禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

坐禅は ハタシテ・・「禅」なのか?

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坐禅すれば「禅」・・を理解できるのでしょうか?

坐禅は・・ピチピチ跳ねる若鮎の如き・・「禅」ではありません

答えは「NO」です。

いくら坐禅しても、理解して禅(覚)者にはなれません。

どうしてか・・お話しします。

以前、磨塼作鏡 マセンサキョウという禅語録に出てくる中国唐代の馬祖道一と師の南嶽懐譲の「瓦を磨いて鏡となす」坐禅修行をして悟りを開く、そんなことは不可能だ!という話を紹介しました。

電磁的社会のアナタは、釈尊菩提樹下、悟りを開かれたとか・・達磨が遠くインドから支那(中国)に船旅をして、禅を伝えたといわれる逸話など、ドコカノ禅寺での講話や、本で知っておられるでしょうが、「禅」を理解できる・・という大間違いのもとは・・釈迦が「坐禅」をして悟りを開かれ・・その釈迦(正覚・禅・解脱)の教えが仏教・禅宗だと思われているからです。これは禅と仏教を混同してしまった結果です。

ありていに言えば「ZEN」を仏陀(ゴーダマ・シッダルダ)の悟りと、その教え(仏教)と一緒にして誤解してしまったのです。

禅は、仏陀が悟りを開かれる以前に、すでにバラモンの教えとしてあり、たまたま仏陀も、暁の明星を看られて、悟りたる人=覚者たち・・つまり仏陀「禅者」の一人になられたのです。これを禅(静慮・大覚・悟り・解脱)の代表者のように仕立て上げ、欣求仏教(宗教)として仏教集団(寺僧)が、布教して回り教団(組織の)勢力を広げたのです。

禅を、誤解を恐れずに言えば インドで発見された数字【0】ゼロを、六道輪廻の人生観に別個の超越する浄土(極楽)を設定(欣求する教団組織として体系化した)のが仏教の概念でしょう。

インド仏教は、さすが実際的実利的な中国(支那)の地に合って、言葉にも、文字にも書けない「禅」を、根本(素・元・玄・宗)に据えた教え・・仏(仏陀=正覚)者の教えとして「宗教の・モト」=禅宗と名付けたハズでした。

ところが、中国への進出に遅れて海路、ノコノコやって来た達磨禅を、すでに開拓を終えた他の仏教教団が、仏教全体の素(モト・宗)とは認めませんでした。

【禅】は、具体的・実利的な支那文化の中で、新しく「教外別伝・不立文字」とか「正法眼蔵 涅槃妙心 實相無相 微妙法門」とか、旧来のインド仏教にない・・訳が解らない中国漢文の「妙」とか「相」とか「空即是色」とかの、不思議な文字表現を取り込んで、宗教(集団・組織)上の新宗派として成立していきました。そして、それが日本に伝播したのです。

これは何事につけ、継続拡大をはかる、人間の社会的組織の保存・拡大の方法です。寺僧と欣求宗教は、ありていに言えば、常に市場(フィールド)に需要を作るマーケテング(生業)活動の一つなのです。

しかし、臨済の登場する時代までは、禅は本来無一物・・孤独に深山幽谷に隠れ住む求道者のみの純禅でしたので、これに同調(シンクロ)するはずがありません。モチロン何事につけ「造作」を完全否定して、棒・喝をふるった禅者達の背後には、智慧+慈悲を、南無釈迦牟尼仏と祈願する、禅宗教団が、生き残りをかけて、宗派の枝葉を伸ばしていきました。逆に云えば、揺籃期にあつた「禅」の、やむを得ないサバイバル事情でありました。

ソレデモ・・よくぞまあ・・臨済宗黄檗宗曹洞宗の三宗派が、第二次世界大戦(1945)位まで・・どうにか昭和の年号~1989年が終わるまで息を繋いだ・・といえましょう。

そして21世紀・・世界がデジタル(電磁的)社会となり、コロナウイルスによるパンデミックでアタフタする状況になりました。今こそ「禅」は宗教(観光拝観禅)からから脱皮して、欣求宗教・葬式仏教・坐禅・写経道場・精進料理屋から、親離れ子離れしなければ、未来はないと考えます。抹香臭い葬式とか政治政党に絡む教団仏教に、宇宙時代(量子力学スマホ)の若者は見向きもしないことになりました。

「ZEN」は、釈尊正覚の初めから今日まで、ズット~未来永劫~欣求宗教の一派「禅宗」ではアリマセン。悟りたる(仏陀)⇒【禅】者の本源【宗】をムネとする教え・・が、菩提達磨によって伝えられた「禅」です。

このことは「禅」が「欣求宗教」ではないとした昭和初期の素玄居士(高北四郎著 提唱無門関 ・・絶版中)の著作にも明らかです。また、江戸時代中期の盤珪永琢の「不生禅」には、禅を世界に紹介した禅者・佛教学者の鈴木大拙博士も、寺僧の教導する禅ではない・・新しい庶民禅の底本になるべき・・現代の「禅」復興に注目されておられたようです。

