禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート・・看よや看よ 古岸 なん人か釣り竿を把(と)る!碧巌62則頌

禅者の一語・・碧巌の歩記(あるき)    

碧巌録・無門関の現代語 意訳 第2稿を編集するため、掲載中の各則を順に回収(削除)しています。

どうぞアナタも この役立たずな奉魯愚(ブログ)を読み返して見て下さい。達磨の無功徳禅・・思いがけない発見があると信じています。

  • 当面の間・・禅者の一語では、一休宗純風狂禅・大愚良寛の野風禅や盤珪永琢の不生禅など・・禅者の一悟にふさわしい一語を紹介していきたい。
  • 禅のパスポートでは、電磁(量子)的社会にあって、独り一人にある「ZEN」の発見・発明について・・また、生前葬(逆葬)の薦めなど、深堀したい。
  • 羅漢と真珠・・元服の記では、スマホやマンガ中毒(依存症)になった中学・高校生を主な対象に、独りポッチの3分間ポッチの・・イス禅を推奨していきたい。いわば、生活という荒れ地に、禅のタネをまいて・・宗教や哲学・論理・教団組織になじまない・・菩提(自覚)樹を育てたい・・。

引いては、宇宙開拓に乗り出すアストロノート無重力の宇宙船の中で、禅ニヨル生活を行うことを夢見て・・の記録としたい。

今、この時に もつとも似つかわしい公案(2020-3-30)を ここに紹介しておきます。

        碧巌録 第十二則 洞山麻三斤(どうざん まさんぎん)

【垂示】禅者の行ないを、殺人刀とか活人剣とかいうのは昔からだが、求道者の(死生の)首根っこを押さえつけて自在に操(あやつ)る達道の師がいる。殺を論ずる時でも、まるで相手に殺気を悟られないし、また、活きる・・禅行そのもので、止めを刺されていることを気づかせない腕前である。

だから禅者の・・ギリギリの一語は、釈迦・達磨と云えども不傳である。昔(中国の故事に)井戸に写った月を本物と見誤って、飛び込んで溺れた猿がいたそうだ。求道者や教導の輩は、よくよく注意するがよい。すでに「不伝」と云っているではないか。

それなのに、どうして膨大な禅語録や公案、理屈がついて回るのか。祭り見物は阿呆のスルコト・・それなら観るより踊れだ。

サア具眼の者ナラバ・・本則を(ミルではなく)看るがよい。

             【垂示】垂示に云く、

              殺人刀、活人剣は、すなわち上古(じょうこ)の風規にして

              また今時の枢要(すうよう)なり。

              もし殺を論ずるも また一毫も傷つけず、

              もし活を論ずるも また喪心失命せん。

              ゆえに道う 向上の一路は 千聖も不傳なりと。

              学者の形を労することは 猿の影を捉(とら)うるがごとし。

              しばらく道え、

              すでに是れ不伝なるに なんとしてか 

              かって許多(そこばく)の葛藤、公案かある。

              具眼の者は 試みに説く 看よ。

【本則】求道者が洞山に尋ねた。

    「禅(佛)」とは、どのようなものでしょうか。

    洞山、手許の麻布を見ながら「是は重さ三斤だ」

                   【本則】挙す。僧 洞山に問う

                      「いかなるか これ佛(禅)」

                       山云く「麻三斤」

【頌】太陽と月は、日々。働く人と共にある。

洞山の返事は、どうして どうしてナカナカのものだ。

求道者は麻布を手にした洞山に、「ご精が出ますね」と語りかけた。まるで片足のないスッポンと目の不自由な亀が、浮かぶ瀬のない所を、あてどなく流離(さすら)うばかりの有り様だ

花いっぱい・・山は錦イッパイ・・南の温かい地方には竹林が・・北方には木々の林が碧なす天に連なっているではないか。

これについて、言語を絶し行いで禅境を示した者で思い出すのは・・かって・・南泉(普願)の示寂(834年)に際し、弟子の陸亘太夫が棺桶の前で大笑いしたことである。葬儀の場で、大笑いしたことを非難された陸太夫は、今度は「悲しや」と涙して慟哭。周囲の者をあきれさせた。のちにこのことを聞いた同期の長慶大安が・・「よくわかるぞ。死というなら笑うべし。哭(な)くべからず」と評した。

これほど率直、単的に、真実(麻三斤)と計量されたら、地獄の閻魔様でも舌は抜けない。大笑いの天地イッパイだよ。

      【頌】金烏(きんう)は急にして 玉兎(ぎょくと)はすみやかなり。

         善應(ぜんおう)なんぞ かって軽觸(けいしょく)あらん。

         事(じ)を述べ 機に投じて洞山を見たるも、

         跛鱉(はべつ)盲亀(もうき)の空谷(くうや)に入りしなり。

         花 簇々(ぞくぞく)錦(にしき)簇々。

         南地には竹、北地には木。

         よって思う。長慶(ちょうけい)と陸太夫(りくだゆう)

         道(い)うことを解せば笑うべし。

         哭(こく)すべからず。 咦。(い・・笑うこと)

 【附記】長慶大安(百丈懐海の弟子のこと/㊟長慶慧稜ではない)陸亘太夫(南泉普願の弟子)

洞山守初(910~990)雲門文偃の高弟。雲門は、同じ問いに乾屎橛(カンシケツ・・糞かきヘラ)と答えている。

麻三斤・・麻糸約1・5㎏

  • 佛=禅なり・・(buddha仏陀ブッダの略)賢者、覚者、智者の意。インドでは釈迦出世以前から、普通名詞として使用されていた。大乗(欣求)仏教的に釈迦を「佛」と表現した求道者の誤りは、現代の寺僧の生業の元にもなっている。釈尊や仏教(宗教)と混同、誤解する人多くいて、これは「禅」と表現するのが正しい。                                  私は釣れなくとも釣りが大好きだ。誰か寄ってきて「釣れますか?」と聞く阿呆より・・「立ち見の人を釣ってしまった阿呆な釣者」でありたい

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                         有(会)難とうございました。