禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆火もまた涼し・・ホントかな?

心頭を滅却すれば・・火もまた涼し・・ホントかな?

昔、松竹映画の木下惠介監督が映画「笛吹川」を製作しました。天正十年四月三日、甲斐の国、武田信玄の位牌所である恵林寺の快川紹喜(かいせんじょうき)と修行僧百人余りを、織田信長の軍勢が、寺ごと山ごと火をかけ、有無なきままに皆殺しにしたのです。信長は、信玄と戦って勝利した勢いに乗じ、快川が、佐々木義賢の子、義治を寺にかくまったこと・・さらに信長に屈従しない禅者達の剛直ぶりを遺恨として 一山郎党を、山門に追い上げて焼き殺したのです。

快川は,戦火を逃れてきた反信長勢力の衆僧をかくまっていましたが、信長の軍勢は逃げることができないよう、山の周辺を軍兵が囲み、刀や槍で脅しつける残虐ぶりであったといいます。

この最後の時に挑んで、快川は「安禅、必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば 火、自(おの)ずから涼(すず)し」と遺偈して火定(かじょう)三昧となり果てました。

滅却とは・・ホロビルこと・スッカリなくすこと・・心頭滅却は、無念無想の境地に達する事とあります。理屈で言えば「断・捨・離」の行為で得られる境地ではありません。

余談ですが・・この映画(笛吹川 原作 深沢七郎、監督 木下惠介)の出演要請が大船の松竹撮影所から、横須賀線で一駅隣の北鎌倉駅にある臨済宗円覚寺の僧堂(修行僧)に届いたのです。たしか管長は朝比奈宗源老師の頃でした。宗源老師は、雲水達に、映画のセットであれ、火で焼かれる快川の禅行を体験させたかったのでしょう。出演を承諾しました

(私は当時、円覚寺山内にある続燈庵に寄宿してお茶の水に通学する学生でした)映画のスタジオでは、山門の伽藍に、居並ぶ禅僧たち(雲水の本物)が、さすが禅堂で修行しているだけって、ピタリ、坐禅三昧・・助監督が火付け役で、OKが出たら、スカサズ消火に当り、逃げ出せる万全の準備を期して本番を迎えたそうです。いよいよスタートでカメラがまわり、伽藍の下で火が燃え上がります。・・ココからは話のまた聞きです・・「本番です」監督の声がかかり、フィルムが回り始め・・準備した紅蓮の炎が伽藍にメラメラと上がった瞬間、あまりの熱さに居並ぶ坐禅の雲水さん、アッという間に逃げ出したそうです。

さてもさても・・当時の焼け死んだ快川紹喜や宝泉寺の雪峯、東光寺や長禅寺の禅者達の覚悟の禅境(地)に、ただ言葉もなく思いを深くしたそうです。

もちろん誰一人、火傷やケガもなく円覚寺に戻って来たそうですが、このシーン、本編で使用されたかどうかシリマセン。(たぶんカットされたことでしょう)

 この心頭滅却の絶句は、晩唐の杜荀鶴(とじゅんかく846~904)の作であるといわれています。その意は「暑い夏の頃は、山間渓流の涼しさを求めるまでもなく、ただ心頭を滅却スレバ暑さも涼しく観ぜられる」といった程度の感想文です。私は・・快川の引用は、単なる引用ではなく、日頃の快川ならではの「平常心」・・禅ニヨル生活の「禅境偈」であるとつくづく思います。

ZENは、独り一人の心の奥底にあり、自己内省により発見、発明(悟り)されることを待っています。そのキッカケが「たった3分間独りポッチ」のイス禅です。

人は悩む時・・哲学とか人生本とか・・宗教教団や仲間など・・何かの指標にすがりたくなるものですが、最後に頼りになるのは自分だけとなります。その自分だけ・・も、あてにはならず・・結局、役立たず(無功徳)のアリノママになることが必要です。

紀元520年に、インドから支那(中国)梁の国(金陵=南京)に海路数年を費やしてやって来た菩提達磨は、武帝と禅に関する問答を試みたが、禅を「無功徳(無効用)」といい・・禅とは何か?の問いに「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えて、嵩山少林寺に9年面壁坐禅した菩提達磨。純禅は、1500年経過した今も「真っ青な・・空」の如き変わらぬ天気です。

この禅境(地)の クダクダしい説明は、かえって自発的(自覚)を阻害することになる・・として・・まあ、そんな感じで奉魯愚しております。

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