禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

◆赤子泣く あやす手拍子・・「ア・ワ・ワのワ!」

禅のパスポート 無門関NO32   

泣く赤子 その口に あやす手拍子・・ア・ワ・ワのワ

     第三十二則 外道問佛 (げどう もんぶつ)

       【本則】世尊、たなみに外道 問う、

           有言(うごん)を問わず、無言を問わず。

           世尊 據座(きょざ)す。

           外道 讃嘆(さんたん)して云く、世尊 大慈大悲(だいじだいひ)

           我が迷雲をひらいて、我をして得入せしむ。

           すなわち禮を具して去る。

           阿難ついで佛に問う

          「外道 なんの所證(しょしょう)あってか讃嘆して去る。

           世尊云く「世の良馬(りょうめ)の鞭影を見て行くが如し」

【本則】素玄提唱 言葉をもって答えることを問わない。無言で答えることも問わない。

いったいこの外道は何を問うのかナ。

どうして答えることを求むるのかナ。

こうゆう質問を作り出したのは誰か知らないが、随分ヒマな男もあったもんじゃが、また、こんなことを考えるというのもコメの値段も知らぬ奴のことじゃテ。理知の世界の思想と大分かけ離れている、別の調子じゃ。

また別調の風に吹かるじゃ。

世界、恁麼(いんも)に廣闊(こうかつ)なりか、ここらが禅の面白みじゃ。この外道というのは、仏教信者外の者を指し、それが釈迦当時、すでにこの禅を入手していたのだ。禅は釈迦以前、釈迦以外にありしことを知るべく、禅を禅宗の独占のようにいうのは大きな誤りじゃ。

この則は史実でないとしても、禅に宗教的なことはないのじゃ。

世尊、ただ據座(きょざ)。世尊も律義なもんじゃから、外道の云うた通り、有言でも無言でもない處を見せたわけじゃろうが、ここは據座も良久(りょうきゅう)も黙(もく)も、そんなことに拘わりはないのじゃ。

ポンと1本 棒でどやしてもよいし、喝でも逆立ちでも喋っても、どんな芸当をして見せてもかまわぬのじゃ。禅者の一挙手一投足、一言でも多言でも、すべて禅ならざるなしじゃ。 

據座にシガミついたら了期なしじゃ。外道も據座で悟ったかどうか、こやつも禅者で世尊を検(ため)しに来たのかもしれず、あるいは本当にここで悟ったかも知れん。

優れた禅者だと、その前に行くと自然に打発することもあるのじゃ。趙州の洗鉢や喫茶去の一語で了悟した奴もあるのだから、世尊は、良馬が鞭の動く影を見て走り出すようなもんじゃと云うたが、修行が積むとどんなことが機縁となるか、解からんもんじゃ。

素玄曰く・・窓の外 苗売りの声、室内 一碗の茶。

     【無門曰く】阿難は すなわち仏弟子、あたかも外道の見解(けんげ)に如かず。

           しばらく道え、

           外道と仏弟子と相去(あいさ)ること多少(たしょう)ぞ。

素玄 註相去る多少(雲煙万里)問佛は問禅の意。

【無門曰く】アーナンダは、釈尊の従兄弟にあたる、多聞第一の人である。だが、そこらで禅による生活の、庶民の見識と随分の格差、違いが出てしまったな。

      【頌に曰く】剣刃上(けんにんじょう)に行き、

            氷稜上(ひょうりょうじょう)に走る。

            階梯(かいてい)に渉(わた)らず、

            懸崖(けんがい)に手を撒(さっ)す。

素玄 註階梯云々(梯子段をノソノソ行くのと違う)撒手(修禅は崖にかけた手を離す様な絶妙の處に打発する)

【頌に曰く】禅者は、するどい刃(ヤイバ)の上を行くように、ツルツルの氷の上を走るように・・のんびり階段を上り下りするのでなく、高い崖にかけた手をツイと放すような・・絶妙な瞬間に打発(見性)するのだ。

ベテラン女刑事から、これも老練なスリ師が抜き取ったお宝とは?

禅のパスポート 無門関NO31  

サァテ・・ベテランおばん刑事の懐から、これもベテラン掏摸が抜き取ったお宝とは

(スリの極意は、中身を抜いて空の財布を元に返しておくソウナ・・)

               趙州勘婆(じょうしゅう かんば)第三十一則

    【本則】趙州、因(ちな)みに僧、婆子(ばし)に問う。

     臺山(たいざん)の路(みち)いずれの處にむかってか去る

     婆云く、まくじきに去れ。僧わずかに行くこと三五歩。

     婆云く、好箇(こうこ)の師僧、また恁麽(いんも)にし去る。

     後に僧ありて州に挙示(こじ)す。

     州云く、待て、我去ってなんじがために、この婆子(ばし)を勘過(かんか)せん。

     明日すなわち去って、また かくのごとく問う。婆もまたかくのごとく答たう。

      州帰って、衆に謂(い)って曰く、

      臺山の婆子、我 なんじがために勘破(かんぱ)し了(おわ)れり。

【本則】素玄提唱 趙州の弟子のどいつもが婆子(麓の禅を齧ったバアさん)にしてやられる。

学人修禅のためにも邪魔ものとでも思ったのか、趙州も八十からの老人のくせにノコノコ婆子の所まで出かけたのじゃ。

だが、その時の問答の様子は一般の僧の場合と同じで、その他のことについてはチットも書いてない。どんな具合にやったのか、わからぬが、これを書き落としとか読者の想像にまかせるなどと思ったら大間違いじゃ。かくの如く問い、かくの如く答えた以外にないのじゃ。

それなら、どこを勘破(かんぱ)したのじゃろうか。あんまりアケスケに書いては修行を毒するようなもんじゃが、これも禅の大衆化でやむを得ないか。いったい何度もクドクドしく云うが、禅では物事についてまわってはいけないのじゃ。

禅には即することはないのじゃ。だから趙州はテンで初めから婆子を勘破する考えはない。

勘破しようとしたらかえって婆子に勘破せられるだけじゃ。

好箇(こうこ)の師僧、また恁麽(いんも)にして去るじゃ。

早く既に勘破するの念なきが故に、すでに早く勘破し了(おわ)ったのじゃ。それならどう勘破したのじゃろうか。

ここでチョット五臺山のことを書いておく。これは碧巌集 文殊前後三三(三十五則)にある。無着(むちゃく)和尚が飄然(ひょうぜん)として、荒涼たる五臺山を旅行中、一寺院を訪ねて宿泊した。そして文殊が居て問答する。文殊は釈迦の弟子中、智慧第一と言われた人である。文殊、問うて曰く、南方の仏法如何か住持すと。着云う、末法の比丘(びく)少しく戒律を奉ず。珠また云う、多少の衆ぞ。着云う、あるいは三百、或いは五百。無着、文殊に問う、この間、如何か住持す。珠云う、凡聖同居し龍蛇混雑なり。着云う、多少の衆ぞ。珠云う、前三三後三三。翌日、無着 辞して寺を去る。均提童子(きんていどうじ)これを送る。着問う、是れ何の寺ぞ。童子、金剛の後面(山の寺)を指す。着、頭(こうべ)を回(めぐ)らせば、寺も童子も見えず、ただ是れ空谷(くうこく)なり・・云々(うんぬん)。このことは碧巌に、まだ二三のことも附記して、頗(すこぶ)る面白く書いてある。

この前三三後三三の公案は、禅機溌剌(はつらつ)で、この戯曲の作者は誰かわからないが、確(しっか)りとした禅者だ。

禅境は別に是れ祖庭の春じゃ。

素玄曰く 双葉山 臺山に高きこと六八寸(18~24㎝)

    【無門曰く】婆子、ただ坐(い)ながら はかりごとを帷幄(いあく)に解(げ)して、

     要はかつ賊を著(つ)くることを知らず。

     趙州老人、よく営を盗み塞(さい)をおびやかすの機を用(もち)いて、

     また かつ大人(たいにん)の相なし。

     検点しもちきたれば、二(ふた)り ともに過(とが)あり。

     しばらく道(い)え、なりか是れ趙州、婆子を勘破する處。

素玄 註賊を着く(趙州にシテヤラレること)大人の相なし(子供のいたずらのようなことをする)過あり(普通に解すれば失策ありの意味だが禅では表面通りに解せぬことがある。この過ありも誤魔化しあっている位の意にとる)

【無門曰く】臺山への道を問う求道者の誰彼に、ただ真っ直ぐに行け・・の一点張りの茶店ばあさん。趙州に、正体を見破られ、完膚(かんぷ)なきまでにシテヤラレタことを知らない。趙州老師も、泥棒の本領を発揮してナントおとなげない、いたずら小僧のようだ。

趙州も婆さんもドッチモドッチだな。

さあ、この婆さんの大事な財布を掏り取った趙州。果たして どんなお宝を手にしたのか・・当ててみよ。

          【頌に曰く】問(もん)すでに一般。答(とう)もまた相似たり。

         飯裏(はんり)に砂あり、泥中(でいちゅう)に棘(いばら)あり。

 素玄 註有砂(問答同一じゃが 趙州の場合は飯にも砂が混じっている。泥と思っても刺が隠れている。一筋縄でないこと)

【頌に曰く】問うも、答えもありふれてはいるが、この飯は砂まじりで喰えたものではない。泥の中に鋭いトゲがある。

この掏摸師・・一筋縄では捕まらないぞ。

禅のパスポート・・素玄居士提唱 無門関NO30

    「佛」とは・・「禅」のこと

                            即心即佛(そくしん そくぶつ)第三十則

                      【本則】馬祖 因(ちなみ)に大梅(だいばい)問う

                          如何なるか是れ佛(禅)

                         祖云く 即心即佛(禅)   

【本則】素玄提唱 馬祖は即心即禅(佛とは禅)という。素玄は「禅」は対象を絶し心意を超越するという。ドッチが眞でドッチが偽か知らんテ。

何より簡単なのは心を掴(つか)みだして見ることじゃ。

そしてそれが禅かどうかを調べるのじゃ。

サア、皆の衆、自分の心を掴んで見ておくれ。

掴んで見たら他人の心であったら駄目じゃ。

自分で自分を精神することが出来れば、自分の心が自分の心になるのじゃが、精神してみたら、どうやら自分以外のものになってしまっていはせぬかナ。

心理学では手のつけられぬ問題になっている、自分自身の精神を他人の精神の如く観じ批判することは出来る、自省(じせい)という奴じゃ。然らば自省するものは何かというと、そ奴はいつの間にやら自分でなくなる。

自省もつまり他観批判じゃ。道徳も自律というが自律する奴は自分以外にあって、それが自分以外の自分を他観し批判し、且(か)つ自律の命ずるままになっているのじゃ。自律が自分を圧倒してくれる。自分はどこにあるか判らない。修養とは、この高遠な自律の命ずるままに聴従する習慣に外ならない。

この事は自心を自観する習性が人間に成立しなかったのではないかと思う。

パブロフ(露国の心理学者)の刺激と反射の理論からすると、自心を自観する習性は成立し得なくて、かかる場合においても類似の他観に被覆せられるのではなかろうか。自心を自観する刺激ができない。自心を自観する反射も成立しない。習性の不成立じゃ。(もとより、これは素玄の私説にすぎないが・・)

この自心というも心意に対象をもうけ、それに律せられると云うことに外ならず、即心と云うもつまるところ対象を立(りっ)し、それを心とし、それを把握する・・それを禅だとする。

