禅のパスポート

禅語録 無門関no解釈to意訳

禅のパスポート・・般若心経と趙州無字(無門関)

はじめの終わりに

般若心経と趙州無字

私は、禅は宗教ではないし、「悟り・解脱」は脳(神経回路)の新創造の結果であろう・・と推測している・・ので、酒を造るような・・長い年月の思考・感性の醸成、発酵期間が必要だ・・と思っている。悟りとも解脱とも見性・透過ともいわれる「禅」は、まるで、物理学の「量子」のような働きと振る舞いが内心にあるようであり、もっと、科学者(物理・量子論などの学者も含めて)による脳(量子的神経回路)の研究が進んでほしい・・と願っている。                   

さて、禅は、タイトルの通り・・般若心経の「空」と、趙州従諗の「無」字に尽きる。禅について、万巻の書があり、古来から東洋に於いて何百万人の求道者が、達道の師を求めて行脚し、坐を組んで修行しているが、百々(とど)のつまりは、「空」か「無」かの二文字・・さらに、それすら空・無に帰して、ソノママ「満チテ有ル」に異ならないことを、実体験すれば、卒業(解脱)である。

だから・・私のいう・・役立たずの「独りポッチ禅」達磨 無功徳禅では、この般若心経の読経や写経、師を求めて行脚・遍歴することも必要なければ・・坐禅(瞑想)、組織的な教導、本ですら、捨て去って、思惑、造作すること・・一切が要らない状況にならなければ、純禅=禅体験は、有り得ないことなのです。

禅は「禅ニヨル生活(日常の行い)をする時」・・確かに、自分の「本髄」に般若心経=「空・無」がある・・のだが、それを確信しながら、般若の門(玄関)を入ったと自覚した瞬間、もう、戸口(玄関)の外に立っている。心経の「空・無」の中に、永続して留まれない。このことは2行目・・「般若波羅蜜多(ZEN)を、深く行(おこなう=ぎょう)ずる時」・・と、禅の前提条件として銘記されているのに、古今、誰も深く指摘しませんでした。

つまり、禅を深く実行できない・・悩める初心の求道者には次の行・・一切の苦しみと厄災から度さ(救わ)れることはないのです。

併せて附記しておきますが、臨済の「喝」や徳山の「棒」は、般若(ZEN)の働き=瞬間の禅機を捉えた「空・無」の表情(ココロ)ですから 恐喝・暴力的行為や発声では決してありません。

般若(ZEN)が見せる、雷光・雷嚇(イナビカリと雷鳴)一声のような、思いがけない天地自然の表情(禅機)なのです。

ですから・・以下、この般若心経は、達道の禅(行)者への・・悟りの完成・・全き安らぎの教えであることに心して発声して読んでください。

     摩訶般若波羅蜜多心経

    (大いなる智慧の完成=禅による正覚の教え)悟りの完成の教え

観自在菩薩       禅者よ

行深般若波羅蜜多時   禅ニヨル生活を深く行う時

照見五薀皆空  形あるもの総て空・無と照らし看るので

度一切苦厄   一切の苦しみと不安から解放される

舎利子         禅者よ

色不異空    「在る」は空(無)にことならず

空不異色     空(無)は自在にことならない

色即是空  すなわち「ある」は、そのまま「ない」のであり

空即是色  空(無)は そのまま「自在・ある」のである

受想行識亦復如是 人の感覚や思いや知識も またこのとおりだ 

舎利子        禅者よ

是諸法空相    すべてが「ない」のだから

不生不滅     生じもしないし 亡びもしない

不垢不浄     汚れてもいないし 浄(き)よくもない

不増不減     増えてもいなければ 減ってもいない

是故空中無色   だから「無」の中に「ある」はないから

無受想行識    思いや行いや知識も「無い」のである。

無眼耳鼻舌身意  眼や耳や鼻や舌、身体などや思いも無く

無色声香味蝕法  五感や執着する欲望・執念も無い

無眼界乃至無意識界 目に映る意識 無意識、本能のすべて無く

無無明亦無無明尽  因果応報や善悪・苦悩の報いなど       

          無明も 無明の尽きることも無い 

乃至無老死     さらに老いて死ぬことも無いし

亦無老死尽     また老いて死なないということも無い 

無苦集滅道     四苦八苦する、輪廻の業や愛執も無い

無智亦無得     智も無く また得るものも無く

以無所得故     その得るところ無きゆえをもって

菩提薩埵依般若波羅蜜多故 「禅」による解脱・・悟りを  

              体現するのである。

心無罣礙無罣礙故  心にこだわりがなく 疑いなきゆえに                   

無有恐怖      恐れおののくことが無いし

遠離一切顛倒夢想  一切の妄想と執着がなくなり離れ消えて

究竟涅槃    ついには安心の禅ニヨル生活をなすのである 

三世諸仏     過去現在未来、無限に解脱した者は

般若波羅蜜多故  禅(悟りの行の完成)禅ニヨル生活ゆえに              

得阿耨多羅三藐三菩提 ピチピチと躍動する命そのもの。

故知般若波羅蜜多   禅ニヨル生活を行うゆえに         

是大神呪 是大明呪  この霊妙で光り輝く真言をのべ 

是無上呪 是無等等呪 比較できない心の円満・不思議をのべ 

能除一切苦      よく一切の苦しみを除き、

真実不虚       真実にして虚なしからざる 

故説般若波羅蜜多呪  ゆえに禅ニヨル生活の真言を説く

即説呪曰      すなわち呪(マントラ)に説いていわく

羯諦羯諦       来たぞ 着いたぞ

波羅羯諦       まったき青空のただ中についた

波羅僧羯諦      よくぞまあ すがすがしいこと

菩提娑婆訶      さあ禅者よ 自然(あるがまま)なり

般若心経                         

【咄=トッ!・・意訳の終わりに・・すべてを吹き飛ばす掛け声をかけておきます】