禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート NO12 提唱無門関【素玄居士】復刻・意訳

          無門関 第十二則 巌喚主人 (がんかんしゅじん)

【本則】素玄提唱 本則はおかしなもんじゃ。自分で自分を呼んで眼をさませとか、だまされるなとか、こんな心意的なことは禅にはない。A・B・Cと云うてD・E・Fと答えてもよいが、本則はチト公案としては変じゃ。瑞巌老はこんな自戒めいたことを云って、自分で警醒(けいせい)し行持(ぎょうじ)綿々密々(めんめんみつみつ)、禅機の一と見てもよい。禅境に出頭没頭(しゅつとうぼっとう)する間の、閑工夫(かんくふう)の一つじゃ。この出頭没頭は拙著「禅境」に詳述しておいた。

   【本則】瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)、

       毎日 自ら主人公と喚び、また自ら応諾す。

       すなわち云く「惺惺著」(せいせいじゃく)

       「諾」(だく・ハイ)

       「他時異日(たじいじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ

       「諾々」

【素玄 曰く】胡馬(こば)北風に嘶(いなな)く・・

(アエテ意訳スレバ・・1日千里を走るサラブレッドは、遠い故郷から吹いてくる寒風に誘われ、嘶いて走り出す)

【本則】自分が自分を呼んで、目を覚ませ!とか・・騙されるなよ!とか・・ハイと返事もしている。こんな心理的な自己問答・・禅ではない。だが、瑞巌老の自戒めいた話は、自分で禅機(エンジン)を発動させ、禅境(車のドライブ)を楽しむ心地であろう。

公案とみるよりは、看脚下=照顧脚下の実際を看よ・・と迫る話だ。

【無門曰く】瑞巌老は、夜店のお神楽(かぐら)の面売りだね。しかも独りで売って、独りで買う・・落語の花見酒、杯と五文のやり取りか・・儲けのないフーテンの虎さんだ。(ニィ!は語気を強める「サァドウダ」の口調)

威勢のいいタンカ売に、買おうか・・どうしようと、キョロキョロまごまごしたら、この買い物、高くつくぞ。まして瑞巌老の真似や受け売りをしたら、禅気に毒された病人・・と判定されるぞ。

   【無門曰く】瑞巌老子(ずいがんろうし)、自(みずか)ら買い自ら売って、

        そこばくの神頭鬼面(じんずきめん)を弄出(ろうしゅつ)す。

        何が故ぞ、漸耳(にい)、

        一箇は喚ぶ底(てい)、一箇は応ずる底、

        一箇は惺惺底(せいせいてい)、一箇は人の瞞を受けざる底、

        認著(にんじゃく)すれば、依然として還って不是(ふぜ)。

        もし、また他に倣(なら)わば、すべてこれ野狐の見解(けんげ)ならん。

【無門曰く】素玄 註。神頭云々(お神楽の面)漸(語を強める俗語。禅の公案語録は多く当時 市井(しせい)の方言俗語をそのまま口語体に駆使したもののようで、これも口調である。禅では上品ぶったり体裁を飾ることはない。赤裸(せきら)に無頓着なのだ。だから自然に用語に方言俗語が入るし、口語体にもなる。別に遠慮会釈することもないから語勢もキビシク猛烈じゃ。こんなことは日常茶飯(にちじょうさはん)にも介しないのじゃ)認着(惺々着・せいせいじゃくとか瞞・まんを受けざれとかの語意にしがみついていたら駄目じゃ)他に倣う(瑞巌の模倣もほうをしたら野狐禅。こんなことの受け売りは3文の値打ちもない)

 【頌に曰く】禅を知識や論理で解かろうとする者は、南極で北極星をさがす愚か者だ。雑念・妄想がいっぱい詰まった望遠鏡で、見えない星がどうして見えるものか。日常生活そのままが、人間本来の生き方だと思ったら大間違い・・(だから現実、実利重視の女性や学理の蕎麦屋蕎麦屋の釜は湯=ユウばかり、スマホ狂信者はナカナカ禅を手に入れられない)スターダスト⇒★と望遠鏡にへばりつくゴミ・・間違えるなヨ!。

  【頌に曰く】学道之人不識真  学道の人、真を識(し)らず、

        只為従前認識神  ただ従前 識神(しきしん)を認めむるが為なり。

        無量劫来(むりょうごうらい)生死の本、

        痴人喚(ちじん よ)んで本来、人(にん)となす。

【頌に曰く】素玄 註。参禅者 禅の真を知らざるは 従来の雑念妄想が いっぱいに詰まっているからだ。俗人は生死の本、即ち 日常生活しているソノコトが本来の人間だとしている。

けれども禅は日常生活以外に別の道ありじゃ。

他の瞞を愛くるナカレ。

お願い

素玄居士 著「禅境」の本を探しております。

おそらく この提唱無門関 下記同様、発行所 狗子堂、絶版になったと思われます。素玄居士の経歴、禅行由来など、少しの情報でもありましたら ご連絡(メール)ください。

参考 絶版「提唱無門関」現在意訳中の巻末記載 昭和十二年八月二日印刷 八月四日発行 

        定価送料共 金弐圓 一・八〇圓

著者(発行者)高北 四郎  東京市王子区上十條一五七八番地 池袋二ノ一〇五レ 

印刷者 徳永種晴  東京市芝区田村町五丁目二十三

印刷所 大洋社印刷所 東京市芝区田村町五丁目二十三

発行所 狗子(くす)堂 東京市王子区上十條一五七八番地 池袋二ノ一〇五レ

禅(ZEN)について素直で単的な見解・疑問・質問があれば・・日本語のメールでどうぞ。

日本語で率直にお答えします。 taijin@jcom.zaq.ne.jp

 

禅のパスポートNO11 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

      無門関 第十一則 州勘庵主 (しゅうかん あんしゅ)

【本則】素玄提唱 一方では浅薄(ざんぱく)とし、一方では擒縦殺活(きんじゅうさつかつ)自在無疑(じざいむぎ)の豪物(えらもの)として、お辞儀をしたと云うのである。趙州の禪機 人の知る少なしじゃ。これを拳の上げ方とか顔付きとか態度、挙措(きょそ)に違いがあるがあるのだと思ってはいかん。ソンナことは書いてない。書いてないのは無用なからじゃ。公案には必要をもらすなく、不必要を加えるなし。共に拳を挙げたのじゃ。禅機は禅の生々なる流露で、相手がなくても独りで禅機を弄(ろう)して楽しむ。ここでは相手がある。相手があっても相手なきに同じじゃ。この庵主もしたたかもんじゃ。コンナところが禅機の妙でナントも云われぬ面白さ。遉(さすが)は趙州と手を拍(う)ちたくなるのじゃ。こうして散歩するのも面白いだろうが、今日 此の人なし

   【本則】趙州 一庵主(あんじゅ)の處に到って問う。

       有りや 有りや。主、拳頭(けんとう)を竪起(じゅき)す。

       州云く、水浅くして これ船を泊する處にあらずと。

       すなわち行く。

       また一庵主の處に到って云く。有りや 有りや。

       主もまた拳頭を竪起す。

       州云く、能縦能奪(のうじゅうのうだつ)能殺能活(のうせつのうかつ)と。

       すなわち作禮(さらい)す。

【素玄曰く】九谷の徳利 青磁の杯 独り小房に座して交互に忙し。趙州訪ね来るも拳を用いず壁間のグラビヤ代わって応接す

   【無門曰く】一般に拳頭を竪起す。

         なんとしてか一箇を肯(うけ)がい、一箇を肯がわざる。

         しばらく道え、倄訛(ごうか)いずれの處にかある。 

         もし者裏(しゃり)に向かって一転語を下(くだ)しえば、

         すなわち趙州の舌頭(ぜっとう)に骨なく、

         扶起放倒(ふきほうとう)、大自在を得ることを見ん。

         しかもかくの如くなりといえども、いかんせん、

         趙州かえって二庵主に勘破(かんぱ)せらるることを。

         もし二庵主に優劣ありと道わば、

         未だ参学の眼(まなこ)を具せず。

         もし優劣なしと道うも、また未だ参学の眼を具せず。

【無門曰く】素玄 註。倄訛(入り組み。言葉のなまりで趙州の働きを指す)勘破せらる(二庵主も趙州の禪機を勘破している。ここが禅機の商量じゃ。)参学の眼云々(二庵主に優劣あるが如く 無きが如く、ありとするも不可。なしとするも不可。ここの處に味があるのじゃが、有でもあり無でもあり、有無でもあり無有でもあるか。難・々・々じゃ)

【頌に曰く】眼(まなこ)は流星、機は掣電(せいでん)、殺人刀(せつにんとう)活人剣(かつにんけん)

【頌に曰く】素玄 註殺人刀云々(無門もだんだん種切れと見えて 似たような文句ばかりにした。殺人は またこれ活人。活人またこれ殺人。此の間に思慮を容るるナカレじゃ。酌(く)めども盡(つ)きず。此の頌は上等)

【附記】意訳

【本則】百二十歳まで行脚修行した趙州。

ある日ある時、ある禅庵を訪ねて・・「有りや・・有りや」(いったい何があるのか、何を尋ねたのか・・日時や庵主名など不明なのは、無用だから書いてない)

すると庵主、スッと拳(こぶし)をあげた。

趙州云く「浚渫(しゅんせつ)してない浅い港なので・・船泊(ふなどまり)できない」といってサッサと出て行った。

また別の禅庵を訪ねて云く「有りや・・有りや」するとこの庵主もまた、スッとこぶしを立てた。趙州云く「これはナント・・自由、活殺自在な働きの方である」と丁寧に礼をした。

 

意訳【無門 曰く】両方の庵主、同じように拳を立てたが、一方は船底が海底につくから泊まれない・・と退散し、もう片方は、同じ仕草なのに、自由自在な働きである・・と、ほめたたえて深く礼をした・・この趙州の「入り組み」態度の違いを見て取れる・・求道者が・・いるかどうか。

もし、一人を誉め、もう一人をダメとする・・確かな意見ができれば、反対に趙州こそ、二庵主に、喝破され(見抜かれ)ていることがわかろうというものだ。

禅寺では「趙州無字」の公案一則を透過すれば、あとは口伝とか、密室の参事として伝授する・・アンチョコ方式をとる・・ソウだが「禅による生活」の本当は、こうした公案で鍛錬された「一語」徹底しているか、どうかで決まる。もし、二庵主の優劣,是非があるというも、無いというも、やっぱり温室栽培のボケ茄子なら・・食えたシロモノではない。

 

 

 

禅のパスポートNO10 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

     無門関 第十則 清税 孤貧 (せいぜい こひん)

【本則】素玄提唱 清税 孤窮、貧乏じゃと云うのに、曹山(そうざん)は、酒を喰らいよって唇も潤おさずとぬかす・・けしからんと云う。孤貧とは心裏一事なく脱白餘物(だっぱくよぶつ)を残さぬところの、悟りきって心にかかる雲もなき境涯を こんな具合に修飾したので、禅の文章の特異な例じゃ。これに対し駘蕩(たいとう)たる禅境涯を 酒中の興趣(こうしゅ)に形容して 曹山が応酬したのじゃ。両々あいまって禅境を彷彿(ほうふつ)させている。(闍梨 じゃりは僧の別語。青原は土地名ならん。白家は平民の家のことか)

   【本則】曹山和尚 因みに僧 問うて云く 

       清税は孤貧なり 乞う 師 賑済(しんさい)したまえ、 

       山云く「税 闍梨」 

       税 応諾す(ハイ・・と素直に答えた)