もし馬祖の意がこうであるとすると「即心即佛」は「禅」にならぬ。心を超越せず心を立し対象を作っているから、そしてその心は一般の対立的な平凡な心にすぎない。馬祖ともあるものがこんな心のことを云うはずがない。

馬祖の心は一事の立するなき心じゃ。

把握することなき、知識することなき心じゃ。

道徳とか自律とか信仰とか、そんな紛々擾々(ふんぷんじょうじょう・思いわずろうの意)なることなき心じゃ。心意を心意することのない、水灑(みずそそ)げども水着(みずつか)ずじゃ。

この心が佛(禅)じゃ。

心の心とすべきなきところが禅で、心意の超越であり素玄の禅と同じことになる。

處でそれは不可得の心で、即心というと その不可得の心を可得することになる。

慧可の不可得に向かって達磨が「汝の為に安心す」としたのは、その不可得を可得して安心するとしたのである。

不可得の把握が即心で達磨の安心じゃ(達磨安心 第41則)

即心即佛(禅)じゃ。

素玄云く 

       昨年三百餘 不招新年来(去年はアレよ・・アレよ!の内に)

       復々三百餘 又々新年来(今年の正月はアッ!という間に)

   【無門曰く】もし、よく直下に領略し得去らば、佛(禅)衣を着、禅飯を喫し、

    禅法をとき、禅行(禅による生活)を行ず。

    すなわち是れ禅ならん。

    しかも、かくのごときなりといえども、大梅、多少の人を引いて 

    あやまって定盤星を認めしむ。

    いかでか知らん、

    この佛(禅)の字を説くも三日、口を漱(すす)ぐということを。

    もし是れ、この漢ならば 即心即佛(禅)と説くを見ば、

    耳を蔽うて すなわち走らん。

【素玄 註】直下(早合点して僧業を佛とせん)定盤星(秤の目盛り、固定的見解、禅を錯ること)口を漱ぐ(佛などと云うと口が汚らわしく臭くなるの意)耳を蔽う云々(そりゃ大変、口頭禅には却走の外はない)即心即佛は誤解を生みやすい。心を一般の心意としたら大間違い。即心即佛などと云う奴に出逢ったら逃ゲ出スワイ。

【無門曰く】よく聞きなさい。佛(禅)の事を説明したら、三日間は口を漱いで(うがい)しなければならない。コレを聴いたら耳をふさいで逃げ出せ・・と言われた。

*素玄居士、この事、百も承知の老婆(ろうば)親切の提唱である。

   【頌に曰く】青天白日(禅は・・露堂々、隠れていない)

         切に忌む 尋覓(じんみゃく・・たずね求めるな)することを。

         更に如何(いかん)と問えば、臓をいだいて屈と叫ぶ。

【素玄 註】青天白日(禅は蔵カクすことなし)尋覓(尋ね求める)抱臓叫屈(ほうぞうとくつ・・禅とは何かと問うと、古徳の禅の説話をつかみ取って腹一杯に詰めていながら、私は泥棒でないと、口先で失敬呼ばわりをする)

【頌に曰く】「水」を雲と言い、霧と言い、氷と言い、H2Oと言い、春の小川、滝、湖、大海の・・と言ったところで、その水の中で、喉の渇きを訴える・・独り一人がゴクリと飲まねば、本当の癒しにはならない白隠坐禅和讃)

 

 

数息の坐禅が出来た方の最適な「公案」です!

禅とは?・・シリーズ  やさしい坐禅の仕方(3)/ 元服の書 NO㊴

禅のパスポート 素玄居士提唱 無門関NO29  

   非風非幡(ひふう ひはん)第二十九則

       【本則】六祖 ちなみに・・風、刹幡(せつぱん)を颺(あ)ぐ、                               

           二僧あり、対論す。一(ひと)りは云く「幡(はた) 動く」と。

           一りは云く「風 動く」と。往復して かって理に契(かな)わず。

           祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、

           仁者(じんしゃ)が心 動くと。二僧 悚然(し ょうぜん)たり

【本則】素玄居士 提唱    幡(はた)の動くのは、お前さんたちの心が動くのだ・・とは頗(すこぶ)る禅的だ。遉(さすが)に六祖じゃ。大庾嶺(だいゆれい)の大将が、世の難を避けていたが、禅、興隆の時に臨(のぞ)み、山から下りた際の話である。禪ではモノに即することなく、心は又その大敵じゃ。

風幡(ふうはん)に即せざるも、心が残っているから心で風も幡も動かしている、心に眼をつけて眼の敵(かたき)にするのじゃ。

肚(はら)がドッシリと坐っていると心奴(め)動き出ぬ。

心がヒッ込んでいると禅機、活発じゃ。撃石火(げきせきか)閃電光(せんでんこう)の活作略(かつさりゃく)をする。

ここが禅の生々たる流露(りゅうろ)じゃ。

素玄云く 帝銀事件で予審判事と検事とが互いに不事実を強調している。

言の長き事六尺、語軽きこと三斤。

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は意訳です)

風や幡や心に絡みつかれては、祖師(禅)は見えてこない。

では恵能の真意をどこでみるか。もしも、その真意を、はっきりと見るならば、二人の求道者は「鉄」を買って、それが「純金」だったことで、大儲けしたことになる。六祖恵能は大変ご苦労なさった方なので、ツイツイ本音を漏らして、禅の大事を安売りしてしまった。

    【無門曰く】是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くに非ず、是れ心の動くに非ず。

          何のところにか祖師を見ん。

          もし、この者裏(しゃり)に向かって見得して親切ならば、

          まさに知る、二僧、鉄を買うて金を得たり。

          祖師は忍俊不禁(にんしゅんふきん)、

          一場(いちじょう)の漏逗(ろうとう)なることを。

【素玄 註】祖師(禅のこと。見ようとて見えるもんか)忍俊云々(あとの祖師は六祖 恵能のこと。俊敏の天性、グズグズできなくて禅の大切なところを安売りして漏らして見せた)禅語に一文中、同一語を二義三義にもちうることがある。この祖師もその例だ。

【頌に曰く】風も幡も心も、全部、たった一つの判決文で、決済をすましてしまう。言葉や文字を追っかけていては、すべてが虚妄で災いのもとになる。

心が動く・・と言えば落語のオチとなるぞ。

      【頌に曰く】風幡心動(ふうぱんしんどう)一状に領過(りょうか)す。

            ただ口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。

【素玄 註】一状風・幡・心とも、一通の判決文で埒(らち)をあける)話堕(心が動くと云うたら落語のオチじゃ)

【附記】帝銀事件・・1948年1月、東京都豊島区の帝国銀行、椎名町支店に顕われた男が、伝染病予防のためと言って青酸カリ溶液を飲ませ12名を毒殺。現金を奪った事件。犯人とされた平沢貞道は犯行を否認、1955年死刑確定。再審請求がなされて刑の執行がなされないまま1987年、95才獄死した。

坐禅で数息が出来ると素玄居士の提唱が少し見えてきます。

提唱と云うのは、自分なりの見解(けんげ)がシッカリあって、生き方に迷いがない禅者の語りです。

 坐禅は息(呼吸)が大事で、数息することが一番、禅にふさわしいと思います。数息の坐禅が身につくと、次第にどんな生活行動でも、自然と数息(呼吸)をしている自分が、自覚できるようになってきます。姿勢正しく、静かに物事に対応できるのです。

ただ、これは坐禅ではないし、当然、禅(ニヨル生活)でもありません。

自分の、どこから湧いてくるのか・・解かりませんが「坐禅」や「禅」によって不安な気持ちを解消したい・・とか、禅語録に登場する禅者の言動が、どこか生死を超えた、超然としたものを感じて、ナントカ理解、納得したいとか・・こうした思いが募ってくるのが、人であると思います。その時の気持ちは、本や知識や、教導されることの煩わしさ・・誰にも相談したくない「孤独」や「寂寥」に包まれているのです。

さて・・ココから、禅語録の「公案」・・の、どの則の話題か・・数息坐禅をする人、それぞれを、ニッチもサッチもいかないようにしてしまう、搦め取られるような「禅者の一語」が誕生してきます。

寺僧の専門道場では、老師・師家に相見して、公案・・例えば「隻手音声」とか・・「趙州無字」とか・・禅語の一節を、厳かに与えられました。

私は、この僧堂の修行、密室の参事のあり方こそ、禅を衰退させた元凶であると確信しているので賛成できません。

ある程度、独りイス坐禅で、数息できるようになったら、次に、自分の関心がある禅語の一語を、独り坐禅で拈弄(ねんろう)なさるよう・・拈弄とは、理解不明な「禅者の一語」を、数息のように・・数息の代わりにして、溶(解・説)けない飴玉を、口の中でグルグル溶かし切るまで、嘗め回す状態をいいます。

公案は、どの則であれ解読不能です。哲学者であれ、宗教家であれ、神様、佛様、ノーベル受賞者・・誰であれ・・論理や分析、思考、意識、造作、判断、因果、結果・・経典・文字、説明・・一切キリ・・千年前の語録にはソレこそ、なんの役にも立たない価値なき・・禅「ZEN」が、禅者達の生活行動そのままに、簡潔に書かれています。

いわゆる「悟り・見性・透化・大覚」とかは、坐禅公案を拈弄する・・それぞれの人が、霊性というか、直観というか・・それぞれの禅機(ヒョッとしたTPO)で、決して心理学的なものではなく、突然、体験(頓悟)するものなのです。悟りを青い鳥のように追及したり、銀河帝国のフォース、ヨーダのように悟りがあると思いこんで、期待(奇態・祈諦)してはなりません。

 この則に登場する恵能は、山猿と蔑(さげす)まれる土地の出身であり、文字をかけない米つき行者でした。求道者として寺に入っても、長い間、米つき・・手作業の脱穀ばかり・・人に悟境の詩(頌)を書いてもらわないと、自分の気持ちを訴求することすらできない有り様でした。

それでも、独り一人に「禅」がある。

独り、ヒタスラの米つき作業が、悟りのあとの役立たずの修行「坐禅」だったと云えましょう。

昔は、中国や日本でも、求道者は達道の禅者を求めて行脚しました。師とするに足る禅者かどうか・・禅語録をひも解いて、問答して師の見識を査定したのです。そして、的確に求道者を見抜いて、垂示してくれる禅者に就いて、その「禅ニヨル生活」を学んだのです。

(先生が生徒に試験されていた)

師も弟子も、それぞれ自給自足。アバラ小屋(禅庵)の周辺に、てんでバラバラに野宿して、師の挙動から禅を体得しようと努力したのです。原の白隠など、腐った味噌を農家から貰ってきて、具のない味噌汁に仕立てたところ、碗の中から、ゾロゾロ、ウジ虫が湧いて来るので、それを箸で一匹づつとって逃がしてやってから汁を飲んだ・・という逸話があります。また、ある求道者は、托鉢(たくはつ)に出た時、悪ガキに鉢の中に馬糞を入れられ、これとて有難き施こしであるとして食して死んだといいます。

