禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート№17  仏の顔も三度・・の話

提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

アンタさん・・呼ばれたつもりで応酬してみよ!  

     無門関 第十七則 国師三喚(こくし さんかん)

                      【本則】国師、三たび侍者を喚ぶ、侍者三度応ず。

                       国師云く、まさに謂(おも)えり、吾れ汝を辜負(こぶ)すと、

                       元来、かえって是れ汝、吾れに辜負す。

【本則】素玄提唱 サア、どこに勝敗がある。禅者は何を吐(ぬ)かすか解ったもんじゃない。元来、心に一物がないから出放題なことをやる。喚(よ)べば応える。それでお前が敗けとは何のことかナ。手がかりがない、手がかりがあるとそれについて回る。そんなのは公案じゃない。手がかりのないのが禅じゃ。喚んだり応えたり、また敗けとか勝ちとか、そんなことに獅噛(しが)みついていては見当違いじゃ。しかし、そこにまた味があるのじゃ。禅機を弄(ろう)し、学人を接得(せっとく)しているので諸君も侍者となってこの国師(これは忠国師のこと)に一本 応酬してみせよ。

【本則】意訳・・サア、どこに勝敗がある?禅者は何をぬかすか・・解かったもんじゃない・・と素玄居士。(いささか言葉遣いが荒いので、意訳して紹介します)禅者はもともと心に一物なし。サッと出放題なことをやる。

「オイ」と呼べば「ハイ」と答える。三回も呼ばれて、三回も返事した。そしたら「お前さんの敗けだな・・」とは、いったい何のことかな?

まるで手がかりがない。チョットでも手がかりがあると、ソレについて回って、這い上ってくるから始末にわるい。手がかり足掛かり少しもないのが公案だ。ツルツルと滑る鉄壁に、手掛かりなしでとりついて、千尋の谷へマッサカサマ。見事に墜落死するのが禅というもの。名前を呼ばれて返事した・・そうしたら・・お前の敗け、それともあんたの勝ちカナ?

・・など、ワラにもすがるような考え事をしたらアカン(ただ、そこに禅の味もチョッピリあるが・・)

ナントか禅の跡取りをつくりたくて、禅機(TPO)を弄する師に、お前さん、呼ばれたつもりで一本、応酬して見せなさい。

素玄曰く 銅像の馬が駆け出した。アレよ アレよ・・と云っている間に、また元の台座に帰ってきた。どこに風が吹くか・・という面付(ツラツ)き。

   【無門曰く】国師三喚、舌頭地(ぜっとうち)に堕(お)つ。

    侍者、三たび應ず。光に和して吐出す。

    国師 年老いこころ孤(こ)にして牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫せしむ。

    侍者いまだ肯(あ)えて承當(じょうとう)せず、

    美食飽人(ぶしょくぽうにん)の飡(さん)に中(あた)らず。   

    且(しばら)く道(い)え、那裏(なり)か是れ他の辜負の處、

    国清(くにきよ)うして才子貴(さいしたっと)く

    家富(いえと)んで小児嬌(しょうにおご)る。

【素玄 註】堕地(三喚までしたら落第じゃ)和光(和光同塵どうじん)牛頭を按ず(国師も年老い禅者の仕立てに心を急ぐので、牛の頭を押さえてサア喰え、サア喰えとやる)美食云々(美食も腹の中に雑念妄想が詰まっているから喰われない)辜負とは何かナ。国清うして才子貴からずだ。小児驕(おご)るは甘くやるワイ。

【無門曰く】老師さん・・三回も呼ぶのは的外れ。金石麗生なる禅を、全部、さらけ出して賭博するとは・・無鉄砲です。

年取って身寄りがないからといって、放蕩息子に飯食え!飯食え・・何不自由なくさせたら後の面倒をみてくれる・・などと思ったら大間違いだ。

(腹に雑念妄想、いっぱいに詰まっているから「禅」を食うに食えない有り様だ)

さても、この勝負、丁半揃って、目はナント出たかな?

跡取り息子は苦労させるに限ります。

【頌に曰く】鐡枷無孔(てっかむく)、人の儋(にな)わんことを要す、

 累児孫(わざわい じそん)に及んで等閑(なおざり)ならず。

 門をささえ、並びに戸をささうることを得んと欲せば、

 さらに須(すべか)らく赤脚(せっきゃく)にして

 刀山(とうざん)に上(のぼ)るべし。

【素玄 註】要人擔(穴のない鐵枷、つけられたらぬけそうもない。この公案を学人に担わしたのじゃ。子孫も迷惑)上刀山(禅門を扶起(ふき)せんとせば、刀山に上る苦心が必要)

【頌に曰く】この抜けようのない手錠足かせ・・丁半賭博の失敗を放蕩息子に責任を取らせるとは、ひどい話。家・財産そっくり無くして、負債ばかりの家を継がせたいなら、さらに素っ裸にして、地獄の剣の山か、針の山に追い上げるのが一番でしょう。

あると思うな親と金・・ないと思うな運と災難。

昔の人は、よくいったもんだ。

【附記】禅寺の跡継ぎをつなぎとめる資格養成所・・僧堂で読誦する「四弘誓願」がある。出家僧の誓願である。この句のたった一行の造作が、禅を日本から絶滅させてしまったのではないか・・と思います。

「煩悩無尽誓願断」ぼんのう むじん せいがんだん・・煩悩は尽きることなく(雲の如く湧いてくるけれども)これを断ずることを誓願いたします。いかにも、モットモラシイ誓いであるけれど、禅は「煩悩即菩提」=色即是空(般若大智)を道う・・背骨にしているので、煩悩を断ずれば、菩提(悟り)も生まれない無明(死に体)となる・・そんな、ピチピチと躍動するイノチがない「死禅」となる誓願です。

では、初心の求道者が「誓願」するならどういうか・・「煩悩悟性誓願忘」・・悩みも悟りも雙忘(そうぼう)=両方とも忘れはてることを誓願する・・とか。「煩悩即菩提誓願覚」・・煩悩ソノママが悟りとなる覚智に至りたい・・とか。

まあ、しかし、禅は欣求宗教ではありませんから、仏教・寺僧に衒(てら)ったような造作、計らいはしないに限ります。蘆葉(ろよう)の達磨以来、禅は、集団で伝燈継承される宗教、学問(論理)倫理道徳などに一切関わらず、ただ「一箇・半箇」の師弟の間にしか預托できない、扱いづらい盆栽なのである。しかも、師がいかに心砕いて禅を教導しても、その弟子が独り、自分で自覚できないと、禅は、そこで腐った「煩悩」のタネのまま絶滅する・・そんな可憐な花を咲かせる一輪(拈花微笑)なのだ

禅の・・断絶する出来事は、インド・中國・日本で数えきれないほどあった。2500年前、釈尊から迦葉、中國へ達磨禅、そして日本へ・・ホソボソと生き延びてきた寺僧禅は、この第2次世界大戦の後、絶滅危惧種から絶滅種のステージに昇りつめた。

この由来、因縁は、羅漢と真珠に順次、書きます。

無門関十七則は、中國河南省、白崖山で40年間、隠れ住んで「禅による生活」を満喫していた南陽慧忠(なんよう えちゅう)国師(?~775)・・唐、粛宗(しゅくそう)皇帝?(代宗皇帝)に請ぜられて759年、禅を講じた・・が、その弟子、耽源(たんげん)という侍者の、1箇半箇を伝える禅・伝燈の話だ。

南陽慧忠と耽源の禅語・公案は、碧巌録 忠国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう) 第18則にあり、禅者の一語(碧巌の歩記)で詳細を紹介する。ここでは素玄居士の提唱を意訳する。一箇半箇とは禅を伝えるにあたり、師は、ほぼ印可するに足る弟子ひとりと、その弟子が万一に先立たれると、その後を伝える半人前を・・かけがえのない者として鞭撻することをいう。

 

 

提唱/無門関(素玄居士)復刻意訳・・宇宙で唯一人の者が、何で授業のベルで勉強するのか?

禅のパスポートNO16   

さあ・・この広大な宇宙で、誰もコピペ出来ない・・ただ独りの遺伝子(唯我独尊)をもつ人間が、合図のベルで仕事や勉強に精出すのは、どうしてなのだろうか?

       無門関 第十六則 鐘聲七條(しょうせい しちじょう)

           【本則】雲門曰く、世界 恁麼(いんも)に廣闊(こうかつ)たり。

            何によってか鐘聲裏(しょうせいり)にむかって七條を披(き)る。

【本則】素玄提唱 鐘がなると七條の袈裟を着て勤行(ごんぎょう・経を挙げたりすること)に出てくる・・学校ならば教室に入る。この広い世界にサテモ サテモ窮屈な真似をしておる。

それを何故かと聞くのもおかしいが、また こんな広い世界に、そんなことに縛られるというのもおかしくないでもない。禅は心意を絶し無碍自在(むげじざい)。

縛られてはたまらぬ。それじゃから七條も着て見せる。出ても見せる。なんと広々としているではないか。

だが、こんな具合に理解しては禅とならぬ。ここが飛躍じゃ。

理解を超越し、この自在の境(地)にならなくては禅でない。

口頭で何んと云うても埒(らち)があかぬ。禅は自得だと云うのは、イチイチ脳裏に理解の筋道を組み立てて納得するのでなくて、理解の筋道を絶して自得するのじゃ。

直にそれが行動に飛ぶのじゃ。

鐘聲裏(きょうせいり)に七條を披(き)るじゃ。

禅は直に行動というのではない。行動に理解が入らぬのじゃ。

縛られるも縛られんもあるもんか。

素玄居士曰く「一本足の弥次郎兵衛、アッチにふらふら、コッチにふらふら、落ちそうで、落っこちない・・と思っている間に、そうら落っこちた」

   【無門曰く】おおよそ参禅学道は、切に、声にしたがい、色を逐うことを忌む。

    たとえ声を聞いて道を悟り、色を見て心明らむるも、またこれ世の常なり。

    ことに知らず、衲僧家(のうそうけ) 聲に騎(の)り 色を蓋(おお)い、

    頭頭上(ずずじょう)に明に 著々上(じゃくじゃくじょう)に妙なることを。

    しかも かくの如くなりと言えども、しばらく道え

    聲、耳畔(じはん)に来るか。耳 声邊(せいへん)に往(い)くか。

    たとい、響寂ならび忘ずるも、ここにいたって如何が話會(わえ)せん。

    もし耳をもって聴かば、まさに會し難たかるべし。

    眼處(げんしょ)に声を聞いて、まさに始めて親(した)し。

【素玄 註】参禅は即してはいけない。

碧巌集の雨滴声(第四十六則)にも衆生は顛倒(てんどう)して物を逐(お)うと書いてある。 爆竹の音や桃の花を見て、悟入することはあるが、すでに禅悟を得れば聲色(せいしょく)を駆使するの妙用がなくてはいかん。

聲が耳にくるか、耳が聲の處へ行くか、即不(そくふ)の妙、さらに眼で聴き、全身で見るのでなければ1人前じゃない。

それはお化けじゃ。それもよしじゃ。

世界恁麼(いんも)に広し。

さあどこからでも聞け・・聞け。

  【頌に曰く】會すれば、すなわち事(じ)、同一家。會せざれば萬別千差。

        會せざれば事、同一家、會すれば萬別千差。

【素玄 註】この頌は同じことを繰り返し、あまり知恵がない。

 禅が手に入れば 万象も我が家に同じ。

 未悟は森羅万象(しんらばんしょう)千差萬別。

 また未悟は未悟そのものも、万象の一員で一家の内・・

 悟れば即ち花紅柳緑(はなはくれない、やなぎはみどり)

 會も不會(ふえ)も同じじゃ。

 世界 恁麼に広濶(こうかつ)なりじゃ。

 

 

 

 

【禅のパスポート】NO15 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

この飯袋子(はんたいす)・・江西湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。

     無門関 第十五則 洞山 三頓(どうざん さんとん)

