元服の書 NO61-2
この一日をオロソカにすな!
*求道の問い(禅語碌の至言)に答えて書いています*
巻藁 七十二 生きること=息をすること
(文章・平成11年12月21日)
生きると、息をするとは同儀といわれる。ブッダの五出の調(ととの)えでも「一番に「吐く息を長く堂々とせよ」と申され、吐く息を多くせよ、吸う息は長からん。
大事な、大事な呼吸法です。
ヘソは神闕(シンケツ)という急所のツボで、神ガ宿ル所。肛門は人が一番最後に息を引き取る所だといわれ、共に人の最重要の急所です。 ヘソで息を吸い、丹田(たんでん)に納め、肛門から吐き切る――この呼吸こそ「無事有事ノ如ク 有事無事の如シ」の平常心につながる呼吸です。
越し方は ひと夜の如く思われて
八十路(やそじ)にわたる 夢を見しかな
弓あるは楽し 弓あるは幸いなり。
武ハ舞ニ同ジ—―と言われます。
ひと息ひと息、一矢一矢、一日一日、弓をいただいて、翁(オキナ)の舞を續けてゆきたい念願であります。
神舞閑全(シンブカンゼン)ナル粧(ヨソオイ)ハ老人ノ体用(タイユウ)ヨリ出ズ。
日頃、暮らしの中や、閻魔堂(道場)での耕雲老師の立ち居振る舞いは・・いかにも「弓和尚」の名にふさわしい・・鎌倉期の古武士の面影がひしひしと伝わる禅者でした。
(老師とは師事する人の意です。「親しき先生」と言うべき、中国からの呼称であり、老いたる指導者の意ではありません)
「禅者の一語」元服の書NO61-1/「禅のパスポート」元服の書NO61-2/「羅漢と真珠」のNO61-3/・・12/3付け奉魯愚で紹介いたします。
現在、上記 碧巌録と無門関(素玄居士 復刻意訳)、禅の話の雑感を3部作1巻1冊にまとめた、出版の準備(第3稿)を編集しており、追加したり削除したり、徹しきれぬ一面をさらけ出している有様ですが、明夏まで位はかかりそうです。この奉魯愚で 古武士の如く弓道場におられた老師の佇(たたずま)いを 読み取っていただければ・・と念願いたします。
3分間イス坐禅の極意は「弓和尚の澄心」であり、調心(ととのえる)であり、欧米の方にも、弓道は「究道」だと「禅ニヨル生活=行い」を教え、諭されたのです。
その呼吸法を、噛んで含めるように語られておられるのです。
有(会)難とうございました。