この公案の拈弄にいたる方は、少なくとも、私の意訳しつつある「禅者の一語・碧巌録」や「禅のパスポート・無門関」など、おりに読みこなされていると思います。

禅者の効能書きは、あまり語りたくありません。

数息が出来るようになられたら、お気に入りの公案、気がかりな公案のどれかを、ご自由に「拈弄」してください。

坐禅は、一人独りが行うものです。

禅は(昔は寺僧の揺籃を得ましたが)宗教・哲学・心理学ではありません。

はてなブログ「羅漢と真珠」禅の心・禅の話・・あわせてご覧ください。

はてなブログ「禅者の一語」碧巌録意訳・・この素玄居士提唱「無門関」復刻・意訳「禅のパスポート」より、初心の方には取り付きやすいと思います。

数息坐禅から、公案拈弄に入って・・坐禅する時、自己の禅境(地)をかえりみる一助となさってください。

(注)この素玄居士提唱「無門関」は、不許転載です。

禅は宗教に非ず・・と喝破された方ですから、とりわけ寺僧の教導・教材になさらないでください。 

◆学問・教養は氷に過ぎない!ZENの働きは「水」である・・

禅のパスポート 無門関NO28   

なぜ・・暗闇の黒牛「牟(む)う」と云わぬ。

         久響 龍潭(きゅうきょう りゅうたん)第二十八則

    【本則】龍潭、ちなみに徳山 請益(しんえき)して夜にいたる。

        潭云く「夜ふけぬ。なんじ何ぞ下り去らざる」

        山 ついに珍重(ちんちょう)して廉(れん)をかかげて出(い)ず。

        外面の黒きを見て却囘(きょうい)して云く「外面くらし」

        潭すなわち紙燭(ししょく)を点じて度與(どうよ)す。

        山 接せんと擬(ぎ)す。潭すなわち吹滅(すいめつ)す。

        山 ここにおいて忽然(こつぜん)として省(しょう)あり、

        すなわち作禮(さらい)す。

        潭 云く「なんじ、この何の道理をか見る」

        山 云く「それがし今日(こんにち)より去って

             天下の老和尚の舌頭(ぜっとう)を疑わず」

        明日にいたって龍潭 陞堂(しんどう)して云く、

       「このうち この漢あり。牙釼樹(げけんじゅ)の如く、 

        口 血盆(けつぼん)に似たり。

        一棒に打てども頭(こうべ)を回(めぐ)らさず、

        他時異日(たじいじつ)孤峰頂上(こほうちょうじょう)に向かって、

        吾が道を立(り)っすることあらん」

        山ついに疏抄(しょしょう)を取って法堂前において、一炬火をもって

        提起して云く、諸(もろもろ)の玄辯(げんべん)を窮(きわ)むるも、

        一毫(いちごう)を太虚(たいきょ)におくが如く、

        世の枢機(すうき)をつくすも一滴を巨壑(きょがく)に投ずる似たりと。

        疏抄(しょしょう)をもってすなわち焼き、

        ここにおいて禮辞(らいじ)す。

【本則】素玄提唱

徳山は金剛経を講じ、南方に魔子(ます・ZENという仏法破壊の禅者)ありて、即心即佛というを聞き、これを打殺せんとして金剛経 疏抄(詳細な解釈、講義資料付)を肩に担い、龍潭を訪ねて、この商量(問答)となった。

紙燭(ししょく)を消して黒漫漫(こくまんまん)か、こんなところで悟ったら無我夢中じゃ。徳山の云うことを見てもわかる、和尚の即心即佛を疑わずと。力の抜けた矢のようなもんじゃ。

何で「牟(む)う」と云わぬ。

暗闇(くらやみ)の黒牛じゃ。

そしたら俺は讃(ほ)めてやるがな。

龍潭も出放題に讃めちぎっている。とかく禅を修じはじめは、チョット手がかりがついたような気がするが、そんなことで也太奇(やたいき・奇跡的)だとか何だとか、独りで偉がるのがある。しかし徳山は、後来、豪物(ごうぶつ)になるだけに、疏抄を焼いたが、こんな荷物をかついで歩くのも大変なわけじゃ。

お経と禪とは全然 別物で そこがわかっただけでも まずまず結構。

素玄曰く 映画の殺陣・・コロリと死んでる

   【無門曰く】徳山いまだ関を出でざる時、

         心墳墳(こころふんぷん)口悱悱(くちひひ)

         とくとくとして南方に来って、教外別伝の旨を滅却せんと要す。

         禮州(ほうしゅう)の路上にいたるにおよんで、

         婆子(ばす)に問うて點心(てんしん)を買わんとす。

         婆云く、大徳(だいとく)、車子(しゃし)の内(うち)是れ何の文字ぞ。

         山云く、金剛経の疏抄。

         婆云く、ただ経中に云うが如くなれば、

         過去心も不可得(ふかとく)、現在心も不可得、未来心も不可得と。

         焉大徳、那箇(なこ)の心をか點ぜんと要するや。

         徳山この一問を被って、

         直に得たり口遍擔(くちへんたん)に似たることを。

         しかも かくの如くなりといえども、

         あえて婆子の句下(くげ)に向かって死却せず。

         遂に婆子に問う、近所に何の宗師かある。

         婆云く、五里の外(ほか)に龍潭和尚あり。

         龍潭に到るにおよんで敗闕(はいけつ)をいれ盡(つく)す。

         いいつべし、是れ前言後語に応ぜずと。

         龍潭、おおいに児を憐れんで醜(みにく)きを覚えざるに似たり。

         他の些子(しゃし)の火種(かしゅ)あるを見て、

         郎忙(ろうぼう)して悪水(おすい)をもって

         驀頭(まくとう)に一澆(ぎょう)に澆冠せず殺(ぎょうさつ)す。

         冷地に看(み)きたらば、一場(いちじょう)の好笑(こうしょう)ならん。

【素玄 註】那箇の心をもって點心するか(點心は間食のこと。婆子もやり手じゃ)邊擔(へんたん 荷物を擔(かつ)ぐ棒。徳山は強気だから関せず鴛(えん)で済ました)前言後語(教外別伝を破らんとして却(かえ)って降参したること)火種(心に火種があって無一物でないこと)冷地(冷静に)

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

徳山は龍潭に至るまで、学問知識の自信、自慢でいっぱい。

禅の不立文字の意味すら、知識解釈で用足りると思い込んでいた。今でいう頭デッカチである。

行脚(あんぎゃ)の途中、茶店のヤリ手婆さんとの「點心(てんじん)問答」・・金剛経の一説「過去心、現在心、未来心、すべて不可得(ふかとく、あり得ない)のに、昼飯がわりの食事(點心、てんしん)、いったいどこに點ずるのか?答えられずに徳山の口は「への字」になってしまった。

この「ココロを点ずる」のはどこか・・道うて見せよ・・そうすれば昼飯代は無料にしてやる・・に答えられず、自慢の鼻をへし折られたが、コノコトを教えてくれた先生の居場所だけは突き止め、龍潭にたどりついた。

だが、まだ負けず口だけは達者だったとみえ「ナンダ・・ハロバロと辿り着いてみれば、龍が棲みつくような淵もなければ・・ただのチッポケな池があるだけじゃないか」と、形に囚われた生意気な求道者だった。

このように龍潭に参禅、問答した由来は、徳山にとっては大事かもしれないが、私(やアナタ)にはどうでもよいこと。

龍潭は、多少、見どころのある徳山に・・妄想の火だね・・があることを見抜いて、夜更けの禪話の帰り際、差し出した明かりを吹き消す・・思い切りのいい冷や水を頭から浴びせたのである。

徳山、省あり・・これは悟りではない。禅機に気づいた状態(知識を氷とすれば、心が自由に動きだす水の状態)で、これからコノコト(色即是空)を、生活の中に体験していく「禅ニヨル生活」・・修養の始まりなのである。

冷静に見れば、この公案・・坐禅すれば一場のコントになる。

  【頌に曰く】名を聞かんよりは面(おもて)を見んには如(し)かず。

        面を見んよりは 名を聞かんには如かず。

        しかも鼻腔(びくう)を救いうるといえども、

        いかんせん、眼晴(がんせい)を瞎却(かっきゃく)することを。 

【素玄 註】鼻孔云々(鼻の頭を掴まれることは防いだが眼の方は潰された。眼をつぶされたので、禪の方が少し解ってきたの意)

【頌に曰く】百聞一見に如かず・・というが、一目見ただけでは、教外別伝(仏教のそとにある・・別の教え)は、簡単に納得できない。ではどうするか・・徳山は、鼻を捻じられることは防いだが、イキナリ、真っ暗に眼をつぶされて、おかげで禪のことが少しわかったようだ。

【附記】氷じゃダメ!溶かして水の働きが大事・・ということ!

徳山宣鑑(とくさんせんかん 蜀、四川省の禅者780~865)・・若くして、ひとかどの仏教学者であつた彼(周金剛)は、南方に「禅」という不立文字教が流行っていると伝聞して、悪魔の教えを破壊すべく、講釈用の金剛経を引っ担ぎ、蜀をでて南下した。

現代流に言えば、知能指数抜群の大学の哲学、科学系の先生・・頭脳(の論理、思考)比較検証に、学会や評論家を論破して自信満々、禪 何するものぞ・・とばかりの勢いで龍潭を目指したのである。

途中、禮州路で茶店の婆さんに「お前さんのどこに点心するのか」と問われて、答えられず、手ひどくやり込められた。

そのあと、龍潭に尋ね、夜分に到る問答で、明かりを吹き消されて1本負け。自慢の金剛経を焼き捨てた・・禅は宗教でも哲学でもない逸話である。

(龍潭を辞して、その足で潙山霊祐(いさんれいゆう)のところにやってきた問答は、碧巌録第4則「徳山 潙山に到る」で紹介します)

尊き大道も書物の時は、世の中の用を潤沢(じゅんたく)することなし(水の氷たるが如し。さて氷となりたる経書を世上の用に立てんには、よく溶かして元の水として用いざれば潤沢にはならず無益の物なり。二宮尊徳/夜話) 

*焚き木を背負って、歩きながら本を読む少年・・二宮尊徳像は、戦前まで、小学校の正門の前に銅像であつたが消滅したようだ。その彼の格言・・例えれば、文字言語は水が硬く凍り付いた「氷」の状態であり、活用しようとすれば、溶かして(暮らしの中で)水にして働かないといけない。

実際に畑を潤おし、人の喉の渇きを癒すのは「水」の働きである。

水は方円にしたがい自由自在である・・の意。

◆人の為に説かない「ZEN」とは・・?