       【本則】雲門、ちなみに洞山、参する次(つ)いで、

        門、問うて曰く「近離(きんり) いずれの處ぞ」

        山云く「査渡(さと)」

        門云く「夏、いずれの處にかある」

        山云く「湖南の報慈(ほうじ)」

        門云く「幾ときか彼を離(な)なる」

        山云く「八月二十五」

        門云く「汝に三頓(さんとん)の棒を放(ゆる)す。

        明日に至って、却(かえ)って上って問訊(もんじん)  す。

        昨日、和尚に三頓の棒を放すことを蒙(こうむ)る。

        知らず、過(とが) いずれの處にか在る。

        門云く「飯袋子(はんたいす)江西湖南、すなわち恁麼に し去るか」

        山、ここにおいて大悟す。

【本則】素玄提唱 洞山はスラスラとやったが、これに三頓(とん)の棒(一頓二十、三頓六十棒)を放つのは老婆親切じゃ。

それを過(とが)いずれにあるとやったのは心臓の強い男じゃが、これだけ位の心臓がなくては、大事了畢(だいじ りょうひつ。見性徹底の意)は出来ぬのじゃ。

元気のないのは何をしてもアカン。そこで飯袋子(はんたいす)と出たのは至極(しごく)当然。飯袋子とは弁当箱のような奴の意味。アチラコチラうろつき廻るに似たり。ここらは臨済の、大愚の肋(骨)下・築拳三箇(コブシで三回脇腹をつくの意)のあたりじゃ。

さらに破夏(はか)の機縁を要す。夏と云うのは夏季三ヶ月間の接心(せっしん)修禅の期間のこと。

素玄云く 田の面なる水のせせらぎ聞きてあれば、世の憂さとしも思もほえぬかな。 

【本則】修行中の洞山が、雲門老師を訊ねた時、さっそく「素性を赤裸々(せきらら)にされる・・問い」がはじまった。

雲門「何処から来られたのかな?」洞山「査渡(さと)から・・」

雲門「この夏(安居 げあんご)は、いずこに?」

洞山「湖南(揚子江)の報慈山で修行していました」

雲門「それなら、お前さん、何時、その報慈を離れたのか・」

洞山「八月二十五日」

雲門老師は、ここで彼を見切って「それじゃ、六十回(三頓の棒を許す)ぶっ叩こうぞ」

叩かれた洞山、どうして叩かれなければならないのか、訳が分からず夜を明かした。

その思いが募って、憤懣(ふんまん)やるかたなく、頭に血が上ったようになった洞山、あくる日、雲門老師に食って掛かった。「昨日、三頓の棒を食らいましたが、どんな罪科(つみとが)があったのか、叩かれるイワレを言ってください」

雲門曰く「エエイ・・ただ飯食らいの糞造機(ふんぞうき)めが・・アッチコッチをさまよって、そのようにやって来たのか」

その「一語」を聞いて洞山、桶の底が抜けたように見性徹底した。

      【無門曰く】雲門 当時(そのかみ)すなわち本分の草料をあたえて、

       洞山をして別に生機(さんき)をあらしめば

       一路の家門 寂寥(じゃくりょう)をいたさず。

       一夜 是非 海裏(かいり)にあって著到(じゃくとう)して 

       直に天明を待って再来(さいらい)すれば、

       また他のために注破(ちゅうは)す。

       洞山 直下に悟り去るも未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。

       しばらく諸人に問う、

       洞山三頓(さんとん)の棒、喫(きっ)すべきか喫すべからざるか。

       もし、喫すべしといわば、草木叢林(そうもくそうりん)みな棒を喫すべし。

       もし、喫すべからずといわば、雲門また誑語(こうご)をなす。

       者裏(しゃり)に向かって明らめえば、

       まさに洞山のために、一口(いっく)気を出ださん。

素玄 註本分の草料(本来の食糧で禅的鍛練のこと)生機(打発大悟の機をなす)

家門寂寥(雲門宗の不振のこと)是非海裏(棒を放つとは何故かと思案にくれること)

性燥(乾いてカラカラの有り様、怜悧俊敏・れいりしゅんびん)草木云々(素直な答えが不可ならば 草木の自然なるも不可。率直を可とせば 雲門の放すと云うは欺語(ぎご)なり。この辺の事、明らかなれば雲門の悟處と同一となる)飯袋子では大悟と云うも怪しいもんじゃ。

【無門曰く】さすがに雲門宗の始祖・・雲門老師だ。

洞山に、ニッチもサッチもいかない、ギリギリの禅の食い餌(六十棒)を与えて、いっぱしの獅子の子を育て上げたものだ。

夜通し中、叩かれた屈辱に耐えて、雲門に吠え掛かればこそ、

悟ることが出来た。

無門、座下の求道者に問う。

はたして、三頓の棒で叩かれるべきか・・そうでないか。

もし叩かれるとなれば、

宇宙にある総てのモノが痛棒を喫すべし。

そうでないとしたら、雲門、叩けばホコリしか出ないのに、口から出まかせをいう奴となる。

サア・・ここで徹底、カラリとなれば、洞山・・天地同根の禅機、禅境(地)を手に入れたことになる。

   【頌に曰く】獅子、児を教(おし)う 迷子の訣(けつ)。

     前(すす)まんと擬(ぎ)して 跳躑(ちょうちゃく)して早く翻身す。

     端(はし)なく再び叙(の)ぶ 當頭着(とうとうじゃく)

     前箭(ぜんせん)はなお軽く後箭(こうせん)は深し。

素玄 註迷子訣(獅子は進むように見せて翻身(ほんしん)し、イロイロにして子に教える。

      當頭着(洞山も見当がつかず頭を壁にぶちつけた)

      前箭云々(三頓を放つはチョット可愛そうのヨウナもんじゃが、

      飯袋子がグサリと箭(や)がツキこんだようなもの)

      放すと云うて飯袋子と出たところが翻身の處だ。

【頌に曰く】獅子は仔を崖から落とし、這い上がってきて親の足を咬むような仔を育てる・・と、古事にある。蹴落とされ、振り落とされても、再び、谷底から這い上がるような、気迫のある・・洞山なればこそ、初めは見当もつかず壁にぶち当たった。けれども、雲門の「飯袋子」の一語が、禅機禅雷、喪心して・・ビリビリ感電死にいたった所だ。

【附記】この飯袋子(はんたいす)・・江西、湖南、すなわち恁麼(いんも)に し去るか。

*古くからの中國の、人を罵る俗語・・飯ぶくろ(弁当箱)のような、ろくでなし・・が、あっちをウロウロ、こっちをウロウロさまよい歩く・・の意

昔・・中国や日本の、禅に関心のある求道者は、自分のことをよく見極め、適切な指導、鞭撻をしてくれる師(先生・老師)を求め、訪ねて行脚(あんぎゃ)した。

現代の集団的一律教育方式と違い、規則に束縛されない専修、研究生活とでも言いますか・・学生である自分が納得できない師(先生)であれば、遠慮なくサッサと見切って、次の、自分が信頼するに足る師を探す旅(行脚・アンギャ)に出た。気に入れば、何年、何十年でも、師の傍らに自炊、縁の下にでも寄宿して、その薫(訓)風に染まったのである。

私は提案したい・・高校・大学は、それぞれの学生が何を学びたいか・・将来、なにをしたいのか・・求道ならぬ「求学者」として、自由に特色ある学校を選ぶことができ、先生や教授と、その勉学の仕組みは、それぞれ学生が選んで学ぶ形にして、真に厳しい中で切磋琢磨する・・SYSTEMが出来るように・・と願っています。

人生・・どんな仕事について苦労しようと・・どんな苦労も役には立ちますが、ただ勉強しなかった悔いは死ぬまで残ります。

とにかく、現代の教育の仕組みは、文科省の管理下におかれて、完全に利権化しているのはいけません。昔,求道者が師を選んだ・・「学びと教え」の基本に返ることが大事でしょう。寺小屋、松下村塾がモデルでしょうか。教育は・・

学生主体の「学・問」と「手・間」をかけるものであってほしい!

教育は求学者主体の・・独立独歩、よき師を求めて集合離散し、求学者自身が納得する師(先生)について、切磋琢磨する・・学問は文字通り「学びと問い」・・それと労力と時間「手・間」をかけることが大事でしょう。江戸時代に出来て、現代に出来ないことではないでしょう。

禅のパスポートNO14 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

      無門関 第十四則 南泉 斬猫(なんせん ざんみょう)

     【本則】南泉和尚 ちなみに、東西の両堂 猫児(みょうじ)を争う。

      泉、すなわち提起して云く

      「大衆(たいしゅ)道(い)いえば、即ち救わん。

       道いえずんば、即ち斬却(ざんきゃく)せん」

       衆 對(こた)うるなし。泉 遂に是を斬る。

  晩に趙州 外より帰る。泉 州に挙示(こじ)す。

  州 すなわち履(くつ)を脱して頭上に安(あん)じて出(い)ず。

  泉云く なんじ、もし在(あ)らば、すなわち猫児(みょうじ)を救(すく)いえん。

【本則】素玄提唱 猫の子が走っても転んでも問題でないのに ヒマな坊主共が騒ぐので、南泉もノコノコ出てきて猫の子をブラ下げたのじゃ。

サア一句道(い)えと云うことになった。コンナ映画の実演のような所へ出て行って、どんな句を道えと云うのだろうか。

的なきに喋(しゃべ)れと云うようなもんじゃ。的がないから小唄童謡、この頃じゃから軍歌でも何でもよい、拳をあげても、筋斗(キント もんどり)しても、何か芸当をすれば猫児は活かしておく。

南泉の禅、血滴々じゃ。

憾(うら)むべし両堂の僧、一語なし。

南泉スパリと切った。猫はギャーと云って死んだ。南泉 斬猫をもって この公案に答えた。

公案を円(まどや)かにしたのじゃ。

この公案には猫の霊が憑(つ)いているのじゃ。

趙州が草履を頭にしたのは頗(すこぶ)る意を得たり。

この芸当はやはり趙州じゃ。俳句のいわゆる動かぬ處じゃ。

この活作略(かっさりゃく)は絶倫(ぜつりん)。

ここが撃石火(げきせっか)じゃ。

草履を頭にしたのを冠履顛倒(かんりてんどう)などと情解(じょうげ)したらアカン。ここが禅機で発して中(ちゅう)すじゃ。中せざれば禅機ならず。

南泉は 猫騒動の時に お前がいたら猫の命も助かったろうにといっている。お互いに見当はついているのじゃ。それだから趙州が南泉の話を聞くと 自然に手が草履の處へいって自然に頭に載せて 自然に出て行ったのじゃ。思慮計較(けいかく)が微塵(みじん)もないのじゃ。猫もなければ南泉もない、この活作略は趙州独り舞台じゃ。狗子佛性(くすぶっしょう)の無と同じで さらに活発な働きじゃ。

この辺の味が禅じゃテ。

素玄曰く(両堂 猫児を争うのに対して)

 五歩あるいは三歩。 

 (趙州の活作略に対して)火事だ、火事だ、

  お寺が火事だぁ。エッサッサ。エッサッサ。 

【本則】中国池州 南泉山 普願老師の禅院で、東西に分かれている僧堂の何百人の求道者たちが、倉の大切な米穀をネズミから守る一匹に猫をめぐって、所有権の罵りあい、大喧嘩になった。

何の罪トガもない猫の奪い合いに、この求道者たちを仕切る南泉老師。やむをえず、包丁片手に登場して、猫の首を捕まえて吊るし上げて云った。「サア・・誰でもよい、一句、道え。そうすれば猫は助ける。云えないなら、ぶった切る」・・と。

この禅機ハツラツ・・的なきに矢を射れ・・とのご宣託に、並み居る大衆(求道者)平常は無所得即無尽蔵の悟り顔で、托鉢したり経を上げたりしているのに黙り込んでしまった。(何か、下手な芸当でもして猫の命乞いをすればいいのに、南泉の禅・・血滴々とホトバシル)・・やむなく南泉・・スパリと猫を斬った。

