◆ハイ 今日は・・「雑炊の味噌一かさ 下されたく候」
ハイ さようなら・・良寛
【附記】本当に死にかけた病気をした者でないと、医者や病院の有難みはわからない。
人の世は、持ちつ持たれつで成り立っている。
自分は独りで生きている・・と、気位が高く、独尊を気取る人ほど、
孤立して迷いに迷う有り様となる。
無門関 第八則 奚仲 造車(けいちゅう ぞうしゃ)
【本則】素玄提唱 車の牛馬を繋ぐ二本の長柄を取り去り、輪の軸を取り去って車をバラバラにする。奚仲は初めて車を造った人じゃ(田畑のくみ上げ水車を発明したとの説あり。
公案では、車でも水車でも、どちらでもよい)・・が こんなことをして何を発明するのか知らんテ。
せっかく纏(まと)まって、車になっているのを壊すとは惜しいもんじゃ。
月庵もシャレたことをぬかす。コンナ子供の悪戯(いたずら)もチャンと禅の工夫があるのじゃ。
車をバラバラにしたら動かない。
そこで何を発明するかナ。
モウ一度 前の通りに組み立てたら前と同じで何も明むることなしだ。このたびはどんな工夫に組み立てるか、そこが奚仲の工夫じゃ。サア、何邊(なへん)の事をか明らむ。
本則は頗(すこぶ)る親切ていねいで 禅の大衆化そのものだ。
これこそ本当に老婆親切じゃ。
本則で手に入れなければアカン。
【本則】月庵和尚 僧に問う
奚仲、車を造ること一百輻(いつひゃくぷく)
両頭を拈却(こきゃく)し、軸を去却(きょきゃく)し
何邊(なへん)のことを明らむか。
◆【素玄 曰く】♫・・お手手つないで野道を行けば みんな可
愛い小鳥になって・・歌を歌えば靴が鳴る・・♬
(清水かつら 童謡1919)
【無門曰く】 もし また直下に明らめ得ば、
眼 流星に似、機掣電(きせいでん)の如くならん。
【素玄 註】機掣電(雷を制御すの意。禅語は一般に形容が誇張にすぎる。ここらが禅の文学に累せられた處じゃろうテ)
もし、ただちに、その意が明らめられたら、そいつの目は流れ星。雷電の手腕を発揮しようぞ。
【頌に曰く】機輪転(きりんてん)ずる処、達者なお迷う。
四維上下(しゆいじょうげ)、南北東西。
【素玄 註】機輪転云々(車のことにかけて禅機の俊発、得道の禅者もマゴマゴする。上下 前後左右 東西南北 転ずる處、無疑の義。本則は禅(境地)でもあり、禅機でもある。
【附記】月庵老師を訪ねてきた求道者が教えを乞うた。
昔、奚仲という人が、田に水を引く足踏み式の水車を発明して、稲の収穫に貢献をしたそうな。
そのせっかくの水車を、バラバラに解体して壊し、改めて組み立てたが、前と同じなら何の工夫もないことになる。
さあて今度は、どんな具合にしたか・・何を明らめたのか。
いちばん大事で肝心なものは、何だったのか?
水車に託して・・人の手足、頭を分解、再生したらフランケンシュタイン(化けもの)になってしまいます・・本当に大切なものは何か・・という問いである。素玄居士は、この第八則 見解(けんげ)で、童謡を歌っておられる。それと水を田んぼに上げる踏板式水車を解体、再組立てする公案と、どこの何が、その解(禅意/体験)で一致するのか・・
さらに『この則、月庵(げったん)シャレたことをぬかす。
こんな子供のイタズラもチャント禅の工夫があるのじゃ。
本則はすこぶる親切丁寧で、本則で手に入れなければアカン・・』と結語されている。