禅のパスポート 無門関NO27

南泉 ひどいデタラメを云うが、これこそ南泉の腕のみせどころだ(素玄居士)

     不是 心佛(ふぜ しんぶつ)第二十七則

【本則】素玄提唱

人のために説かざる・・の法は・・何のための法か。

人だとか犬だとか馬や木や、そんな相手を目当てにせぬ法もあるのじゃと、南泉も出鱈目(でたらめ)なことを吐(ぬ)かすが、これも南泉の手腕じゃ。

禪をしっかり掴んでおれば、何を言っても、それが通るのじゃ。

さすがに趙州の先生ほどあって すらすらとよくも口から出るわい。この心を不とし、この佛(禪)、この物を不とするのじゃと、萬象を抹殺し去って・・この何をか説く。

     【本則】南泉和尚 ちなみに僧 問うて云く

        「還(かえ)って人のために説かざる底(てい)の法ありや」

         泉云く「有り」

         僧云く「如何なるか是れ 人のために説かざる底の法」

         泉云く「不是心(ふぜしん)不是佛(ふぜぶつ)不是物(ふぜもつ)」

 素玄曰く 欧亜連絡、仏国ドレ機、

  高知海岸に不時着。飛行機大破。

  二鳥人は軽症、まずまず安心。

ちょうど、こうした大陸横断のフランス機が高知県に不時着する事件があったようです。飛行士2名は軽症で無事との報道に、素玄居士、一安心した様子がうかがえます。

1937=昭和12年5月26日夕方、フランスから香港経由、東京に向かう百時間懸賞飛行の中、コードローンシムーン単葉ツーリング機、搭乗マルセル・ドレー/フランソワ・ミケレッチは、四国の戸原海岸に不時着。2名は地元の人々に軽症で救助された。のちフランスに帰国。同時期、星の王子様で有名なサン・テグジュベリもサハラで不時着し、九死に一生を得ている・・)

素玄居士の提唱で「佛」と云うのは「禅」の意だと心得ておいてください。お釈迦様でもなければ、仏陀(覚者、悟道者)でもない・・ZENソノモノの意です。

僧とあるのは求道者と意訳しています。

    【無門曰く】南泉この一問を被(こうむり)りて、直に得たり 

     家私(かし)を揣盡(しじん)して 

     郎當(ろうとう)小(すく)なからざることを。

素玄 註家私云々(私財ありたけを傾け盡した)郎党(出しすぎて大切な處まで漏らした)

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)あんまり説きすぎるのも良くないゾ。

隠すこと一切なし・・とはいえ、隠さなすぎるのも問題。私財のありたけを放り出してしまって、どうするつもりかな。

   【頌に曰く】叮嚀(ていねい)は君徳(くんとく)を損(そん)す。

   無言 眞(まこと)に功(こう)有り、さもあらばあれ、

   滄海(そうかい)は変ずるとも、終(つい)に君が為に通(つう)ぜず。

素玄 註損君得(ていねい過ぎると君を莫迦にす)不通(蒼海の変はあるとも解かる期なし)

【頌に曰く】説きすぎは自分の徳をそこなうばかりか、お釈迦様まで傷つけることになる。

いっそのこと黙っておればよかったろうに・・。

たとえ、地球の海水が1滴も無くなろうと、こんなことはイワナイ・・で、すませておけば、すべてが安泰だったろうに・・。

【附記】佛⇒禪の事。素玄居士は「佛」の字は、ことごとく「禅」の意であると断言しておられます。また「禅」は宗教ではない。欣求(祈り・造作)するものではない・・と、この無門関 提唱で一貫して記述されておられます。

私は、「禅」の宗教的行事を行う寺僧(宗団)は、真の禅者ではない・・との観点で、拝観料を取ったり、坐禅教導・宿泊・写経・精進料理などを営業するところは、一括して「観光禅」として純禅としません。

決して・・本や教導に頼らず、仲間を作らず、独りポッチの(イス)坐禅に撤して、仕事や勉強の合間、寝る前など、3分程度・・半眼・姿勢を正して行う・・無功徳(役立たず)の達磨禅を習慣化されるよう推奨しています。

意訳する「無門関/碧巌録」・・禅語録は、千年前の自由闊達な先達の禅者たちの・・禅機・禅境(地)を垣間見て、独り坐禅の励みにしたいと思っているのです。 2020-1-18 追記

      

◆花は五分咲きが看ごろです!

はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)・・

この奉魯愚(ぶろぐ)は、2020年1月5日までの間、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺できり出します。

花看半開(花は五分咲きを看るべし)菜根譚 洪王明(自誠)

花看半開   花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・

此中大佳趣。 此の中にこそ バランスのとれた風流がある

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら

便成悪境矣。 花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者 宜思之。 えいまんの(みちたりた)者は、

          今が看脚下だぞ。

     *モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

昨年は・・はてなブログ計23160回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2020年1月1日AM0;00現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 孤独な独りイス坐禅で、思い返し、考え返してください。

(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的哲学的科学的な正解はありません。これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ、間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障(さわ)り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダはなぜ子をすてたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪をつたえた菩提達磨(ぼだいだるま)・・にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは、現実的な今を尊重する中国の風土に育まれて・・

釈尊「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りで、チョットの時間でも無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

                                                                                                                      

                                     禅のパスポート 無門関NO26

大空(タイクウ)なお いまだ禅ならず・・ここを掴(つか)み取れ!(素玄居士)

        二僧 巻簾(にそう けんれん)第二十六則

【本則】素玄提唱 

この一得一失が禅の妙じゃ。二僧同じく去って簾を巻く、歩き具合も手つきの様子も、眼つきも腰つきも何一つ書いてないのじゃ。そんなことは無用じゃ。

それなら・・どこに一得一失があるか、臨済は賓主歴然(ひんしゅれきぜん)という語を用いているが語意いよいよ同じじゃ、がまた別なりだ。

無礙縦構(むげじゅうこう)の禅機は、書いて書かれぬことはないが、そんなことは読んだだけではナルホドというだけで他人の刀を借りて振り回すようなもんじゃ、剣道の技倆(ぎりょう)にはならん、かえって他を傷つけ自からを害(そこ)なうのみじゃ、教えられるとその人に禅が湧いてこぬ、学人を毒することになる、また学人の為にもならぬこともあるのじゃ、また教えたところで悟りにはならぬ。

要は悟るにある、悟れば一得一失がわかる。

サア法眼のこの禅機を勘破(かんぱ)せよ。

  【本則】清涼(せいりょう)の大法眼(だいほうげん)、

   因(ちな)みに僧、斎前(さいぜん)に上参(じょうさん)す、

   眼、手をもって簾(れん)を指す。

   時に二僧あり、同じく去って簾を巻く。

   眼曰く、一得一失(いっとくいっしつ)。

 ◆素玄曰く ラジオの天気予報、

   東の風又は西の風・・晴れ又は雨。 

  【無門曰く】しばらく道え、これ誰か得 誰か失。

   もし 者裏(しゃり)に向かって一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)せば、

   即ち清涼国師 敗闕(はいけつ)の處を知る。

   しかも かくの如くなりといえども、

   切に忌(い)む、

   得失裏(とくしつり)に向かって商量(しょうりょう)することを。

【素玄 註】敗闕(清涼国師の大切なる處を 素玄曰くでサラケ出してやった。得失もなにもあるもんか)

【無門曰く】二僧の誰がよし・・であり、誰が至らぬ・・のか。

もし、ちゃんとした見どころを押さえた者であるなら、清涼国師の大事な、基準点がわかろうというものだ(素玄云く・・サラケ出してやったぞ。得も失もアルモンか!)

 【頌に曰く】巻起(けんき)明明として太空(たいくう)に徹す、

  太空なお いまだ吾宗に合(かな)わず。

  いかでか似(し)かん 空よりすべて放下(ほうげ)して

  綿綿密密(めんめん みつみつ)風を通(つう)ぜざらんには。

【素玄 註】大空云々(大空なお未だ禅とすべからずじゃ。ここのところをしっかり摑(つか)め。不通風(締め切っておくのも禅ならずじゃ。けれども空より放下したら締め切ることになるかナ。この頌は一得一失にすこしそぐわぬ様じゃテ) 

【頌に曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

簾を巻けば、清々しい青空が見えてくる・・

これが禅だと思うと大誤解となる。・・大空は禅ならず。ここのところをしっかりツカメ。けれども、閉め切って風通しが悪いのも禅ならずじゃ。どうも、この頌は少しソグワヌところがある。

 

 

 

◆無い門(の戸)を叩いてみよ。さらば開かれん!

禅のパスポート 無門関NO25

    三座説法(さんざ せっぽう)第二十五則

本則】素玄提唱 摩訶(まか)は大。衍(えん)は乗で大乗の法のこと。ここでは禅じゃ。四句は一異有無で一切万象を抽象し それが百となる。例示すると、一・非一・一亦非一・非一非非一・非非一亦非一・これが一異有無の四通りに過去・現在・未来、巳超・未超とつけて百にするのじゃが、こんなことは無意味の骨頂じゃ。

つまり大乗、すなわち禅は言語を絶すと云うことで、夢物語の変哲もない公案である。

【本則】仰山(ぎょうさん)和尚 夢に彌勒(みろく)の所に往(ゆ)いて

    第三座に安(あん)ぜらる。

    一尊者あり、白槌(びゃくつい)して云く。

    今日(こんにち)第三座の説法に當たる。

    山すなわち起って白槌して云く、

    摩訶衍(まかえん)の法は、四句を離れ百非(ひゃくひ)を絶す。

    諦聴(たいちょう)諦聴と云うを見る。

素玄云く・寝言歯ぎしり喰い過ぎのとが(科)

【本則】潙山霊祐の弟子、仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく814~890)潙仰宗(いぎょうしゅう)の開祖の夢談義。

彌勒菩薩(みろくぼさつ)の所に招待されて、第三座(講演)を依頼された。

司会者が。カチンと拍子木を打って、居並ぶ菩薩や羅漢、居士達に仰山を紹介した。

仰山「それ摩訶衍(まかえん)・・大乗(禅)の法は・・四句(一異有無を離れ)×過去+現在+未来+未起+巳起=百非・・を絶す。と云い終わるやいなや、よくぞ、この長噺しにお付き合い頂いた」という所で目が覚めた。

禅語、問答に出てくる定番「四句百非」要は言語を絶する・・禅の意。坐禅して何か納得できたら、早く身に着けて、そうした悟りは忘れることだ。

上味噌はミソ臭くはない。

【無門云く】しばらく道(い)え、これ説法するか、説法せざるか。

      口を開ければ即ち失(しっ)し、口を閉じればまた喪(そう)す。

      開かず閉じざるも、十萬八千。

素玄 註不開不閉(無門も仕方がないから同じような文句を並べたにすぎず)

 【無門云く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)

無門も仕方なく、似たような文句を並べただけ。

水槽の金魚、酸欠でクチヲパクパク足掻いている・・禅から遠きこと十万八千KM。

  【頌に云く】白日青天(はくじつせいてん)夢中に夢を説く。

       捏怪捏怪(ねっかいねっかい)、一衆を誑謼(こうが)す。 

  素玄 註誑謼(だまし愚にする)

【頌に云く】すべては、カラリとした青空の境地なのに、夢の中で夢を説く・・騙してはイカン!

夢で殴られてタンコブが出来るものか!

煩悩即菩提だぞ(ボンノウソクボダイ)だぞ!