その夜、帰ってきた趙州が、この話を聞いて草履を頭にして出て行ったのは まことに自然の行為。猫もなければ、南泉もない。思慮、分別が微塵もない無造作の働き・・さすが趙州の独り舞台だ。           *この辺の味が禅だな・・(ここまで素玄居士の見解ソノママ)

【無門曰く】趙州の、草履を頭にのせて出て行った禅機を、喝破したら、南泉の令「道いえば斬らず」の禅機も納得できよう。

草履なんかに目をつけていたら・・もう駄目だ。

アブナイ、アブナイ。お前さんまで斬られるぞ。

  【無門曰く】しばらく道え、趙州 草鞋をいただく意、作麼生(そもさん)。

   もし、者裏(しゃり)に向かって一転語(いってんご)を下(くだ)しえば、

   すなわち南泉の令(れい)、みだりに行(ぎょう)ぜざることを見ん。

   それ、あるいは いまだ然(しか)らずんば、険(けん)。

【無門曰く】素玄 註 趙州の禪機を勘破(かんぱ)したらば、南泉の令、道いえば斬らずの禪機もわかるのじゃ。そうでなかったら猫ばかりか君も斬られるぞ。アブナイ、アブナイ。草履に目をつけていたらダメじゃ。けれども草履を頂いたのは天衣無縫(てんいむほう)じゃ。

【頌に曰く】趙州が、もし、その場にいたら、逆に、南泉の包丁を奪い取って、南泉が命乞いしたことだろう。(無門、南泉の命乞いの場・・一目、見たくてたまらないようだ)

 【頌に曰く】趙州 もし在らば、倒(さかしま)にこの令を行(ぎょう)ぜん。

  刀子(とうす)を脱却(だっきゃく)せば、南泉も命を乞わん。

【頌に曰く】素玄 註 奪却云々(趙州その場にあらば南泉の刀を奪わん)南泉乞命は無門の癖らしい。

【附記】碧巌録では、第六十三則「南泉斬却猫児」(なんせん ざんきゃく みょうじ)と第六十四則「趙州頭戴草履」(じょうしゅう ずたい そうあい)の話は、無門関、従容碌で明らかに連続した説話として記述してある。

碧巌録(雪賓重顯)は、南泉普願の禅機と趙州従諗の禅機を、別々に意見するために、二話の公案としたようだ。

この南泉斬猫の則・・殺生を厳禁する仏教寺院で、戒律に厳格な南泉老師の一刀両断の行為は、大乗律に合わない話・・であるのに、後世の禅者達は、ことごとく南泉の行為を肯定している。

しかし・・私(の意見)は少し違う。いかに血みどろに東西の僧たちが喧々諤々(けんけんがくがく)猫の取り合いをしているから・・といって、南泉は趙州を含めて数百人の弟子を持つ達道の禅者である。まして猫は、今の愛玩動物とは異なり、米穀をネズミなどから守る大事な役目をもっている。それを、ワザワザ、台所の包丁を隠し持ち、争いの真ん中に分け入って、何か、至道、禅機の芸の一つも見せてみよ・・とは、どうも、ドサマワリの芝居ががっていて胡散(うさん)臭い。この猫の血祭り公案は、どうも後世のデッチアゲに思えてならない。

古来、この問答は難透と言われる。南東か北東か知らないが、坊さんの長たる南泉が猫を切ると大声で宣言しているのだから、誰かその袖にムシャブリツイテでも包丁をもぎ取ってほしかった。

他、無門関 第四十一則 達磨安心(慧可断臂)ともに、後世、参禅を密室の参事とした僧堂・師家に意見できなかった、寺僧たちのテイタラクこそ禅が廃れる元凶となったと思います。

*この詳しくは、碧巌録の六十三則=六十四則で述べた。

ここでは、素玄居士の見解を尊重しておきます。

 

禅のパスポートNO13 提唱無門関(素玄居士)復刻意訳

              無門関 第十三則 徳山托鉢(とくさん たくはつ)

    【本則】徳山 一日托鉢して堂に下る。

       雪峯に、この老漢、鐘いまだ鳴らず、

       鼓(く)いまだ響かざるに托鉢して、

       いずれのところに向かって去ると問われて、

       山すなわち方丈に帰る。

       峯、巌頭に挙似(こじ)す。

       頭云く、大小の徳山いまだ末後の句を會せずと。

       山 聞いて侍者をして巌頭を喚び来たらしめて問うて云く。

       汝 老僧を肯(う)けがわざるか。

       巌頭、密(ひそ)かにその意を啓(もう)す。

       山すなわち休(きゅう)しさる。

       明日陞座(みょうにち しんぞ)。

       はたして尋常(よのつね)と同じからず。

       巌頭、僧堂の前に至って掌(たなごころ)を打って大笑して云く。

       且喜(しゃき)すらくば老漢、末期の句を會(え)することを得たり。

       他後(たご)天下の人 伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。

本則素玄提唱 徳山が雪峯にやりこめられて 直接 自室にかえったのも禅機じゃ。禅機は喝したり棒したりばかりではない。日常 無為の間にもある。黙して帰っても、フンフンと云うて帰っても、ここに徳山の機略がある。

雪峯もそこまでは見届かぬのじゃ。

この勝負は勝ちと思ったかどうか、仲間の巌頭(がんとう)にこのことを話したのじゃ。巌頭は一枚も二枚も上手(うわて)で この徳山、雪峯の商量(しょうりょう)に乗り込んで一句を添えたのが、大小の徳山未だ末後(まつご)の句を會せずじゃ。

大小とはありふれた、普通のという意味で、そこらの徳山も、まだドン詰まりの處を一句することが手に入っていないワイというような意味じゃ。(末後の句を禅の極所として解してはいかん。極所とすべきなしじゃ。禅機を打発して凝滯(ぎょうたい)なしでドン詰まりの時に用うる一拶じゃ)

それで徳山も巌頭を呼び寄せて、お前は俺の禅に納得していないのだナ、とやった。巌頭はチョットお耳拝借と云って何かコソコソした。徳山もエエ仕方がないワイと云って済ましたのが休し去るじゃ。サア、この末後の句とは何かナ。禅者は時折りにこんなイタズラをして興ずることがあるのじゃテ。禅者は生々溌剌(せいせいはつらつ)であって、しかも無為の閑道人(ヒマどうにん)じゃから、ワルサでもしなければ退屈で仕方がない。

公案にも、こんな芝居は大分ある。

サテ、翌日、徳山が高座に上がって喋つたが、はたして平常とは違っている。

ト、ここでは書いてあるがこの辺のことは チト怪しいテ。これも芝居の内じゃ。巌頭は僧堂の前へ出て行って大笑して、マズマズ爺さん(徳山)も末後の句が解ったらしい。あの人も今後、天下の何者もどうすることも出来んじゃろうテ・・ト、云った。

 

碧巌集の雪峯是什麼(せっぽう これいんも 第五十一則)に 巌頭の「雪峯は我と同條に生きるも、我と同條に死せず。末後の句を識らんと要すれば・・ただ この是れ」とある。

ここらで末後の句を玩味(がんみ)しなくちゃいかん。

雪賓(せつちょう)のこの則の頌は「末後の句 君が為に説く、明暗双々底の時節、同條に生きるも また共に相知る、同條に死せず 還って殊絶(しゅぜつ)なり、かえって殊絶す。黄頭碧眼すべからく甄別(けんべつ)すべし。南北東西 かえりなん いざ、夜深うして同じく看る千巌の雪」とある。

同條生不同條死、同じく看る千巌の雪か。

末後の句は禅機じゃ。禅を得れば祖佛と同じじゃが、禅の生々たる流露は、禅機で自ら風景を異(こと)にす、である。俱胝(ぐてい)のような指一本もあれば、趙州のような舌頭骨(ぜっとうほね)なきもある。巌頭のは末後の句で、これがあるのとないのとで、同條に生きるも同條に死せず、とやっている。

「ただ この是れ」のことじゃ。

こんな具合にこねくり回すのも禅機の妙で、徳山も これには平常の棒が出なかった。末後の句と徳山の棒といずれぞ。

夜深うして同じく看る千巌の雪じゃ。

巌頭はシタタカもんじゃから、甘いことを云うかな。

雪賓の文を用いる また頗(すこぶ)る巧妙じゃ。

素玄 曰く泥棒にはカギをあたえよ・・ 

【本則】ある日、徳山宣鑑・・食事時でもないのに、自分の茶碗と箸を持って、ひょっこり食堂に姿を現した。そこに居合わせた料理長、雪峯義存に「まだ、食事の案内、合図をする時間じゃないのに、何をウロウロされますか」と注意された。

徳山、うなだれて自分の部屋(方丈)にもどった。

*徳さん、雪峯にやり込められ、自室に帰ったのは禅機。

得意の三十棒が出なくても、雪峯は徳山老師の性根、極所を見届けていない。

この件を、万事仕切り役の巌頭全豁に報告したところ・・巌頭いわく「いつも腹ペコの徳山老師だ。まだまだ、禅の極所をとらえていないな」と決めつけた。

(この雪峯、徳山の商量に相乗りした巌頭、ナカナカの禅者です)

三昧(正受)が禅の極所であるとか、極所などない・・のを打発しての一句だと、ズタズタに切り刻んでも、無花の香りは発見できない。

徳山、これをまた聞きしたので、巌頭を呼んで「ワシのやった行動を否定するのか」と問うた。すると巌頭、お耳を拝借・・と、耳元で何かささやいた・・徳山 お得意の三十棒をすっかり忘れて「ナルホド、それなら致し方ない」と納得して寝てしまった。

あくる日である。求道者を集めて、徳山の禅話が始まろうとした時、巌頭、手を打って大笑いしながら言った。

「イヤア・・喜ぶべき出来事だ。あの徳山老師、末後の一句ワカラレタようだ。これからは徳山老師に、もう誰も手出し、ご意見できないよ」

【無門曰く】こりゃ、ご臨終の「末期の一句」ではなく「見性・禅機の末後の一句」と題した・・一幕物の田舎芝居だね。二人とも操り人形だ。巌頭、徳山、ともに末後の一句、わかってはいないと叱りつけた無門。さあ、しっかり坐禅して納得すればいいが・・

    【無門曰く】もし是れ末後の句ならば、

     巌頭、徳山ともに未だ夢にも見ざることあり。

     検点(けんてん)し將(も)ち来ればよし

     一棚(いっぽう)の傀儡(かいらい)に似(に)たり。

 無門曰く素玄 註夢にも云々(巌頭、徳山共に末後の句を知らず・・とドヤシつけたのは無門の見識じゃ。末後も犬のクソもあるもんかとやったのじゃ。しかし、ここは文句の通りにばかり見てもいかん。裏もあり表もありかネ)

一棚の傀儡(かいらい)同じ人形芝居の役者たち、ツマリ同じ穴の狸のこと。どうも無門の末後の句はハッキリせぬ。無門も手が届かぬらしい。圓悟はこれに言及していない。

末後の句、天下に知る人 鮮(すくな)し。

【頌に曰く】無門の見性の一句はさておき、末期の一句はどうもアヤフヤ・・はっきりしない・・末期の句を会(え)する人は、本当に少ない・・(と、素玄居士は提唱で指摘している)

無門慧開 天龍和尚に参じ、後、月林禅師のもと、狗子佛性の公案を6年間粘弄、ある日、太鼓の音で省悟。重ねて雲門話堕の則を聞かれて拳をあげた。林は、これを見届けて印可したという。無門は、平常、頭髪茫々、人々から開道者と呼ばれていたソウナ。

   【頌に曰く】最初の句を識得すれば、すなわち末後の句を會す。

         末期と最初と、これこの一句にあらず。

頌に曰く素玄 註。無門は末後の句を會せずじゃ。

【附記】禅は「今、ここに」に生活する・・中にしか発現しない。

だから・・何時、どこで、誰が・・は深く問わない。何ごとを、どのようになしたか・・これを自分の境地として、どれほど深く味わうことができるか・・

いわゆる「禅境(地)を楽しむ」のである。

ただ、心落ち着かず、不安や悩みに苦しむ・・安心を求めたい人が、ふと、坐禅でもしたい・・と、思った瞬間・・その時だけ・・ZEN=禅が姿を現したと言ってもよい。

(たいてい、禅の効用、利用価値を考えてしまうので、純禅=自分の無価値・無功徳な姿は、すぐに消え失せてしまう・・)

