祖師西来意・・はるばると達磨はインドから何を伝えにやって来たのか?
無門関 第五則 香厳 上樹(きょうげん じょうじゅ)
【本則】素玄提唱 本則はなかなか面白い。西来意とは達磨が西方印度からはるばると海を渡ってきたのは、どうゆう考えかと云うので、禅のことを指す。禅は文字で表現することが出来ないから、内容の漠然たる文字で、道とか至道、箇事(コノコト)仏法的々の大意などなどを假用(かよう)する。
ここでも禅とは何ぞやと問われたのだが、答えれば樹から落ちて怪我する、喪心失命(そうしんしつみょう)の意味はこの他にもある。即ち禅のことをこんなものじゃと口から出して喋ると、元来 表現すべきなしじゃから 大間違いを喋ることになり、直に葬りさられる。阿呆扱いにされることおも含むとみるべきだ。つまり、この問いには答えることはならんのじゃ。
だが答えなければ他の所問に背く。さぁどうするかナ。
禅はこんな危なかしいもんじゃない。樹上にあって大磐石(だいばんじゃく)に臥(が)するが如しじゃ。この大磐石に臥する處を赤裸(せきら)に見せよと云うのが この公案で そこを手に入れていたら そこを見せてやる。
手になければ手に入れる工夫をするのが修禅じゃな。学人説得には こんな處に押し込んで、尻をヒッパタイて サア云えサア道えとやる。そこで口を開いて喪心失命し大悟一番となる、と云うのが定石らしいが悟入の道はいろいろあるさ。
香厳は潙山の侍者たること十八年。潙山が何事かあるごとに侍者を呼んで問い詰めて熱心に鍛錬したもんじゃが、どうしても入手することが出来なくて、そこを去って武當(ぶとう)に庵居していた。ある日、庭掃除の時、瓦石を竹林に投げたところが カチンと竹にあたって音を出した時に濶然(かつぜん)大悟したということである。
ところで この則の後にこんな公案がついている。
招上座(しょうじょうざ)あり。出でて問うて曰く、人の樹上に上る時は即ち問わず、未だ樹に上らざる時 如何と。
師 笑うのみ。
この問いは甘い。禅には樹に上るも上らないもないサ。
香厳もおかしくなって笑ったのだろうが、ここはひとつ叩いてみるもよい。
【本則】香厳和尚云く
人の樹(じゅ)に上るが如し。
口に樹枝を啣(ふく)み、手に枝を攀(よ)じず、
脚(あし)樹を踏まず、
樹下(じゅげ)に人あって西来意(せいらいい)を問わば、
對(こた)えずんば即ち他の所問(しょもん)に違(そむ)く、
若(も)し對えなば、また、喪身失命(そうしんしつみょう)せん。
まさに恁麼(いんも)の時、作麼生(そもさん)か對えん。
◆素玄云く・・
既に樹に上りたる時は「牟ムウウ、牟ムウウ」
是れ口を開かずして西来意を語っている處じゃ。
まだ樹に上らざる時は「ワン、ワン、ワン」
是れ 早く口を開いて腸を見せるのじゃ。
【無門曰く】たとい懸河(けんが)の辯(べん)あるも、
惣(そう)に用不着(ようふじゃく)。
一大蔵経(ぞうきょう)を説(と)きうるも、また用不着。
もし者裏(しゃり)に向かって對得着(たいとくじゃく)せば、
従前の死路頭(しろとう)を活却(かっきゃく)し、
従前の活路頭(かつろとう)を死却(しきゃく)せん。
それ或いは、未だ然(しか)らずんば、
直に到来(とうらい)をまって、彌勒(みろく)に問え。
【素玄・註】従前の死路頭云々(ここで大悟一番したとなると、これまで禅のことの何が何やら解からぬ真っ暗なところにポカリと光がさすようになるし、平気で活きていたように思っていたことが何の役にもたたぬカス妄想であったことがわかる。大悟一番できなかったら96億7千万年後に生れ出るといわれる弥勒菩薩の来るのを待っておれ。ヤレヤレ待ち遠しいことじゃ)
【頌(じゅ)に曰く】香厳 真に杜撰(ずさん)なり。
悪毒盡眼(あくどくじんげん)なし。
衲僧(のうそう)の口を唖却(あきゃく)して、
通身に鬼眼(きがん)を迸(ほとばし)らす。
【素玄・註】香厳云々(デタラメをぬかし手も付けられぬ。口を開くことも出来なくさせよる。こうなるとほかに仕方がないから学人の体中が鬼の眼じゃ。パチクリして睨むはかに能がない。鬼の眼になったら大悟近しじゃな。
【附記】坐禅したからと云って、悟れるものではない。禅寺の専門道場に、木像仏よろしく鎮座ましましたからといって、結果は・・何の取柄もない人に仕上がるだけだ。坐禅するのが「禅」ではない。坐禅をしよう・・と思う・・そのことが、どこともなく湧いてくる。そして坐禅するうちに、公案の答えに窮しニッチもサッチもイカナクなって眼がギラついてくる。大事は、この点につきる。
達磨が、はるばるインドから、中国に何を伝えにやってきたのか(祖師 西来意)・・言葉にも文字にも出来ない禅の大意を、自覚というより、生きる(行いの)全体で認知される・・認識する・・体覚するより方法がないのが「禅」なのです。
この公案は、例えるなら・・禅の大意を、手足を縛られ、口に木の枝を銜えさせられて吊るされる中、樹下には飢えた虎がいる・・絶対絶命の状況で・・自分なりに覚悟した意見を表現してみせよ・・との公案です。