12月1日~8日までの1週間は・・

禅のパスポート NO24 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳   

12月1日から8日までの1週間は、釈尊が悟りを開かれた日として、これを1日間とみなし、臨済僧堂では「雲水の命取り」といわれる、ぶっ続け坐禅と師家独参の修行「蠟八大接心」がある。

釈尊が6年苦行の後、菩提樹下で端坐、夜明けの明星を看て、正覚を成じた由来を機しての接心会だが、食事と用便を除いて、坐禅三昧。眠るのは午前3時までの、僅か3時間の坐睡のみ。雲水が、これほど激しく公案と向き合い自分と戦う姿は、まず、修行中、無いといえよう。されば、本日の鶏鳴を迎え、熱い梅干し茶をいただく心持ちは、年老いても忘れ難いと云う。

禅は宗教の元という意味で禅宗といいます。宗派のことではありません。例え僧堂で何十人の雲水が、悪戦苦闘して正覚を求めても、坐禅、独参しての結果、得られるものではありません。坐禅釈尊、達磨、先達の禅者のとおり、たった独りで行うことが大事です。

無理なく自然体で(現代人は)イス坐禅でたったの3分間ぐらいの・・悟りなどの功徳や見返りを求めることなく・・役立たずの坐禅を、おりおりに繰り返すだけです。

時に、この・・はてなブログ 禅者の一語(碧巌録・意訳)や、禅のパスポート(無門関・素玄居士提唱、復刻意訳)、あるいは 羅漢と真珠(禅の心、禅の話)、ご自分の禅境(地)を確かめられる道標になさって、あせらず、たゆまず、独り坐禅を・・のんびり・・お続けになってください。

ただ、注意は、決して仲間づくりはなさらないこと。

独りポッチ、寂寥の坐禅であることです。

座禅と書かず、坐禅と書いてください。

     離却語言(りきゃく ごごん)第二十四則

【本則】素玄提唱 語は外に向かう離のこと。黙は内に向かう微のこと。禅を語れば禅を離れ、禅を黙すれば内に微にする。禅を語黙することなく、犯すことなくして如何か禅を挙示せん。この離微は肇法師の宝蔵論に書いてあるとのことだが、こんなことは詮索する必要がない。語黙によらず禅を示せと云うことである。風穴は春の長閑(のどか)なことを喋っている。禅はそんなもんかしらん。

ツマランもんじゃ。

一体 公案とは禅か禅機かを示すもので、禅を何と云うても 同じことの一つことじゃ。言語挙措 千種萬様であっても、落つれば同じ溪川(たにがわ)の水で、どの公案でも つまる處は同じことの 一つことだから、一則しっかり手に入ると 千則萬則 みな透るのじゃ。それが透らなければ本物でない。

無門の評も頌も 結局は同じことを繰り返すにすぎないし、素玄曰くも その通りで 段々種切れになるわけだ。構造も脚本も、言い回しも落ちは同じ穴サ。落ちは同じじゃが 禅は対象もなければ心意も超越で何とでも喋られる。禅者が云えば江南三月も禅だ。大庾嶺上 風冷ややかなりも禅だ。

  【本則】風穴(ふけつ)和尚、ちなみに僧問う「語黙は離微(りび)にわたる、

      如何が不犯(ふぼん)を通ぜん」

      穴云く「長(とこしな)えに憶(おも)う江南三月の裏(うち)、

      鷓鴣(しゃこ)啼く處 百花(ひゃっか)香(かんば)し。

素玄曰く いにしえの奈良の都の八重桜 

       今日九重に匂い塗るかな(古歌)

【本則】禅を語れば語るだけ「禅」から離れてしまう。

では黙ってしまえば、今度は内にこもった、臭いオナラのようになる。

要は語黙によらず「禅」を示せ・・と、求道者は迫ってきたわけだが、風穴は、春ののどかさを詩に託して示した。はたして、それで百点満点かどうか・・

ここで素玄居士の一言。

公案は禅か禅機かをしめすもの。何と言っても同じことの一つ事だから、一則しっかり手に入ると、千則万則みな透る。

それがギクシャクして透らなければ本物じゃない。だから無門の評も頌も、素玄曰くもその通りで段々と種切れになる。

落語と同じで、噺の起承転結・・役柄の演技、セリフは、男は男らしく女は女らしく、落としどころが必ずあってオチは同じ。笑いが取れなきゃ落語と云えぬ。

噺の筋は違うように思えても、落つれば同じ谷川の水・・つまるところは同じなのが種明かしだ。(ところが・・その禅境(地)深きことは予測不能。甘く見るでないぞ。 意訳者附記)

   【無門云く】風穴の機 掣電(せいでん)の如く、路をえて すなわち行く。

    いかんせん前人の舌頭に坐して断ぜざることを。

    もし者裏(しゃり)に向って見得して親切ならば、自ずから出身の路あらん。

    しばらく語言三昧(ごごんざんまい)を離却して一句を道(い)いもち来れ。

素玄 註】道を得て云々(風穴はとこしえに憶うとスパリとやった。それは禅の道に背かぬのじゃが、すでに語じゃ。問話底に背く。口の先に乗ったのじゃ。)見得(しかし必ずしもそうだとも限らない。見解(けんげ)徹底すれば語黙も離れた處があるのじゃ。黙も及ばざるあり)

【無門云く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は、どの則も意訳です)風穴は、春の感想詩をうまく、スパリと表現して見せた。それは、禅に背いていないが、すでに「詩であり語であり」問答の口先に乗っている。・・だけれども、今回は・・必ずしも語に堕している訳でもない・・禅者らしい境地が偲ばれる・・語黙をすり抜けた・・風流な処を見届けてほしいものだ。

   【頌に曰く】風骨(ふうこつ)の句を露(あらわ)さず、

         いまだ語らざるに先(ま)ず分布す。

         歩を進めて口喃々(くちなんなん)たれば、

         君が大いに措(お)くことなきを知りんぬ。

素玄 註】風骨(風の骨とは甘いことを云う)罔措(おくことなき・・未悟底で持ちも下げもならぬ行き詰まり)無門も語黙を離れるのは不得手と見える。

【頌に曰く】この春を歌う詩は、風骨を表さず・・変わったところは何もない、求道者が問うたから作詞したものではない・・初めから自然そのものが謳たう、コノコトがあらわれている。臨済の棒喝を利用せず、風穴禅者の禅境丸出しである。この詩の意味は、ああだ・・こうだ・・と理屈道理をこねるほど間違うものとなる。素直に、百花とまではいかなくても、春の花咲き乱れる温泉にでも入って、ウグイスの啼く声に聞きほれてごらん・・と言いたい。

【附記】いにしへの 奈良の都の 八重桜

    けふ九重に にほひぬるかな(伊勢大輔(61番) 

現代語訳・・昔の、奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、 ひときわ咲き誇っております。

*江南・・中国、揚子江から南を江南という。北は江北。

*風穴延沼(ふけつ えんしょう896~973)臨済樹下の禅者。

 

 

 

◆とっくの昔・・ひそかにZENは山猿に持ち去られたぞ!

禅のパスポート NO23 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

      不思善悪(ふしぜんあく)第二十三則 

【本則】素玄提唱 六祖は達磨より六代目にあたり名は恵能(えのう)。道に人の金剛経を誦(しょう)するあり。「まさにとどまる處なくしてその心を生ず」とあるを聞き、禅に志し黄梅山の弘忍(ぐにん)に参じ米つき男となる。8カ月にして大事を了す。六祖 附法の時節 至を知り、大衆に偈(げ)を求め意に契(かな)う者に、衣鉢を伝えんとす。明上座あり「身は是れ菩提樹、心は明鏡臺(だい)の如し、時々勤(つと)めて払拭せよ、塵埃(じんあい)を惹(ひ)かしむる勿(なか)れ」と、秘(ひそ)かに伝衣を自分がと決めていた。六祖も一偈を作り「菩提もと樹なし、明鏡また臺にあらず、本来無一物、何の處にか塵埃を惹かん」と・・この偈は少々 食い足りないが 偈ばかりで判断はできぬ。弘忍その夜 恵能に衣鉢を伝え、さらに注意して、ここにあって大衆の嫉妬のために害されるやもしらんから逃げよと(教導した)。直に逃げて大庾嶺(だいゆれい)にいたり本則となったのである。

一領の故衣が山の如くに重いというのも おかしい話じゃが、明上座も力をもって争うのに 良心が咎めたのじゃろう、善を思わず悪を思わずと云うだけでは足りない愛憎苦楽もあるのだが、これは機縁じゃ。不思善悪で雑念妄想が一掃されたのじゃ。一掃してみると何もない空(から)ッポで、そこで更に意旨ありやと訊いたわけでもあろうか、密はかえって汝の邊(ほとり)に在(あ)りじゃ。

本来の面目は即ち この密で、明上座も不思善悪だけでは省ありの程度で、密を握らんことにゃ本物ではない。   

【本則】六祖、ちなみに明上座(みょうじょうざ)、追うて大庾嶺に至る。 

     祖、明の至るを見て即ち衣鉢を石上になげうって云く「この衣は信をあらわす。

     力をもって争うべけんや。君が持ち去るにまかす」

     明、ついにこれをあぐるに山の如くにして動ぜず。

     踟蹰悚慄(ちちゅうようりつ)す。

     明云く「我きたって法を求む、衣のためにするにあらず。

     願わくば行者(あんじゃ)、開示(かいじ)したまえ」

     祖云く「不思善(ふしぜん)不思悪(ふしあく)、正與麼(しょうよも)の時、

     那箇(なこ)か是れ明上座が本来(ほんらい)の面目(めんもく)」

     明、当下に大悟し、邊体(へんたい)汗ながる。

     泣涙作禮(きゅうるいさらい)して問うて曰く

    「上来(じょうらい)の密語密意(みつごみつい)のほか、かえって更に意旨ありや否や」

     祖曰く「我いま汝がために説くものは、すなわち密にあらず。

     汝もし自己の面目を返照せば密はかえって汝が邊(へん)にあらん」

     明云く「それがし、黄梅にあって衆にしたがうといえども、実に未だ自己の面目を省(せい)せず。

     いま入處(にゅっしょ)を指授(しじゅ)することを蒙(こうむ)って、

     人の水を飲んで冷暖自知(れいだんじち)するがごとし。

     いま行者はすなわち某甲(それがし)が師なり」

     祖云く「汝もし是の如くならば、すなわち吾と汝と同じく黄梅を師とし、よく自ら護持せよ」

素玄曰く 大庾嶺上、衣鉢を擲(なげう)ち、おもむろに腰の煙草入(たばこい)れを探(さぐ)れば、明上座すでに来たって悪鬼に似たり。

大庾嶺上、風冷なり。

傳衣を焚(た)いて暖(だん)をとる。

(密/みつは汝の邊ほとりにあり)

【本則】明上座・・ようやく山頂で蘆行者(恵能)を捕まえた。

彼は石の上に衣鉢を置いて、明上座に語りかけた。

「この衣鉢はZEN=悟りを表すもの・・力ずくで奪うものではない。ほしければ君が持ち去るがよかろう」

じゃ、遠慮なく頂きます・・と、取り上げても、やましい気持ちが邪魔をして、山のように重く感じて持ち上げられなかった。

往くも帰るもならず、ギラギラした燃える目で蘆行者を見上げた明上座「私は衣鉢の為に追いかけて来たのじゃない。菩提樹もなく明鏡台もない・・偈の真意が知りたいのです。どうぞ開示してください」蘆行者は、脂汗を滴らせて懇願する明上座を、傍らの石に座らせて云う。

「ここに至って、イイも悪いも価値損得は捨てなさい。さあ、この今がいま、何ものに依らない・・あなた自身は・・」とするどく問われて明上座は省悟した。緊張の糸が途切れて安心したのか、涙が溢れ出てきた。

「ありがたいことです。いいも悪いも消失しました。このカラッポのZEN(密意)の他、その意旨はありましょうか」

蘆行者「説いたのも、君が得たのも、密なるものではない。いま君が自分の面目を返照すれば、密はかえって自分の周りにある。コレが大事だ」

「黄梅山では修行が大事とばかり、密なる本来の面目を失っておりました。いま、水を飲んで冷暖自得の心地です。行者こそ、私の師です」

(そうした禅境のなら)「ワシと君と、一緒に黄梅の弘忍老師を師としよう。善く自ら、是を護持しなさい」

この、六祖恵能が大庾嶺(だいゆれい)で神秀(じんしゅう・明)上座と衣鉢の取り合いを演じた 二十三則の前には、蘄州(きしゅう)黄梅県、東馮墓山(ひがしひょうもざん)の五祖弘忍(ぐにん)を訪ねる、嶺南(れいなん)(南蛮なんばん、獹獠(かつろう)/野蛮な猿猴えんこうの住人)の薪売りで母を養う蘆行者(ろあんじゃ)=曹渓恵能(そうけいえのう638~713)の、求道見性の話がある。

菩提(悟り=悟道の人)はあるのか・・その悟境(地)はどんなものか・・禅を伝燈するにあたり、頌偈(じゅげ)を求めた五祖弘忍に、暗夜、明上座は一篇の禅境詩を書き付けた。