たったの3分間・・独りポッチ禅をする時、私は、碧巌録か、無門関に、気ままにページを開いた一則を看ることにしている。

千年前の、それこそ現代の文明文化から比較すれば・・何もない、貧しく不便な禅者たちの生活ではあるが、明らかに禅者の世界がイキイキと出現する。

達道の禅者たちは、生々溌剌に「禅ニヨル生活」を楽しんでいるのだ。

 

 

禅のパスポート NO12 提唱無門関【素玄居士】復刻・意訳

          無門関 第十二則 巌喚主人 (がんかんしゅじん)

【本則】素玄提唱 本則はおかしなもんじゃ。自分で自分を呼んで眼をさませとか、だまされるなとか、こんな心意的なことは禅にはない。A・B・Cと云うてD・E・Fと答えてもよいが、本則はチト公案としては変じゃ。瑞巌老はこんな自戒めいたことを云って、自分で警醒(けいせい)し行持(ぎょうじ)綿々密々(めんめんみつみつ)、禅機の一と見てもよい。禅境に出頭没頭(しゅつとうぼっとう)する間の、閑工夫(かんくふう)の一つじゃ。この出頭没頭は拙著「禅境」に詳述しておいた。

   【本則】瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)、

       毎日 自ら主人公と喚び、また自ら応諾す。

       すなわち云く「惺惺著」(せいせいじゃく)

       「諾」(だく・ハイ)

       「他時異日(たじいじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ

       「諾々」

【素玄 曰く】胡馬(こば)北風に嘶(いなな)く・・

(アエテ意訳スレバ・・1日千里を走るサラブレッドは、遠い故郷から吹いてくる寒風に誘われ、嘶いて走り出す)

【本則】自分が自分を呼んで、目を覚ませ!とか・・騙されるなよ!とか・・ハイと返事もしている。こんな心理的な自己問答・・禅ではない。だが、瑞巌老の自戒めいた話は、自分で禅機(エンジン)を発動させ、禅境(車のドライブ)を楽しむ心地であろう。

公案とみるよりは、看脚下=照顧脚下の実際を看よ・・と迫る話だ。

【無門曰く】瑞巌老は、夜店のお神楽(かぐら)の面売りだね。しかも独りで売って、独りで買う・・落語の花見酒、杯と五文のやり取りか・・儲けのないフーテンの虎さんだ。(ニィ!は語気を強める「サァドウダ」の口調)

威勢のいいタンカ売に、買おうか・・どうしようと、キョロキョロまごまごしたら、この買い物、高くつくぞ。まして瑞巌老の真似や受け売りをしたら、禅気に毒された病人・・と判定されるぞ。

   【無門曰く】瑞巌老子(ずいがんろうし)、自(みずか)ら買い自ら売って、

        そこばくの神頭鬼面(じんずきめん)を弄出(ろうしゅつ)す。

        何が故ぞ、漸耳(にい)、

        一箇は喚ぶ底(てい)、一箇は応ずる底、

        一箇は惺惺底(せいせいてい)、一箇は人の瞞を受けざる底、

        認著(にんじゃく)すれば、依然として還って不是(ふぜ)。

        もし、また他に倣(なら)わば、すべてこれ野狐の見解(けんげ)ならん。

【無門曰く】素玄 註。神頭云々(お神楽の面)漸(語を強める俗語。禅の公案語録は多く当時 市井(しせい)の方言俗語をそのまま口語体に駆使したもののようで、これも口調である。禅では上品ぶったり体裁を飾ることはない。赤裸(せきら)に無頓着なのだ。だから自然に用語に方言俗語が入るし、口語体にもなる。別に遠慮会釈することもないから語勢もキビシク猛烈じゃ。こんなことは日常茶飯(にちじょうさはん)にも介しないのじゃ)認着(惺々着・せいせいじゃくとか瞞・まんを受けざれとかの語意にしがみついていたら駄目じゃ)他に倣う(瑞巌の模倣もほうをしたら野狐禅。こんなことの受け売りは3文の値打ちもない)

 【頌に曰く】禅を知識や論理で解かろうとする者は、南極で北極星をさがす愚か者だ。雑念・妄想がいっぱい詰まった望遠鏡で、見えない星がどうして見えるものか。日常生活そのままが、人間本来の生き方だと思ったら大間違い・・(だから現実、実利重視の女性や学理の蕎麦屋蕎麦屋の釜は湯=ユウばかり、スマホ狂信者はナカナカ禅を手に入れられない)スターダスト⇒★と望遠鏡にへばりつくゴミ・・間違えるなヨ!。

  【頌に曰く】学道之人不識真  学道の人、真を識(し)らず、

        只為従前認識神  ただ従前 識神(しきしん)を認めむるが為なり。

        無量劫来(むりょうごうらい)生死の本、

        痴人喚(ちじん よ)んで本来、人(にん)となす。

【頌に曰く】素玄 註。参禅者 禅の真を知らざるは 従来の雑念妄想が いっぱいに詰まっているからだ。俗人は生死の本、即ち 日常生活しているソノコトが本来の人間だとしている。

けれども禅は日常生活以外に別の道ありじゃ。

他の瞞を愛くるナカレ。

お願い

素玄居士 著「禅境」の本を探しております。

おそらく この提唱無門関 下記同様、発行所 狗子堂、絶版になったと思われます。素玄居士の経歴、禅行由来など、少しの情報でもありましたら ご連絡(メール)ください。

参考 絶版「提唱無門関」現在意訳中の巻末記載 昭和十二年八月二日印刷 八月四日発行 

        定価送料共 金弐圓 一・八〇圓

著者(発行者)高北 四郎  東京市王子区上十條一五七八番地 池袋二ノ一〇五レ 

印刷者 徳永種晴  東京市芝区田村町五丁目二十三

印刷所 大洋社印刷所 東京市芝区田村町五丁目二十三

発行所 狗子(くす)堂 東京市王子区上十條一五七八番地 池袋二ノ一〇五レ

禅(ZEN)について素直で単的な見解・疑問・質問があれば・・日本語のメールでどうぞ。

日本語で率直にお答えします。 taijin@jcom.zaq.ne.jp

 

禅のパスポートNO11 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

      無門関 第十一則 州勘庵主 (しゅうかん あんしゅ)

【本則】素玄提唱 一方では浅薄(ざんぱく)とし、一方では擒縦殺活(きんじゅうさつかつ)自在無疑(じざいむぎ)の豪物(えらもの)として、お辞儀をしたと云うのである。趙州の禪機 人の知る少なしじゃ。これを拳の上げ方とか顔付きとか態度、挙措(きょそ)に違いがあるがあるのだと思ってはいかん。ソンナことは書いてない。書いてないのは無用なからじゃ。公案には必要をもらすなく、不必要を加えるなし。共に拳を挙げたのじゃ。禅機は禅の生々なる流露で、相手がなくても独りで禅機を弄(ろう)して楽しむ。ここでは相手がある。相手があっても相手なきに同じじゃ。この庵主もしたたかもんじゃ。コンナところが禅機の妙でナントも云われぬ面白さ。遉(さすが)は趙州と手を拍(う)ちたくなるのじゃ。こうして散歩するのも面白いだろうが、今日 此の人なし

   【本則】趙州 一庵主(あんじゅ)の處に到って問う。

       有りや 有りや。主、拳頭(けんとう)を竪起(じゅき)す。

       州云く、水浅くして これ船を泊する處にあらずと。

       すなわち行く。

       また一庵主の處に到って云く。有りや 有りや。

       主もまた拳頭を竪起す。

       州云く、能縦能奪(のうじゅうのうだつ)能殺能活(のうせつのうかつ)と。

       すなわち作禮(さらい)す。

【素玄曰く】九谷の徳利 青磁の杯 独り小房に座して交互に忙し。趙州訪ね来るも拳を用いず壁間のグラビヤ代わって応接す

   【無門曰く】一般に拳頭を竪起す。

         なんとしてか一箇を肯(うけ)がい、一箇を肯がわざる。

         しばらく道え、倄訛(ごうか)いずれの處にかある。 

         もし者裏(しゃり)に向かって一転語を下(くだ)しえば、

         すなわち趙州の舌頭(ぜっとう)に骨なく、

         扶起放倒(ふきほうとう)、大自在を得ることを見ん。

         しかもかくの如くなりといえども、いかんせん、

         趙州かえって二庵主に勘破(かんぱ)せらるることを。

         もし二庵主に優劣ありと道わば、

         未だ参学の眼(まなこ)を具せず。

         もし優劣なしと道うも、また未だ参学の眼を具せず。

【無門曰く】素玄 註。倄訛(入り組み。言葉のなまりで趙州の働きを指す)勘破せらる(二庵主も趙州の禪機を勘破している。ここが禅機の商量じゃ。)参学の眼云々(二庵主に優劣あるが如く 無きが如く、ありとするも不可。なしとするも不可。ここの處に味があるのじゃが、有でもあり無でもあり、有無でもあり無有でもあるか。難・々・々じゃ)

【頌に曰く】眼(まなこ)は流星、機は掣電(せいでん)、殺人刀(せつにんとう)活人剣(かつにんけん)

【頌に曰く】素玄 註殺人刀云々(無門もだんだん種切れと見えて 似たような文句ばかりにした。殺人は またこれ活人。活人またこれ殺人。此の間に思慮を容るるナカレじゃ。酌(く)めども盡(つ)きず。此の頌は上等)

【附記】意訳

【本則】百二十歳まで行脚修行した趙州。

ある日ある時、ある禅庵を訪ねて・・「有りや・・有りや」(いったい何があるのか、何を尋ねたのか・・日時や庵主名など不明なのは、無用だから書いてない)

すると庵主、スッと拳(こぶし)をあげた。

趙州云く「浚渫(しゅんせつ)してない浅い港なので・・船泊(ふなどまり)できない」といってサッサと出て行った。

また別の禅庵を訪ねて云く「有りや・・有りや」するとこの庵主もまた、スッとこぶしを立てた。趙州云く「これはナント・・自由、活殺自在な働きの方である」と丁寧に礼をした。

 

意訳【無門 曰く】両方の庵主、同じように拳を立てたが、一方は船底が海底につくから泊まれない・・と退散し、もう片方は、同じ仕草なのに、自由自在な働きである・・と、ほめたたえて深く礼をした・・この趙州の「入り組み」態度の違いを見て取れる・・求道者が・・いるかどうか。

もし、一人を誉め、もう一人をダメとする・・確かな意見ができれば、反対に趙州こそ、二庵主に、喝破され(見抜かれ)ていることがわかろうというものだ。

禅寺では「趙州無字」の公案一則を透過すれば、あとは口伝とか、密室の参事として伝授する・・アンチョコ方式をとる・・ソウだが「禅による生活」の本当は、こうした公案で鍛錬された「一語」徹底しているか、どうかで決まる。もし、二庵主の優劣,是非があるというも、無いというも、やっぱり温室栽培のボケ茄子なら・・食えたシロモノではない。

 

 

 

禅のパスポートNO10 提唱無門関(素玄居士)復刻・意訳

     無門関 第十則 清税 孤貧 (せいぜい こひん)

【本則】素玄提唱 清税 孤窮、貧乏じゃと云うのに、曹山(そうざん)は、酒を喰らいよって唇も潤おさずとぬかす・・けしからんと云う。孤貧とは心裏一事なく脱白餘物(だっぱくよぶつ)を残さぬところの、悟りきって心にかかる雲もなき境涯を こんな具合に修飾したので、禅の文章の特異な例じゃ。これに対し駘蕩(たいとう)たる禅境涯を 酒中の興趣(こうしゅ)に形容して 曹山が応酬したのじゃ。両々あいまって禅境を彷彿(ほうふつ)させている。(闍梨 じゃりは僧の別語。青原は土地名ならん。白家は平民の家のことか)