       山云く「清原(せいげん)白家(はっけ)の酒 三盞 喫しおわって

       猶(なお)いう未(いま)だ唇を沾(うるお)さずと」

       (いったい何杯飲めば、少し酔いましたと云うんだい)

【本則】清税という求道者・・あるいは師の禅境地を試すかのように、問いかけたのであろう。弧貧とは、独り窮困して貧乏、腹ペコ。どうぞご飯をお恵みください・・だが・・飯もらいが真意ではない。

「私は、ただ独りにして無一物、心裏にかかる迷い雲なし」・・師よ、このような禅(境地)者に、与える「一語」ありましょうか?・・との公案=検主問・・としておきます。

これに対して、曹山(曹洞宗 始祖)は、駘蕩(たいとう)とした境涯を酒中の趣きに形容して、見事に応酬した一語である。

*俗に「禍いと炊飯ほど出来やすいものはない・・」どうか 弧貧(白紙)になって坐禅して、自己をかえりみ照らして、自己の主人公(性根玉)をハッキリしてもらいたい」 山本玄峰著 抜粋「無門関提唱」大法輪閣

【素玄曰く】ビールの貴きを恐れざれ 水道の麦酒に化せざるを歎く

   【無門曰く】清税 機を輸(ま)く 是れ何の心行ぞ。

   曹山は具眼(ぐがん)にして、深く来機(らいき)を辨(べん)ず、

   しかも是(かく)の如くなりといえども、しばらく道(い)え。

   那裏(なり)か是れ 税闍梨(ぜいじゃり)酒を喫する処。

【無門曰く】素玄 註。機をまく(清税が一問を呈して曹山を試みたのじゃ。禅はよく他を試みなければ 本物か嘘モノかわからん。検主問は禅家一般のことじゃ)

喫酒(禅の境涯を譬えて云う)

【無門曰く】禅は、生活に根差した行いが総てですから、その時々の「禅境地」を試みなければ、進歩したか、退歩したか・・本物か贋物か、よくわかりません。とりわけ骨董、茶器、陶器の類は、割って中の焼き具合を看なければ、真贋つきにくいといわれます。

さあて・・清税の貧するところ全く鈍した心根か・・またまた酒を飲んだところ・・銘酒か焼酎かワインかビールか・・何だろうか。

【頌に曰く】貧は范丹(はんたん)に似、気は項羽(こうう)のごとし。  

 活計無(かっけいな)しといえども、あえて興(こう)に富を闘(たたか)わしむ。

【頌に曰く】素玄 註。范丹(人名 貧にしょして自若たり。釜中に魚を生ずと唄わる)闘富(清税は無物だから何物も出入自在じゃ。欲がないから巨万の富が転がっていても同じじゃ。無一物中無尽蔵だ。だから図太くて強い。気は項羽の如しだ。酒を飲んでも唇を潤おさずじゃ。貧乏で暮らしがたたなくても、巨万の富だから金持ちと較べてやる・・ということ) 

坐禅(瞑想)して三昧の境地になったとか・・写経をして大覚=悟りに至ったとか・・禅を誤解してはならない。それは単に集中した時の心理作用です。「貧」の極致は范丹(はんたん)に似たり・・(中国の古歌に・・范丹という人は貧しくとも泰然自若。釜の中に魚を生ず・・と唄われたそうだ)

無一物中無尽蔵の清税は、貧の極致にあるから、気持ちは項羽のごとし。酒を飲んでも、くちびるを潤おさず・・その日暮らしでも、常に満ち足りてある。(あえて言えば・・御心のまま・・自然法爾に続くのか・・)

【附記】かって、私が円覚寺に寄宿していた学生の頃、父の(用事)で、兄,故・五郎が山向う東慶寺、松が丘文庫の鈴木大拙先生を訪ねたおり、「貧」の一字の扇子を頂き、家宝のように大事にしていたのを思い出します。あの頃は「貧」とか、「無一物」とか、よく納得していなかったです。坐禅は「悟り」の手段ではなく、ただの毎日の心の洗濯、掃除ですね。日頃の暮らしの中に、弧貧の境地が、少しずつ醸成されていってこそ、うまき酒になるのでしょう。現在、提唱する「3分間独りポッチ禅」は、この則、清税「弧貧」の禅といってもいい・・と思います。

 

 

 

禅のパスポート【無門関 素玄居士・提唱】NO9

            無門関 第九則 大通智勝 (だいつうちしょう)

【本則】素玄提唱 大通智勝佛と云うのは 文殊とか迦葉とかの固有名詞でなく禅境(地)を形容したものらしい。臨済録には大通は萬有に即することなき禅者。智勝は無礙(むげ)自在、佛は虚明の意味に書いてある。臨済録の解釈は別として 本則はすこぶる禅の極所を説いてある。禅者が永劫 佛道場に坐し修佛するも、仏法を把握することなく、仏道を成就することなきは如何と問うたのに対し、譲はナルホドもっともなことじゃとNO答えた。それで僧は こんな不得要領な答えではサッパリ解からぬので、更に問うて、すでに修佛道場に奉仕していながら、どうして仏道を成就することが出来ないのじゃと。譲答えて、彼が成仏せざるが為なりと。原文は譲曰為伊不成佛とある。佛を成さざるが為とも読める。どちらにしても禅者と佛とは無関係で 佛となることも出来なければ、佛となることをしないのでもある。禅者は寺院にいても 仏法が念頭に現前することもなく、仏道を領得することもなく、佛と何らの因縁も結ばれない。これは佛に限らぬ。何事にも因縁を結ぶことはないのじゃ。寺院でも在家でも環境や生業(なりわい)は種々雑多であるが、それは禅者の禅境に何の関係をもなさぬ。だから譲も もっともじゃと云うたのである。そして重ねて禅者は佛になるもならぬもないことを述べたのである。禅と仏法が無関係なことは すでに世尊拈花で詳述した。本則はさらにこの事を明にしているのである。而(しか)して、祖佛と別ならずと云うことは 不成佛と云うことと同じなのじゃ。佛を禅としても 禅は自悟で(あり)無一物で(あり)成不成のことではない。

大通智勝佛が未悟底の漢であっても 本則は成立する。未悟底が修佛供養に何年かかっても 了悟することはできない。(この仏法仏道を禅と同義とする)。禅悟は自得するものであって他から貰うものでない。自己が了悟しなければ いつまでたっても禅を得ることなし・・という意味になる。

いずれにせよ 禅は即することなく、また他から與(あた)えられるものでない。而して その禅とは如何(いかん)。 

    【本則】興陽(こうよう)の譲(じょう)和尚 因みに僧問う、

        大通智勝佛(だいつうちしょうぶつ)十劫(じつごう)、

        道場に坐し仏法現前せず。

        仏道を成ずることを得ざるの時 如何。

        譲曰く、その問い、はなはだ諦當(ていとう)なり。

        僧曰く、すでに是れ道場に坐す。何としてか仏道を成じ得ざる。

        譲曰く、伊(かれ)が成仏せざる(なさざる)が為なり。

【素玄曰く】楽しみは夕顔棚の下涼み 男はてゝら、                     

          女は二布して・・古歌 

【無門曰く】只 老胡(ろうこ)の知を許して 老胡の會(え)を許さず、

 凡夫 もし知らば是れ聖人(しょうにん)。聖人もし會せば 即ち是れ凡夫。

素玄 註老胡(老外人。釈迦達磨を指すことあり、また老達人にの意にモチウルこともある)。

知を許す云々(理智をもって解するは汝に許す。軽忽(けいこつ)の悟を許さず。凡夫もし知らば これ理智の人。理智の人 もし この問いのこと了悟せば 凡夫に同じ去らん)。

禅だとか佛だとか・・なにをうるさい やぶ蚊かな。団扇バタバタ、オイ蚊やりを焚いておくれ。女房ハイハイ、

     【無門曰く】釈迦や達磨、達道の禅者たち・・どいつも理知に解するは放任するが、禅(悟り)を得た・・というのは許さないぞ。

 

     【頌に曰く】身を了(りょう)ぜんより

      何ぞ心を了じて休(きゅう)せんにはしかじ。

      心を了得すれば身愁(うれ)えず。

      もしまた身心ともに了了(りょうりょう)ならば、

      神仙 何ぞ 必ずしも更に候(こう)に封(ほう)ぜられん。

 素玄 註了身云々(物質的なことに不足のないよりも、心に不足なく、心を労するなきにしかじ。禅を了するの意)。

了得云々(禅を了得すれば・・(心を禅の意、とす)肉体上に不安がない。この境地に立っては神仙に同じ。神仙は 必ずしも大名にすることも要らぬこと)。

この頌、なお盡(つく)さざるに似たり。

【頌に曰く】身の程のアレコレより、心を労すること、ないのが一番。

禅を領得すれば神仙に同じ。わざわざ大名に仕立てる手間はいらない。 

 

【附記】ある時、興陽の禅院に住する清譲(せいじょう)老師に、求道者が訪ねてきて問うた。大通智勝佛=無礙自在、清浄法身の虚明(きょめい・実在しない覚者の意。臨済録)が、永劫(永遠)に坐禅したとて、禅を把握できず、禅を悟れないのは、どうしてでありますか? 

(本則、的確に禅の極所をついている問答です)

譲曰く「ナルホド・・その問いは、しごく最ものことじゃ」・・と言われても、求道者にとって、サッパリわからない答え方であり、更に問う。「長い間、禅院で坐禅修行を続けているのです。どうして見性(悟り)を得ることが適わないのですか」

譲曰く「彼が禅をなさざるがためなり」

仏法佛道を「禅」と言い換えても同じこと。禅者は、例え寺院にいても、仏法が念頭に現前することもなく、仏道を領得することもなく、何事も因縁を結ぶことはない。

どちらにしても、禅者と仏とは、無関係であり、仏となることも出来なければ、仏となることをしないのでもある。寺院・在家の差別なく、環境、職業さまざまであっても、禅(悟りの)境地に何の関係もないこと。禅は無一物である。悟りを成すとか・・成らない・・とかの話でないことは、すでに世尊拈花(第6則)の公案で云われている。禅は自得自悟するもので、則に即することなく、他から与えられるものではない。

サアテ・・その「ZEN」とは何でしょうか?

