◆この飯袋子(はんたいす)・・江西湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。
無門関 第十五則 洞山 三頓(どうざん さんとん)
【本則】雲門、ちなみに洞山、参する次(つ)いで、
門、問うて曰く「近離(きんり) いずれの處ぞ」
山云く「査渡(さと)」
門云く「夏、いずれの處にかある」
山云く「湖南の報慈(ほうじ)」
門云く「幾ときか彼を離(な)なる」
山云く「八月二十五」
門云く「汝に三頓(さんとん)の棒を放(ゆる)す。
明日に至って、却(かえ)って上って問訊(もんじん) す。
昨日、和尚に三頓の棒を放すことを蒙(こうむ)る。
知らず、過(とが) いずれの處にか在る。
門云く「飯袋子(はんたいす)江西湖南、すなわち恁麼に し去るか」
山、ここにおいて大悟す。
【本則】素玄提唱 洞山はスラスラとやったが、これに三頓(とん)の棒(一頓二十、三頓六十棒)を放つのは老婆親切じゃ。
それを過(とが)いずれにあるとやったのは心臓の強い男じゃが、これだけ位の心臓がなくては、大事了畢(だいじ りょうひつ。見性徹底の意)は出来ぬのじゃ。
元気のないのは何をしてもアカン。そこで飯袋子(はんたいす)と出たのは至極(しごく)当然。飯袋子とは弁当箱のような奴の意味。アチラコチラうろつき廻るに似たり。ここらは臨済の、大愚の肋(骨)下・築拳三箇(コブシで三回脇腹をつくの意)のあたりじゃ。
さらに破夏(はか)の機縁を要す。夏と云うのは夏季三ヶ月間の接心(せっしん)修禅の期間のこと。
◆素玄云く 田の面なる水のせせらぎ聞きてあれば、世の憂さとしも思もほえぬかな。
【本則】修行中の洞山が、雲門老師を訊ねた時、さっそく「素性を赤裸々(せきらら)にされる・・問い」がはじまった。
雲門「何処から来られたのかな?」洞山「査渡(さと)から・・」
雲門「この夏(安居 げあんご)は、いずこに?」
洞山「湖南(揚子江)の報慈山で修行していました」
雲門「それなら、お前さん、何時、その報慈を離れたのか・」
洞山「八月二十五日」
雲門老師は、ここで彼を見切って「それじゃ、六十回(三頓の棒を許す)ぶっ叩こうぞ」
叩かれた洞山、どうして叩かれなければならないのか、訳が分からず夜を明かした。
その思いが募って、憤懣(ふんまん)やるかたなく、頭に血が上ったようになった洞山、あくる日、雲門老師に食って掛かった。「昨日、三頓の棒を食らいましたが、どんな罪科(つみとが)があったのか、叩かれるイワレを言ってください」
雲門曰く「エエイ・・ただ飯食らいの糞造機(ふんぞうき)めが・・アッチコッチをさまよって、そのようにやって来たのか」
その「一語」を聞いて洞山、桶の底が抜けたように見性徹底した。
【無門曰く】雲門 当時(そのかみ)すなわち本分の草料をあたえて、
洞山をして別に生機(さんき)をあらしめば
一路の家門 寂寥(じゃくりょう)をいたさず。
一夜 是非 海裏(かいり)にあって著到(じゃくとう)して
直に天明を待って再来(さいらい)すれば、
また他のために注破(ちゅうは)す。
洞山 直下に悟り去るも未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。
しばらく諸人に問う、
洞山三頓(さんとん)の棒、喫(きっ)すべきか喫すべからざるか。
もし、喫すべしといわば、草木叢林(そうもくそうりん)みな棒を喫すべし。
もし、喫すべからずといわば、雲門また誑語(こうご)をなす。
者裏(しゃり)に向かって明らめえば、
まさに洞山のために、一口(いっく)気を出ださん。
【素玄 註】本分の草料(本来の食糧で禅的鍛練のこと)生機(打発大悟の機をなす)
家門寂寥(雲門宗の不振のこと)是非海裏(棒を放つとは何故かと思案にくれること)