   【本則】曹山和尚 因みに僧 問うて云く 

       清税は孤貧なり 乞う 師 賑済(しんさい)したまえ、 

       山云く「税 闍梨」 

       税 応諾す(ハイ・・と素直に答えた)

       山云く「清原(せいげん)白家(はっけ)の酒 三盞 喫しおわって

       猶(なお)いう未(いま)だ唇を沾(うるお)さずと」

       (いったい何杯飲めば、少し酔いましたと云うんだい)

【本則】清税という求道者・・あるいは師の禅境地を試すかのように、問いかけたのであろう。弧貧とは、独り窮困して貧乏、腹ペコ。どうぞご飯をお恵みください・・だが・・飯もらいが真意ではない。

「私は、ただ独りにして無一物、心裏にかかる迷い雲なし」・・師よ、このような禅(境地)者に、与える「一語」ありましょうか?・・との公案=検主問・・としておきます。

これに対して、曹山(曹洞宗 始祖)は、駘蕩(たいとう)とした境涯を酒中の趣きに形容して、見事に応酬した一語である。

*俗に「禍いと炊飯ほど出来やすいものはない・・」どうか 弧貧(白紙)になって坐禅して、自己をかえりみ照らして、自己の主人公(性根玉)をハッキリしてもらいたい」 山本玄峰著 抜粋「無門関提唱」大法輪閣

【素玄曰く】ビールの貴きを恐れざれ 水道の麦酒に化せざるを歎く

   【無門曰く】清税 機を輸(ま)く 是れ何の心行ぞ。

   曹山は具眼(ぐがん)にして、深く来機(らいき)を辨(べん)ず、

   しかも是(かく)の如くなりといえども、しばらく道(い)え。

   那裏(なり)か是れ 税闍梨(ぜいじゃり)酒を喫する処。

【無門曰く】素玄 註。機をまく(清税が一問を呈して曹山を試みたのじゃ。禅はよく他を試みなければ 本物か嘘モノかわからん。検主問は禅家一般のことじゃ)

喫酒(禅の境涯を譬えて云う)

【無門曰く】禅は、生活に根差した行いが総てですから、その時々の「禅境地」を試みなければ、進歩したか、退歩したか・・本物か贋物か、よくわかりません。とりわけ骨董、茶器、陶器の類は、割って中の焼き具合を看なければ、真贋つきにくいといわれます。

さあて・・清税の貧するところ全く鈍した心根か・・またまた酒を飲んだところ・・銘酒か焼酎かワインかビールか・・何だろうか。

【頌に曰く】貧は范丹(はんたん)に似、気は項羽(こうう)のごとし。  

 活計無(かっけいな)しといえども、あえて興(こう)に富を闘(たたか)わしむ。

【頌に曰く】素玄 註。范丹(人名 貧にしょして自若たり。釜中に魚を生ずと唄わる)闘富(清税は無物だから何物も出入自在じゃ。欲がないから巨万の富が転がっていても同じじゃ。無一物中無尽蔵だ。だから図太くて強い。気は項羽の如しだ。酒を飲んでも唇を潤おさずじゃ。貧乏で暮らしがたたなくても、巨万の富だから金持ちと較べてやる・・ということ) 

坐禅(瞑想)して三昧の境地になったとか・・写経をして大覚=悟りに至ったとか・・禅を誤解してはならない。それは単に集中した時の心理作用です。「貧」の極致は范丹(はんたん)に似たり・・(中国の古歌に・・范丹という人は貧しくとも泰然自若。釜の中に魚を生ず・・と唄われたそうだ)

無一物中無尽蔵の清税は、貧の極致にあるから、気持ちは項羽のごとし。酒を飲んでも、くちびるを潤おさず・・その日暮らしでも、常に満ち足りてある。(あえて言えば・・御心のまま・・自然法爾に続くのか・・)

【附記】かって、私が円覚寺に寄宿していた学生の頃、父の(用事)で、兄,故・五郎が山向う東慶寺、松が丘文庫の鈴木大拙先生を訪ねたおり、「貧」の一字の扇子を頂き、家宝のように大事にしていたのを思い出します。あの頃は「貧」とか、「無一物」とか、よく納得していなかったです。坐禅は「悟り」の手段ではなく、ただの毎日の心の洗濯、掃除ですね。日頃の暮らしの中に、弧貧の境地が、少しずつ醸成されていってこそ、うまき酒になるのでしょう。現在、提唱する「3分間独りポッチ禅」は、この則、清税「弧貧」の禅といってもいい・・と思います。

 

 

 

禅のパスポート【無門関 素玄居士・提唱】NO9

            無門関 第九則 大通智勝 (だいつうちしょう)

【本則】素玄提唱 大通智勝佛と云うのは 文殊とか迦葉とかの固有名詞でなく禅境(地)を形容したものらしい。臨済録には大通は萬有に即することなき禅者。智勝は無礙(むげ)自在、佛は虚明の意味に書いてある。臨済録の解釈は別として 本則はすこぶる禅の極所を説いてある。禅者が永劫 佛道場に坐し修佛するも、仏法を把握することなく、仏道を成就することなきは如何と問うたのに対し、譲はナルホドもっともなことじゃとNO答えた。それで僧は こんな不得要領な答えではサッパリ解からぬので、更に問うて、すでに修佛道場に奉仕していながら、どうして仏道を成就することが出来ないのじゃと。譲答えて、彼が成仏せざるが為なりと。原文は譲曰為伊不成佛とある。佛を成さざるが為とも読める。どちらにしても禅者と佛とは無関係で 佛となることも出来なければ、佛となることをしないのでもある。禅者は寺院にいても 仏法が念頭に現前することもなく、仏道を領得することもなく、佛と何らの因縁も結ばれない。これは佛に限らぬ。何事にも因縁を結ぶことはないのじゃ。寺院でも在家でも環境や生業(なりわい)は種々雑多であるが、それは禅者の禅境に何の関係をもなさぬ。だから譲も もっともじゃと云うたのである。そして重ねて禅者は佛になるもならぬもないことを述べたのである。禅と仏法が無関係なことは すでに世尊拈花で詳述した。本則はさらにこの事を明にしているのである。而(しか)して、祖佛と別ならずと云うことは 不成佛と云うことと同じなのじゃ。佛を禅としても 禅は自悟で(あり)無一物で(あり)成不成のことではない。

大通智勝佛が未悟底の漢であっても 本則は成立する。未悟底が修佛供養に何年かかっても 了悟することはできない。(この仏法仏道を禅と同義とする)。禅悟は自得するものであって他から貰うものでない。自己が了悟しなければ いつまでたっても禅を得ることなし・・という意味になる。

いずれにせよ 禅は即することなく、また他から與(あた)えられるものでない。而して その禅とは如何(いかん)。 

    【本則】興陽(こうよう)の譲(じょう)和尚 因みに僧問う、

        大通智勝佛(だいつうちしょうぶつ)十劫(じつごう)、

        道場に坐し仏法現前せず。

        仏道を成ずることを得ざるの時 如何。

        譲曰く、その問い、はなはだ諦當(ていとう)なり。

        僧曰く、すでに是れ道場に坐す。何としてか仏道を成じ得ざる。

        譲曰く、伊(かれ)が成仏せざる(なさざる)が為なり。

【素玄曰く】楽しみは夕顔棚の下涼み 男はてゝら、                     

          女は二布して・・古歌 

【無門曰く】只 老胡(ろうこ)の知を許して 老胡の會(え)を許さず、

 凡夫 もし知らば是れ聖人(しょうにん)。聖人もし會せば 即ち是れ凡夫。

素玄 註老胡(老外人。釈迦達磨を指すことあり、また老達人にの意にモチウルこともある)。

知を許す云々(理智をもって解するは汝に許す。軽忽(けいこつ)の悟を許さず。凡夫もし知らば これ理智の人。理智の人 もし この問いのこと了悟せば 凡夫に同じ去らん)。

禅だとか佛だとか・・なにをうるさい やぶ蚊かな。団扇バタバタ、オイ蚊やりを焚いておくれ。女房ハイハイ、

     【無門曰く】釈迦や達磨、達道の禅者たち・・どいつも理知に解するは放任するが、禅(悟り)を得た・・というのは許さないぞ。

 

     【頌に曰く】身を了(りょう)ぜんより

      何ぞ心を了じて休(きゅう)せんにはしかじ。

      心を了得すれば身愁(うれ)えず。

      もしまた身心ともに了了(りょうりょう)ならば、

      神仙 何ぞ 必ずしも更に候(こう)に封(ほう)ぜられん。

 素玄 註了身云々(物質的なことに不足のないよりも、心に不足なく、心を労するなきにしかじ。禅を了するの意)。

了得云々(禅を了得すれば・・(心を禅の意、とす)肉体上に不安がない。この境地に立っては神仙に同じ。神仙は 必ずしも大名にすることも要らぬこと)。

この頌、なお盡(つく)さざるに似たり。

【頌に曰く】身の程のアレコレより、心を労すること、ないのが一番。

禅を領得すれば神仙に同じ。わざわざ大名に仕立てる手間はいらない。 

 

【附記】ある時、興陽の禅院に住する清譲(せいじょう)老師に、求道者が訪ねてきて問うた。大通智勝佛=無礙自在、清浄法身の虚明(きょめい・実在しない覚者の意。臨済録)が、永劫(永遠)に坐禅したとて、禅を把握できず、禅を悟れないのは、どうしてでありますか? 

(本則、的確に禅の極所をついている問答です)

譲曰く「ナルホド・・その問いは、しごく最ものことじゃ」・・と言われても、求道者にとって、サッパリわからない答え方であり、更に問う。「長い間、禅院で坐禅修行を続けているのです。どうして見性(悟り)を得ることが適わないのですか」

譲曰く「彼が禅をなさざるがためなり」

仏法佛道を「禅」と言い換えても同じこと。禅者は、例え寺院にいても、仏法が念頭に現前することもなく、仏道を領得することもなく、何事も因縁を結ぶことはない。

どちらにしても、禅者と仏とは、無関係であり、仏となることも出来なければ、仏となることをしないのでもある。寺院・在家の差別なく、環境、職業さまざまであっても、禅(悟りの)境地に何の関係もないこと。禅は無一物である。悟りを成すとか・・成らない・・とかの話でないことは、すでに世尊拈花(第6則)の公案で云われている。禅は自得自悟するもので、則に即することなく、他から与えられるものではない。

サアテ・・その「ZEN」とは何でしょうか?

 

禅のパスポート 無門関NO8 ◆はい コンニチワ・・

ハイ 今日は・・「雑炊の味噌一かさ 下されたく候」

 ハイ さようなら・・良寛

    【附記】本当に死にかけた病気をした者でないと、医者や病院の有難みはわからない。

      人の世は、持ちつ持たれつで成り立っている。

      自分は独りで生きている・・と、気位が高く、独尊を気取る人ほど、

      孤立して迷いに迷う有り様となる。

                  無門関 第八則 奚仲 造車(けいちゅう ぞうしゃ)

【本則】素玄提唱 車の牛馬を繋ぐ二本の長柄を取り去り、輪の軸を取り去って車をバラバラにする。奚仲は初めて車を造った人じゃ(田畑のくみ上げ水車を発明したとの説あり。

公案では、車でも水車でも、どちらでもよい)・・が こんなことをして何を発明するのか知らんテ。

せっかく纏(まと)まって、車になっているのを壊すとは惜しいもんじゃ。

月庵もシャレたことをぬかす。コンナ子供の悪戯(いたずら)もチャンと禅の工夫があるのじゃ。

車をバラバラにしたら動かない。

そこで何を発明するかナ。

モウ一度 前の通りに組み立てたら前と同じで何も明むることなしだ。このたびはどんな工夫に組み立てるか、そこが奚仲の工夫じゃ。サア、何邊(なへん)の事をか明らむ。

本則は頗(すこぶ)る親切ていねいで 禅の大衆化そのものだ。

これこそ本当に老婆親切じゃ。

本則で手に入れなければアカン。

          【本則】月庵和尚 僧に問う

             奚仲、車を造ること一百輻(いつひゃくぷく)

             両頭を拈却(こきゃく)し、軸を去却(きょきゃく)し

             何邊(なへん)のことを明らむか。

素玄 曰く♫・・お手手つないで野道を行けば みんな可

  愛い小鳥になって・・歌を歌えば靴が鳴る・・

                   (清水かつら 童謡1919)

       【無門曰く】 もし また直下に明らめ得ば、

        眼 流星に似、機掣電(きせいでん)の如くならん。

素玄 註機掣電(雷を制御すの意。禅語は一般に形容が誇張にすぎる。ここらが禅の文学に累せられた處じゃろうテ)

もし、ただちに、その意が明らめられたら、そいつの目は流れ星。雷電の手腕を発揮しようぞ。  

    【頌に曰く】機輪転(きりんてん)ずる処、達者なお迷う。

          四維上下(しゆいじょうげ)、南北東西。

素玄 註機輪転云々(車のことにかけて禅機の俊発、得道の禅者もマゴマゴする。上下 前後左右 東西南北 転ずる處、無疑の義。本則は禅(境地)でもあり、禅機でもある。

 

【附記】月庵老師を訪ねてきた求道者が教えを乞うた。

昔、奚仲という人が、田に水を引く足踏み式の水車を発明して、稲の収穫に貢献をしたそうな。

そのせっかくの水車を、バラバラに解体して壊し、改めて組み立てたが、前と同じなら何の工夫もないことになる。

さあて今度は、どんな具合にしたか・・何を明らめたのか。

いちばん大事で肝心なものは、何だったのか?