 

禅のパスポート 無門関NO8 ◆はい コンニチワ・・

ハイ 今日は・・「雑炊の味噌一かさ 下されたく候」

 ハイ さようなら・・良寛

    【附記】本当に死にかけた病気をした者でないと、医者や病院の有難みはわからない。

      人の世は、持ちつ持たれつで成り立っている。

      自分は独りで生きている・・と、気位が高く、独尊を気取る人ほど、

      孤立して迷いに迷う有り様となる。

                  無門関 第八則 奚仲 造車(けいちゅう ぞうしゃ)

【本則】素玄提唱 車の牛馬を繋ぐ二本の長柄を取り去り、輪の軸を取り去って車をバラバラにする。奚仲は初めて車を造った人じゃ(田畑のくみ上げ水車を発明したとの説あり。

公案では、車でも水車でも、どちらでもよい)・・が こんなことをして何を発明するのか知らんテ。

せっかく纏(まと)まって、車になっているのを壊すとは惜しいもんじゃ。

月庵もシャレたことをぬかす。コンナ子供の悪戯(いたずら)もチャンと禅の工夫があるのじゃ。

車をバラバラにしたら動かない。

そこで何を発明するかナ。

モウ一度 前の通りに組み立てたら前と同じで何も明むることなしだ。このたびはどんな工夫に組み立てるか、そこが奚仲の工夫じゃ。サア、何邊(なへん)の事をか明らむ。

本則は頗(すこぶ)る親切ていねいで 禅の大衆化そのものだ。

これこそ本当に老婆親切じゃ。

本則で手に入れなければアカン。

          【本則】月庵和尚 僧に問う

             奚仲、車を造ること一百輻(いつひゃくぷく)

             両頭を拈却(こきゃく)し、軸を去却(きょきゃく)し

             何邊(なへん)のことを明らむか。

素玄 曰く♫・・お手手つないで野道を行けば みんな可

  愛い小鳥になって・・歌を歌えば靴が鳴る・・

                   (清水かつら 童謡1919)

       【無門曰く】 もし また直下に明らめ得ば、

        眼 流星に似、機掣電(きせいでん)の如くならん。

素玄 註機掣電(雷を制御すの意。禅語は一般に形容が誇張にすぎる。ここらが禅の文学に累せられた處じゃろうテ)

もし、ただちに、その意が明らめられたら、そいつの目は流れ星。雷電の手腕を発揮しようぞ。  

    【頌に曰く】機輪転(きりんてん)ずる処、達者なお迷う。

          四維上下(しゆいじょうげ)、南北東西。

素玄 註機輪転云々(車のことにかけて禅機の俊発、得道の禅者もマゴマゴする。上下 前後左右 東西南北 転ずる處、無疑の義。本則は禅(境地)でもあり、禅機でもある。

 

【附記】月庵老師を訪ねてきた求道者が教えを乞うた。

昔、奚仲という人が、田に水を引く足踏み式の水車を発明して、稲の収穫に貢献をしたそうな。

そのせっかくの水車を、バラバラに解体して壊し、改めて組み立てたが、前と同じなら何の工夫もないことになる。

さあて今度は、どんな具合にしたか・・何を明らめたのか。

いちばん大事で肝心なものは、何だったのか?

水車に託して・・人の手足、頭を分解、再生したらフランケンシュタイン(化けもの)になってしまいます・・本当に大切なものは何か・・という問いである。素玄居士は、この第八則 見解(けんげ)で、童謡を歌っておられる。それと水を田んぼに上げる踏板式水車を解体、再組立てする公案と、どこの何が、その解(禅意/体験)で一致するのか・・

さらに『この則、月庵(げったん)シャレたことをぬかす。

こんな子供のイタズラもチャント禅の工夫があるのじゃ。

本則はすこぶる親切丁寧で、本則で手に入れなければアカン・・』と結語されている。

禅のパスポート NO7 大工の良し悪しは、カンナくずでわかる!

          ◆A carpenter is known by his chips.

               無門関 第七則 趙州洗鉢 (じょうしゅう せんぱつ)

【本則】素玄居士 禅寺では日常 粥食であるとのことじゃが「食ったかどうじゃ」「ハイ食べました」「それじゃ茶碗を洗え」で、禅が手に入ったというのじゃが、この僧は昨今坊主(乍入叢林・さにゅうそうりん)ではなく 大分、修行を積んでいたものと見える。けれども趙州が豪物(えらもの)であったからでもあろう、趙州の前へ出ると その日常の一語で 手がかりがついたのじゃ。自己暗示も手伝ったのだろうか、どこかに禅者の風格が修行底を薫化(くんか)し 機縁をなしたのかも知れんテ。平常の不退転にもよるが 明眼の禅師の一挙一動も機縁じゃ。

それが禅を表現しているから 手がかりは何時でも掴めるわけじゃ。臨済が大愚の一語「黄檗(おうばく)恁麼(いんも)に老婆親切なり」で入手したのも、この僧に似たりじゃ。

今日 何の處にか大愚・趙州ありやだ。蒼天(そうてん)蒼天。 

     【本則】趙州 因(ちな)みに僧 問う、

        某(それ)甲(がし)、乍入(さにゅう)叢(そう)林(りん)。

        乞う師、指示せよ。

        州云く、喫粥了也(きっしゅくりょうや) いまだしや。

        僧云く、喫粥了也。

        州云く。鉢盂(ほう)を洗い去れ。

       その僧 省(せい)あり。

 素玄 曰く    昨来餘物無過口 趙州饗来一語粥 

                          山堂寥廓嵐気冷 失銭閑人洗鉢去

      昨来、口を過ごす余物なし。

     趙州 一語の粥を饗(きょう)し来る。

    山堂寥廓(さんどう りょうかく) 嵐気冷(らんき れい)なり。

   失銭(しつせん)の閑人 鉢を洗って去る。

【無門曰く】趙州 口をひらいて膽(たん)をあらわし、

                     心肝を露出す。

                     この者、事を聴いて真ならずんば、

                     鐘を呼んで甕(かめ)となさん。

素玄 註】鐘云々(ここで禅を見届けなければ盲目じゃの意)

【無門云く】明眼の禅者(趙州)の日常、すべてが禅そのもの。

ご教示とやらの手がかりは、一挙手一投足、ゴホンと咳払いしようが、コッンと机を叩こうが、すべてがズバリ禅を表現している。

臨済が、師 黄檗のもとを去り、大愚に参じて「黄檗、恁麼に老婆親切なり=さすが黄檗だな。美味しいご飯を炊くのが上手だ」の一語で、禅を手に入れたのも、この求道者に似ている。

サア・・鐘を甕(かめ)と言い間違える人になるな。洗えと言われる前に、茶碗を洗ってしまう輩でないと、禅は手に入らないぞ。

それにつけても 現代、いったい何処に大愚や趙州がいるのかな?

 

【頌に曰く】ただ分明を極(きわ)むるがために、

                      翻(かえ)って所得を遅からしむ。

                      燈の これ火なるを早く知らば、

                      飯(はん)の熟するにすでに多時(たじ)。

素玄 註分明云々(禅をむつかしいと思い込んでいるが そんなもんでない。瞭(あきら)かすぎるから かえつておくれる)早知云々(灯の火なるを知るの時節が来れば 機縁すでに熟せりじゃ。禅も すでに内に純熟している時になって はじめて機縁を掴むことが出来るのである。内部に醗酵していないのに 機縁だけを掴もうとしても機縁はつかめぬ。

(飯 熟するを知れば、早くも灯の火なるを知るのじゃ)

【頌に曰く】「禅」を難解だという人こそ、素直でないな。分析・比較・検証と、論理や心理を学問しても、効能書きに頼る病人は助からない。

ご飯を上手に炊き上げるには、水加減は当然として、初めトロトロ、中パッパ、子供が泣いてもフタ取るな・・電磁的自動化社会に安住するスマホ信者には、禅は無縁となるでしょう。

【附言】禅を悟るに難行苦行・・開けても暮れても坐禅三昧といわれる。ホントかどうかナ?

そんなことより・・「正直」でないと(桶職人でも)オケは作れない・・これは本当だ。

 

達磨より三代あと、鑑智僧璨(かんちそうさん)は 信心銘において「至道無難(しどうぶなん)唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく」・・悟りへの道は難しいものではない、ただ、好き嫌いや比較することがなければ・・と、わずか584文字の詩文で述べている(彼は・・当時、日本で法隆寺が建立された頃(606年)だが、仏教・道教の迫害にあい、深山に隠棲して難を逃れ、求道者たちに大樹の下で説法中、合掌・坐亡したと伝えられている)

 

禅の悟りはイロイロだが、素直に、独りで坐禅、自省すれば、ヒヨットした何かの機縁(禅機)があって、涙ながらの・・玉ねぎの皮むき作業が終わる。ただ、それだけのことなのだ。

 

禅のパスポート NO6 禅に宗教の臭みなし!

     無門関 第六則 世尊 拈花(せそん ねんげ)

【本則】素玄提唱 釈迦が霊山(りょうぜん)に僧俗を集めて会合していた時に蓮華の花を拈(ひね)くりまわして見せている。皆の衆は黙って何の手品かしらんと見ている。その時 迦葉(かしょう)ばかりが顔を綻(ほころ)ばかしてニッコリ笑ったということじゃ。そこで釈迦の云くに、吾れに根本の道、受用不尽(じゅようふじん)にして、極楽の妙境、實即仮相の微妙の一法あり、筆舌をもってすべからず、仏教外に別に後世に伝うべきの一法、是れを大迦葉尊者に頼んでおくぞよ・・と。

この不立文字は、文字をもって立すべきに非ずで これを経文仏典以外の義と解し 教外別伝と聯結(れんけつ)して仏教経典以外に別に伝承すべき仏教教義となし、之がつまり禅宗の根本をなすもので 禅宗は仏教の中心の正宗であるとし、仏心を宗となすというのであるが、禅には宗教的臭味は絶対にない。むろん仏教的なことや到彼岸思想などもない。このことは臨済録や信心銘などを読むとよくわかる。

だから不立文字云々(ふりゅうもじ うんぬん)は、仏教的に訳読すべきでない。不立文字とは経典以外とすべきでなく、そのまま文字どおりに文字(むろん言語を含む)をもって立せざるの境地、即ち筆舌に依拠(いきょ)せざる箇事(このじ)。教外別伝とは釈迦教説の仏法以外の仏教と無関係に、別に流傳すべき一法とすべきであると思う。そしてこの付嘱(ふぞく)も 印可伝承とすべきではなくて 頼むの義すべきであつて、禅には印可も伝承も そんなことがない。冷暖自得であって それを印可するもしないもないし 伝承すべきこともない。このことも臨済録にある。印可をやかましくするのは 偽禅横行し学人を謬(あや)まり、禅の泯滅(みんめつ)すべきを虞(おそ)れたのであって 修禅の徒のために師家の真贋(しんがん)を区別する公的証明の手段にすぎない。

禅は禅者にあらざれば之を勘破(かんぱ)することができないから、未悟底の修禅者には この方法は是非とも必要であったのである。禅宗として仏教中に別に宗派をたてたのは百丈清規にはじまるとのことであるが、それはともかくとして、禅宗が仏教の根本中心ならば、支那 百丈の時代に至って初めて宗派を創(はじ)めるはずがない。禅は釈迦以前にも、また仏教外に存したことは、釈迦当時、すでに了悟の外道のあるを見てもわかる。かつ、禅そのものも執着を絶し、決して宗教的な欣求の容(い)るることを許さぬのである。これらは みな公案に明瞭なことであつて素玄の私見ではない。それゆえに禅宗なる仏教の宗派は 仏教を奉ずる僧業として禅者の現世的な生業(なりわい)にすぎない。禅者が仏教を奉ずる矛盾であるが 支那では文士、官吏の間にも居士はあるけれども、もっぱら修禅者を説得し 社会に流布したのは、その達磨以来の伝統に見て僧侶間に存したのであり、僧侶として佛に奉ずると共に禅者でもあったのである。

ここに佛を奉ずというのは、心に佛を念じ仏教的欣求思想を抱いていたのではなくて 仏教的環境の内に衣食し それを生業(なりわい)としていたのであって、この事は臨済録に見るも瞭々(りょうりょう)である。

だから禅宗および禅宗僧侶は 禅者の風格を加味した仏教儀式、仏教葬祭を宗とし、それに従事する者の一団に外ならない。

いくら詮索してみても 禅と仏教とを聯結(れんけつ)すべき因縁はないのである。だから仏教 埒外(らちがい)の俗人の禅者(居士)、異教徒(外道)の禅者、があり それらは禅宗僧侶の禅とさらに区別すべきものがない。もし禅宗の仏教教義中 禅的なものを主として宗とすと称するならば、その然るものを挙示せよ。苟(いやしく)も禅的なるものが仏教教義中に存すとするならば、それは禅的なものでないか、または仏教的なものであり得ない、偽製の禅である。禅と宗教とは相容れざるものである。キリスト教徒またはキリスト教布教使にして禅者もあるであろう。仏教徒または佛僧にして(必ずしも禅宗僧侶とは限らない)真宗でも日蓮宗でも、それ等にして禅者たると同じ関係にある。キリスト教教師にせよ、天理教にせよ、回教にせよ、その他にせよ、彼らが禅者であるならば、真摯な宗教家ではありえない。迷信的・妄信的信徒ではない彼らは、すでに自己に安心を持っている得道者なのである。信仰することの要らない、依存する事がない彼らは、すでに自らが釈迦であり、達磨である。自己即ち大悟了畢(たいごりょうひつ)の漢だ。何の信仰とか云わん。