性燥(乾いてカラカラの有り様、怜悧俊敏・れいりしゅんびん)草木云々(素直な答えが不可ならば 草木の自然なるも不可。率直を可とせば 雲門の放すと云うは欺語(ぎご)なり。この辺の事、明らかなれば雲門の悟處と同一となる)飯袋子では大悟と云うも怪しいもんじゃ。
【無門曰く】さすがに雲門宗の始祖・・雲門老師だ。
洞山に、ニッチもサッチもいかない、ギリギリの禅の食い餌(六十棒)を与えて、いっぱしの獅子の子を育て上げたものだ。
夜通し中、叩かれた屈辱に耐えて、雲門に吠え掛かればこそ、
悟ることが出来た。
無門、座下の求道者に問う。
はたして、三頓の棒で叩かれるべきか・・そうでないか。
もし叩かれるとなれば、
宇宙にある総てのモノが痛棒を喫すべし。
そうでないとしたら、雲門、叩けばホコリしか出ないのに、口から出まかせをいう奴となる。
サア・・ここで徹底、カラリとなれば、洞山・・天地同根の禅機、禅境(地)を手に入れたことになる。
【頌に曰く】獅子、児を教(おし)う 迷子の訣(けつ)。
前(すす)まんと擬(ぎ)して 跳躑(ちょうちゃく)して早く翻身す。
端(はし)なく再び叙(の)ぶ 當頭着(とうとうじゃく)
前箭(ぜんせん)はなお軽く後箭(こうせん)は深し。
【素玄 註】迷子訣(獅子は進むように見せて翻身(ほんしん)し、イロイロにして子に教える。
當頭着(洞山も見当がつかず頭を壁にぶちつけた)
前箭云々(三頓を放つはチョット可愛そうのヨウナもんじゃが、
飯袋子がグサリと箭(や)がツキこんだようなもの)
放すと云うて飯袋子と出たところが翻身の處だ。
【頌に曰く】獅子は仔を崖から落とし、這い上がってきて親の足を咬むような仔を育てる・・と、古事にある。蹴落とされ、振り落とされても、再び、谷底から這い上がるような、気迫のある・・洞山なればこそ、初めは見当もつかず壁にぶち当たった。けれども、雲門の「飯袋子」の一語が、禅機禅雷、喪心して・・ビリビリ感電死にいたった所だ。
【附記】この飯袋子(はんたいす)・・江西、湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。
*古くからの中國の、人を罵る俗語・・飯ぶくろ(弁当箱)のような、ろくでなし・・が、あっちをウロウロ、こっちをウロウロさまよい歩く・・の意
昔・・中国や日本の、禅に関心のある求道者は、自分のことをよく見極め、適切な指導、鞭撻をしてくれる師(先生・老師)を求め、訪ねて行脚(あんぎゃ)した。
現代の集団的一律教育方式と違い、規則に束縛されない専修、研究生活とでも言いますか・・学生である自分が納得できない師(先生)であれば、遠慮なくサッサと見切って、次の、自分が信頼するに足る師を探す旅(行脚・アンギャ)に出た。気に入れば、何年、何十年でも、師の傍らに自炊、縁の下にでも寄宿して、その薫(訓)風に染まったのである。
私は提案したい・・高校・大学は、それぞれの学生が何を学びたいか・・将来、なにをしたいのか・・求道ならぬ「求学者」として、自由に特色ある学校を選ぶことができ、先生や教授と、その勉学の仕組みは、それぞれ学生が選んで学ぶ形にして、真に厳しい中で切磋琢磨する・・SYSTEMが出来るように・・と願っています。
人生・・どんな仕事について苦労しようと・・どんな苦労も役には立ちますが、ただ勉強しなかった悔いは死ぬまで残ります。
とにかく、現代の教育の仕組みは、文科省の管理下におかれて、完全に利権化しているのはいけません。昔,求道者が師を選んだ・・「学びと教え」の基本に返ることが大事でしょう。寺小屋、松下村塾がモデルでしょうか。教育は・・
◆学生主体の「学・問」と「手・間」をかけるものであってほしい!
教育は求学者主体の・・独立独歩、よき師を求めて集合離散し、求学者自身が納得する師(先生)について、切磋琢磨する・・学問は文字通り「学びと問い」・・それと労力と時間「手・間」をかけることが大事でしょう。江戸時代に出来て、現代に出来ないことではないでしょう。