水車に託して・・人の手足、頭を分解、再生したらフランケンシュタイン(化けもの)になってしまいます・・本当に大切なものは何か・・という問いである。素玄居士は、この第八則 見解(けんげ)で、童謡を歌っておられる。それと水を田んぼに上げる踏板式水車を解体、再組立てする公案と、どこの何が、その解(禅意/体験)で一致するのか・・

さらに『この則、月庵(げったん)シャレたことをぬかす。

こんな子供のイタズラもチャント禅の工夫があるのじゃ。

本則はすこぶる親切丁寧で、本則で手に入れなければアカン・・』と結語されている。

禅のパスポート NO7 大工の良し悪しは、カンナくずでわかる!

          ◆A carpenter is known by his chips.

               無門関 第七則 趙州洗鉢 (じょうしゅう せんぱつ)

【本則】素玄居士 禅寺では日常 粥食であるとのことじゃが「食ったかどうじゃ」「ハイ食べました」「それじゃ茶碗を洗え」で、禅が手に入ったというのじゃが、この僧は昨今坊主(乍入叢林・さにゅうそうりん)ではなく 大分、修行を積んでいたものと見える。けれども趙州が豪物(えらもの)であったからでもあろう、趙州の前へ出ると その日常の一語で 手がかりがついたのじゃ。自己暗示も手伝ったのだろうか、どこかに禅者の風格が修行底を薫化(くんか)し 機縁をなしたのかも知れんテ。平常の不退転にもよるが 明眼の禅師の一挙一動も機縁じゃ。

それが禅を表現しているから 手がかりは何時でも掴めるわけじゃ。臨済が大愚の一語「黄檗(おうばく)恁麼(いんも)に老婆親切なり」で入手したのも、この僧に似たりじゃ。

今日 何の處にか大愚・趙州ありやだ。蒼天(そうてん)蒼天。 

     【本則】趙州 因(ちな)みに僧 問う、

        某(それ)甲(がし)、乍入(さにゅう)叢(そう)林(りん)。

        乞う師、指示せよ。

        州云く、喫粥了也(きっしゅくりょうや) いまだしや。

        僧云く、喫粥了也。

        州云く。鉢盂(ほう)を洗い去れ。

       その僧 省(せい)あり。

 素玄 曰く    昨来餘物無過口 趙州饗来一語粥 

                          山堂寥廓嵐気冷 失銭閑人洗鉢去

      昨来、口を過ごす余物なし。

     趙州 一語の粥を饗(きょう)し来る。

    山堂寥廓(さんどう りょうかく) 嵐気冷(らんき れい)なり。

   失銭(しつせん)の閑人 鉢を洗って去る。

【無門曰く】趙州 口をひらいて膽(たん)をあらわし、

                     心肝を露出す。

                     この者、事を聴いて真ならずんば、

                     鐘を呼んで甕(かめ)となさん。

素玄 註】鐘云々(ここで禅を見届けなければ盲目じゃの意)

【無門云く】明眼の禅者(趙州)の日常、すべてが禅そのもの。

ご教示とやらの手がかりは、一挙手一投足、ゴホンと咳払いしようが、コッンと机を叩こうが、すべてがズバリ禅を表現している。

臨済が、師 黄檗のもとを去り、大愚に参じて「黄檗、恁麼に老婆親切なり=さすが黄檗だな。美味しいご飯を炊くのが上手だ」の一語で、禅を手に入れたのも、この求道者に似ている。

サア・・鐘を甕(かめ)と言い間違える人になるな。洗えと言われる前に、茶碗を洗ってしまう輩でないと、禅は手に入らないぞ。

それにつけても 現代、いったい何処に大愚や趙州がいるのかな?

 

【頌に曰く】ただ分明を極(きわ)むるがために、

                      翻(かえ)って所得を遅からしむ。

                      燈の これ火なるを早く知らば、

                      飯(はん)の熟するにすでに多時(たじ)。

素玄 註分明云々(禅をむつかしいと思い込んでいるが そんなもんでない。瞭(あきら)かすぎるから かえつておくれる)早知云々(灯の火なるを知るの時節が来れば 機縁すでに熟せりじゃ。禅も すでに内に純熟している時になって はじめて機縁を掴むことが出来るのである。内部に醗酵していないのに 機縁だけを掴もうとしても機縁はつかめぬ。

(飯 熟するを知れば、早くも灯の火なるを知るのじゃ)

【頌に曰く】「禅」を難解だという人こそ、素直でないな。分析・比較・検証と、論理や心理を学問しても、効能書きに頼る病人は助からない。

ご飯を上手に炊き上げるには、水加減は当然として、初めトロトロ、中パッパ、子供が泣いてもフタ取るな・・電磁的自動化社会に安住するスマホ信者には、禅は無縁となるでしょう。

【附言】禅を悟るに難行苦行・・開けても暮れても坐禅三昧といわれる。ホントかどうかナ?

そんなことより・・「正直」でないと(桶職人でも)オケは作れない・・これは本当だ。

 

達磨より三代あと、鑑智僧璨(かんちそうさん)は 信心銘において「至道無難(しどうぶなん)唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく」・・悟りへの道は難しいものではない、ただ、好き嫌いや比較することがなければ・・と、わずか584文字の詩文で述べている(彼は・・当時、日本で法隆寺が建立された頃(606年)だが、仏教・道教の迫害にあい、深山に隠棲して難を逃れ、求道者たちに大樹の下で説法中、合掌・坐亡したと伝えられている)

 

禅の悟りはイロイロだが、素直に、独りで坐禅、自省すれば、ヒヨットした何かの機縁(禅機)があって、涙ながらの・・玉ねぎの皮むき作業が終わる。ただ、それだけのことなのだ。

 

禅のパスポート NO6 禅に宗教の臭みなし!

     無門関 第六則 世尊 拈花(せそん ねんげ)

【本則】素玄提唱 釈迦が霊山(りょうぜん)に僧俗を集めて会合していた時に蓮華の花を拈(ひね)くりまわして見せている。皆の衆は黙って何の手品かしらんと見ている。その時 迦葉(かしょう)ばかりが顔を綻(ほころ)ばかしてニッコリ笑ったということじゃ。そこで釈迦の云くに、吾れに根本の道、受用不尽(じゅようふじん)にして、極楽の妙境、實即仮相の微妙の一法あり、筆舌をもってすべからず、仏教外に別に後世に伝うべきの一法、是れを大迦葉尊者に頼んでおくぞよ・・と。

この不立文字は、文字をもって立すべきに非ずで これを経文仏典以外の義と解し 教外別伝と聯結(れんけつ)して仏教経典以外に別に伝承すべき仏教教義となし、之がつまり禅宗の根本をなすもので 禅宗は仏教の中心の正宗であるとし、仏心を宗となすというのであるが、禅には宗教的臭味は絶対にない。むろん仏教的なことや到彼岸思想などもない。このことは臨済録や信心銘などを読むとよくわかる。

だから不立文字云々(ふりゅうもじ うんぬん)は、仏教的に訳読すべきでない。不立文字とは経典以外とすべきでなく、そのまま文字どおりに文字(むろん言語を含む)をもって立せざるの境地、即ち筆舌に依拠(いきょ)せざる箇事(このじ)。教外別伝とは釈迦教説の仏法以外の仏教と無関係に、別に流傳すべき一法とすべきであると思う。そしてこの付嘱(ふぞく)も 印可伝承とすべきではなくて 頼むの義すべきであつて、禅には印可も伝承も そんなことがない。冷暖自得であって それを印可するもしないもないし 伝承すべきこともない。このことも臨済録にある。印可をやかましくするのは 偽禅横行し学人を謬(あや)まり、禅の泯滅(みんめつ)すべきを虞(おそ)れたのであって 修禅の徒のために師家の真贋(しんがん)を区別する公的証明の手段にすぎない。

禅は禅者にあらざれば之を勘破(かんぱ)することができないから、未悟底の修禅者には この方法は是非とも必要であったのである。禅宗として仏教中に別に宗派をたてたのは百丈清規にはじまるとのことであるが、それはともかくとして、禅宗が仏教の根本中心ならば、支那 百丈の時代に至って初めて宗派を創(はじ)めるはずがない。禅は釈迦以前にも、また仏教外に存したことは、釈迦当時、すでに了悟の外道のあるを見てもわかる。かつ、禅そのものも執着を絶し、決して宗教的な欣求の容(い)るることを許さぬのである。これらは みな公案に明瞭なことであつて素玄の私見ではない。それゆえに禅宗なる仏教の宗派は 仏教を奉ずる僧業として禅者の現世的な生業(なりわい)にすぎない。禅者が仏教を奉ずる矛盾であるが 支那では文士、官吏の間にも居士はあるけれども、もっぱら修禅者を説得し 社会に流布したのは、その達磨以来の伝統に見て僧侶間に存したのであり、僧侶として佛に奉ずると共に禅者でもあったのである。

ここに佛を奉ずというのは、心に佛を念じ仏教的欣求思想を抱いていたのではなくて 仏教的環境の内に衣食し それを生業(なりわい)としていたのであって、この事は臨済録に見るも瞭々(りょうりょう)である。

だから禅宗および禅宗僧侶は 禅者の風格を加味した仏教儀式、仏教葬祭を宗とし、それに従事する者の一団に外ならない。

いくら詮索してみても 禅と仏教とを聯結(れんけつ)すべき因縁はないのである。だから仏教 埒外(らちがい)の俗人の禅者(居士)、異教徒(外道)の禅者、があり それらは禅宗僧侶の禅とさらに区別すべきものがない。もし禅宗の仏教教義中 禅的なものを主として宗とすと称するならば、その然るものを挙示せよ。苟(いやしく)も禅的なるものが仏教教義中に存すとするならば、それは禅的なものでないか、または仏教的なものであり得ない、偽製の禅である。禅と宗教とは相容れざるものである。キリスト教徒またはキリスト教布教使にして禅者もあるであろう。仏教徒または佛僧にして(必ずしも禅宗僧侶とは限らない)真宗でも日蓮宗でも、それ等にして禅者たると同じ関係にある。キリスト教教師にせよ、天理教にせよ、回教にせよ、その他にせよ、彼らが禅者であるならば、真摯な宗教家ではありえない。迷信的・妄信的信徒ではない彼らは、すでに自己に安心を持っている得道者なのである。信仰することの要らない、依存する事がない彼らは、すでに自らが釈迦であり、達磨である。自己即ち大悟了畢(たいごりょうひつ)の漢だ。何の信仰とか云わん。