   身是菩提樹   わが身こそ悟りの樹なり

    心如明鏡台   ココロは磨かれた鏡のごとき

     時々勤払拭   迷いの曇りを磨き上げして

      莫使染塵埃   ホコリやチリに汚染されぬようにすべし

あくる朝、壁に書かれた偈を読んでもらった、字の書けぬ蘆行者はついでに、ワシの詩を頼んで二つ書いてもらった・・と、正直に六祖壇経(敦煌本・恵能自叙伝)にある。

  菩提本無樹   もともと悟りに樹はよけい

   明鏡亦無台   ココロを支える台いらず

    仏性常青浄   ZENはつねに清らかソノモノ

     何処染塵埃   いったい何処にホコリつくかナ

その2 禅は学んでもつまらない。禅にめざめ体得してこそ大事だよ・・

  心是菩提樹   ココロこそ悟り・ZENソノモノで

   身為明鏡台   おのれは鏡の台ソノモノだ  

    明鏡本清浄   モトモトきよらかソノモノなのに

     何処染塵埃   どんなにしてもホコリはつかぬぞ

恵能の見性を見届けた弘忍は、法燈の要らざる争いを予測して、彼にひそかに衣鉢を与えて船でのがすが、それを知った明上座は逃がすものかと、あとを追いかけ、この大庾嶺での舞台の幕が開くのである。

ただし、学者が面白おかしく解説しても、薬の効能書きを読んでも病気は治らない・・ごとく、自分が自分の心(本来の面目)を攫まないと、誰かがつかんでくれるなど期待したら大間違いです。

サア、云く因縁はここまでにして、釈尊伝来の衣鉢を奪い取ろうとして、追いかけてきた明上座のソレカラ・・を見てみよう。

   【無門云く】六祖 謂(いい)つべし、

   この事は急家(きゅうけ)より出ずと、老婆親切(ろうばしんせつ)なり。

   たとえば新荔支(しんれいし)の殻(かく)を剥(は)ぎ終り、

   核を去りおわって爾(なんじ)が口裏(くり)に送在(そうざい)して、

   ただ爾が嚥一嚥(えんいちえん)せんことを要するが如し。

 素玄 註急家云々(事情切迫だから禅を噛んで吞み込ませたの意か)

 【無門云く】大庾嶺の山頂で、目を血走らせて求道、問法の明上座を相手に、事情切迫のため、ZENの殻をむきタネを取り去り、食べやすい大きさに切って、フォークにさして口元に運んでやる・・とは・・。だから蘆行者・・いつまでも頭を剃らず、素人ぶって放浪していたのか・・親切にもホドがある。

     【頌に曰く】描(びょう)すれども成らず  

           画(えが)けども就(な)らず、

            賛するも及ばず

            生受(しょうじゅ)することを休(や)めよ。

          本来の面目、隠すにところなし、

          世界 壊(え)する時、渠朽(かれく)ちず。

素玄 註休生受(絵も筆も及ばぬ。さらばとて生呑み込みはダメ)本来面目云々(禅は隠すにも隠されない。密というのを秘密としたらいかん。

極所奥底の意とし、また禅の意でもある。それは何もかも丸出しのものじゃ。

壊も朽もない。この頌は拙劣。

【頌に曰く】この思わざること・・絵にも筆にも描き切れないが、そうかといって、生半可に納得したふりをしてはダメだぞ。

本来の面目は、隠すに隠せないものだ・・「密」というのを「秘密」としたらアカン!・・と素玄居士の注意書きがある。

ただの「極所」=「奥底」=「禅」の意とすべし。それは何もかも丸出しのモノじゃ。破壊も朽ち果てることもない。

(この頌 拙劣であると、素玄居士 吠えています)

 

 

◆どこかの国の・・誰かが・・ZENを身に着けるチャンスが生まれ・・

禅のパスポート NO22  提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳   

  迦葉刹竿(かしょう せつかん)第二十二則

【本則】素玄提唱 禅には何か秘伝でもあるか、宝物の伝授でもあるのかしらん。この頃なら優勝杯でもあろうかと思って聞いたものと見える。それで迦葉(かしょう)は、門前の旗竿(はたざお)を逆さまにせえと答えたのじゃ。1人前の坊さんになると門前に旗を立てて遠近に知らせる風俗がある。迦葉は、そんなことも要らざることじゃ。旗竿も捨ててしまえ、何の伝授があるもんかという意味だ。印可も証明も邪魔なもんじゃ。

臨済は師の黄檗が凡案(つくえ)をやると云うので、燐寸(マッチ)を持って来い、焼いてしまうとやったが、なるほど道中(行脚、人生)に、そんなものは不便なもんじゃ。

金襴(きんらん)も余計なもんサ。

 【本則】迦葉、因(ちな)みに阿難(あなん) 問うて云く、

     世尊(せそん)、金襴(きんらん)の袈裟を伝うる外、別に何ものをか傳う。

     葉(しょう)喚(よ)んで云く「阿難」。難 応諾(おうだく)す。

     葉云く、門前の刹竿(せっかん)を倒却著(とうきゃくじゃく)せよ」

素玄曰く 足にタライをのせて、お尻に枕する者は何か?

      足芸の香具師(やし)・・何だ、つまらぬ。 

【本則】阿難が、釈尊から不立文字、教外別伝の「禅」を付嘱(頼まれた)迦葉尊者に問うた。「禅」には、何か秘伝でもありますか。悟りを得ると、スポーツの優勝トロフィのような表彰があるのでしょうか。

迦葉は、直ちに「阿難よ」と呼びかけた。阿難は「ハイ」と返事した。                  

迦葉曰く・・(講演会は終わった)「案内の門前の旗竿を仕舞いなさい」

   【無門曰く】もし、者裏(しゃり)にむかって

    一転語(いちてんご)をくだしえて親切ならば、

    すなわち霊山(りょうぜん)の一會(いちえ)、

    厳然(げんぜん)として未(いま)だ散(さん)ぜざることを見ん。

    それ未だ然(しか)らずんば、毘婆尸佛(びばしぶつ)早く心を留(と)めて、

    直(じき)に今に至るまで妙を得ず。

素玄 註霊山一會(霊山の拈花微笑も眼前 手にとるが如し)毘婆尸佛(過去 久遠劫より今に至るまで 修行していても心を離さずにいるから禅の妙が得られない)

【無門曰く】もし、旗竿をぶっ倒したなら、世尊拈花(せそんねんげ)のシーンが手に取るように見えるだろう。でないと、過去、未来永劫にわたって、心を追い求めて流離(さすら)う人となり、禅の妙は得難い。

 【頌に曰く】問處(もんじょ)は何(なん)ぞ答處(たっしょ)の親しきに如(し)かん。

  幾人(いくばくびと)かここにおいて眼(まなこ)に筋(きん)を生ず。

  兄呼(ひんよ)び弟応(ていおう)じて家醜(かしゅう)を揚(あ)ぐ。

  陰陽(いんよう)に属せず別にこれ春。

【素玄 註】生筋(なかなか わからぬので眼のとこが筋ばること)揚家醜(迦葉 阿難ともに禅を興す。醜(しゅう)とは自分たちのことを卑下するの意。阿難ものち、禅を得たり)付属云々(四季風物以外の別境地)

【頌に曰く】問が答え・・そのもの。「アーナンダよ」と呼ばれて、阿難「ハイ」と答える。

二人とも意気投合できずに、目パチクリ。肩の凝る話だ。

ヤレヤレ、迦葉も阿難も、恥ずかしいところをお見せした。

(だが、四季にこだわらない別の境涯もある。風流なものだ)

附記【素玄居士 解説】抜粋・・いくら詮索しても禅と仏教とを連結すべき因縁はないのである。だから、俗人の禅者(居士)、異教徒(外道)の禅者があり、彼らは禅宗僧侶の禅と区別すべきものがない。

もし、禅宗の仏教教義中、禅的なものを主として宗とすと称するならば、その然るものを挙示せよ。もし存するならば、ソレは禅的なものでないか、または仏教的なものでありえない偽の禅である。禅と宗教は相容れざるものである。

禅者は、すでに自己に安心をもっている「得道者」であり、信仰にたよらず関知しない。釈尊も、よく仏教と禅とを区別していたことを、この則がハッキリさせている。

(第九則 大通智勝にも明瞭にされている)

禅は宗教ではありません。禅宗として、仏教中に宗派を立てたのは百丈(清規)に始まること・・ですが、そうであるなら、中国、百丈の時代に至って、初めて「禅宗」宗派を名乗るのは、ひどく遅すぎる出来事です。

達磨が面壁禅を持ち込んできて以来、臨済録、信心銘など語録には、どの文言や禅者の振る舞いにも、一切、宗教的臭みは見当たりません。

禅は・・執着、分別、有無を両忘して、決して宗教的な欣求を許さない「悟境」を、独り・・自得「禅による生活」を実行するにあります。

当時、師弟(一箇半箇)の伝承・印可を尊重したのは、それだけ偽禅が横行し、師家の真贋が問われました。

未悟底の求道者には、卒業証書が必要と言うだけのことでした。

また、宗教をナリワイとした寺僧(僧業・生活手段)にとって、禅の一種の免許証明は、仏教的儀式や葬祭にまつわり、禅的な超越した風格を加味する必要な演出であったのでしょう。

素玄居士の無門関提唱は、ほとんど前の戦争の渦中にあって、省みられることはありませんでした。しかし、スマホ、PCなど、電磁的情報通信の時代です。どこかの国の誰かが、広くZENを垣間見るチャンスが生まれたのです。

公案・第六則「世尊拈花」迦葉に付嘱す・・の意味は、印可、伝承することは一切ないので「頼んだぞ」とすべきでしょう。

*ZENの端的は、テーブルをポンと叩いてもそこに禅を赤裸にする。碧巌録 第六十七則 傳大士講経(ふたいし こうきょうをこうず)は、このことです。

 

 

◆無門関を提唱する以上、さらし者になって「素玄曰く(見解)」を披露する!

禅のパスポートNO21 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳 

たいして値打ちがないので恥ずかしい限りじゃが 提唱する以上「素玄曰く」を附けることにする。それが責任じゃ。高いか安いか・・晒しものじゃ!