釈迦も よく仏教と禅とを区別していたことを この則がハッキリさせている。仏教・宗教外の別伝である。仏教は欣求である。禅は正法眼蔵(しょうぼう げんぞう)である。根本の無疑自在(むぎじざい)即することなく 不可説の妙境である。私は仏教に関し、ほとんど知識を持っていない。けれども禅について多少の見解(けんげ)をなす。臨済 我を欺(あざむ)かず(このことについて本書 第九則 大通智勝(だいつうちしょう)にも明瞭にされてある)

さて 釈迦は拈花に禅の端的を示し、迦葉はこの端的を領得した。禅の端的は テーブルをポンと叩いても そこに禅を赤裸にする。碧巌集の傳大士講経竟(ふたいし こうきょうおわんぬ)第六十七則はそれである。

   【本則】世(せ)尊(そん)、昔 霊山會上(りょうせんえじょう)にあって、

    花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に示す。

    この時、衆みな黙然(もくねん)たり。

    ただ迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)のみ破顔(はがん)微笑(みしょう)す。

    世尊云く、吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、

    涅槃(ねはん)妙(みょう)心(しん)、實相(じっそう)無相(むそう)、  

    微妙(みみょう)の法門あり。

    不立(ふりゅう)文字(もんじ)、教外(きょうげ)別伝(べつでん)、

    摩訶(まか)迦葉(かしょう)に付(ふ)嘱(ぞく)す。

素玄曰く・・春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山・・古歌

 

   【無門云く】 黄面の瞿曇(くどん)傍らに人なきがごとし。

    良を厭(いと)うて賤(せん)となし、

    羊頭(ようとう)を懸(か)けて狗肉(くにく)を売る。

    まさにおもえり、多少の奇特と。

    ただそのかみ、大衆のすべて笑うがごとがごときんば、            

    正法眼蔵また作麼生(そもさん)か傳えん。

    もし迦葉をして笑わざらしめば、正法眼蔵また作麼生か傳えん。 

    もし正法眼蔵に伝授ありといわば、

    黄面の老子 閭閻(りょえん)を誑謼(こうこ)す。

    もし伝授なしといわば、なんとしてか独り迦葉を許す。

 【無門云く】この破れ黄衣の瞿曇よ(釈尊のこと)・・無人の野原で言いたいことを言うようだ

良いも悪いもなしとばかりに、安心の正道、禅の妙法を仰々しく、宣伝文句を並べ立てて売りたてた。

まるで羊といって犬肉を売るのと変わらない、アクドイ商売だ。

(マア、ホンの少しだが、関わり合いもあるが・・)

村の賑やかな人の集う中で、笑ったとか、伝授するとか、求道者を説得する便法を、正直商売の値札にしてはならないぞ。

「禅」を独り迦葉に預け頼んだのだのだから・・

 素玄 註黄面の瞿曇(面の黄色い釈迦)良を厭い云々(本則に良も賤もない、云わば禅の宣伝広告に正法眼蔵などと仰々しいが、その実、狗肉のようなつまらぬものじゃと禅をケナス意。だが いくらか変わった處もあるの意)誑謼云々(村のにぎやかな處で、皆の衆をだまくらかす)禅に伝授も印可も証明もない学人説得の便法じゃ。釈迦は附嘱と云うて伝授とも印可とも云っていない、無門も狽(あわ)てまいぞ。

   【頌に曰く】 花を拈起(ねんき)し来れば、

          尾巴(びは)すでに露(あら)わる。

          迦葉の破顔 人天措(お)くこと罔(な)し。

【頌に曰く】 花をクルクルまわして見せた釈尊の手品・・化けそこなった狐のしっぽが見える。

迦葉は、手品の種(禅の大意)を見抜いて笑った。

誰もがポカンとしていたが、あんたには見抜けたかな?

素玄 註尾巴(尻ッポ、化けそこなった狐の尾が見える。釈迦がそれを掴んだのじゃ。禅の端的が現れた)人天措なし(人間も天人も、この禅の端的をどうしようもない。掴まえ所がないからポカンとしているの意。また別に、下にも置くことが出来ぬというて、持ち上げた意とするも可)

【附記】釈尊が、求道者との話の場で、仏教=覚者(悟りたる者)の教え・・の素(宗)になる「禅」を、一輪の花を拈じて披露したが、誰も、その手品の種が解明できなかった。

ただ、衆の独り・・迦葉だけが見抜いて笑ったそうだが、迦葉がいなかったら、釈尊は、そんな手品はしていない。

「禅」は「仏教」ではない。この公案でも、教外別伝(仏陀の教え以外の別の傳えること)とはいっているが、付嘱す・・と、迦葉一人に、預け頼んでいる。

文字表現、口伝できない「禅」を、この二千五百年間、達磨は中国に。中国から日本に、まるでオリンピックの象徴、太陽のトーチのように1箇半箇の大覚、見性の寺僧が伝灯してきた。

(けれども、寺僧の集団、印可教導の仕組み、デジタル(バーチャル)社会にいたる現代では、その適応性を失って、禅宗は絶滅しつつある・・このことは、随分の昔・・提唱無門関 素玄居士(昭和12年発行)の著作で、明らかにされている。

また、第九則 大通智勝や 碧巌録 第六十七則 傅大士講経などで随時、講話意訳していきます。

いずれにしても、この第六則で釈尊は拈花に「禅」の端的を示し、迦葉はこの端的を領得したのである。

   

 

禅のパスポート 無門関NO5 答えに窮して眼がギラついてきたら・・

祖師西来意・・はるばると達磨はインドから何を伝えにやって来たのか?

                        無門関 第五則 香厳 上樹(きょうげん じょうじゅ)

【本則】素玄提唱 本則はなかなか面白い。西来意とは達磨が西方印度からはるばると海を渡ってきたのは、どうゆう考えかと云うので、禅のことを指す。禅は文字で表現することが出来ないから、内容の漠然たる文字で、道とか至道、箇事(コノコト)仏法的々の大意などなどを假用(かよう)する。

ここでも禅とは何ぞやと問われたのだが、答えれば樹から落ちて怪我する、喪心失命(そうしんしつみょう)の意味はこの他にもある。即ち禅のことをこんなものじゃと口から出して喋ると、元来 表現すべきなしじゃから 大間違いを喋ることになり、直に葬りさられる。阿呆扱いにされることおも含むとみるべきだ。つまり、この問いには答えることはならんのじゃ。

だが答えなければ他の所問に背く。さぁどうするかナ。

禅はこんな危なかしいもんじゃない。樹上にあって大磐石(だいばんじゃく)に臥(が)するが如しじゃ。この大磐石に臥する處を赤裸(せきら)に見せよと云うのが この公案で そこを手に入れていたら そこを見せてやる。

手になければ手に入れる工夫をするのが修禅じゃな。学人説得には こんな處に押し込んで、尻をヒッパタイて サア云えサア道えとやる。そこで口を開いて喪心失命し大悟一番となる、と云うのが定石らしいが悟入の道はいろいろあるさ。

香厳は潙山の侍者たること十八年。潙山が何事かあるごとに侍者を呼んで問い詰めて熱心に鍛錬したもんじゃが、どうしても入手することが出来なくて、そこを去って武當(ぶとう)に庵居していた。ある日、庭掃除の時、瓦石を竹林に投げたところが カチンと竹にあたって音を出した時に濶然(かつぜん)大悟したということである。

ところで この則の後にこんな公案がついている。

招上座(しょうじょうざ)あり。出でて問うて曰く、人の樹上に上る時は即ち問わず、未だ樹に上らざる時 如何と。

師 笑うのみ。

この問いは甘い。禅には樹に上るも上らないもないサ。

香厳もおかしくなって笑ったのだろうが、ここはひとつ叩いてみるもよい。

   【本則】香厳和尚云く

    人の樹(じゅ)に上るが如し。

    口に樹枝を啣(ふく)み、手に枝を攀(よ)じず、

    脚(あし)樹を踏まず、

    樹下(じゅげ)に人あって西来意(せいらいい)を問わば、

    對(こた)えずんば即ち他の所問(しょもん)に違(そむ)く、

    若(も)し對えなば、また、喪身失命(そうしんしつみょう)せん。

    まさに恁麼(いんも)の時、作麼生(そもさん)か對えん。

素玄云く・・

 既に樹に上りたる時は「牟ムウウ、牟ムウウ」

 是れ口を開かずして西来意を語っている處じゃ。

 まだ樹に上らざる時は「ワン、ワン、ワン」

 是れ 早く口を開いて腸を見せるのじゃ。

【無門曰く】たとい懸河(けんが)の辯(べん)あるも、

           惣(そう)に用不着(ようふじゃく)。

           一大蔵経(ぞうきょう)を説(と)きうるも、また用不着。

          もし者裏(しゃり)に向かって對得着(たいとくじゃく)せば、

           従前の死路頭(しろとう)を活却(かっきゃく)し、

           従前の活路頭(かつろとう)を死却(しきゃく)せん。

           それ或いは、未だ然(しか)らずんば、

           直に到来(とうらい)をまって、彌勒(みろく)に問え。

素玄・註従前の死路頭云々(ここで大悟一番したとなると、これまで禅のことの何が何やら解からぬ真っ暗なところにポカリと光がさすようになるし、平気で活きていたように思っていたことが何の役にもたたぬカス妄想であったことがわかる。大悟一番できなかったら96億7千万年後に生れ出るといわれる弥勒菩薩の来るのを待っておれ。ヤレヤレ待ち遠しいことじゃ)

                   【頌(じゅ)に曰く】香厳 真に杜撰(ずさん)なり。

                   悪毒盡眼(あくどくじんげん)なし。

                   衲僧(のうそう)の口を唖却(あきゃく)して、

                   通身に鬼眼(きがん)を迸(ほとばし)らす。

素玄・註香厳云々(デタラメをぬかし手も付けられぬ。口を開くことも出来なくさせよる。こうなるとほかに仕方がないから学人の体中が鬼の眼じゃ。パチクリして睨むはかに能がない。鬼の眼になったら大悟近しじゃな。

【附記】坐禅したからと云って、悟れるものではない。禅寺の専門道場に、木像仏よろしく鎮座ましましたからといって、結果は・・何の取柄もない人に仕上がるだけだ。坐禅するのが「禅」ではない。坐禅をしよう・・と思う・・そのことが、どこともなく湧いてくる。そして坐禅するうちに、公案の答えに窮しニッチもサッチもイカナクなって眼がギラついてくる。大事は、この点につきる。

達磨が、はるばるインドから、中国に何を伝えにやってきたのか(祖師 西来意)・・言葉にも文字にも出来ない禅の大意を、自覚というより、生きる(行いの)全体で認知される・・認識する・・体覚するより方法がないのが「禅」なのです。

この公案は、例えるなら・・禅の大意を、手足を縛られ、口に木の枝を銜えさせられて吊るされる中、樹下には飢えた虎がいる・・絶対絶命の状況で・・自分なりに覚悟した意見を表現してみせよ・・との公案です

 

 