*後の別章で紹介する不生禅は・般若心経の「不生不滅」の一句「不生」で、すべてがととのう・・と喝破した盤珪永琢(ばんけい ようたく1622~1693)は、宗教(的)でない禅者として「禅ニヨル生活」を庶民に説き示した純禅の禅者です)この他・・妙好人も禅者であると認識されていたと思います。

この不生・庶民禅や妙好人に宗教的(マーケテング・・寺僧禅)の悪臭はありません。

 *古くは釈尊菩提樹下の大覚(見性)以来・・唐代の禅者達の語録に、仏像を焼いて暖を取ったり、悟りの証拠である師から貰った衣鉢や机など捨ててしまったりする禅者がおうおうに語録に登場します。お経をトイレ紙と吐き捨てる禅者・公案が語録にあります。当時、禅者は純真(素直・正直)な求道者でした。寺僧の教導(共同)利益、存続発展の生業(ナリワイ)の意識・態度は微塵も窺われません。あるいは「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃというが愚かじゃ」とか・・梵天に乾いたクソを捧げるといって遷化した、日本の一休さんや、また、乞食の生涯・・雲溪桃水(うんけい とうすい1612~1683)。その友・・孤高の禅者 大愚宗築(たいぐ そうちく1584~1669)あるいは武士から身を禅に投じた無教団の石平(山)道人=仁王禅の鈴木正三(1579~1655)。いずれもが江戸初期~中期にかけての民間、庶民の「禅ニヨル生活」を説いたアウトサイダーな純禅の禅(行・道)者が、各自各様の禅を説いて出現しています。

坐禅は(禅ニヨル生活をする・・行)禅ではありませんから、私は、坐禅をするなら、効能書きのない、役立たず、無功徳(無価値)な三分程度の独りイス禅(初心の方には数息坐禅)を推奨します。

サア坐禅でもスルゾ・・と根をつめて、三昧(集中)したところで、心理的異常(魔境)を養成するような・・お寺の坊さんが跡継ぎ資格を取得するための専門道場や僧堂の修行などは、もはや卒業するべきです。確かに、身も心も安(やす)んじるには、無価値で効能のない(TPOの)坐禅が大事です。しかし、おやりになれば、正直・・3分程度で、どんな人も集中する糸が切れてしまいます。後は必ず妄想が湧いてきます。

たったの3分・・坐禅にはならない・・それだからといっても・・僅か3分間程度イスに坐って・・であれ充分じゃありませんか。足が痛いのを我慢して、無理やり結跏趺坐して、脂汗を浮かべて「む~む~」りきんで「悟り」が得られるものなら、千年前の馬祖とその師、南嶽懐譲の磨塼作鏡(マセンサキョウ)など、何のために語録として後世(現代)に残っているのですか。

釈迦(釈尊)や達磨や臨済や趙州や、千年ぐらい前までの禅の求道は、独り一人に備わっている「ZEN」・・般若心経の「色即是空」の「空(無)」を・・独り一人が自覚自悟することでした。        

それこそ・・ナントも文字に表現できない「禅」・・今も変わりない実際の行いなのです。

ですから、釈尊は明星禅・・達磨は壁間・無功徳禅と言い、六祖恵能は「本来無一物」禅。臨済禅は「無位の真人」禅、または「無造作禅」といい、趙州は無(字)禅、喫茶(去)禅といい、一休は風狂禅、盤珪は不生禅、鈴木正三は仁王禅、雲溪桃水は「乞食禅」。あるいは白隠は隻手禅・・良寛さんは「(焚くほどに風が持て来る)落ち葉禅」・・山頭火は「鉄鉢に霰(アラレ)禅」あるいは「濁りつつ澄む禅」・・釈宗活老師は「両忘禅」。山本玄峰老師は「性根玉」禅。素玄居士は裸(心)禅・・私は、「役立たず(無価値)の独りポッチ禅」を現代の若者に推奨します。   

【附記】もともと「正法眼蔵」という言葉は中国で作られた偽経「大梵天王問佛決疑経」(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)の拈華品(ねんげぼん)第2に、お釈迦様が摩訶迦葉(マカカショウ)尊者に法(禅)を伝えられた時の言葉の中に出てきます。*参考 西村 惠信 著 抜粋「臨済録をめぐる断章」(自己確立の方法)発行・禅文化研究所

*私は仏典や禅語録で「法」や「佛」を説く文字の代わりに、最もふさわしい「禅」の一字に書き改めています。抹香臭いイメージから脱出して、人工衛星や火星旅行でも、禅ニヨル生活をする禅(行)者が出現してほしいと願っています。

いずれにせよ文字や言葉は・・「名月蘆花 君自(みずか)ら看(み)よ」です。*碧巌録62則 頌

有(会)難とうございました。

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