが出ないテ。

悟臭(ごしゅう)が抜けるのじゃ。

素玄居士曰く 春は嬉しや 

  二人揃うて花見の酒

    ステテコ ドンドン。

   【無門曰く】もし者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)せば

         参学の事 畢(おわ)んぬ。

素玄 註これが出来たら禅のこと了畢(りょうひつ)じゃ。

     【頌に曰く】路に剣客に逢わば、すべからく呈(てい)すべし。

          詩人に遇(あ)わずんば、献ずることなかれ。

          人に逢(お)うては、かつ。三分(さんぶ)を説(と)け、

          未(いま)だ まったく一片(いっぺん)を施(ほどこ)すべからず。

素玄 註剣客云々(剣客だろうと、詩人だろうと「やあ今日は・・お早う」と云うようなもんじゃ。

ヂャガ非心非佛を丸出しにはすまいぞ・・と云っているが、素玄は丸出しにしてしまった)

前二句の倄訛(こうか)が非心非佛(禅)をチャラチャラさせたつもりか知らんテ。

どうも心許ない裳裾(もすそ)の乱れか。

附則 「倄訛」・・倄⇒コウの字は、ゴンベンになっているが辞書にない。「嘘偽り・ごまかし」の表現の意。真の禅者と遭遇しないかぎり、本音をバラスことはしないがよい。30%ぐらい語れば十分だ。

餃子にビールで、気楽にありのまま、話せば良いものを、よせばよいのに懐石料理の振る舞いだね。

正直の木樽づくり・・種明かしすれば、正直という名のついた曲げ(角度)のついたカンナでないと、ピッタリの円形の樽は出来ない。曲がったものに「正直」と名付けた昔の職人気質が面白い。ただそれだけの事サ。