禅のパスポート NO4「ダルマさん、お顔の髭がありませんネ?」

禅のパスポートでは、各則の冒頭、禅は宗教ではないと喝破した、素玄居士の提唱・見解を復刻、解説しています。

          無門関 第四則 胡子無鬚(こし むしゅ)

     【本則】或庵(わくあん)曰く・・西天の胡子(こし)何に因ってか鬚(ひげ)なき

【本則】素玄提唱 西方の外国人、仮に和蘭(オランダ)人としておく、この多毛の外人に髭(ひげ)がない。髭があるのに それを髭なしとは是れ如何に。

本則は剩物(あまりもの)をつけずして禅機溌剌(はつらつ)じゃ。余計なものは少しもなく、しかも明瞭々(めいりょうりょう)に禅機を示している。公案の内でも これは秀逸の方じゃ。これがフフンと云うように肚(はら)の中から解から様にならなければ本物じゃない。理屈も何もつけ様がない、理智不到(ふとう)とは このことじゃ。或庵はどんな男か、または坊主か、胡子に道で逢うたのか どこで逢ったのか、すこしもわからぬがそんな剰文贅句(じょうぶんぜいく)は不用じゃ。形容も装飾も説明も不用じゃ。

禅は元来 端的(たんてき)で餘物なしである。臨済云く、我れ一箇の膠盆子(きょうぼんす・ニカワのお盆)を抛出(ほうしゅつ・投げ出す)して学人に與(あた)うと云うたが、膠ぬりの盆を何と始末したらよいか 眺めても噛(か)んでも何んともしようがない。これが学人説得の常手段(じょうしゅだん・いつもの方法)なのじゃ。

南天棒(なんてんぼう)は、えらい勢いで この則の解かるのは 支那(しな・中国)では雪賓(せっちょう)か虚堂(きょどう)か、日本では大應大燈關山(応燈関)白隠と俺ぐらいの者かと大口を叩いて、無門も駄目じゃと吐(ぬ)かし、いろいろ勿体(もったい)つけて何を云うかと思ったら「法身無相」だと。

昔から手前みそに碌なのはないと云うが なるほど、こんな薄っぺらなところに腰かけていたとは、笑止(しょうし)笑止じゃ。

法身無相は禅者でなくとも誰でもわかっている。

往来の真ん中で和蘭人に相見して「オヤ奇体ですね、貴方のお顔に髭がない。貴方は片輪ですか」というような具合でいかんと本物じゃない。口の先でペラペラと見れども見えずだとか云っても、そんな誤魔化しは 自らを詐(いつわ)り、他を欺(あざむ)くだけの事じゃ。髭は盲目でなければ見える道理じゃ。

それならどこに髭がないのかナ。

禅語に南に向かって北斗を見ると云うことがある。

本則はそれとも少し違う。こう書くと半分ぐらい解かったような気になるか知らんが 学校の試験と違う。九十点以上は優なぞと云うことなない。禅は満点か零点の二つじゃ。悟か未悟じゃ。

素玄曰く・・湯 沸(わきた)って 茶を淹(い)るるによし

   【無門曰く】参はすべからく實参(じっさん)なるべし。

    悟はすべからく實悟(じつご)なるべし。

    者箇(しゃこ)の胡子(こし)、

    直(じき)に須(すべか)らく親見(しんけん)一回して始めて得(う)べし。

    親見と説くも、早く両箇(りょうこ)となる。

素玄・註實参云々・・口の先や頭の中では駄目じゃ。

肚の底の本物を掴め。

胡子も空想でなしに 直に面と面を突き合わさなくちゃいかん。

つき合わすと云うと もう対立の、脳裏の胡子と自我とになる。

それでは無髭は得られない。

貴方は髭のない胡子、オヤ お前が俺であったのか・・と、

お前やら自分やらと云うことにならなければ本物でない。

   *坐禅して 自ら見性(大覚)しなさい・・の意。

    悟って見解(けんげ)を述べても、

    有・無の対立意見でしかないことに注意!

【頌に曰く】

 痴人面前(ちじんめんぜん) 夢を説(と)くべからず。

 胡子無髭(こしむしゅ) 惺々(せいせい)に懞(もう)を添(そ)う。

【素玄・註】

胡子無髭などと云うと、ちょうど痴人に夢を説くようなもんじゃ。本気で聞く奴はおらん。だからこんな馬鹿げたことを云うもんじゃない。

常人の常識を曇らす様なもんで 聞く人がボンヤリするばかりだとの意。本則の如きは 禅に徹したる者同士でなければ、喋ってはいけないの義。

前の評と照應し實参實悟にあらざれば、了得することなしの意味を含む。 

  *惺々(せいせい)に懞(もう)を添(そ)う・・「懞」とはカスということ。 

   清水に汚れた泥を加えること・・この公案本当に言うべきことも無く、

   説くべきこともない。

   真の惺々諾(せいせいだく)とせず、

   いかにも禅を修行したとか坐禅修行したとかいう者がいる。           

   (山本玄峰著 無門関提唱 大法輪閣発行より抜粋)

素玄居士 緒言に云く・・無門関も碧巌集にも評とか頌とか提唱する者の見解がチャント道われてある。それを提唱に附けなければ値打がわからん。この頃の提唱(禅寺、道場の師家)には無いようじゃが、それは卑怯で、つまり未悟底なのじゃ。

この素玄曰く・・は、正札をブラ下げて店先に並べたのじゃ。たいして値打がないので恥ずかしい限りじゃが、本にした以上、これが責任じゃ。高いか安いか、さらしものじゃ。頌としなかったのは取材や文体の自由を欲したからである。 

 緒言 略記。「提唱 無門関」素玄居士(高北四郎)狗子堂 昭和12年

【附記】南天棒(なんてんぼう)鄧州(とうしゅう)1839~1925 徳山宣鑑の三十棒よろしく、南天の棒をもって、全国の禅・専門道場を行脚、僧堂師家と商量問答した豪僧。山岡鉄舟乃木希典などの居士を教導したことで有名。

●余分なことですが「禅」の頂上が見えてきたら、地図・解説など眺めている閑も必要もありません。坐禅一筋・・ヒタスラ登るだけ。

おせっかいな道筋案内、地図は、かえって迷いがでて邪魔です。悟りとは・・?とか、こびり付いた禅(臭、イメージ)を捨てねばなりません。

つまり・・役立たず(無功徳)の「独りポッチ禅」に徹してください。寝る禅、トイレ禅、寝起き禅、食前・食後禅、休憩禅、仕事禅、入浴禅など、やれる範囲で寝ても覚めても、おりおりに行(おこな)ってください。

スマホで遊ぶのと違い、たったの三分間・・ですが、はじめは、いろんな想いが湧いてきて、三十分位の長い時間に思えます。

「カタツムリ・・のぼらばのぼれ 富士の山」〈山岡鉄舟ですかネ?〉

このたかが三分・・されど三分、独りポッチ・イス禅です。

 

 

禅のパスポートNO3 【素玄居士】肥後守(鉛筆削り)の手がそれて・・!

        無門関 第三則 俱胝竪指(ぐてい じゅし)

    【本則】倶胝(ぐてい)和尚 凡(およ)そ 詰問(きつもん)あれば

     唯(ただ)、一指を挙(こ)す。(禅の質問には指を立てるだけ)

     後に 童子(どうじ)あり。因(ちなみ)みに外(の)人問う。 

     和尚 何の法要(ほうよう)をか説(と)く。                                       

     童子も亦 指頭(しとう)に竪(た)つ。(和尚と同じに指を立ててみせた)           

     胝 聞きて 遂に 刃をもってその指を断つ。

     童子 負痛號哭(ふつうごうこく)して(あまりの痛さに泣き叫んで)去る。                               

     胝 復(ま)た 之を召す。(俱胝和尚、すかさず彼を呼び返した)            

     童子 首を回す。(その振り向きざまに・・)                     

     胝 却(かえ)って指を竪起(じゅき)す。(ジュキ=立てる)                 

     童子 忽然(こつぜん)として頓悟(とんご)す。(突然に大覚した)

 

     胝 将(まさ)に順世(寂滅じゃくめつ)せんとす。

     衆に謂(い)いて曰く。吾れ天龍(倶胝の師から)一指頭(いっし

     とう)の禅を得て、一生 受用不盡(じゅようふじん・使いきれ

     ず)と。言い訖(おわ)って滅を示す。(亡くなられた)

【本則】素玄提唱 俱胝和尚は平常、佛母陀羅尼(ぶつもだらに)を読んでいたので この名がある。和尚、金華山に庵住していた時、實際(じつさい)という尼が笠を冠(かぶ)り杖をついて 和尚の禅床(ぜんしょう)を三度まわった。三匝(そう・巡る)は、禅家の禮(れい)らしい。そして尼が「道(い)い得れば笠を取らん」と云ったが、俱胝はウンともスンとも云えなかった。それで尼が出て行こうとしたから、モウ日も暮れるから泊まってはどうかと云ったが、尼は「道い得れば住(とど)まらん」と云う。俱胝は、やはり答えることが出来ない。それで尼は帰って行った。俱胝、喟(き・なげく)然として嘆(たん)じて曰く「吾れ、大丈夫の形をなすといえども其の気なし」と云って行脚(あんぎゃ)の決心をした。その夜 山神 夢に現(あら)われ、その中に肉身の菩薩が来て、汝のために説法するから、しばらく待て、というお告げである。すると間もなく天龍和尚が来たので尼の話をすると、天龍は何も言わず一指を竪(た)てた。

俱胝はここで大悟したということである。

この公案は見やすい。

諸君、試(こころ)みに一指を竪てゝ工夫せよ。

この俱胝の許(もと)に 小僧がいて 平常 和尚の模倣(まね)をしていた。そこで この則となったのである。俱胝が小僧の指を断(き)るなぞと、ずいぶん酷(ひど)いことをする奴じゃ、こんなことを喪心失命(そうしんしつみょう)じゃと、早合点(はやがてん)しては間違いじゃ。禅じゃからとて、むやみやたらに傷をつけてよい訳はない。俱胝が断(き)ったのは、この小僧は もはや時節因縁(じせついんねん)到来(とうらい)して機縁が熟していることを知ったのじゃ。法燭(ほっしょく)一点すれば すなわち着(つ)くじゃ。そこでスパリとやったのじゃが、これだけの力量、活作略(かつさりゃく)がなくては人間を片輪(かたわ)にすることは出来ぬ。はたせるかな 逃げ行く小僧を呼び止めて俱胝が指を竪てた。小僧もこゝで指を竪てなければならぬ。ヒョイト竪てゝやろうとすると指がない。竪つべきものがない。

廓然無聖(かくねんむしょう)じゃ。一物なしじゃ。

求むるに物なし。不可得じゃ。こゝで禅が手に入ったのじゃ。

禅は指頭(しとう)に在(あ)って、指頭に存(そん)せずじゃ。こゝ一番 拈弄(ねんろう)せよじゃ。

俱胝が死ぬ時、天龍指頭の禅 一生 受用不盡(じゅようふじん)と云ったが、何でもかんでも指で間に合う、自在無疑(じざいむぎ)じゃ。指頭に限らぬ、禅を得(会・え)ば觸處(しょくしょ)みな禅じゃ。俱胝は律義(りちぎ)者じゃから、指頭だけで間に合わしたのじゃ。                       

素玄曰く「肥後守(ひごのかみ)鉛筆削りの手がそれて    

       アイタタ・タタと口は云うなり」 

 

