禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆ある奴にやり ない奴から取る・・そうすると・・

禅のパスポート 無門関NO44 

有る奴にやり無い奴から取る・・そうすると禅が湧く 素玄居士

この則は・・初めから終わりまで素玄居士の文字通り丸写し。

読者の皆さん・・

今回は独り坐禅で素玄居士と真っ向・・相見してください。

           芭蕉 拄杖(ばしょう しゅじょう)第四十四則

           【本則】芭蕉和尚 衆に示して云く 

            汝に拄杖子(しゅじょうす)有(あ)らば、我 汝に拄杖子を与えん。

            汝に拄杖子無(な)くんば、我 汝が拄杖子を奪わん

【本則】素玄居士 提唱

禅坊主は なかなかキイタ風なことをぬかす。

有る奴にはやる。

無い奴から取る。この拄杖子とは禅坊主の持っている棒のことで、禅のシンボルに用いられる。碧巌集にもよく出てくる。

本則は禅のある奴には、禅で応対してやろう。

禅のない奴なら禅を奪い取ってやる。

この禅は一物のなきことを指すのじゃ。

雑念妄想があると禅はない。

禅のないとは、この雑念妄想があることで、禅を奪うのは雑念妄想を奪うのじゃ。

そうすると、そ奴に禅が湧いてくる。

修禅の学人を接し これを自分と同じようにする、ツマリ禅の修行をさせるには、雑念妄想を抜きとるのじゃ。その手段はいろんな公案を捏ねくりまわし、棒し喝し あるいは、速やかに道え、速やかに道え・・とか、種々にしてまるでネズミが銭筒に追い込められた様にしてやる。

赤裸々にすじゃ。

慧可の不可得(ふかとく)じゃ。

こうなると雑念も妄想も居どころがなくなる。

廓然無聖(かくねんむしょう)じゃ。

すなわち雑念妄想を奪い取るのじゃ。

そうすると禅が湧く。

無一物中 無尽蔵(むじんぞう)カナ。

こんな説得法が古来のやり方らしい。

説得は師家の手腕で境に従って景ありじゃ。

本則は この逆にも見られる。禅を持っているぞ・・などと云う奴に拄杖子で一本ポンと喰(くら)らわしてやる。

悟臭の吩(ふん)たる奴にはこの手でやる。

禅も何もないと云う飛び切りな奴なら、そ奴から禅を引き抜いてやる。

即ち禅機を弄(ろう)し他の禅機を見るのじゃ。

本則は二様に見られるが、こんなのは講釈禅で公案の真意とは違う。

本則は有る奴にやり、無い奴からとる。

サアどうじゃと云うので、拄杖子はつけたのに過ぎぬ。重きに便にし、軽るきに便にせずじゃ。

これが活作略(かつさりゃく)じゃ。 

素玄云く 首吊りの足に噛みつく野犬かな

      【無門曰く】扶(たすか)っては 断橋(だんきょう)の水を過ぎ、

            伴(ともな)っては 無月の村に帰る。

            もし喚(よ)んで 拄杖となさば、

            地獄にはいること箭(や)の如し。

【無門曰く】素玄居士の註・・ソノママに意訳とします。

素玄 註・・断橋の水を過ぎ云々(橋の落ちた川をわたり、暗夜の村を行く時の杖、この杖を拄杖子と云わば堕地獄じゃ。拄杖子は杖でない)

             【頌に曰く】諸方の深(しん)と浅(せん)と、

                  すべて掌握(しょうあく)の中(うち)にあり。

                  天を撐(ささ)え ならびに地を拄(ささ)う、

                  處にしたがって宗風をふるう。

【頌に曰く】素玄居士の註・・ソノママに意訳とします。

素玄 註・・拄杖子じゃから掌中(しょうちゅう)にある。何にでも使える。天を撐え地を拄うと云うのも誇大にすぎて狂気じみている。こんな文句のある文章は 値打ちがない。     

【附記】 この則は・・初めから終わりまで、素玄居士の文字通り、丸写し。

読者の皆さん・・この則は、独り坐禅で素玄居士と相見なさることです。

こうした解訳は、この第2稿まで。第3稿は全くの内容を改め出版するため、この奉魯愚に掲載しません。

僧堂師家、先生方・・ある奴にやり、ない奴から取る。

餓鬼の如く、目を吊り上げて縋(すが)ってくる輩は・・始末が悪いが見込みアリ。

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