禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

ピカリ‥ゴロゴロ‥ZENの悟りは雷嚇(ライカク)‥カミナリだ!ソンナ見性ナド追いかけてドウスル?

・・スマホ幽霊になって生きているナドと思うなよ!

晴れた空が「3分間 独りイス禅」なら、悟り(見性)は、その真っ青な五月晴れのもと、突然の稲妻一閃・雷嚇一声!ドカーンと目の前、頭の中が真っ白になった状態です。そんな見性など追いかけまわしても、悟りは坐禅で発見される出来事ではアリマセン。さもしい坐禅です。

釈尊はガンジス河のほとり 菩提樹下に夜坐を組まれ・・明け方 暁の明星の輝きに大覚されたというが、禅機・禅境(地)は雷見性(カミナリけんしょう)ではなく、よほど深かったのにちがいアリマセン。

迷いや苦しみが深ければ深いほど、大覚・見性は大きいといわれます。ですから釈尊は山河天地‥すべて悟りで輝いている・・金石麗生(純金も道端の石コロも等しく輝いている)・・と喝破されたのです。

何を書こうとしたのか・・そうだ・・

悟りを開くと、悩み事やウナサレごとの一切が無(空)に消えて、平常(心)無事の人となりますか?・・

答え‥決して「ナリマセン」

たとえ3分間独りポッチイス坐禅で「達磨の廓然無聖(かくねんむしょう)カラリとした青空のごとき境地」を体得したとしても、悩みや苦しみ(妄想)は、尽きることなく‥雲のごとく涌いてきます。

煩悩無盡誓願断(ボンノウ ムジン セイガン ダン)など出来る訳がないのです。

カラ井戸に雪を埋める、無駄な作業(坐禅)している‥と分っているなら、ご勝手にどうぞ。

‥であればこそ「煩悩即菩提(ぼんのう そくぼだい)」=「色即是空/空即是色」を体得することがZENなのです。

過年 日本の禅者が言った「想(思)いは頭の分泌物‥アタマ(ココロ)手放し!アタマ手放し!」‥捨て去り、忘れ去りして、文字通り 現在(即今)を大事に作務(さむ)して生きること・・です。

スマホにとらわれて、スマホ中毒(幽霊)にならぬこと。漫画は活字文化ではアリマセン。新聞や本を読める人になってください。独り居るときは客と接する如くせよ・・禅で悟ったと思えること=100%~1000% すべて間違いです。

禅は釈尊誕生以来、約2500年余り、仏教というインド/中国/日本の寺僧・先達の揺籃の中で育ちました。しかしデジタル化社会は、産業革命のアナログ社会の200年分の変化を1年で成し遂げ、世界に格差(差別)を蔓延させています。PCやITが悪いのではなく、発明や文化、事業など利用(応用)の仕方が間違っているのです。

これを変革して、まっとうな人間社会を形成できるのは、独り一人の人間に備わっている‥無価値/無功徳/無所得のZEN=禅による生活(行い)だけでしょう。

私は、今後 宗教から親離れして巣立った「ZEN」が、火星や土星を目指す・・宇宙にタッタ一人‥のアストロノートにより 無重力の宇宙船の中で、上下左右 クルクル回転しながら宇宙を目指す姿・・が あればなあ‥と夢見ています。

有(会)難うございました。お大事に。

何かの折 はてなブログ「禅者の一語」/「禅・羅漢と真珠」ご覧ください。