  【無門云く】倶胝 並びに童子の悟處(さとるところ)は指頭(ゆびさき)の上にあらず。

   もし、このうらに向って見得すれば、

   天龍同じく俱胝並びに童子と自己とを一串に穿却(せんきゃく)せん。

   素玄【註】者裏・・この内ということ。                  

      一串云々・・悟境を入手せば皆、同一境にして差異なきの義。

      祖佛と別ならずだ。

無門曰く】この公案で『ハハ・・ン』と得心しなければ、次のチャンスはないぞ・・この悟境を手にすれば、釈尊・達磨・天龍・俱胝・童子すべて差異はない。指が一本とか・・はたまた両手を開いて全部見せたところで、こだわり、妄想が増えるだけ。指先じゃなく倶胝の腹元・足元をしっかりと見極めることが大事です。

 

【頌に云く】俱胝、老天龍を鈍置(どんち)す。

 利刃を単提して小童を勘(かん)す。

 巨靈(きょれい)、手をあぐるに多子(たし)なし。

 華山の千萬重を分破(ぶんは)す。

  素玄【註】鈍置・・サアどうぞと招き入れたこと。          

   巨霊云々・・中国黄河の付近に太華山あり。

   洪水の時、この山のあるために氾濫し、民を苦しめるのを見た巨霊神が、

   手をもって造作なく華山を二つに分け、洪水の難を除いた・・

   この大活作略は、俱胝が、ほんの少し小僧の指を竪って

   大悟了畢(たいごりょうひつ)を會しめた大功徳にも似ているという意。

【頌に云く】解説を省略。

【附記】金華俱胝和尚(金華山・・不詳。仏教迫害の武宗皇帝 

 845年頃 師は杭州天龍)

 碧巌録第十九則「俱胝只竪一指(ぐていしじゅいっし)」と同じ公案                      

禅のパスポート(素玄居士 提唱) NO2

禅のパスポート 

       無門関 第二則 百丈野狐(ひゃくじょう やこ)

【本則】百丈和尚 およそ参の次いで 一老人あって常に衆に随って法を聴く。衆人しりぞけば老人またしりぞく。たちまち1日しりぞかず。師遂に問う、面前に立つ者は、また是れなんびとぞ。老人云く、諾(だく)それがし非人なり。過去 迦葉佛(かしょうぶつ)の時において、かってこの山に住す。ちなみに学人問う、大修行底の人、かえって因果に落つるや また無しや。それがし こたえて云く、不落因果(ふらくいんが)と。五百生 野狐身(やこしん)に堕(だ)す。今請(こ)う和尚 一転語を代わって、尊(たっと)ぶらくは野狐を脱せしめよと。遂に問う、大修行底の人、かえって因果に落つるや また無しや。師云く、不昧因果(ふまいいんが)と。老人 言下において大悟す。作禮(さらい)して云く、それがし すでに野狐身を脱して、山後に住在す。あえて和尚に告ぐ、乞う亡僧の事例によれ。師 維那(いの/庶務係)をして白槌(びゃくつい/板を叩いて)して 衆に告げしむ、食後(じきご)に亡僧を送らんと。大衆 言議(ごんぎ)す、一衆皆やすし、涅槃堂(ねはんどう/療養室)に また人の病(や)むなし。何がゆえぞ かくのごとくなる。食後に ただ師の衆を領(りょう)じて、山後の巌下にいたり、杖をもって一死野狐を挑出(ちょうしゅつ)して、すなわち火葬によるを見る。師 晩(くれ)に至って上堂、前の因縁を挙す。黄檗すなわち問う、古人あやまって一転語を祇對(したい)して、五百生 野狐身に堕す、転転 錯(あやま)らずんば この甚麼(なに)とか作(な)る。師云く、近前来(きんぜんらい)、かれがために道(い)わん。黄檗ついに近前して師に一掌(いっしょう)をあたう。師 手を打って笑って云く、まさに謂(おも)えり。胡髭赤(こしゅしゃく)と、さらに赤髭胡(しゃくしゅこ)あることを。

【本則】素玄提唱 これはナカナカ面白い禅的ドラマじゃ。

禅にはこんな漂々乎(ひょうひょうこ)たる物事に拘泥しないドラマがたくさんある。女子出定などもこの類(たぐい)じゃ。         

偖(さ)て、大修行底とは大悟徹底の漢ではない。大悟了畢(りょうひつ)ならば無門もそう書く、別に大修行底としたのは、そこに区別をおいたのじゃ。大悟了畢ならば因果に執着はない。因果というのは物事を自分の心で原因と結果とに区別して、因となり果となって心に蟠(わだかま)る、それにしがみつくことじゃ。心に即することがなければ、そんなことは物理世界の継次現象に過ぎない。喜怒哀楽し老病衰死し、水は流れ火は揚がる、理非計較すべきなし、深く関する處に非ずじゃ。だけれど大修行底は未悟底じゃ、因とか果とかが心に食いついている。

しかし大修行底だから修行は積んでいる、行持綿密(ぎょうじめんみつ)道徳堅固で事理に通じ因果に昧(くら)からずじゃ。

だが、因果を超越することはない、因果に落ちても よく因果に善処する能のある人じゃ。因果を誤魔化さず因果に敵せず、よく因果に応じ因果に惑乱されず、因果に安(やす)んずじゃ。

百丈の昧(くら)まさず(これを昧からずとするもよし)とは よく云ったもんじゃナ、それで野狐身から脱(ぬ)けたとは妙々と云うべしかネ。ここまでは事理明白で野狐身云々(うんぬん)はドラマじゃ。それで本文の公案黄檗の語にある。転転 錯(あや)まらずんば何とかなる、野狐身に堕(お)ちずと答えたら平凡で禅機なしじゃ。そこで百丈がその機を弄(ろう)して近前来(きんぜんらい・近くに寄れ)とやったのだ。近前来も喝もあるいはその他の挙措(きょそ)も、禅語の探竿影草(たんかんえいそう)という奴で、相手の出方を見る待機の手段じゃ。百丈は撃石火(げきせきか)に禅機を示すことなく、黄檗がどんな具合にやるか知らんと試みた訳じゃ。黄檗も百丈の待機はわかっとる。そこで機先を制して一掌をくらわした。これも禅機じゃ。百丈はこれに應處(おうしょ)して、この一局を纏(まと)めなければ老師と云わされぬ。さすがは百丈で手をうって笑った。之だけでも終幕のキッカケにはなるのだが、百丈には さらに余裕の綽々(しゃくしゃく)たるありで「和蘭(おらんだ)人の髭は赤いと思ったが、別に赤髭の和蘭人もあるかな」と、この一語の禅機は実に見事見事と歎称する外はない。

ここでちょっと云い落したが、因果に堕ちずというのが つまりは落ちで大修行底も因果に落ちることはすでに述べた。百丈の不昧(ふまい)を転機とし機縁として老人が大事了畢したことを示したのだ。大修行者も老人も彼らの落、不落の問題ではない。

この百丈の不昧という転語は ただに老人おいてのみならず 禅者のことも引っ掛けて禅者には因果はない。因果と云うことに心が捉われていない、けれども環境諸事すべて原因結果の網の目にある。だから禅者も落因果じゃ。赤髭で髭赤じゃ。五百生 堕野狐身で、また堕五百生 野狐身じゃ。ただし本則をこんな具合に理詰めしては味がない。因果につきまとわれると、老人も大修行底のこともわからぬ。

因果に噛みつかれたら落ち着く先は野狐身かナ。

禅は言語、筆舌のことではない。一転語を錯まるも錯まらないもない。入学試験の口頭試問じゃあるまいし、口先のペラペラはどうでもよいのじゃ。

口の下手なものは禅ができぬということはない。

俱胝和尚は口はご免こうむって指の先で間に合わせて、一生受用不盡(じゅようふじん)と済ましている。要は禅を領得したや否やにある。黄檗が喋りそこなったらどうなるとやったのは、百丈が口頭禅の遊戯をやっているのをチョックリからかったのじゃ。百丈も自分でおかしくなったわけサ。寸分スキのない名優の仕種(しぐさ)じゃ。贏(あまり)得て風流五百生じゃ。

  ◆素玄曰く 「百丈山頭 堕脱(だだつ)の老人。

         東京街頭 脱堕(だつだ)の野狐」     

【無門云く】どうして不落因果で野狐(やこ)に堕(だ)し、不昧因果で野狐を脱却(だっきゃく)できるのか。

得道の者なら、五百年野狐たりしことも也風流(やふうりゅう)・・(因果の世界も悪くはないぞ)

【無門云く】不落因果 何としてか野狐に堕し,不昧因果何としてか野狐を脱す。もし、この裏(うち)に向かって一隻眼(いっせきがん)を著(ちゃく)得(とく)せば、すなわち前百丈をかち得て風流(ふうりゅう)五百生(ごひゃくしょう)なることを知得せん。

(注)これで禪の何たるかが解かった・・というのなら再び『野狐』へ逆戻りです

【頌に云く】禪には、言い訳など一切不要。誰にも教わらない、自分とは・・の大発見。大発明の「一語」が身に着いているかどうか・・身に着いておれば、二箇のサイコロの目を、何度でも、ゾロ目にすることなぞ・・たやすいことだ。

【頌に云く】不落不昧(ふらくふまい) 両釆一賽(りょうさい いっさい)

 不昧不落(ふまいふらく) 千錯萬錯(せんじゃく まんじゃく)

この頌の大意は、不落というも不昧と云うも、堕も脱も禅者の眼からすれば同じくもあり、同じくもなしか。

ココラが風流五百生サ。

この頌は少し技量が足らん(素玄居士)

 【附記】野狐(ヤコ)禪について解説します。無門関 第二則『百丈野狐』にある禪の達道者が、はたして因果(いんが)応報(おうほう)の世界に堕(お)ちるか・・どうかの有名な公案(問題)です。「人生、原因あれば結果あり。罪をつくれば報いあり」と、解かりやすい話だけに、チョット物知り顔で禅の解説をしようものなら「アンタ、ヤコゼンネ」と、タコ焼きでも食べたように批判されます。坐禅をすると、言葉や考えの元「文字」のアヤフヤサに否応なく気付きます。当てにならないのです。例えば「熱い」といっても、物質(の電子運動量による)が、どの程度、熱いのかは、時々刻々と変化していて、比較のしようがありません。正確には解からないものを、一応、相対的な基準値を設定して、わかったことにしておく・・のが言葉、哲学、法律、科学などの世界です。

だから、言葉(文字)、理論で、禪の何たるかを理解しようとしても無理だというのが、この百丈野狐、禪の核心にふれる面白いところです。

不昧因果の師・百丈と弟子・黄檗のやり取りが劇的です。

 

 

禅のパスポート「提唱 無門関」第2稿 2019年1月よりスタートします。 

禅のパスポート

      提唱 無門関  素玄居士

        素玄居士 復刻版 2017(h29)6月~

        第2稿 2019-1月~【附記・解説】を詳細にいたします。

 

 

                 はじめのおわりに・・

       【門より入る・・これ家珍(かちん)にあらず】

漢文で書かれた本則(ほんそく)や頌(じゅ)・偈(げ・悟りの見解けんげ)は、できるだけ心の内から啓発(けいはつ)されるよう、粉飾(ふんしょく的な心情)を除去して簡略化(かんりゃくか)し、解釈は文意にそって、正直に意訳しました。

無門関は、約1200年前・・各則の禅者が、自己とは何か・・納得の答えを求めて行脚・修行した実話です。生死について、生き方について、愛憎について、執着について・・などなど・・ズバリ、迷悟を一刀両断に介錯するかのような「禅者たちの命がけの一悟」・・です。