釈迦も よく仏教と禅とを区別していたことを この則がハッキリさせている。仏教・宗教外の別伝である。仏教は欣求である。禅は正法眼蔵(しょうぼう げんぞう)である。根本の無疑自在(むぎじざい)即することなく 不可説の妙境である。私は仏教に関し、ほとんど知識を持っていない。けれども禅について多少の見解(けんげ)をなす。臨済 我を欺(あざむ)かず(このことについて本書 第九則 大通智勝(だいつうちしょう)にも明瞭にされてある)

さて 釈迦は拈花に禅の端的を示し、迦葉はこの端的を領得した。禅の端的は テーブルをポンと叩いても そこに禅を赤裸にする。碧巌集の傳大士講経竟(ふたいし こうきょうおわんぬ)第六十七則はそれである。

   【本則】世(せ)尊(そん)、昔 霊山會上(りょうせんえじょう)にあって、

    花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に示す。

    この時、衆みな黙然(もくねん)たり。

    ただ迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)のみ破顔(はがん)微笑(みしょう)す。

    世尊云く、吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、

    涅槃(ねはん)妙(みょう)心(しん)、實相(じっそう)無相(むそう)、  

    微妙(みみょう)の法門あり。

    不立(ふりゅう)文字(もんじ)、教外(きょうげ)別伝(べつでん)、

    摩訶(まか)迦葉(かしょう)に付(ふ)嘱(ぞく)す。

素玄曰く・・春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山・・古歌

 

   【無門云く】 黄面の瞿曇(くどん)傍らに人なきがごとし。

    良を厭(いと)うて賤(せん)となし、

    羊頭(ようとう)を懸(か)けて狗肉(くにく)を売る。

    まさにおもえり、多少の奇特と。

    ただそのかみ、大衆のすべて笑うがごとがごときんば、            

    正法眼蔵また作麼生(そもさん)か傳えん。

    もし迦葉をして笑わざらしめば、正法眼蔵また作麼生か傳えん。 

    もし正法眼蔵に伝授ありといわば、

    黄面の老子 閭閻(りょえん)を誑謼(こうこ)す。

    もし伝授なしといわば、なんとしてか独り迦葉を許す。

 【無門云く】この破れ黄衣の瞿曇よ(釈尊のこと)・・無人の野原で言いたいことを言うようだ

良いも悪いもなしとばかりに、安心の正道、禅の妙法を仰々しく、宣伝文句を並べ立てて売りたてた。

まるで羊といって犬肉を売るのと変わらない、アクドイ商売だ。

(マア、ホンの少しだが、関わり合いもあるが・・)

村の賑やかな人の集う中で、笑ったとか、伝授するとか、求道者を説得する便法を、正直商売の値札にしてはならないぞ。

「禅」を独り迦葉に預け頼んだのだのだから・・

 素玄 註黄面の瞿曇(面の黄色い釈迦)良を厭い云々(本則に良も賤もない、云わば禅の宣伝広告に正法眼蔵などと仰々しいが、その実、狗肉のようなつまらぬものじゃと禅をケナス意。だが いくらか変わった處もあるの意)誑謼云々(村のにぎやかな處で、皆の衆をだまくらかす)禅に伝授も印可も証明もない学人説得の便法じゃ。釈迦は附嘱と云うて伝授とも印可とも云っていない、無門も狽(あわ)てまいぞ。

   【頌に曰く】 花を拈起(ねんき)し来れば、

          尾巴(びは)すでに露(あら)わる。

          迦葉の破顔 人天措(お)くこと罔(な)し。

【頌に曰く】 花をクルクルまわして見せた釈尊の手品・・化けそこなった狐のしっぽが見える。

迦葉は、手品の種(禅の大意)を見抜いて笑った。

誰もがポカンとしていたが、あんたには見抜けたかな?

素玄 註尾巴(尻ッポ、化けそこなった狐の尾が見える。釈迦がそれを掴んだのじゃ。禅の端的が現れた)人天措なし(人間も天人も、この禅の端的をどうしようもない。掴まえ所がないからポカンとしているの意。また別に、下にも置くことが出来ぬというて、持ち上げた意とするも可)

【附記】釈尊が、求道者との話の場で、仏教=覚者(悟りたる者)の教え・・の素(宗)になる「禅」を、一輪の花を拈じて披露したが、誰も、その手品の種が解明できなかった。

ただ、衆の独り・・迦葉だけが見抜いて笑ったそうだが、迦葉がいなかったら、釈尊は、そんな手品はしていない。

「禅」は「仏教」ではない。この公案でも、教外別伝(仏陀の教え以外の別の傳えること)とはいっているが、付嘱す・・と、迦葉一人に、預け頼んでいる。

文字表現、口伝できない「禅」を、この二千五百年間、達磨は中国に。中国から日本に、まるでオリンピックの象徴、太陽のトーチのように1箇半箇の大覚、見性の寺僧が伝灯してきた。

(けれども、寺僧の集団、印可教導の仕組み、デジタル(バーチャル)社会にいたる現代では、その適応性を失って、禅宗は絶滅しつつある・・このことは、随分の昔・・提唱無門関 素玄居士(昭和12年発行)の著作で、明らかにされている。

また、第九則 大通智勝や 碧巌録 第六十七則 傅大士講経などで随時、講話意訳していきます。

いずれにしても、この第六則で釈尊は拈花に「禅」の端的を示し、迦葉はこの端的を領得したのである。

   

 

禅のパスポート 無門関NO5 答えに窮して眼がギラついてきたら・・

祖師西来意・・はるばると達磨はインドから何を伝えにやって来たのか?

                        無門関 第五則 香厳 上樹(きょうげん じょうじゅ)

【本則】素玄提唱 本則はなかなか面白い。西来意とは達磨が西方印度からはるばると海を渡ってきたのは、どうゆう考えかと云うので、禅のことを指す。禅は文字で表現することが出来ないから、内容の漠然たる文字で、道とか至道、箇事(コノコト)仏法的々の大意などなどを假用(かよう)する。

ここでも禅とは何ぞやと問われたのだが、答えれば樹から落ちて怪我する、喪心失命(そうしんしつみょう)の意味はこの他にもある。即ち禅のことをこんなものじゃと口から出して喋ると、元来 表現すべきなしじゃから 大間違いを喋ることになり、直に葬りさられる。阿呆扱いにされることおも含むとみるべきだ。つまり、この問いには答えることはならんのじゃ。

だが答えなければ他の所問に背く。さぁどうするかナ。

禅はこんな危なかしいもんじゃない。樹上にあって大磐石(だいばんじゃく)に臥(が)するが如しじゃ。この大磐石に臥する處を赤裸(せきら)に見せよと云うのが この公案で そこを手に入れていたら そこを見せてやる。

手になければ手に入れる工夫をするのが修禅じゃな。学人説得には こんな處に押し込んで、尻をヒッパタイて サア云えサア道えとやる。そこで口を開いて喪心失命し大悟一番となる、と云うのが定石らしいが悟入の道はいろいろあるさ。

香厳は潙山の侍者たること十八年。潙山が何事かあるごとに侍者を呼んで問い詰めて熱心に鍛錬したもんじゃが、どうしても入手することが出来なくて、そこを去って武當(ぶとう)に庵居していた。ある日、庭掃除の時、瓦石を竹林に投げたところが カチンと竹にあたって音を出した時に濶然(かつぜん)大悟したということである。

ところで この則の後にこんな公案がついている。

招上座(しょうじょうざ)あり。出でて問うて曰く、人の樹上に上る時は即ち問わず、未だ樹に上らざる時 如何と。

師 笑うのみ。

この問いは甘い。禅には樹に上るも上らないもないサ。

香厳もおかしくなって笑ったのだろうが、ここはひとつ叩いてみるもよい。

   【本則】香厳和尚云く

    人の樹(じゅ)に上るが如し。

    口に樹枝を啣(ふく)み、手に枝を攀(よ)じず、

    脚(あし)樹を踏まず、

    樹下(じゅげ)に人あって西来意(せいらいい)を問わば、

    對(こた)えずんば即ち他の所問(しょもん)に違(そむ)く、

    若(も)し對えなば、また、喪身失命(そうしんしつみょう)せん。

    まさに恁麼(いんも)の時、作麼生(そもさん)か對えん。

素玄云く・・

 既に樹に上りたる時は「牟ムウウ、牟ムウウ」

 是れ口を開かずして西来意を語っている處じゃ。

 まだ樹に上らざる時は「ワン、ワン、ワン」

 是れ 早く口を開いて腸を見せるのじゃ。

【無門曰く】たとい懸河(けんが)の辯(べん)あるも、

           惣(そう)に用不着(ようふじゃく)。

           一大蔵経(ぞうきょう)を説(と)きうるも、また用不着。

          もし者裏(しゃり)に向かって對得着(たいとくじゃく)せば、

           従前の死路頭(しろとう)を活却(かっきゃく)し、

           従前の活路頭(かつろとう)を死却(しきゃく)せん。

           それ或いは、未だ然(しか)らずんば、

           直に到来(とうらい)をまって、彌勒(みろく)に問え。

素玄・註従前の死路頭云々(ここで大悟一番したとなると、これまで禅のことの何が何やら解からぬ真っ暗なところにポカリと光がさすようになるし、平気で活きていたように思っていたことが何の役にもたたぬカス妄想であったことがわかる。大悟一番できなかったら96億7千万年後に生れ出るといわれる弥勒菩薩の来るのを待っておれ。ヤレヤレ待ち遠しいことじゃ)

                   【頌(じゅ)に曰く】香厳 真に杜撰(ずさん)なり。

                   悪毒盡眼(あくどくじんげん)なし。

                   衲僧(のうそう)の口を唖却(あきゃく)して、

                   通身に鬼眼(きがん)を迸(ほとばし)らす。

素玄・註香厳云々(デタラメをぬかし手も付けられぬ。口を開くことも出来なくさせよる。こうなるとほかに仕方がないから学人の体中が鬼の眼じゃ。パチクリして睨むはかに能がない。鬼の眼になったら大悟近しじゃな。

【附記】坐禅したからと云って、悟れるものではない。禅寺の専門道場に、木像仏よろしく鎮座ましましたからといって、結果は・・何の取柄もない人に仕上がるだけだ。坐禅するのが「禅」ではない。坐禅をしよう・・と思う・・そのことが、どこともなく湧いてくる。そして坐禅するうちに、公案の答えに窮しニッチもサッチもイカナクなって眼がギラついてくる。大事は、この点につきる。

達磨が、はるばるインドから、中国に何を伝えにやってきたのか(祖師 西来意)・・言葉にも文字にも出来ない禅の大意を、自覚というより、生きる(行いの)全体で認知される・・認識する・・体覚するより方法がないのが「禅」なのです。

この公案は、例えるなら・・禅の大意を、手足を縛られ、口に木の枝を銜えさせられて吊るされる中、樹下には飢えた虎がいる・・絶対絶命の状況で・・自分なりに覚悟した意見を表現してみせよ・・との公案です

 

 

禅のパスポート NO4「ダルマさん、お顔の髭がありませんネ?」

禅のパスポートでは、各則の冒頭、禅は宗教ではないと喝破した、素玄居士の提唱・見解を復刻、解説しています。

          無門関 第四則 胡子無鬚(こし むしゅ)

     【本則】或庵(わくあん)曰く・・西天の胡子(こし)何に因ってか鬚(ひげ)なき

【本則】素玄提唱 西方の外国人、仮に和蘭(オランダ)人としておく、この多毛の外人に髭(ひげ)がない。髭があるのに それを髭なしとは是れ如何に。

本則は剩物(あまりもの)をつけずして禅機溌剌(はつらつ)じゃ。余計なものは少しもなく、しかも明瞭々(めいりょうりょう)に禅機を示している。公案の内でも これは秀逸の方じゃ。これがフフンと云うように肚(はら)の中から解から様にならなければ本物じゃない。理屈も何もつけ様がない、理智不到(ふとう)とは このことじゃ。或庵はどんな男か、または坊主か、胡子に道で逢うたのか どこで逢ったのか、すこしもわからぬがそんな剰文贅句(じょうぶんぜいく)は不用じゃ。形容も装飾も説明も不用じゃ。