 (頌としなかったのは取材や文体の自由を欲したからである)

【附言】この禅のパスポートでは、できる限りに、素玄居士の「提唱無門関」絶版本そのままに、公案の意訳を附記して紹介していきたい・・と思います。私は(若い頃)禅の本を見て「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)の一眞人(いちしんじん)」とか・・「父母未生以前(ふぼみしょういぜん)本来の面目(ほんらいのめんもく)」とか・・難しい禅問答の漢字・漢文の意味さえ理解できたら、坐禅や悟りの道も近かろう・・と思っていました。あれから60年・・。

今、素玄居士の無門関は提唱そのままに(手助けは附記するだけ)文面上、読者には何の手がかりもなく(手助けできることはなく)まるで断崖絶壁をよじ登るような、独り坐禅をしてもらうことになりました。

素玄居士は、この本の緒言、冒頭に「禅に秘伝あることなし」として、禅は学問ではない。禅は、単に「極所」があるだけで階梯(かいてい・方法論)はない。本物の語録・公案を拈弄(ねんろう・無為に味わい噛みしめ)、自悟自得する外はない。巷の禅本には贋物の語録講釈もあるし、いい加減な寺僧の提唱・講義や、中には論理的とか・・恐ろしく誤まっている迷老師・師家の指導も横行している。だから、真禅の絶えるに忍びず、禅の極所にいたる道筋を、唯ひねくりまわすだけであるが、筆舌しうるドン詰まりまで話してやろう。そして各公案(則)ごとに、語録の禅者が、頌や偈で禅意を表情したごとく、素玄曰く・・を附けることにした・・と述べておられます。

禪(語録)の提唱者は、その公案が透っていなければ出来ないことだが、それを自ら証明、表明した「評とか頌」とか、無門関や碧巌集などには、チャンとその一語が載っている。

これからの提唱者も同じく「見解」(けんげ)をつけて見せなければいかん。でないと値打ちがわからん。贋老師などは話しても差し支えないことを密室で話すべきと秘密めかしたり、提唱で言わないようだが、それは卑怯で、つまりは未悟底なのだ・・と厳しく禅を解説する人たちに警鐘を鳴らされています。*見解(けんげ)・・師家の悟り、禅機・禅境地を述べた文句。頌や偈の意。 

     雲門屎橛(うんもんしけつ)第二十一則

【本則】素玄提唱 佛は佛様で、また それが禅でもある。佛すなわち糞かき箆(べら)である。今でも信州の山奥では、箆を使っていると云うことじゃが、紙幣暴騰の今日では今後も佛様で尻ふきが永続するじゃろうテ。

経典は尻ふきの故紙と云うた禅者もある。

素玄居士 提唱無門関が発行された1935(昭和10)年頃の庶民のトイレ事情は多分、よくて新聞紙のゴワゴワしたのを 揉みモミして使ったのだろう。

同じ意味じゃ。佛も禅も糞かき箆とは甘く云うたもんじゃ。臨済はまだまだ酷いことを云っているが そこまでゆかんことには因襲(いんしゅう)のコビリ付いているのを拭い去ることが出来んのじゃ。甚深(じんじん)の慈悲と謂うべしだ。佛様とかお経とかが腹の中に一杯詰まっていては、禅を肚のなかに入れることが出来んのじゃ。すっかり洗い流して拭き去らなくては、コノコトは手にはいらん。洗い棄てると云うても 口の先だけなら それではコタえん。モット酷く「糞かき箆」とケナシつけてやったのじゃ。これならいくらか腹の中の糞を洗うのに効力(ききめ)もあろうかというもんじゃ。佛の妄想を洗い流すのじゃ。

          【本則】雲門因みに僧問う「いかなるか是れ佛」

              門云く「乾屎橛(かんしけつ)」

    【本則】雲門山の文偃老師(852?~949)に、求道者が問うた。

        「いかなるか是れ佛=ZEN」

          門云く「糞カキべら」

素玄曰く・・世の中は寝るほど楽はなかりけり。

       浮き世の莫迦(ばか)は 起きて働く

        (著述もなかなか骨が折れるテ)

【本則】佛とは仏様のことであり、ソノママ「禅」でもある。佛すなわちクソかき箆(お経はさしずめトイレ紙)だと、雲門ズバリ断言した。

よくまあ・・ここまで味噌クソに貶(けな)しつけたものだが、そこまで言わねば・・佛とか、お経とか、腹いっぱいの便秘症状を・・洗い流し、きれいサッパリ拭き取ることができないのが、糞袋子(ふんたいす・人間)である。

口先だけの求道者には、チットハ堪(こた)えた公案だろう。

佛といい禅という・・そんな妄想に、一気に下剤をかけた公案である。

      【無門云く】雲門謂(い)いつべし 

           家、貧にして素食(そじき)辨(べん)じがたし。

           事(じ)忙しゆうして 草書するに及ばず、

           ややもすればすなわち屎橛(しけつ)をもち来って、

           門をささえ戸を拄(ささ)う。

           仏法の輿衰(こうすい)見(み)つべし。

 素玄 註素食云々(白い飯も口に入らぬ。書類も下書きのヒマがない)

       乾屎橛のような酷いことをを云うから佛法も衰えたの意味らしいが、それでは無門

       の箇事(このこと)も怪しいもんじゃ。

【無門云く】雲門の處は、貧しくて、子供らに白い飯も食べさせられず。

教えるのに下書きのヒマもなく、突然の罵詈雑言(ばりぞうごん)。尊き仏様を「クソべら」に例えるようなことだから、唐代の政治的迫害の余波を受けることになり、仏教の衰退を増長させてしまった。

この責任・・どう取るつもりか。

真実は・・雲門に責なし)

     【頌に曰く】閃電光(せんでんこう)撃石火(げきせっか)。 

           眼(まなこ)を貶得(へんとく)すれば、すでに蹉過(しゃか)す。

素玄 註貶得云々(乾屎橛と口から出まかせにやったが、それはどんな訳じゃなどと思慮分別したら、モウ駄目。禅を去るに遠しとも遠し。無門もこれだけ解っているのに 素食だとか興衰だとかいうのは、佛のことがやはり いくらか気にかかると見えるテ。

【頌に曰く】雲門、間髪をおかず、まるで雷光のごとくに「クソカキベラ」と答えたが、それは如何なる訳か・・など・・心意解釈やら分析していたら・・モウ度(ど)し難(がた)し(助けられない)

 

◆「目は口ほどにモノを言い」・・だだし《気があれば》の話!

禅のパスポートNO20 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

◆ 禅による生活」は・・ 

         第二十則 大力量人(だいりきりょうにん)

   本則】松源和尚云く、

       大力量の人なにによってか脚(あし)をもたげ起こさざる。

       口を開くこと舌頭上(ぜっとうじょう)にあらず。

       また云く、明眼(みょうがん)の人 

       何によってか脚下の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる

【本則】素玄提唱 大力量の人とは禅者だ。心 即することなき故に足を擡(もた)げる因縁がない。そこを一つ動かせて見せよと云うわけだ。これが第一公案

また口を開いて喋(しゃべ)るのは当たり前じゃが、禅者は口先ばかりで喋らない。

そんな窮屈な禅者はいない。眼は口ほどに物を云うこともある。眉でも手でも、足の先でもできる。これが第二公案

松源和尚は当時 すでに年老い 後継を定めて自分の師、白雲守端から伝えられた袈裟を譲る考えで三公案を提出し、学人を試みたのじゃ。それがこの公案で 第三が「明眼(みょうげん)の人、何によってか脚下(きゃっか)の紅紫線(こうしせん)を断(た)たざる」と云うのである。

已悟(いご)未悟(みご)とは、この一線を跨(また)ぐ、跨がぬにある。

紅紫線とは心意のことじゃ。色さまざまの心じゃ。

しかるに松源の意にかなう者がなくて、伝法衣は筐(はこ)に納(い)れて塔所(とうしょ)に蔵(しま)ったとのことである。

伝法の中断あることを知るべし。

素玄曰く 

(第1公案)フルベースにホームラン・ヒット・・走れ走れ。

(第2公案)ピッシャリとやぶ蚊叩いて将棋かな

(第3公案)樹の上で竹筒を目に当てて

      「京都が見える、大阪が見える」

【本則】松源老師の禅境(地)丸出しの公案(三転語)とは・・

(1)大力量の人=禅者は、手足を動かす因縁をもたない。そこをひとつ、動かして見せよ・・

(2)窮屈に、口先だけで喋らず「禅」を気楽につまんで(語って)みせよ・・

(3)達道の禅者は、どうして様々な心意を断絶しないのか?

 師、白雲守端(はくうん しゅたん)から伝えられた袈裟を、後継者に譲るつもりで、この三公案を座下の求道者に提出した松源(しょうげん)和尚だが、意にかなう者がなく、塔所に閉って、あと腐れのないように処置したという。この第二十則は、禅が継承者なく中断した逸話。

【無門曰く】松源 謂(いい)つべし 腸(はらわた)を傾け腹を倒すと、

      ただ是れ人の承當(じょうとう)するを欠く。

      たとい直下(じきげ)に承當するするも、

      正(まさ)によし 無門のところに来らば痛棒(つうぼう)を喫せん。

      何が故(ゆえ)ぞ、ニイ。

      真金(しんきん)を識らんと要せば火裏(かり)に看よ。

 【素玄註】腸を傾け云々(この三公案は松源の禅境丸出しじゃ。ただ人の領得するなし)眞金云々(即座にわかったと云う奴はドヤシツケてやる。そうすると眞物と贋とがはっきりする)

 

【無門曰く】禅を丸出し、ありありと丸投げにした松源老師。ただボンクラ求道者ばかりの寄せ集めでは、解かる奴はいない。

まして、即座に解かった・・という奴が、ワシ(無門)のもとに来たなら、思いっきり、どやしつけてやる。

どうして・・だと?

本物、贋物がハッキリ見分けられるからだ

 

    【頌に曰く】脚(あし)をもたげて踏飜(とうほん)す香水海(こうすいかい)、

          頭(こうべ)を低(た)れて俯(ふ)して視る四禅天(しぜんてん)。

          一箇の渾身(こんしん)著(つ)くるに處(とこる)なし。

          請(こ)う 一句を續(つ)げ。

【素玄註】香水海(仏典にあり、太平洋というに同じ)四禅天(同じく仏典にあり、青空とするもよし)無處着(太平洋を蹴とばし 青空を上から見下ろす大入道。体の置き所がない。この次の結句を付けよと、無門がわざと結句を除(のぞ)いたのじゃ。

【頌に曰く】足をあげて太平洋をひとまたぎ・・高い入道雲の上から眼下に坐る場所をさがすも、ハテサテ 身の置き所なし。

サア・・これに見識(結句)をつけてみよ。

素玄 結句を続けて曰く 「雲蒼鶻」        

雲は北に・・風は南へ・・ハヤブサ(そうこつ・飛ぶに)迷う。 

禅のパスポートNO19 ◆平常心・・間違いだらけ、誤解された禅語の筆頭!

禅のパスポートNO19 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳  

       ◆非常・平常(心)の区別は何処でつけるか・・

        それなら「禅」・・平常(心)とは何か・・

【すなわち思慮分別なきところ、大空のガラッとしたもんサ。是非すべきなしだ・・】

  しかし、こんな講釈禅では頼りない気がする・・素玄居士 評。

      第十九則 平常 是道(びょうじょう ぜどう)         

       【本則】南泉 因(ちな)みに趙州問う、如何なるか是れ道。

           泉云く、平常心(びょうじょうしん)これ道。  

           州云く、還(かえ)って諏向(しゅこう)すべきや否や。 

           泉云く、向わんと擬(ぎ)すれば、すなわち乖(そむ)く。 

           州云く、擬せずんば、いかでか 是れ道なることを知らん。

           泉云く、道は知にも属(ぞく)せず、不知(ふち)にも属せず、

           知はこれ妄覚(もうかく)不知は是れ無記(むき)、

           もし真に不擬(ふぎ)の道に達せば、

           なお太虚(たいきょ)の廓然(かくぜん)として  

           洞豁(どうかつ)なるがごとし。

           豈(あに)、強(し)いて 是非すべけんや。  

           州 言下に於(おい)て頓悟(とんご)す。

【本則】素玄提唱 この道とは禅のことで 佛、コノコト、その他いろいろの文字を当てはめる。内容が漠然じゃから抽象的なものなら何でも借りてくることができる。だから誤解も出る。紀平博士が真剣に書きたてているのも道とか知を道徳や知識ということに見当違いに解しているからで、このことは『禅境』に槍玉にあげておいた。本則の趙州は なお未悟底(みごてい)時代で 後年の趙州ではない。