現代人が、いかに自分を見失っているか「禅による生活」を発見、発明してください。

他の人や学問や宗教に寄らない、自分の中からだけの「自覚」です。

そして・・素玄居士「無門関 提唱」の見解(けんげ)=禅者としての心境を、頌のような形でアカマル青字・・で記述しました。

戦前(1937年)狗子堂発行、無門関提唱 素玄居士 著作、絶版した小冊子を手本に見解をソノママ紹介します。

千年も前の、禅語録が出た時以来・・明治、大正、昭和にいたる達道の禅者、指導の師家(しけ)たちは、ことごとく提唱時や、日常生活で、自己の禅機・禅境(地)を、露裸々(ろらら)・赤灑々(しゃくさいさい)に現わして、求道者に接しています。

「無門関」を、道(い)わぬが花・・師と求道者の二人だけの密室の参禅で・・と、まるで秘め事風になったのは、禅寺の跡継ぎ養成のための、修行組織の温室栽培や接ぎ木の禅継承がはやりはじめた事によります(これは日本の禅の衰退を助長しました)

また、二人以上の暮らしのあるところ、組織や団体の集うTPOでは「純禅」は育ちません。「禅」は自分・貴方・・唯ひとりの中でしか発芽せず接ぎ木できません。一説に千二百則あると言われる公案は、逆に独り一人ごとに解決しなければならない課題と人生があると言う事です。

ですから、独りポッチ=三分ポッチのイス禅をなされるおり、なんのことやらわからなくても、チョット心惹かれる一則を思い返し、考え返して行ってください。

「ポッチ禅」は、畳の上の水練ではなく、せめて「海水浴」・・冷たい海の中での実地実習になるよう・・意見しておきます。

第二則より入りますが、第一則「趙州 狗子(くす・無字)」は、素玄居士の言われるとおり、入学したての小学一年生が、物理学の学術論文を書く・・以上に難解な問題だと確信するからです。

いま、畳の上でしか泳ぎを知らない子供が、いきなりオリンピック水泳の金メダリストと競泳するような・・いや、イルカと競争するような、実力があろうはずがないからです(昔の禅者、求道者は勇敢でした。泳ぎを知らないと言ったトタン、イキナリ水の中に放り込まれるような、大変、直裁的な荒い修行でした)

門より入る・・これ家珍(かちん)にあらず・・

ナカナカ解けない公案で悟りに至る・・

この禅の関所は、そう簡単には透(とお=通)してくれません。

ズバリ言えば、これは、四十八の門のない関所(税関)を、それぞれ自分なりの四十八の方法で透化、通過した禅者たちの物語です。

まず、教えられた知識・経験・体験は、本当の(自分の宝)自覚ではない!

無門関の著者 無門慧開(むもんえかい)和尚が喝破(かっぱー見ぬいて言い切り)しました。

知識や学問、経験は、どれほど貴重であっても、つまりは他の人、社会の研究、体験、アドバイスにすぎません。

参考になるだけです・・と。

禅者のことばや教えを、月(真理)をさす指(知識)に例えます。人は、よく間違います。

その指を「月」そのもの・・と誤解するのです。

また、空に浮かぶ「月」を見ても、見た・・というだけです。目のご不自由な人には見えず、どんなに説明しても真の理解は出来ません。

親や先生や本や友人から、どのようにアドバイスされようと、言われようと、心底(しんそこ)自分自身が納得・安心できる「答え」は、自分自身で見つけるしかない・・

他人の体験、知識、経験、推理、祈りなどは、「禅=自分」を解放するには、どうやら役立たないのです。

文字や言葉は、人が生きるため、生活するための便利なツール(道具)です。スマホやPCや新聞だって楽しく心豊かに生きるための情報ツールです。でも、道具を「真実」と錯覚してはなりません。ホラホラ・・話がまた月を指す指に戻るでしょう。

そうだから、千年も前に「門のない関所」が設けられました。

簡単には解けない話で、自分の心の内から、発明、発見する答えでない限り、その関所を透(とお・通)してくれない・・「無門関」です。

 無門関の由来、序・監修を解読しておきます。

     【無門關(むもんかん)】 無門慧開(むもんえかい) 

     選定監修 彌衍宗紹(やえんそうしょう)編纂(へんさん)

無門 序・・紹定二年正月(1229年) 印行拈堤(いんぎょうねんてい) 要略 

仏語の心を宗となし、無門を法門となす。すでに是れ無門、且つそもさんか透らん。あに道(い)うことを見ずや・・門より入るものは是れ家珍にあらず、縁にしたがって得るものは始終成壊すと。いんもの説話、大いに風なきに浪を越し、好肉に瘡(きず)を剜(えぐ)るに似たり。何ぞ況(いわん)や言句に滞(とどこ)って解會(げえ)をもとむるおや。棒を棹(ふ)って月を打ち、靴を隔(へだ)てて庠(かゆがり)をかく、何の交渉かあらん。慧海(えかい)、紹定戌子(じょうていぼし)の夏、衆に東嘉(とうか)の龍翔(りゅうしょう)に首衆(しゅしゅう)たり、ちなみに衲子請益(のっすしんえき)す。遂に古人の公案をもって、門を敲くの瓦子となし、機に随って学者を引導す。竟爾(きょうじ)として抄録するに覚えず集をなす。初めより前後をもって叙列せず、共に四十八則となる。通じて無門関という。もし是れ、箇の漢ならば危亡をかえりみず単刀直入せん。八臂(ぴ)の那咜(なだ)他をさえぎれども住(とどま)らず、たとえ西天四七、東土の二三も、ただ風を望んで命を乞うことを得ん。もし、あるいは躊躇(ちゅうちょ)せば、また窓をへだてて馬騎を看るに似、眼を眨得(さっとく)し来らば早くすでに嗟過(しゃか)せん。

禅の心を根本に、門のない関所を透(とう・通)して、求道(ぐどう)の人を引導(いんどう)いたします。

では、どのように透(とお)るのか・・

『門より入る、是れ、家珍(かちん)にあらず』

人の五感を通し、理解するすべては、

真に己(おのれ)の宝とするには当たりません。

悟りは、いかようにも説明・教育できません。

まして文字や言葉で表現する事象は、棒を振って月を打ち、靴の上から足を掻く仕草(しぐさ)です。

こうした禅について、誤解をしないように古人の公案 四十八則を厳選収録(げんせんしゅうろく)して『無門関』といたします。

               頌(じゅ)に曰く・・

       大道無門(たいどうむもん) 

          千差有路(せんしゃのみちあり) 

             透得此関(このかんをとうとくせば) 

                 乾坤独歩(けんこんにどっぽせん)

 独り一人に、それぞれが歩む道があります。

どうぞ躊躇(ちゅうちょ)することなく単刀直入(たんとうちょくにゅう)に、この通行手形(パスポート・見性透化)を手に入れて、大道を独歩(どっぽ・独り、ゆうゆうと歩んで)ください。

 

*無門和尚は、天龍和尚に参じ、さらに月林禅師の鞭撻のもと『趙州 狗子  佛性』第一則公案を六年がかりに拈弄(ねんろう)工夫し、ある日、太鼓の音で省悟。重ねて雲門話堕の則で拳をあげた。月林、この透過を見届けたという。無門、平常、頭髪を剃らず、開道者と呼ばれた禅者である。

*彌衍宗紹(やえんそうしょう)のエンの字は、太鼓の音。

*無門関 第一則は難問中の難問なので第2則から紹介します。

*最初の第一則は、この本の一番、最後に記述します。

公案(こうあん)・・中国、古代から役所の発行した調書(公府こうふの案牘(あんとく)転じて、求道者が禅で解決(透過)せねばならない問題の意。    

*文中、不是心佛・即心即佛・非心非佛とか多く・・「佛」の字が出てきます。これは釈尊・仏教、経典の意ではなく「禅」の意ですから「禅」としました。師家は老師=先生の意・・「僧」は「求道者」としました。

 

2019年1月・・第2稿 スタートします。

素玄居士 提唱(そのままの復刻版)に、各則に【附記】意訳、解説をして、皆さんからの問い合わせや疑問に答えます。2018-12/31 記

はてなブログ「禅・羅漢と真珠」一休さんを解説しています。ご覧ください!2019-1-2

 

 

禅のパスポート 12/12・14加筆【終りのはじめ】⇒無門関 趙州無字 第1則(・・はラストに・2017-5-7)

趙州無字は、小学生が博士号を取るほどの難透の公案だから、無門関意訳の最後に、終りの始めとして紹介しますと書きました。

狗(犬)に禅(見性)があるか・・他の禅語録で趙州(778~897)は「あり」と明言しています。

それから千年以上も経過しているのに、現代日本の禅寺僧侶の、いったい誰が大覚(悟り)を會得したのか・・曹源の一滴水を誰が飲んだのか・・心印は見当たりません。

日本オオカミが、何時 絶滅したか定かでないように、たぶん・・広く欧米に禅を紹介された仏教学者、禅者の鈴木大拙先生(1870~1966 松が岡文庫)が亡くなられた頃、終戦を機に、各地の寺僧参禅(法灯)は形骸化して滅した・・と云えるのでないかと思います。

臨済禅、中興の祖と言われる白隠慧鶴の法系や古月禅材門下、月船禅慧、円覚寺復興の師、誠拙周樗(しゅうちょ)、仙厓義梵(ぎぼん)、大愚良寛ほか、さらに明治から昭和にいたる激動期に、禅を挙揚した老師・師家は枚挙にいとまがありません。しかし、電磁的AI(スマホ)社会は良きにつけ悪きにつけ、百年1期の文明を十年で席捲してしまいました。

あえて戦後の禅僧を挙げるとスレバ、南禅寺 寒松軒 柴山全慶老師(1894~1974)次いで、その師家、南虎室 勝平宗徹老師(1922~1983)のお二人を書いておきます。  

元来、禅は引導、伝授される仏陀の教え(仏教)ではありません・・それぞれ独り一人が自覚して、矛盾だらけの社会にあって「禅による生活」を行なう・・非組織・非利権・非論理・非欣求の「我。独り=ima/koko」です。

大拙門下では、大津、坂本の芸術家(書/禅境画/陶芸)加納白鷗居士(1914~2007)・・高岡、国泰寺(派本山)江南軒 勝平大喜に師事参禅、大魯の居士号を得た禅者をもって途絶えたとしておきます。

禅は宗教ではない・・もともと禅は独り一人の内省、自覚にあり・・とする、明確な宗教、寺僧禅からの親離れを宣言された人に・・先の終戦直前、神戸市の爆撃の直撃弾をくらって亡くなられた、井上秀天先生・・この方の碧巌録新講話(京文社書店発行)を参考に「禅者の一語」(はてなブログ)で意訳中です。

そして素玄居士(高北四朗・狗子堂 昭和12年発行)の提唱無門関・・絶版なので、提唱ソノママに復元、附記して「禅のパスポート」(はてなブログ)に第二稿を紹介しています。

 

活字社会から、電磁的(AI)社会へ移行期にある今こそ、新しい社会的土壌に「純禅」のタネが蒔かれた・・のです。

          ◆その第1則の求道者の問いが【趙州 AI】です。

           「AIにいたり、佛性(ZEN)ありや、また無しや」

        無門関 第一則 趙州 狗子(じょうしゅう くす)

            【本則】趙州和尚 因(ちな)みに僧 問う

                狗子に還って 佛性有りや 也(また)無しや。

                     州云く、 

【本則】素玄居士 提唱 ソノママです

無門関の劈頭(へきとう)第一が有名な趙州狗子だ。この則のために無門が六年かかったと云うことであるが、本則は実に六つかしい。参禅の学人に最初に授けるのは、この則というが、それは無理じゃ。大学の卒業試験の問題を小学校の生徒に出すようなもんじゃ。ものにはそれぞれ順序がある。いくら悪辣(あくらつ)がよいからとて、こんなことをするのは、いたずらに学人の根機を疲らし 迷悟を索(さ)くにすぎん。初めは禅悟の則、例えば世尊拈花、趙州洗鉢、達磨安心、俱胝竪指、趯倒浄瓶あたりからやって、次第に禅機の則にかかるのがよい。大悟の極所は祖佛と同じじゃから、何処から入っても同じじゃ。禅の悪辣はこんなところにない。無用に学人を脅(おど)すは禅の大衆化に反する。