禅は元来 端的(たんてき)で餘物なしである。臨済云く、我れ一箇の膠盆子(きょうぼんす・ニカワのお盆)を抛出(ほうしゅつ・投げ出す)して学人に與(あた)うと云うたが、膠ぬりの盆を何と始末したらよいか 眺めても噛(か)んでも何んともしようがない。これが学人説得の常手段(じょうしゅだん・いつもの方法)なのじゃ。

南天棒(なんてんぼう)は、えらい勢いで この則の解かるのは 支那(しな・中国)では雪賓(せっちょう)か虚堂(きょどう)か、日本では大應大燈關山(応燈関)白隠と俺ぐらいの者かと大口を叩いて、無門も駄目じゃと吐(ぬ)かし、いろいろ勿体(もったい)つけて何を云うかと思ったら「法身無相」だと。

昔から手前みそに碌なのはないと云うが なるほど、こんな薄っぺらなところに腰かけていたとは、笑止(しょうし)笑止じゃ。

法身無相は禅者でなくとも誰でもわかっている。

往来の真ん中で和蘭人に相見して「オヤ奇体ですね、貴方のお顔に髭がない。貴方は片輪ですか」というような具合でいかんと本物じゃない。口の先でペラペラと見れども見えずだとか云っても、そんな誤魔化しは 自らを詐(いつわ)り、他を欺(あざむ)くだけの事じゃ。髭は盲目でなければ見える道理じゃ。

それならどこに髭がないのかナ。

禅語に南に向かって北斗を見ると云うことがある。

本則はそれとも少し違う。こう書くと半分ぐらい解かったような気になるか知らんが 学校の試験と違う。九十点以上は優なぞと云うことなない。禅は満点か零点の二つじゃ。悟か未悟じゃ。

素玄曰く・・湯 沸(わきた)って 茶を淹(い)るるによし

   【無門曰く】参はすべからく實参(じっさん)なるべし。

    悟はすべからく實悟(じつご)なるべし。

    者箇(しゃこ)の胡子(こし)、

    直(じき)に須(すべか)らく親見(しんけん)一回して始めて得(う)べし。

    親見と説くも、早く両箇(りょうこ)となる。

素玄・註實参云々・・口の先や頭の中では駄目じゃ。

肚の底の本物を掴め。

胡子も空想でなしに 直に面と面を突き合わさなくちゃいかん。

つき合わすと云うと もう対立の、脳裏の胡子と自我とになる。

それでは無髭は得られない。

貴方は髭のない胡子、オヤ お前が俺であったのか・・と、

お前やら自分やらと云うことにならなければ本物でない。

   *坐禅して 自ら見性(大覚)しなさい・・の意。

    悟って見解(けんげ)を述べても、

    有・無の対立意見でしかないことに注意!

【頌に曰く】

 痴人面前(ちじんめんぜん) 夢を説(と)くべからず。

 胡子無髭(こしむしゅ) 惺々(せいせい)に懞(もう)を添(そ)う。

【素玄・註】

胡子無髭などと云うと、ちょうど痴人に夢を説くようなもんじゃ。本気で聞く奴はおらん。だからこんな馬鹿げたことを云うもんじゃない。

常人の常識を曇らす様なもんで 聞く人がボンヤリするばかりだとの意。本則の如きは 禅に徹したる者同士でなければ、喋ってはいけないの義。

前の評と照應し實参實悟にあらざれば、了得することなしの意味を含む。 

  *惺々(せいせい)に懞(もう)を添(そ)う・・「懞」とはカスということ。 

   清水に汚れた泥を加えること・・この公案本当に言うべきことも無く、

   説くべきこともない。

   真の惺々諾(せいせいだく)とせず、

   いかにも禅を修行したとか坐禅修行したとかいう者がいる。           

   (山本玄峰著 無門関提唱 大法輪閣発行より抜粋)

素玄居士 緒言に云く・・無門関も碧巌集にも評とか頌とか提唱する者の見解がチャント道われてある。それを提唱に附けなければ値打がわからん。この頃の提唱(禅寺、道場の師家)には無いようじゃが、それは卑怯で、つまり未悟底なのじゃ。

この素玄曰く・・は、正札をブラ下げて店先に並べたのじゃ。たいして値打がないので恥ずかしい限りじゃが、本にした以上、これが責任じゃ。高いか安いか、さらしものじゃ。頌としなかったのは取材や文体の自由を欲したからである。 

 緒言 略記。「提唱 無門関」素玄居士(高北四郎)狗子堂 昭和12年

【附記】南天棒(なんてんぼう)鄧州(とうしゅう)1839~1925 徳山宣鑑の三十棒よろしく、南天の棒をもって、全国の禅・専門道場を行脚、僧堂師家と商量問答した豪僧。山岡鉄舟乃木希典などの居士を教導したことで有名。

●余分なことですが「禅」の頂上が見えてきたら、地図・解説など眺めている閑も必要もありません。坐禅一筋・・ヒタスラ登るだけ。

おせっかいな道筋案内、地図は、かえって迷いがでて邪魔です。悟りとは・・?とか、こびり付いた禅(臭、イメージ)を捨てねばなりません。

つまり・・役立たず(無功徳)の「独りポッチ禅」に徹してください。寝る禅、トイレ禅、寝起き禅、食前・食後禅、休憩禅、仕事禅、入浴禅など、やれる範囲で寝ても覚めても、おりおりに行(おこな)ってください。

スマホで遊ぶのと違い、たったの三分間・・ですが、はじめは、いろんな想いが湧いてきて、三十分位の長い時間に思えます。

「カタツムリ・・のぼらばのぼれ 富士の山」〈山岡鉄舟ですかネ?〉

このたかが三分・・されど三分、独りポッチ・イス禅です。

 

 

禅のパスポートNO3 【素玄居士】肥後守(鉛筆削り)の手がそれて・・!

        無門関 第三則 俱胝竪指(ぐてい じゅし)

    【本則】倶胝(ぐてい)和尚 凡(およ)そ 詰問(きつもん)あれば

     唯(ただ)、一指を挙(こ)す。(禅の質問には指を立てるだけ)

     後に 童子(どうじ)あり。因(ちなみ)みに外(の)人問う。 

     和尚 何の法要(ほうよう)をか説(と)く。                                       

     童子も亦 指頭(しとう)に竪(た)つ。(和尚と同じに指を立ててみせた)           

     胝 聞きて 遂に 刃をもってその指を断つ。

     童子 負痛號哭(ふつうごうこく)して(あまりの痛さに泣き叫んで)去る。                               

     胝 復(ま)た 之を召す。(俱胝和尚、すかさず彼を呼び返した)            

     童子 首を回す。(その振り向きざまに・・)                     

     胝 却(かえ)って指を竪起(じゅき)す。(ジュキ=立てる)                 

     童子 忽然(こつぜん)として頓悟(とんご)す。(突然に大覚した)

 

     胝 将(まさ)に順世(寂滅じゃくめつ)せんとす。

     衆に謂(い)いて曰く。吾れ天龍(倶胝の師から)一指頭(いっし

     とう)の禅を得て、一生 受用不盡(じゅようふじん・使いきれ

     ず)と。言い訖(おわ)って滅を示す。(亡くなられた)

【本則】素玄提唱 俱胝和尚は平常、佛母陀羅尼(ぶつもだらに)を読んでいたので この名がある。和尚、金華山に庵住していた時、實際(じつさい)という尼が笠を冠(かぶ)り杖をついて 和尚の禅床(ぜんしょう)を三度まわった。三匝(そう・巡る)は、禅家の禮(れい)らしい。そして尼が「道(い)い得れば笠を取らん」と云ったが、俱胝はウンともスンとも云えなかった。それで尼が出て行こうとしたから、モウ日も暮れるから泊まってはどうかと云ったが、尼は「道い得れば住(とど)まらん」と云う。俱胝は、やはり答えることが出来ない。それで尼は帰って行った。俱胝、喟(き・なげく)然として嘆(たん)じて曰く「吾れ、大丈夫の形をなすといえども其の気なし」と云って行脚(あんぎゃ)の決心をした。その夜 山神 夢に現(あら)われ、その中に肉身の菩薩が来て、汝のために説法するから、しばらく待て、というお告げである。すると間もなく天龍和尚が来たので尼の話をすると、天龍は何も言わず一指を竪(た)てた。

俱胝はここで大悟したということである。

この公案は見やすい。

諸君、試(こころ)みに一指を竪てゝ工夫せよ。

この俱胝の許(もと)に 小僧がいて 平常 和尚の模倣(まね)をしていた。そこで この則となったのである。俱胝が小僧の指を断(き)るなぞと、ずいぶん酷(ひど)いことをする奴じゃ、こんなことを喪心失命(そうしんしつみょう)じゃと、早合点(はやがてん)しては間違いじゃ。禅じゃからとて、むやみやたらに傷をつけてよい訳はない。俱胝が断(き)ったのは、この小僧は もはや時節因縁(じせついんねん)到来(とうらい)して機縁が熟していることを知ったのじゃ。法燭(ほっしょく)一点すれば すなわち着(つ)くじゃ。そこでスパリとやったのじゃが、これだけの力量、活作略(かつさりゃく)がなくては人間を片輪(かたわ)にすることは出来ぬ。はたせるかな 逃げ行く小僧を呼び止めて俱胝が指を竪てた。小僧もこゝで指を竪てなければならぬ。ヒョイト竪てゝやろうとすると指がない。竪つべきものがない。

廓然無聖(かくねんむしょう)じゃ。一物なしじゃ。

求むるに物なし。不可得じゃ。こゝで禅が手に入ったのじゃ。

禅は指頭(しとう)に在(あ)って、指頭に存(そん)せずじゃ。こゝ一番 拈弄(ねんろう)せよじゃ。

俱胝が死ぬ時、天龍指頭の禅 一生 受用不盡(じゅようふじん)と云ったが、何でもかんでも指で間に合う、自在無疑(じざいむぎ)じゃ。指頭に限らぬ、禅を得(会・え)ば觸處(しょくしょ)みな禅じゃ。俱胝は律義(りちぎ)者じゃから、指頭だけで間に合わしたのじゃ。                       

素玄曰く「肥後守(ひごのかみ)鉛筆削りの手がそれて    

       アイタタ・タタと口は云うなり」 

 

  【無門云く】倶胝 並びに童子の悟處(さとるところ)は指頭(ゆびさき)の上にあらず。

   もし、このうらに向って見得すれば、

   天龍同じく俱胝並びに童子と自己とを一串に穿却(せんきゃく)せん。

   素玄【註】者裏・・この内ということ。                  

      一串云々・・悟境を入手せば皆、同一境にして差異なきの義。

      祖佛と別ならずだ。

無門曰く】この公案で『ハハ・・ン』と得心しなければ、次のチャンスはないぞ・・この悟境を手にすれば、釈尊・達磨・天龍・俱胝・童子すべて差異はない。指が一本とか・・はたまた両手を開いて全部見せたところで、こだわり、妄想が増えるだけ。指先じゃなく倶胝の腹元・足元をしっかりと見極めることが大事です。

 

【頌に云く】俱胝、老天龍を鈍置(どんち)す。

 利刃を単提して小童を勘(かん)す。

 巨靈(きょれい)、手をあぐるに多子(たし)なし。

 華山の千萬重を分破(ぶんは)す。

  素玄【註】鈍置・・サアどうぞと招き入れたこと。          

   巨霊云々・・中国黄河の付近に太華山あり。

   洪水の時、この山のあるために氾濫し、民を苦しめるのを見た巨霊神が、

   手をもって造作なく華山を二つに分け、洪水の難を除いた・・

   この大活作略は、俱胝が、ほんの少し小僧の指を竪って

   大悟了畢(たいごりょうひつ)を會しめた大功徳にも似ているという意。

【頌に云く】解説を省略。

【附記】金華俱胝和尚(金華山・・不詳。仏教迫害の武宗皇帝 

 845年頃 師は杭州天龍)

 碧巌録第十九則「俱胝只竪一指(ぐていしじゅいっし)」と同じ公案