ここに平常心(びょうじょうしん)と云うのは禅者の平常心で未悟、常人の平常心(へいじょうしん)ではない。禅者の平常は普通の平常でない。禅者には非常も亦(また)平常である。非常も平常も差別はないのじゃ。対象なく心意を超越し即するなければ 非常平常の区別のあり様がない。非常に処すること なお平常のごとく、平常にあること なお非常のごとく、心を有せずして なお心の存するが如く、禅境にあるが如く あらざるが如く、これがつまり禅者の平常心じゃ。

この心も心とすべきなしで 仮に用いた文字である。

南泉のようになると禅境の出頭没頭(しゅっとう ぼっとう)もない。平常 多く禅境にあるから平常是道じゃ。常人の平常心が道即禅なのでないのじゃ。道はまた 道徳のことでもない。一般に禅を道徳と見ているようじゃが それは見当違いだ。共に捕捉すること 困難だからとて同類でない。何でもかんでも道徳にクッツケなければ 気の済(す)まん連中でも、電光が道徳だとか、雨の降るのが不道徳ということもあるまい。漢詩の巧拙を評するのに 化学の方程式によるというのも どうかと思います。禅者も無論 国民であり社会人であり家庭人である。一刻も道徳を無視して生活できるわけのものでもない。それをこの頃のラジオのように朝の六時から 夜の睡眠時間まで 空気を振動させるのも いい加減なモンカト思イマスネ。

不道徳に非ず また道徳に属せざる境地もある。

世界いんもに広濶(こうかつ)なり。

禅はあてくらべることも出来ない 擬(ぎ)すれば背くじゃ。

智をもって得べからず 雑念妄想が混じったら悟りは消える。不智とは枯木冷灰じゃ。死物木石には記事することなし。禅は生々溌剌(せいせいはつらつ)だ。

それなら何か、不擬(ふぎ)すなわち思慮辨別(しりょべんべつ)なきの處、大空のガラッとしたもんサ。

是とし非ともなすべきなしだ。しかし、こんな講釈禅(こうしゃくぜん)では たよりない気がする。

        ◆素玄曰く「カラスがカアカア鳴いている。

                       雀がチュンチュン鳴いている。

                    それで私もチュンチュン、カアカア」

【附記】平常心(びょうじょうしんと呼びます)・・金メダル獲得とか、勝った負けたのガンバリヤの平常心は【へいじょうしん】です。

最近、この有名な・・趙州(見性)一語が、東京オリンピックを控えて、スポーツや政界に、流行語のように広まっている。「平常心で頑張ります」「平常心で勝てました」・・こんな理解力で紹介されたら、昔の禅者、南泉・趙州も浮かばれません。

まして、意味を誤解して、どんなに頑張ろうと「平常心での成功」はありえないし、優勝できたからZENの悟りの一語が体得できる訳でもない。もし勝てたのなら、それは、きっと何か別の、気力・・集中力とか、努力、スポーツ指導者や、医学などの研究チーム、あるいは神仏のせいか、まぐれ当りのことだから、独りポッチの坐禅をして・・禅語の真の意味を知ることが大事でしょう。

唐代の・・唇から光を放つ・・といわれた禅者・・趙州従諗(778~897)の命懸けの修行と、その生涯120年間の一悟(語)である点・・特別にその意味に留意してほしいのです。

「平常心」へいじょうしんと呼ぶ限り・・世に出回る禅語解説の一切を、私は完全否定します。

まず公案、表題に「心」をつけないのには、深い理由があります。   

次に「道」というのは、「禅」(悟り/一真実/真人/本来の面目/隻手の音声/無字/色即是空/般若)・・のことで、抽象的だから何でもあてはめられる言葉です。だから、生きるに大切な、文字・言葉を、無造作に「禅」を体験しない学者やマスコミが大間違いして伝えているのです。

例えば、心の安定、不安の解消とか、その禅風景の紹介に「座禅」と書く。

正解は「坐禅」です。座ではなく坐です。

こんな文字の読み方の基本も、区別も知らない解説がいっぱいあります。

この「平常心」は、禅者の平常心ですから、非常もまた平常心なのである。何らの対象がなく、非常と平常の区別のありようがない・・非常に処すること、平常の如く・・平常にあること、なお非常の如く(の境地です)・・あとの「心」の文字は、仮に用いただけの言葉です。

師の南泉のごときは、平常・非常の禅境(地)の出入り口すらない(窺がえない)平穏無事の人なのです。

また「道」とは「行い」そのもので、道徳でもないし、平常心が「道」そのものではない。禅は・・何かと何かを当て比べて比較分析できるものではありません。その心境に疑問が生ずれば、その人が誤解し間違っているのです。

平常・・非常・・ただし擬(問が湧けば)すれば背く(間違い)。

心は、智をもって得べからず。雑念妄想、論理、言い訳が少しでも混じったら「禅」悟り・・は消えてしまいます。

また「不知」は、死物木石のごとき様子で、好奇心がない。無関心である。スマホに夢中の依存症は、不知無記の状態です。澱んだ沼のように、心が腐ってブツブツ泡が吹いているのです。

禅は、イキイキ、ピチピチ・・生活と心がハツラツと躍動します。

それを「禅による生活」・・「平常是道」というのです。

【本則意訳】師の南泉に(何かの折に未悟・修行期の)趙州が問いかけた。

      趙州「道」とは何ですか?

      南泉「ありのまま・・それでよかろう」

      趙州「それを思慮分別するべきでしょうか?」

      南泉「文字、言葉に騙されるでない」

      趙州「思慮無くして、どうして道を納得できましょうか?」

      南泉「道は智でもなく、不知でもない。

         智は、思惑、妄想。不知は死物木石(慮するなし)。

         達道に至ればカラリとした青空になる。

         曇るの・・降るの・・天気予報は無用だ」

      趙州、言下において(スッと青空になって)頓悟した

【無門曰く】南泉 趙州に発問(はつもん)せられて、

直(じき)に得たり瓦解氷消(がかい ひょうしょう)

分疎不下(ぶんそふげ)なることを。

趙州 たとい悟り去るも、更に三十年を参じて始めて得ん。

【素玄 註】瓦解云々(禅の事を細かく砕いて説明したが、筆舌の説明では何が何やら解からない。持ちもならず下げもならず)

【無門曰く】南泉老師、禅のことを事きめやかに説明したが、筆舌の解釈では、何のことやらわからない。大空とやらの「青空」をもらって、あまりの無限(夢幻?)に四苦八苦。その荷を放擲(すてさる)のに、まあ・・ざっと三十年はかかるだろうな・・ご苦労さんです!

【頌に曰く】春に百花あり 

       秋に月あり、

        夏に涼風あり 

         冬に雪あり。

       もし閑事の心頭にかかる無くんば、   

       すなわち是れ人間の好時節。

【素玄 註】この頌は拙劣。

      無門もだんだんと種切れらしい(・・と附言あり)

 

 

禅のパスポートNO18 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

禅は「心」の奥から湧き出る(心と云うも既に誤まる)・・

      第十八則 洞山 三斤(どうざん さんきん)

            【本則】洞山和尚 因みに僧 問う、

                如何なるか是れ佛、

                山云く 麻三斤。

 【本則】素玄提唱 ここに「佛」と云うのは「禪」のことである。「禅」とは何ぞや。「麻三斤」実に端的に露呈している。

禅は元来 餘物なしじゃ。直截(ちょくさい)簡潔、禅については本書にも乾屎橛(かんしけつ)。竪脂(じゅし)。碧巌に餬餅(こびょう)。解打皷(かいだく)などあるが、麻三斤が一番シックリしている。

禅は心の対象を払拭し、心を超越し 別にこの箇ありじゃ。

麻三斤も之を対象として、これに憑(つ)き纏(まと)ったらいけない。

麻三斤を払拭(ふっしょく)するのじゃが、払拭して又 別に境地あり。言語の及ぶところではない。こう書くと読者は自己催眠的境地を拈出(ねんしゅつ)して解かったような気持ちになろうとする。それが口にも出る。それはつまり口頭禅じゃ。そんなものは禪でない。禅は心の奥から湧き出る。

心と云うも既に誤まる。無中に湧出じゃ。

ここのところも知らずに自己免許で済ましているのは、自己欺瞞じゃ。三文の値打ちもない。その癖、到得還来無別事(いたりえ かえりきたって べつじなし)などとヌカス。道(い)うなかれ、了悟は なお未悟のごとしと。

偽禅横行し、この増長慢(ぞうちょうまん)をなさしむ。明眼の師について念々、不退転(ふたいてん)に工夫すべしじゃ。                     俺がある夜、寝る時に、この麻三斤がガラリと透った。なるほど、肩の荷を下ろしたような気持であったが、別に也太奇(ヤタイキ・またハナハダ奇なり)もなければ、汗も流れず大歓喜もなかった。白隠の口頭禅とは大分違っていた。

しかし、目の前がズウと広くなって雑物の遮(さえぎ)ることなしの気持がした。これは公案が消えていったのじゃ。

素玄曰く 麻三斤、秤量(しょうりょう)し了(おわ)って他に渡し、無価の黄葉を受けて無底の財布に納さむ。

     (黄葉とは子供のママゴト遊びに用いるお金。木の葉のこと)

 【本則】語録の問答でいう「佛」とか、「一真実」とか・・これを「ZEN」と置き換えるのが、宗教でない「禅」・・現代版です。

それでは「禅」とは・・何ですか?

「麻三斤」・・無門関では、雲門の乾屎橛(カンシケツ・クソカキベら第26則)、俱胝竪指(ぐていじゅし 第3則)碧巌録に雲門餬餅(ウンモン コビョウ第77則)禾山解打皷(カザン カイダク第44則)など、意中の対象を払拭し、心を超越した一語・・無中に湧き出る、文字言語の及ぶところではない境地の公案、問答があるが・・これこそ、雑念を入れ込む余地がない・・いわゆる、憑(と)りつくスベがない禅者の一語だ・・一番シックリとしている・・と、素玄居士は褒められた。それに続けて・・こう書くと、読者は自己催眠的境地を演出(造作)して、解かったような気持ちになろうとする。それが口にも出る。それが口頭禅だ。三文の値打ちもない。そのくせ到りえ還り来れば別事なし・・とぬかす。云うなかれ。了悟はなお未悟のごとし・・と。偽禅横行し、この増長漫をなさしむ・・と言葉荒く切って捨てられた。

    【無門曰く】洞山老人 些(さ)の蚌蛤(ぼうごう)の禅に参得して、

     わずかに両片を開いて肝腸(かんちょう)を露出す。

     しかも、かくの如くなりといえども甚(いずれ)の處に向かってか洞山を見ん。

【素玄 註】蚌蛤禅(戔薄な口先の禪。無門が洞山をケナしているが、それは同一家のことだ。蚌蛤の両片を開けて腹の内をサラケだす)麻三斤(これは洞山の肚じゃ。禅じゃ。だが その肚をシッカリとみつけたかナ)  

【無門曰く】洞山老人、いささかハマグリの口を開けたような禅・・麻三斤・・腹の中をさらけ出したが、求道者よ・・その肚(ハラ)をシッカリと見届けたかな?

     【頌に曰く】突出す 麻三斤 言(こと)親(した)しく 意さらに親(した)し。

          来って是非を説(と)く者は、すなわち是(こ)れ是非の人。

 【素玄 註】説是非(是非分別したら もう禅はない)

【頌に曰く】禅者の一語・・中でも飛び抜けてこれが一番だ。

言葉は手短じかだし、その意の親切なこと・・きわまりない。

もし、ホンの少しでも、是非を分別したら、もう禅はないぞ。