この趙州和尚というのは、六十一歳で禅に志し諸方を遍歴し、常に曰く、七歳の童子といえども我に勝るものは師とせん。百歳の老翁といえども、我に如(し)かざる者は我即ち他を教えんと云って道を求め、南泉、黄檗その他に参ずること二十年、八十歳で住院し四十年間 諸人を説得し百二十歳で示寂した禅門第一流の偉人じゃ。舌頭 骨なしと云われた人で、口の先がペラペラと実によく動く。そして一度も棒で学人を打ったことがないとのことである。つまり禅が練れている上に 禅機も鋭く それだけの腕前があったのじゃ。

この趙州に ある時 僧が問うたのに「狗(いぬ)コロにも佛性があるか、どうか」と。趙州云く「無」。この佛性と云うのは、草木国土 悉皆(しっかい)成佛の佛で、普遍共通の大覚成道とでも云おうか、ツマリ人とか狗(いぬ)とかの区別を絶した境地を指すのじゃが、この僧は佛の字に捉われて こんな問いが出たのである。

佛と云うも禅と云うも同じじゃ。趙州は悉皆成佛の禅の端的(たんてき)で答えた。それは無と云うてもよし、有としてもよし、その他なんでもよいのじゃ。禅は挙示(こじ)すべきなしじゃ。だから又、何をもって挙示してもよいことになる。禅は悟りのことで悟りを離れて禅はない。悟りは人々の自得で、それには読書が機縁となることもあろうし、坐禅工夫も問答も棒喝その他、何が機縁になるかわからぬが、理智や情解では決して得られるもんではない。そういうものが心の中に蟠踞(ばんきょ)すると悟は入れぬ。逃げ出す。この僧には佛の字や狗子が肚(はら)一杯に詰まっている。それで趙州がそれを追い出す方便に「無」と云って悟りの機縁をあたえたのじゃ。棒でも喝でもそれが機縁になればよいのじゃ。無の字に捉われてはいけない。

さて、この機縁をつかませる師匠の方で、禅が手に入っていなくては出来ないことである。禅が手に入っておれば何をしてもそれが禅で、また、それが機縁ともなる。公案と云うのは、それを機縁として禅を得る。または禅機を勘破(かんぱ)する機縁なのじゃ。禅も禅機も祖佛と別ならずで 私見私情を混(こん)ずるなし。政府の文書と同じと云うので、公案と称するのだが、文字ばかりが公案でもない。挙示すべきなしだから、趙州はさらに なんら答うることなしだが、全くその通りじゃ。この場合、棒で打っても喝と怒鳴ってもよい。どちらにしても答うる所なしじゃが、しかし、また、これ答えたるなりじゃ。無も棒も喝も立派な答えじゃ。なんと答えたのか知らん、ここが理智や情解をいれぬから、理智や情解で判断しようとしたら解からん、そこが悟りである。この趙州の答えを機縁に悟るのである。

ある書物に この後にこんなことを附け加えてある。「上(うえ)諸仏より、下(した)螻蟻(ろうぎ)に至るまで、皆、佛性あり。狗子なんとしてか かえって無なりや」州曰く「彼に業識性(ごうしきしょう)あるが為なり」と。

また、ある僧問う「狗子かえって佛性ありや」州曰く「有り」。また問う「すでに是れ佛性あり。なんとしてか皮袋裏(ひたいり)に入る」州曰く「知って殊更(ことさら)に犯(おか)すが為なり」と。こんな問答は総て偽物じゃ。禅を去ること遠しとも遠しで、趙州にこんな問答のあるはずがない。俺(わし)は偽作と断ずるに躊躇(ちゅうちょ)せぬ。俺の禅も趙州の禅も、祖佛の禅も総て別ならずじゃ。だから俺はこんな馬鹿げたことをせぬから、趙州も決して こんな愚かな答えはせぬのじゃ。物理法則に反したことは誰でも否定するのと同じじゃ。禅に差別あるなし。否なるときには総てに否。可なるときには総てが可。禅は筆舌およばずじゃが、その及ぶところまで書いて 多少の機縁を供するとしよう。

一体 禅とは心意を超越して 別に境地ありだが、もっと詳しく云えば心意にはその対象がある。対立している その対象を払拭(ふっしょく)し、空亡(くうぼう)するのじゃ。それと共に自己の心意をも払拭 超越する。そういうように学人を鍛錬する。そこで無と云えば有のことが対立的に浮かんでくる。有があるから無、有のない無と云えば、またそこに いろいろと混がらかる、思念 綿々(めんめん)盡(つ)きるなしじゃ。無と云えば無に食いつく、対象の空亡などは何処へやら、あとからあとからとついてまわる。だから有と云うてもいかぬし、無と云うてもいかぬ、それでは不言不語して良久(りょうきゅう・やや久しくジット)する、そうすると そのまた良久についてまわる。なんともかんともしようがない。そこでスパリと答えたのが今の無じゃ。もとより それは禅じゃないが こうして何かの拍子で禅の機縁に取りつかせるのじゃ。それが老婆(ろうば)親切じゃ。つまり、狗子佛性の有無に即せず、直に禅の機縁をあたえたのじゃ。そこに禅境を覗(のぞ)かせたのじゃ。しかるに、趙州が無について回って 彼に業識性があるためだなどと云うたら、禅境を覗かせるどころか未悟底をさらけ出すことになる。また有についてまわって、殊更に犯すなどと喋(しゃべ)る道理がない。僧が上諸佛だとか皮袋裏だとか云うのは、禅境を覗くことが出来ない証拠で、そんな者には、さらに別な機縁を掴ませることになる。佛性を追いかけることをしない、また、多少なりと機縁を得た者には、心意を超越した境地を閃(ひらめ)かすが、この僧に対しては、そこまでに及ばないのじゃ。また、全く大悟 了畢(りょうひつ)の漢ならば知音同士(ちおんどうし)となる。打てば響いてくる。

この業識性あるが為と云うのは、妄想欲念あるが故と云う意味で、答えるにしても理屈っぽくて禅らしくない。公案に即する處あっては透過することなし。禅語に塊(かい)を遂(お)う狗子(くす)と云いうことがある。狗(いぬ)に土塊(どかい)を投げるとそれを遂うて走る。獅子は土塊を遂わず直にそれを投げた人に飛びかかる。趙州の業識性云々(うんぬん)は、土塊を遂い土塊に即するものじゃ。狗子とか佛性とかに噛(かじ)りついていたら、驢年(ろねん)にも得ることは出来ない。子丑寅(ねうしとら)とか十二支の年はあるが驢(ろば)の年はない。未来永劫くることなきの年で了悟の期なしじゃ。殊更に犯すと云うのも 佛性が何か形があって体内に入ると思ったわけでもあるまいが、尊い佛性じゃが狗と知って殊更に入ったと云うのも愚弄(ぐろう)したような答えじゃ。趙州はこんなことは云わぬ。徳山ならば直に棒、臨済ならば金剛王寳剱(ほうけん)の喝、趙州もし答えなば望月兎子懐胎(月見た兎が子を孕む)と云う處か、こんな未悟底をさらけ出しはせぬ。公案はこんな具合によくよく吟味しないとトンダ贋物(にせもの)にぶつかる。明眼(みょうがん)の師に遭(あ)わずんば了期なしじゃ。白隠が有と云うも三十棒、無と云うも三十棒だと盲目の剣術でやたらむやみに振り回す棒振り禅じゃ。

徳山は以(も)って棒すべし。白隠は以って棒すべからず。棒は未悟底も振る。ここの手許(てもと)を掴まなければダメジャ。

サア、素玄の手許を見よ。

素玄曰く・・跛者(はしゃ・片足不自由な者)よく走る。

       一歩は高く、一歩は低くし。

【無門云く】参禅は、すべからく祖師の関を透るべし。妙悟(みょうご)は心路をきわめて絶せんことを要す。祖関透らず 心路絶せずんば、ことごとく是れ依草附木(えそうふぼく)の精霊(しょうりょう)ならん。しばらく道(い)え、如何なるか 是れ 祖師の関。ただ この一箇の無の字。すなわち宗門の一関なり。ついにこれを名付けて禅宗無門関という。透得(とうとく)過(か)する者は、ただ親しく趙州にまみゆるのみにあらず、すなわち歴代の祖師と手をとって共に行き、眉毛あい結んで 同一眼に見、同一耳(どういつに)に聞くべし。あに慶快(けいかい)ならざらんや。透関(とうかん)を要するてい 有ることなしや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅(ごうきょう)をもって 通身にこの疑団(ぎだん)起こして この無の字に参ぜよ。昼夜 提撕(ていぜい)して 虚無の會(え)をなすことなかれ、有無の會を作すことなかれ。この熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)するが如くに相似(あいに)て 吐けども また吐き出ださず、従前の悪知悪覚(あくちあっかく)を蕩盡(とうじん)し、久久(きゅうきゅう)に純熟(じゅんじゅく)して 自然(じねん)に内外打成(ないげだじょう)一片ならば、唖子(あし・口のきけない子)の夢を得るがごとく、ただ自知することを許す。驀然(まくねん)として打発せば、天を驚かし地を動ぜん。關将軍(かんしょうぐん)の大刀を奪い得て手に入るが如く、佛に逢うては佛を殺し 祖に逢うては祖を殺し、生死巌頭(しょうじがんとう)において大自在を得、六道四生(ろくどうししょう)のうちに向かって 游戯三昧(ゆげざんまい)ならん。かつ作麼生(そもさん)か提撕(ていぜい)せん。平生(へいぜい)の気力をつくして、この無の字を挙(こ)せよ。もし間断せずんば好し 法燭(ほっしょく)の一點(いってん)すれば すなわち着(つ)くに似(に)ん。

素玄【註】祖師の関(師は釈迦。祖は達磨。その悟境に透入すること。)心路云々(修禅工夫して心意を超越すること。)心路をきわめ云々(あれやこれやと工夫を重ねて遂に工夫すべきなき境地にいたること。)附草依木云々(草や木につく人魂、とりとめのなきこと。)眉毛云々(眉と眉をくっつける。)毫竅云々(ごうきょう・・毛穴。)提撕(ていぜい・・シッカリ持って離さず。)虚無の會云々(禅を虚無、空寂とすることなかれ。有とか無とかの対立とすることなかれ。)悪知悪覚(雑念妄想。)蕩盡(とうじん・・ふるいよける。)内外打成一片(身内身外が打して一片となる。)殺佛殺祖(佛も祖師も念頭から抹殺すること。)六道四生(りくどう・・は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間娑婆・極楽天上にてあらゆる境地。四生・・胎・卵・湿・化生にて一切生物。)法燭云々(機縁に触れて打発すること)

   【頌に曰く】狗子佛性(くしぶっしょう)全提正令(ぜんていしょうれい)

    わずかに有無に渉(わた)れば 喪心失命(そうしんしつみょう)せん。

素玄意訳・・狗子佛性の則は禅境を丸出しじゃ。有や無に拘(こだ)わっては生きていても死人同然。本則は禅と禅機とを兼ねた難則じゃ。往々、中途半端の處に腰かけて透ったと思う者がある。軽忽(けいこつ)の見をなすべからずじゃ。