禅のパスポート 無門関NO37
◆本則(趙州云く)はチョットおかしいぞ・・素玄居士
庭前柏樹(ていぜん はくじゅ)第三十七則
【本則】趙州 ちなみに僧問う
如何なるか是れ 祖師西来の意
州云く 庭前の柏樹子(はくじゅし)
【本則】素玄居士提唱 亭々たる庭前の柏樹子(趙州は禅院の庭の柏の樹)・・これが「禅」じゃというのだが、「麻三斤」(洞山18則)にくらべてハナハダ見劣りがする。
趙州門下(法嗣)の覚鐵觜(かくてつし)が、先師にこの語なし。先師を謗(ぼう・・あざむく)するなくんばよし、と云っているが、それが本当であろう。
趙州ともあろう者が、こんな下手くそなことを云うはずがない。
乾屎橛(雲門21則、かんしけつ・・くそカキベラ)などの方がはるかによい。
本則に賊機あり(関山国師)と云うが、それは胡魔化しがあるというのでなくて、学人を錯(あやま)り、未徹底なとこがあるのじゃ。
(この事は書かれぬ)
これは各人修行して自得しなくては禅に力が出て来ぬ。
無門が本則を加えたのはチトおかしいテ。
◆素玄云く 柏樹 古家に榜(そばた)つ。
【無門曰く】もし趙州の答所に向かって 見得して親切ならば
前に釈迦なく 後ろに彌勒(みろく)なけん。
【無門曰く】省略【素玄 註】本則が透ったら違った見当へ行く。迷禅じゃ。
釈迦も彌勒も遁(に)げて行く。本則の賊機がわかれば釈迦、彌勒。
【頌に曰く】言、事を展(の)ぶることなく、語、機に投(とう)ぜず、
言(こと)を承(う)くる者は喪(そう)し、
句に滞(とどこお)る者は迷う。
【頌に曰く】省略【素玄 註】展示云々(禅には説明はない)不投機(禅には調子を合わせることもない)喪云々(説明についてまわると、元も子もなくなる。言説にヒッカカルト迷う)
【附記】どうして・・菩提達磨が何年もかけて海路、中国までやってきたのか・・「祖師西来意」は、自己への問いかけです。
求道者の問わざる以前・・趙州、答える以前・・チャント見處を露呈している・・との・・素玄云く【頌と評】です。
般若心経に云く・・心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒無想 究竟涅槃・・